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人魚③

「すまないな急に。楽しんでいる最中だったようだが、どうしても早く話がしたくてな」


水着姿の四人を見て少し申し訳なさそうに老人は切り出した。

楽しんでいる最中というよりはこれから楽しむところだったのだが、それを老人に行ったところで意味はない。


ちなみに累たち全員が水着の上からシャツを羽織っている。

さすがに水着姿で依頼の話を聞くというのは憚られたためだが、プライベートビーチで泳くということを諦めたわけでもないからだ。

老人は部屋のソファに座り、対する累たちはお預けされた海への衝動を何とか抑えつつ、思い思いに好きなところに腰を掛けたり立っていたりする。


「私のことは覚えているか?」

「うん。思い出した」

「え? 累さん会ったことあるんですか?」

「いっしょにいたじゃん」


眉根を寄せて首をかしげるフィズは本気で覚えていない顔だ。

とはいえ人間に全く関心のないフィズなら仕方ないことでもある。

累が思い出せたのは老人が持っている高価そうな杖と指輪が印象的だったからだ。


「ほらスロージアのミュージアムで助けた」

「あ、あー……なんとなく思い出しました」


絶対に思い出していない感じの声だ。


「ハクとルシアンは初めてだよね。前に依頼で助けたんだ」

「あの時は自己紹介もろくな礼もせずにすまなかった。改めてにはなるが不和海正という。助けてもらって感謝している。ありがとう」


深々と頭を下げた不和に累はいえいえと軽く会釈を返す。

協会の依頼でやったことであって、自分の意志で助けに行ったわけではないのでそこまで感謝されると逆に申し訳ないくらいだ。


「君らと別れた後は協会とやらの組織に連れていかれてな。そこでグリムに関する話を聞き、口外しないことを条件に開放され、それ以降はこうして沖縄に移住して穏やかに過ごしていたんだが、ひとつ問題が起きてな」

「その問題が依頼したいこと?」

「そうなる」


不和が胸元のポケットから取り出したのはスマートフォンだ。

最近使い始めたルシアンよりもずっと手慣れた様子で操作すると、これを見ろと言わんばかりに累へスマートフォンを差し出してくる。


「これを見ればいいの?」


不和が頷くので累はスマートフォンに映った動画を再生する。

夕暮れ時のどこかの海であり、近くの砂浜から撮ったもののようだ。

とくに不自然な部分はなく、透き通った海が静かに波を寄せては返す、そんなことを繰り返すばかりで見ていると我慢しているというのに泳ぎたい衝動が抑えられなくなってくる。


異変が起きたのは夕日が沈みかけ、あたりが暗くなってきたころだ。

気づけばどこかから歌のようなものが聞こえてくる。

撮影者も気づいたらしく、あたりを見渡し、そしてそれを見つけた。


離れた海原にぽつりと黒い点が浮かんでいるのだ。

撮影者がズームしてみればそれは女の顔であり、どこからか聞こえる歌は彼女が口ずさんでいるもののようだ。

そして次第に歌声が増えていく。

ソロがデュオに、デュオがトリオに、トリオがカルテットに。

今や海から頭を覗かせた女たちが二十人を超え、響く歌声も聖歌隊のような大合唱になっている。


そうして太陽が海原へと消えていき、完全に日が沈むと同時に歌がぴたりと止んだ。

女たちの姿は暗闇に溶け込んだように消えており、動画はそこで終わった。


「これ人魚か?」


後ろからのぞき込んでいたルシアンが最初に声を上げた。

累も同じ結論に達していたのでそうなのかと問いかけるように不和を見れば、彼は間違っていないと頷いて見せた。


「そうだろうな。この動画を撮ったのは私が移住してから三日後のことなんだが、この日から頻繁に人魚たちが私の前へ現れるようになった。近くに人や船が通ればすぐに姿を消してしまうのだが、私が海へ近づくたびに現れあの歌を聞かせてくる」


全員がちらりと宿から見える海を除いてしまったのは、まさかここにもいるのではと思ってしまったからだ。

泳いでいる最中に足を引っ張られて海底に引きずり込まれるなどごめん被る。


「あの、歌うだけっすか? 人魚に何かされたりは?」

「いやそういったことは特にない。今見せた動画のように遠くから歌を聞かせてくるだけでな」

「それだけか? アタシは人魚のことはよく知らねぇけどさ。そんな風に人前によく出てくるもんなのか?」

「私が協会にいたころに資料を見たことがあるけど、人魚の目撃例自体は古くからたくさんあったよ。でもこんなに頻繁に出てくるのは珍しいと思うけど」

「そういえば累さんも人魚って世界中に伝承が残ってるって言ってましたね」


その話は覚えているのか、とフィズをまじまじと見てしまう。

なぜその話を覚えていてその話のきっかけになった目の前の老人を覚えていないのか不思議だ。


「ハクが言ってたみたいに人魚の伝承は世界中にたくさんあるよ。普通グリムはその土地の影響を受けて生まれたものだから、例えば妖怪って言われているグリムが日本にしかいないみたいに、世界中に伝承が残ってるグリムって珍しいんだよね。まぁ最近は移動が簡単だからほかの国に紛れ込んだグリムもいるけど。吸血鬼とか」


もともと吸血鬼はヨーロッパ固有のグリムと言われていたが今では世界中にいる。

けれど例えば土蜘蛛や河童などは日本にしか存在しないグリムだ。

そういう意味では日本はもちろん世界中で伝承が残っている人魚は珍しいといえる。


「けどあの時も言ったけど人魚って伝承が残りすぎていて逆によくわからないんだよね。あと海に住む生き物だから討伐例もすごく少ないはず」

「それ前に先輩に聞いたことがあるっす。狩人は陸と空のグリムは狩れるけど、海のグリムを狩るのは非常に難しいって」


グリフォンやハーピーなどの空を飛ぶグリムの討伐例はあるが、海に生息する人魚などのグリムの討伐例は極端に少ない。

なにせ狩るとなると船に乗ることになるが、伝承を見れば人魚に沈められた船などごまんとある。

おまけに海中では呼吸もできず自由に動けないのだから狩りが難しいのは言うまでもない。


「話を戻すと、私も人魚が何でそんな風に歌を歌っているのかはわからないかな」

「君らに話をする前に協会にも相談してみたんだが、同じようなことを言われたよ。ただ、その……実は協会には話していない事情があってな」


不和の目元が鋭くなる。

頼るべき相手を間違わないようにと見定めているような視線だ。


「君らはグリムだと聞いたが、本当か?」

「まぁ、全員そうだね。ハクはつい最近吸血鬼になったばっかりだけど」

「元人間っすね。でも今はグリムっす」

「そうか。ならばやはり君ら以外に適任はいないのだろうな」


その言葉はこちらに聞かせるというよりは自分自身を納得させるかのようなものだった。

瞳を閉じてしばらく沈黙したのち、不和は覚悟を決めたように累たちへと再度向き合う。


「実は私の家に人魚がいるのだ」

「え?」

「それってどういうことですか?」


当たり前の質問に不和はどこから話せばよいかと悩んでいるようだったが、とにかく初めから話すことを決意したようで、長くなるがよいかと前置きを置いて経緯を話し始めた。


「最初のきっかけはあの魔女のミュージアムだ。あそこで私は人魚と出会い、彼女からこの指輪をもらった」

「それって、人魚から貰ったものだったの?」

「ああ。だがその時点では彼女がなぜこれを私に託したのかはわからなかった。そのあと協会に保護された際に事情を説明するべきかと思ったのだが、あの人魚がこの指輪を渡したときの切実な表情が頭をよぎってな。結局協会の人間には話をせずに私は自宅へと帰宅した。そして彼女がなぜこの指輪を私に託したのかがわかったのはその日の夜だ。現実離れした世界を見たせいで心身共に疲れ切っていてな。その疲れ切った頭を冷やそうと水で顔を洗おうとした際にこの指輪が光ったのだ」


不和は指輪をつけたまま、コップに注がれた水を数滴そこにたらす。

すると指輪が淡く光り輝いた。


「今はこの程度だが、その時は今よりもずっと強く輝き、しかもこの真珠のような部分の中で何かが動いていた。それと同時に脳裏に海原のイメージが強く湧いてきたのだ」


不和のしわくちゃな指が刺したのは指輪にはめ込まれた薄い青色の真珠のようなものだ。

今はただ淡く発光するだけだが、ここに何かがいたという。


「そして何かに強く突き動かされるようにして、翌日には沖縄に移動してこの指輪を海に浸してみたのだが、すると小魚のようなものが指輪から抜け出し私に縋り付いてきたのだ」

「それがまさか」

「ああ、人魚の子供だ」


人魚がどうやって繁殖しているのか、というのはおそらく協会の記録にも残っていないだろう。

今聞いているこの話はもしかするとかなり貴重な話かもしれない。


「あの、それでそのあとどうしたんすか?」

「ここほど大きくはないが別荘を持っていてな。すぐにその人魚を別荘に連れ帰って水槽に入れたよ。最初は本当にただの小魚だったんだが、数日と経たないうちに赤ん坊を超え、ひと月を超えるころには立派な人魚にまで育ってな。今じゃ自宅にプールがあるのでそこに入ってもらっている」

「マジかよ」


ルシアンがそう言わなければ累もマジかと言ってしまうところだった。

まさか人魚をプールで飼っている人間がいるなど思わないし、それを子供――稚魚だろうか――から育てたというのも驚きだ。


「じゃあ今は家にその人魚が?」

「ああ。外見だけで見れば君らとほぼ変わらん年齢に見えるだろう。それに知能が高く私の言葉を覚えて会話もできるんだ。アウラと私は名付けた」


確か不和と出会ったのは半年ほど前のことだが、たった半年でそこまでの成長をしたというのは驚きだ。


「じゃあそのアウラが家にいることがさっきの人魚たちと関係しているかもってこと?」

「そういうことだ。このことを協会に話すとアウラがどうなるかわからなくてな。グリムである君らならば助けてくれるのではと思って頼ったというわけだ」


アウラのことを話す不和はどこかルシアンのことを話す夜帽を思い起こさせる。

つまりは娘を想う親のようだといえばいいだろうか。


そう考えれば協会に詳細を話せない理由も理解できる。

協会の狩人がその人魚を見て人間に危害を加えると判断すれば、不和が反対したところで狩る可能性だってあり得るからだ。

逆に累はフリーの狩人なので依頼人からそう依頼されない限りはグリムを狩ったりはしない。

それにアウラと同じグリムという点が、不和からすると安心感もあるのだろう。


「とりあえず人魚が家にいることはわかった。それで具体的に依頼したいのはどういう内容? その集まってる人魚を狩れって話じゃないよね?」

「ああ、まずは人魚たちがどうして集まるのかを調べてほしい。それと私にアウラを託した人魚から話を聞いてほしいのだ。できれば直接話したいが、君らならばあのミュージアムの主とも会えるのだろう? 私としてはアウラをこのままにしておくわけにもいかない。彼女が幸せになれるよう、人魚たちのもとへ帰すことができるのならそれが一番だと思っている。ただ人魚がアウラを受け入れてくれるのかどうか。アウラが外の世界で生きていけるのかどうかが気がかりなのだ」


つまりはアウラを人魚たちの世界へ戻すにはどうしたらよいか、というのを調べればいいということだろう。


「スロージアなら人魚のことを色々知ってるんじゃないですか? アウラの母親のこともあるし、スロージアに話を聞くのが早そうですね」

「確かに」


フィズの発言は最もなので、累はよしよしと頭をなでておく。

古今東西のグリムを収集しようとしているスロージアなら何か人魚に関する生態を知っていてもおかしくない。

それにアウラの母親と会えれば一番話が早いだろう。


「依頼内容はわかった。ひとまず私たちのほうで調べてみるよ」

「よろしく頼む」


何かを狩れというわけではなく、調査だけということなら旅行の片手間でもできそうな依頼だ。

まだ調査結果が出たわけでもないが、スロージアに話を聞いたら案外あっさりと終わるかもしれない。


その後累たちがスロージアから今日中に話を聞き、改めて明日不和の家でアウラを交えて情報共有するということで話は決まった。

つまり夕暮れになってはしまったが今日はスロージアから話を聞くだけで実質フリーということだ。

読んでいただきありがとうございます。

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