閑話 店名改めました①
「ふぁ」
ハクは地下室の自分の部屋で目を覚ました。
地下室なので当たり前だがここは窓がなく時間感覚があいまいだ。
けれど目覚ましのアラームが鳴っているということは午前十一時過ぎということだろう。
普段ならば十二時に朝食兼昼食をみんなで食べるのだが、今日は定休日ということで累とフィズは朝からどこかに出かけており、朝食は好きにとってくれと言われている。
「どうしよ」
まだ頭はぼんやりしているが胃はすでにしっかりと目覚めているようでぐるると元気な声を上げている。
何か食べないと収まりそうにない。
ひとまずベッドから起き上がり、自分の部屋を出て顔を洗いに洗面所へ。
地下室にはハクと新しく入ってきたルシアンの個室のほか、倉庫と酒の保管庫がある。
嬉しいことに各階に洗面所とトイレがあるのでわざわざ階段を上る必要がないのはありがたい。
しかしながらバスルームが累とフィズの住む二階にしかないため、ハクとルシアンは近くの銭湯へと通っていた。
洗面所を見ると少し濡れているのでルシアンは先に起きているらしい。
彼女と地下で過ごし始めてまだ半月ほどだが、まずこのバーの従業員という昼夜逆転の生活によく平然とついてこれるなと感心してしまう。
なぜなら基本的にバーの営業は夕方から深夜まで続くため、いろいろと落ち着いてようやく眠るのはほぼ朝だ。
昼近くまで寝て十五時ごろから開店の準備を始めるとなるとほとんど日光も浴びずに働くことになるし、夜は食事をとるタイミングも日によって違う。
ハクなどはこのサイクルに慣れるまで結構苦労したのだが、ルシアンは見る限り余裕があるというか、なんだか楽しそうに仕事をしているのだ。
ずっと山奥にいたからというのもあるかもしれないが、もともとこういったことに耐性があるのかもしれない。
とはいえ無理はしないよう先輩として見守らないといけないなとハクは顔を洗って気合いを入れた。
「よう、起きたか? 飯作ってあるぜ。一緒に食べるか?」
「あ、うん」
おそらくハクを起こしに来たらしいルシアンが階段の半ばからそう声をかけてきた。
気合いを入れて早々、あまり先輩らしい威厳がないなと落ち込みつつも階段を上ればテーブルに二人分の食事がしっかりと用意されている。
ルシアンが来てからバーのフードメニューはもちろん、朝食や夜食も彼女がすべて準備しており、その評判は客だけでなく累やフィズからも非常に高かった。
もちろんハクもおいしいと心の底から賞賛したいのだが、あまりにも活躍しすぎて少し先輩として肩身が狭いのがつらいところである。
「今日はガレットだぜ。それとミルクスープな」
「わぁ、カフェみたいっすね。こんなおしゃれな料理どこで覚えたんすか? 山奥に住んでたんすよね?」
「じいさんが持ってきた本と動画だな」
「眼も見えないのに?」
「やっぱ気になるか? 爺さんにもよく聞かれたからな~。答えはこいつらだ」
ちろりとルシアンの緑髪の中から蛇が頭をのぞかせている。
彼らが代わりの眼になっているということらしい。
「ふーん。ちなみにその蛇ってご飯食べるんすか?」
「いやあくまでアタシの一部だからな。別にここから食べられないこともないけどわざわざ飯をやる必要ないって。ハクのチョコちゃんも似たようなもんだろ」
ルシアンの蛇は体の一部でチョコちゃんは眷属なので、少し違うような気もするが確かにチョコちゃんに食事を上げたことはない。
言われてみれば彼は何を食べてるんだろうかとか、呼び出していないときはどこにいてなにをしているんだろうかとか、ハクは自分のことながら少し気になって首を傾げた。
もしかしたらおなかを減らしているかもしれないので後で呼んでご飯を上げたほうがいいかもしれない。
「ま、とにかく飯食おうぜ。いただきます」
「いただきます」
やはりルシアンの作る食事はおいしい。
ガレットというおしゃれなものは初めて食べたが、これを超えるガレットと今後出会うことはあるのだろうかと不安になってしまうほどだ。
寝起きで空腹だったこともあって無言でもくもくと口に運んでしまう。
そんなハクをルシアンは楽しげに笑ってみていた。
「うまかったか?」
「……えっと、はい。ごちそうさまっす」
結局一気に食べきるまで夢中になってしまい、スープを飲み干して落ち着いたところでずいぶんとがっついていたなと気づいたハクは恥ずかしそうに顔を俯けた。
「今日は休みだけどさ、ハクはなんか予定あんのか?」
「んー特にないっす。昨日銭湯が定休日で入れなかったので、今から行こうかなって」
「いいな。じゃアタシもついてく」
「え? まぁ、いいっすけど……」
「決まりな。よし食器洗ったらいこうぜ」
ルシアンのことは嫌いではないしいい仕事仲間だと思っているが、それでも一緒に風呂に入るというのは少しハードルが高い。
これがもしカザリであったとしても同じように思っただろう。
あくまで仕事仲間であって、プライベートを一緒に過ごすというのはどうにも妙な心の壁ができてしまうのだ。
ちなみに累とフィズにはこの心の壁を無理やりに破壊されたので変にマヒしている。
(結構がつがつ来るんだよなぁ)
もともとこういう性格なのか、それとも山奥で一人過ごしていた反動か、ルシアンは頻繁に話しかけてくる。
ハクも別に嫌ではないし同じ屋根の下で暮らすのだから仲良くしたいとは思っているが、あまりにも勢いが強いのでちょっと怯んでしまうし、もともと後ろ向きで何かとマイナス思考なハクは人づきあいが非常に苦手だ。
累とフィズは妖精の夜会のめまぐるしい出来事やその後のフィズのスパルタ教育のおかげで距離感が縮まったが、ルシアンとはいまだに距離感を図りかねている。
「じゃ行こうぜ」
店に鍵をかけて銭湯へと向かう。
徒歩で行ける距離なので二人とも着替えと貴重品を持つくらいの軽装だ。
今まで仕事終わりに銭湯へ向かうときはいつも一人だった。
ルシアンが厨房の掃除をするからと時間がずれていたからだが、今回は一緒なのでなんだか落ち着かない。
それに平日の日中なので人通りも少なく、ルシアンと何も話さないと異常に世界が静かに感じられた。
(こういう時って先輩から話を振るべき?)
後輩に気を使って何か話題を投げるべきだろうか。
しかしそれが逆にうざったいとか思われないだろうか。
(いやそもそも朝食を用意してもらって今さら先輩面も恥ずかしいのでは……)
なんだかマイナス思考が無限に止まらなくなってきてしまった。
そんな風に一人眼を回らせているハクに気づいているのかいないのか、ルシアンは気持ちよさげに太陽の光を浴びながら笑みを浮かべる。
「そういやハクはさ」
「は、はい!? 何!?」
「いやそんな驚かなくてもいいんだけどよ。こんな天気のいい日に外歩いて大丈夫なのかって思ってさ。吸血鬼だろ?」
「あ、ああ、それなら気にしないでいいっす。長時間日光を浴びると少しひりひりするぐらいっすから」
「ふーん。まぁ吸血鬼っぽくないもんな。日焼けしてるし」
「生まれつき日焼けしやすい体質なんすよ。吸血鬼になって肌が白くなるかと思ったけどそんなことなかったっす」
美白肌に少しだけ期待したのは内緒である。
そうこうしているうちに銭湯へと到着し、いつものように番台のおばあさんに挨拶をして脱衣所で服を脱ぐ。
ハクは始めてルシアンと銭湯へ来たわけだが、彼女が服を脱ぎ始めれば羨ましいくらいのボディラインに思わず手が止まった。
まず高身長であることに加えて、女性として気にせずにはいられないバストはフィズに負けず劣らず、ウエストは締まり、ヒップは先の二つのバランスを崩さない理想の形とすべてが高水準だ。
フィズの官能的なボディラインと対比すると、ルシアンは雑誌のモデルのようにすらりとしつつも体が引き締まっている。
しかも鍛えているのか腹筋がうっすらと割れているのを見れば、ハクは思わず自分のお腹を隠してしまう。
胸の大きさで勝てないのはしょうがないが、腹筋を見比べられたら恥ずかしいということのようだ。
「お先」
一糸まとわぬ姿でのしのしと風呂場に入っていくルシアンがハクには自信に満ち満ちているように見える。
自分もあんな体であれば自信を持てたのだろうか、などと現実逃避しかけたところで寒さに体がブルりと震えた。
「馬鹿なこと考えてないでお風呂入ろう……」
そういえばルシアンはずっと山奥にいたのに銭湯のマナーを知っているのだろうかとハクは不思議に思ったが、きちんと風呂へ入る前に体を洗っているのを見れば杞憂だったようだ。
ひとりでずっと読書をしたり映画やドラマなどを見ていたということもあって、そこまで外の世界を知らないというわけでもないらしい。
ただ眼帯を外しているとはいえ目をつぶったまま風呂場を歩くのは少し危なっかしいなと思ってしまう。
「はぁ」
体を洗って湯船につかれば、思わずといった風にハクが声を上げて瞳を閉じた。
平日の昼間なのでルシアンと貸し切りだが、風呂の温かさに心がほぐれたのか先ほどの時のような緊張感はない。
「風呂は気持ちがいいよなぁ。こんなのがあるってんなら爺さんももっと早く教えてくれりゃあいいのによ。それなら外に出ることも考えたってのに」
「この気持ちよさは体験してみなきゃわからないっすよ。ってかあの小屋に住んでた時はどうしてたんすか?」
「あー、あの樹海って木ばっかで川がねぇんだよな。じいさんが飲み水とかは持ってきてくれんだけど体を洗うほどの量はさすがに無理だから雨水貯めたり、近くの洞窟につららができたりしてるからそれを溶かして使ったりだったな。まぁ基本的にはじいさんが持ってきた体をふくシートとかで済ませてたけど」
「サバイバルっすね……」
ハクからしてみれば考えられない世界だが、狩人に狩られないようひっそりと生きるとなればルシアンのような生活が一般的なのかもしれない。
「その点都会はいいなぁ。うまいもんは多いし、風呂はあるし、部屋は涼しいし、夢みたいだぜ」
はははっとルシアンが心から幸せそうに笑う。
考えてみれば母親を殺され何年もずっとあの山奥に一人でいたというのに、こんな風に明るく笑っていられるというのはすごいことだ。
それに比べて自分は後ろ向きなことばかり、とまたハクは自己嫌悪に陥り始めた考えを振り払うように顔を湯で洗う。
吸血鬼になってからいろいろな出来事がめまぐるしく起きたので落ち着いて考える暇もなかったが、こうしてゆっくりと過ごせば吸血鬼になっても本来の自分というものはなかなか変わらないのだなと思い知らされる。
せめてもう少し自分に自信が持てれば――
(また後ろ向きになってる……嫌になるなほんと)
累もフィズもルシアンも、周りにいる人が全員自信に満ちているのでどうにも劣等感が止まらない。
せめてこの銭湯も一人で来ていたら違ったかもしれないのに、と思わず考えてしまう自分自身にハクはうんざりしたように俯いた。
「そういえば前からハクに聞きたいことがあってさ」
「……なんすか?」
「その喋り方ってどうにかならねぇの?」
「え?」
予想もしていなかった言葉にハクは呆けたようにルシアンの顔を見つめた。
対するルシアンはどう伝えたものかと片方の眉を上げて顎に手を添えている。
「いや別にいいんだけどさ。アタシらって仕事仲間だけど同期じゃん。もっと言えば同じ家に暮らす家族みたいなもんだし、友達だろ? 店長とか先輩はまぁ家主だし上司だから気ぃ使うのはわかるけどよ、アタシにはもっと気軽に話していいんだぜ?」
「カゾク? トモダチ?」
「なんで片言?」
あまりにも衝撃的過ぎて固まってしまう。
ハクからすればルシアンはただの仕事仲間だが、彼女からするとハクはかなり親しい人物だったらしい。
好意的なことは嬉しいが、それよりも衝撃のほうが大きかった。
「いやいやいや! いきなり距離縮めすぎでしょ!? ってかルシアンはいいの!?」
「何が?」
「何がって、一応私これでも狩人なんだけど」
「だから?」
「いや、だって、ほら、狩人にお母さんが……」
そう口に出すとルシアンが心底訳が分からんといった様子で口をひん曲げて見せた。
閉じた瞼の向こうで「何言ってんだこいつ」という眼をしているのがよくわかる。
「なんでおふくろが殺されたことにハクが出てくるんだよ。関係ねーじゃん」
「だって、同じ狩人だし。怖いとか嫌いとか思わないの?」
自分の時はそうだったのだから、とハクは口にしかけた言葉を飲み込む。
親をグリムに殺され、それからはグリムが恐ろしくて仕方なかった。
もちろん出会うグリムはどれも親を殺したわけではないとわかっていても、そう割り切れないのが普通ではないだろうか。
「いやだから関係ねーじゃん。ハクはハクだろ? あーなんて言やいいかな。ほらハクは狩人の時もあるけど店で働くときもあるし、今はただのグリムだろ。日によって来てる服が変わるみたいなもんだからさ、その日着てる服がどうだろうと本人を嫌いになるわけじゃないだろ。ましてや同じ狩人Tシャツ着てるからっておふくろを殺した狩人とハクが一緒ってわけじゃないし。たまたま服が被ったんだなーぐらいの感覚だな」
そういい放ち、けろっとした顔で本当に不思議そうにルシアンは首をかしげている。
「そんな簡単に言うんだ」
「難しい話か?」
「どうなんだろう」
少なくともハクにしてみれば自分が吸血鬼になるというとんでもない事件を経てようやくグリムへの恐怖が薄れたところだ。
ただルシアンのほうがずっと前向きなのは間違いない。
「ところで変わったな。話し方」
「え? あ、まぁ、びっくりしたから」
「友達なんだしその口調で頼むぜ。距離がだいぶ縮まった感じするしな。というかアレか。こうして風呂も入って裸の付き合いもしたんだしもう親友か」
「え? なんでそうなるの?」
さすがに数段飛ばしで関係が進みすぎではないだろうか。
「アタシが呼んだ漫画にはそう書いてあったぜ」
「あ、ちょ」
ぐいっとルシアンが肩を抱くようにハクを引き寄せた。
ルシアンのほうが力が強いためも、ハクは抵抗もできずに肩へもたれかかるようにして密着する。
見上げれば黄金の瞳が嬉しそうにハクを見つめていた。
「同じ釜の飯も食ってるし、同じ家に住んでるし、こうして裸の付き合いもしたし、だいぶランクアップしたろ」
「もっと時間を掛けたりいろいろなことを一緒にこなしてからでしょ。親友って呼べるようになるのは」
「じゃやるか」
「は? 何を?」
「デートだよ。今日暇なんだろ? 行こうぜ」
「はぁ!?」
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