四重奏⑱
「え」
店の扉を開いて中へと足を踏み入れれば、累の口から出たのはその一言だった。
「なんだいいきなり。頼まれた調べ物について教えに来たってのに」
「いや、まさか直接くるとは思わなくて。電話で済むかなって」
確かにそれは間違っていないし、遊佐から逃れるようにして思わずここまで来てしまったのは事実だ。
だがメドゥーサを見ておきたいという理由もある。
「一応協会の狩人として、そのメドゥーサが面倒を起こさないかどうかは見ておかないといけないだろう」
「ああ、なるほど」
「それでそのメドゥーサは?」
「今は裏で仕事中。フードメニューをいくつか追加しようと思って、それをフィズとハクとルシアン、そのメドゥーサの名前なんだけど、三人で研究中」
確かにここからは見えないが厨房からはスパイスのいい匂いがしている。
それに微かに――
「どうよ? うまいだろ?」
「た、確かに、うまい……っすね」
「なんでそんな悔しそうなんだ?」
「ルシアンがいきなり活躍してるから店での自分の立場が危ういなとかハクは考えてるんですよ。この間狩りで失敗したばかりだし」
「いやそんなことない! わけでもないっすけど……」
「ははは、そんなこと気にしてたのかよ。じいさんは生きてたし、ハクだって店の掃除だけじゃなくて花を飾ったり季節のメニューの黒板を書いたり、いろいろレイアウト考えたんだろ? この店に始めて入った時に思ったけど、あたしは好きだぜ。客が満足するのはそういう気遣いができてるからじゃんか。もっと胸張れよ」
「……後輩のくせに。でもどうもっす。ちょっと自信でたっす」
「そりゃどうも。でも言っとくけど先輩とは呼ばないぜ。ほとんど同期だからな」
「え!?」
「ところでルシアン。これもうちょっと甘口になりませんかね。累さんは甘口が好みなので」
「いや先輩さぁ。店長が甘口が好みだからって全部が全部店長の好みに合わせるのは違くねぇか? カレーなんだしちょっと辛いくらいがいいんだって」
などと話し声が聞こえる。
声を聴く限りではハクも意外と馴染んでいるようだし、ルシアンというメドゥーサの印象もそう悪くない。
「意外と仲良くやってる」
「そうみたいだね。フィズとか嫌がらなかったのかい? ハクの時だってあんなに嫌がってたのに」
「ハクの時ほどじゃなかった。ルシアンのおかげでうちの生活水準が格段に上がったんだよね。だからかも」
「生活水準って、料理のことかい? そんなに?」
「そう。ルシアンの料理はとてもおいしい」
とてつもなく実感のこもった口調で累が頷く。
そこまで言われると興味が出てくるもので、厨房からわずかに香るスパイスに胃も刺激されるというものだ。
「あとで食べてく?」
「いいのかい?」
「感想は多いほうがいい」
「なら頼むよ。正直気になって仕方なかった」
もしおいしくてバーのメニューにもなるというのなら、今後夜食はここで食べてもいいかもしれない。
これまではナッツやアイスなどのあくまで酒の付け合わせレベルしかなかったが、食事ができるとなれば今後はこれまで以上の頻度で訪れる可能性もある。
「あぁところでメドゥーサの変異種の件だが、過去の事例を見ると複数の魔眼を持ったメドゥーサはいたらしい。ただ具体的にどんな魔眼を保持していたのかとかいくつ保持しているかまでの記載はなかったね」
「へえ。じゃあやっぱりルシアンはメドゥーサの変異種か」
「あと気になったのはメドゥーサの蛇が魔眼を持っているような記載があったことか。もしかしたら蛇と合わせた瞳の数だけ魔眼を保持できるのかもしれない。それに変異種全般に言えることなんだが、ルシアンはハーフだったりしないかい? ハーフだと変異種に生まれる場合があってね」
「本人から聞いたわけじゃないけど、たぶんそうかな」
累がちらりと時計を見ると、そのタイミングで誰かが店の扉をノックしたようだ。
まだ開店前で自分以外にこの時間に店を訪れる人間がいるのかと振り向けば、累が扉を開けて品のいい老人を出迎えている。
老人はぺこぺこと累に頭を何度か下げると、手に持っていた袋を彼女へと差し出した。
「こちらをどうぞ。この間はルシアンが燃やしてしまったので」
「え? いいの?」
「はい。私の地元に日本酒の酒蔵がありまして。皆さんで飲んでください」
「ありがとう!」
嘘だろ、と思わず声を出してしまった。
なぜならカザリはここに通ってかなり長いが累のあんな笑顔は見たことがない。
幻じゃないかと何度か瞬きしたが鼻歌でも歌いそうな雰囲気で累は厨房を覗き込む。
「ルシアン。おじいさんが来たよ」
その声に厨房から現れたのはフィズよりも身長の高い女性だ。
フィズはカザリと同じくらいの身長なので百七十台中盤といったところだが、そのフィズよりも高いので百八十は越えているだろう。
累と並べば大人と子供だ。
そして両目を塞ぐような眼帯に、料理中だからかエプロンをして頭にはバンダナを巻いている。
「よぉじいさん! 来たな!」
「ああ来たとも。最初の客になるといったからな。元気そうで何よりだ」
老人はそういって席へと座り、カザリを見るとぺこりと頭を下げる。
カザリもそんな老人に対して頭を下げてから累へと問いかけた。
「誰だい?」
「この間の依頼人」
ざっくりと電話で累から話は聞いているが、となるとこの老人がメドゥーサを守るよう累たちに依頼したということだ。
ルシアンとどういう関係なのか気になるが、二人の近くでそんな話を聞けるはずもない。
しばらくそうしてルシアンと老人が話し込んでいるのをカウンターの端から眺めていると、ルシアンが厨房に下がって持ってきたのは先ほど調理していたというカレーだった。
「このカレーがこの店で最初に出すアタシの料理だぜ。飲み物はどうする? じいさん酒飲めないし水か?」
「いや……せっかくだし飲んでみようと思う。すみませんカクテルを頼めますか。お任せしますので」
老人が累へとそう注文すると、累は何を出そうか考えるように天井を見上げた。
しかしそれもほんの少しのことですぐさま手が動き始める。
それを厨房から覗くのはフィズとハクだ。
フィズはいつものようにうっとりとした顔で、ハクは真剣な顔で何やらメモしている。
以前カクテルを作れるようになりたいと言っていたのでその勉強だろうか。
そうこうしているうちに老人の前へと差し出されたのは白と黒が上下で綺麗に分かれたカクテルだった。
「……ホワイト・ルシアンか」
カザリが小さくつぶやく。
外見が特徴的なので覚えていたのだ。
下の黒色の部分はウォッカとコーヒーリキュール、そして上の白色は生クリームだ。
コーヒーの風味があるため食後に飲むのがおすすめだが、このタイミングで出したのはルシアンという名前が付いたカクテルだからか。
ほかにもルシアンの名がつくカクテルはあるが、これを選んだのは累なりの理由があるのだろう。
「よし。飲み物も出たし、食べてくれよ」
「ああ、いただこう」
老人がカレーをスプーンですくい、そして口へと運ぶ。
顔がほころぶのはその数秒後だ。
見ているこちらが羨ましくなるほどの幸福に満ちた顔であり、それほどにうまいのかと興味が激しく駆り立てられる。
「うまいな。これまで食べてきたものの中で一番うまい。こんなにうまい料理が食べられる日が来るなんて思わなかった」
「おいおいじいさん、さすがに大げさすぎるぜ」
そうは言うがルシアンも嬉しそうだ。
老人はカレーを口へと運ぶスピードが速くなり、一度ごくりと飲み込んで息をつくとホワイト・ルシアンをゆっくりとわずかに口に含む。
「はぁ、これもまたうまい。こうしてまたうまい酒を飲める日が来るとは……」
老人の瞳がどこか遠くを眺めるように輝き、そして再びカレーを味わう。
カレーとコーヒー風味のホワイト・ルシアンの愛称は抜群なようで、あっという間に老人はどちらも平らげてしまった。
そうしてそれを眺めていたカザリはいよいよ我慢できないという風に声を上げる。
「あのさ、私にも出してくれるって話だったけどいつ出てくるんだい?」
***
遊佐総一郎は去り行くカザリの背中を見つめながら瞳を細めた。
前から妙な女だとは思っていたがやはり解せない。
そもそもカザリは遊佐やギブソンのようなアカデミー出身でもなければ、バナやブリスのように師を得て狩人となったわけでもない。
経歴が一切不明なうえ、ある日気づいたときにはすでに相応の実力を持って協会の中枢に混ざりこんでいた。
そうしていつの間にか本部長である山崎の腹心となり、魔女との調整役という重要なポジションに収まっている。
カザリを妖精の夜会の狩りに推薦したのは遊佐だ。
言ってしまえばあの依頼は魔女の忠誠心の確認や魔剣を手にする目的もあったが、遊佐にとって邪魔な存在を処理する目的もあったのだ。
魔女たちは言うに及ばず、なかなか昇格を受け入れず魔女との調整役に固執するカザリと、かつてアカデミーで共に特等狩人となってグリムを駆逐すると誓い合った仲でありながら、グリムへの憎しみも誓いも忘れたギブソン。
カザリは調整役をもっと使いやすい狩人へと変えるため、ギブソンはグリム排斥派の狩人を中立へと引き込むのを止めるため、ハクを除けば全員に死んでもらっても構わなかった。
その結果、ハクは無事とは言い難いものの全員が生還。
魔剣を取り戻したことは素晴らしいと心の底から賞賛しているが、逆にカザリのことが余計にわからなくなった。
過去にどの狩人も生きて戻れなかった夜会から無事に生還するだけでなく魔剣を奪い返すほどの腕前があるのなら、なぜ一等狩人の地位に固執するのか。
おそらくこれ以上等級が上がれば魔女との調整役を部下に任せなければいけないからだ。
であればなぜ魔女との調整役を譲らないのか。
(あの会議では魔女と敵対しないよう会議を誘導した。魔女に魅了されているのか?)
そうであれば話は早いのだが、魅了された人間というのははたから見て分かるほどに行動に異常がみられるものだ。
その点カザリには魅了された形跡はない。
だが狩人であるならおかしな点はある。
(さっきもそうだが、魔女を名前で呼ぶというのは……)
狩人は普通グリムの名前など呼ばないし覚えない。
狩るべき相手なのだから当然だ。
調整役として付き合いが長いから、というのならまだ理解できなくもないが、あの会議では燎と暁の魔女の名も呼んでいた。
関係もないはずの魔女の名前まで何故憶えているのか。
もしカザリに問いかければ魔女との調整役なのだからほかの魔女の名前を憶えていても当然、とおそらく答えるだろう。
だが妙に気になることは確かだ。
(それに魔剣に、妖精のこともある)
まだ不可解な点はあるのだ。
遊佐が顎に手を添え考えていると、そばに一人の狩人が近寄ってきた。
見覚えのある顔でこちらを見るなり声を潜めて問いかけてくる。
「調べますか?」
何を考えているのか察したのだろう。
いやグリムを駆逐することを考えるなら、協会内の不穏な存在に敏感になるのは当然のことか。
遊佐は一度頷くと狩人へと指示を出す。
「任せますがあまり本人には近づかないように。バレていいことなどありませんから。それと妖精と彼女の関係性も洗ってください。可能なら妖精を捕まえて話を聞くなどして」
「わかりました」
狩人は静かにライブラリから姿を消した。
これは仲間のあらを探すような行為だが、グリムを狩るならばこういったことをしなければならない場合もある。
それにもしカザリに隠しているようなことがあるのなら、それを材料に交渉し、カザリを魔剣の使い手にするという案もある。
「怪物はさっさと童話の中だけの存在にしなくては」
グリムは狩らなければならない。
狩りつくさねばならない。
そのためには仲間を疑うことも利用することも粛清することも仕方のないことだ。
グリムはこの世にいてはいけないのだから。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




