四重奏⑰
また面倒なことをしてくれたな、というのがカザリの偽らざる本心だった。
ある日スマートフォンに着信があり、誰かと思えばその相手は累。
依頼もしていないのに向こうから連絡をしてくるというのがとてつもなく嫌な予感を感じさせるのだが、出ないわけにもいかずに話してみればメドゥーサの変異種についての質問だった。
確かに協会には世界中のグリムの情報を集めた膨大なアーカイブが存在する。
その中には変異種についてまとめたものもあり、グリムによっては同一のグリムとは思えないほどの能力を持つ変異種がいたこともわかっている。
そんな変異種についての質問をなぜ累がしてくるのか。
足を踏み込めば絶対に面倒なことになるとわかっていながらもその理由を問いかけたのは、知らなければ後々もっと面倒なことになるという予感があったからだ。
「それでヘルメスを返り討ちにしてメドゥーサの変異種を引き取ることにしたと」
「そうだね」
そうだね、ではないのだ。
ヘルメスを返り討ちにしたのは依頼を受けた狩人としては仕方のない対応だと思えるが、メドゥーサの変異種を都内のど真ん中に連れてくるなど何を考えているのだ。
いや魔女がいる時点で今更かもしれないのだが、危険が増えることをあっさり許容できる狩人などそうはいない。
それにトロールに喰われて死んだ金持ちの馬鹿と火事の後始末をお願いとさらっと言われて誰がはいそうですかと言えるだろうか。
「……わかった。後始末はこっちでする」
熱せられた鉛を飲み込むようにしながらカザリがそう答えたのは、それでもやらねばならないことだからだ。
そのどこかの馬鹿のせいでもあるが、グリムの存在が公になることだけは避けなばならない。
特に昨今は昔と違って何でもSNSで情報が広まるため、協会や各国の政府関係者が苦労して情報封鎖や隠ぺいを行っている。
SNS規制論などもその一環なのだろうが、逆に最近ではグリムの画像がSNSに投稿されてもAI生成だろうと誰も気にしないことがあった。
技術の発展も一長一短である。
「メドゥーサの件はわかった。ただし本当に問題ないんだろうね? もしそのメドゥーサが人に危害を加えるようなことがあれば、君らの立場だって危うくなる。せっかく魔剣の件で協会からの印象もよくなってるっていうのに、妙なことをしたら全部台無しだ。わかってるだろ?」
「うん問題ないよ。多分」
「多分じゃなくてさ……」
どちらかというと困るのはこちらのほうだ。
ただでさえ遊佐筆頭のグリムとの共存に反対する派閥が魔剣の奪取によって威勢がよくなっている昨今、そんな彼らに餌をやるような行為は慎んでほしい。
彼らを抑えるのも楽なことではないのだから。
ひとまず累との通話を終えて部下に隠ぺいの指示をし――いきなり山梨に行けと言われて困惑していたがその気持ちはよくわかる――カザリはメドゥーサの件を調査しに図書館へと向かった。
この図書館というのは比喩でもなんでもなく地方自治体が管理している普通の図書館だ。
とはいっても普通なのはあくまで表向きであり、カザリが表向きはシステム会社の社員であるようにこの図書館も裏は協会関係者によって運営されている。
他にもグリムの研究を行うのであれば研究所に偽装していたり、武器や防具の作成はとある工場、魔術具の作成は寺や神社、教会に偽装していたりもする。
そしてグリムの情報を管理しているのはこの図書館というわけだ。
有名な建築家が設計を担当したらしく、館内は開放的かつ本を傷めないように配慮しつつも光を積極的に取り入れるよう考えつくされた窓の配置など、本以外にも見どころのある図書館だ。
だがそんな建築家もまさか自分の設計した図書館の地下で、訳も分からぬ集団が勝手に増改築を繰り返しているとは知らないに違いない。
カザリは関係者専用入り口から館内へと入り、そのまま階段を使って地下へと向かう。
地下には変電設備があるが、その一角に隠し扉があり、こちらが関係者だとカメラに向かって専用のIDを掲げると中の人間が扉を開いてくれる仕組みだ。
そうしてようやくたどり着いたのがグリムの情報を一手に管理する狩人専用の図書館。
通称ライブラリだ。
今の時代にデータではなく紙媒体で管理するのは技術のアップデートができていないわけではなく、この管理をしている彼らが強硬に拒否しているためである。
というのも正確にはライブラリに所属する人々は狩人でもなければ協会の人間でもないく、協会に協力してくれる善意の団体に過ぎない。
そんな彼らは世界各地で紀元前から連綿と資料を受け継ぎ、戦災や自然災害などを乗り越えグリムの貴重な情報を保持し続けてきた。
先人が文字通り血を吐き屍を積み上げて残してきたものを、データという形もない物に置き換えるなど許せることではないということなのだろう。
一部の狩人からはデータにしてくれればどこでも閲覧できるのに、と文句が出ているのは知っているが、カザリからすれば彼らに敬意を払ってしかるべきだった。
そんな彼らにメドゥーサについての情報をもらいにやってきたのだが、データとして閲覧できないだけで電話をすれば情報をまとめてメールで送ってくれたりもする。
ただしそれは非常に嫌がられる――やってくれないわけではないが嫌われる――ので、カザリは調べ物をするときは必ずここを訪れていた。
その甲斐あってかここで働く彼らからのカザリの評判は非常に良い。
受付で座っていた男がカザリに気が付くとすぐさま立ち上がり、好意的な笑みで出迎えてくれた。
まだ三十代だと思われるが前頭部の髪が薄く、無理やり後ろから髪を引っ張って隠している男だ。
揃いも揃って気難しく同胞以外には警戒心の強い彼らがこうして笑みを見せてくれるのも、足しげくここに通って信頼できる人物だと証明したからに他ならない。
だがその関係構築に時間を費やしている間に、彼の髪の毛はかなり手遅れになってしまっている。
最初に見たころはもっとふさふさだったのにな、と時間という残酷な現実には恐ろしささえ感じるものだ。
「お久しぶりです。白神さん」
「久しぶりだね。また調べたいことがあるんだが頼めるかい?」
「白神さんであれば大歓迎ですよ。最近の狩人は先人の残した資料に敬意も払わずに情報だけよこせとばかり。特にあの遊佐とかいう男は幹部だからと横柄に命令してきて、我々は部下ではないというのに……」
好意的な笑みを浮かべていた男が抑えきれない鬱屈を吐き出すようにぶつぶつと語りだす。
魔剣のことについて調べろと指示されたのが気に食わないのだろうが、先ほどまでの笑みが嘘だったのかと思うほどの豹変だ。
遊佐のやっていることは間違いでもないが、こうしてあちこちに歪を生むのは正直迷惑であり、彼ほどでもないが巻き込まれる身にもなれと遊佐に文句を言いたい気持ちは抑えられない。
「悪いねうちの狩人が」
「いえいえこちらこそすみません愚痴を。さて本日はどのような調査でしょうか」
「メドゥーサの変異種についての情報を頼むよ」
「かしこまりました」
そう答えると男は受付の受話器を手に取り、一度おほんと咳ばらいをすると外見にそぐわぬ美声で言葉を発した。
「メドゥーサの変異種。B05へ」
そして受話器を置いてカザリへと再び微笑みかける。
「ではこちらへどうぞ」
通されたのは仕切りのある半個室だ。
ここで待っていることで先ほどの情報に関連ある資料を彼らが持ってきてくれる。
ほかにもいくつか個室はあるがB05ということはそれなりの狩人がここを訪れているのだろう。
前に全く狩人がこないと愚痴を聞かされた時はA02だったからだ。
「お待たせしました。こちらがメドゥーサの変異種についての関連資料です」
カートに乗せられた書物が合計三点にその書物の何ページ目に情報が記載されているかのメモが一枚。
ライブラリの蔵書数から言えばかなり少ない結果だが、聞いたこともないメドゥーサの変異種について情報があったことにまず驚きだ。
「ではお帰りの際はお声がけください」
「ありがとう」
さっそく一つ目の本を手に取り指定のページをぱらぱらとめくる。
この本は江戸時代末期に商いをやっていた男の日誌らしい。
商売のために江戸へと向かう道中に夜盗に襲われ、そこに現れたのが頭に蛇を飼った女だという。
彼女が一睨みすると数人の夜盗が眠り、また一睨みすると今度は麻痺したように動かなくなり、最後には逃げていく夜盗を睨みつけて石に変えたという話だ。
「似てるな」
累から聞いた話と似ている。
次の本は百年戦争にイングランド側で参戦した兵士の記録だ。
フランスへ遠征中、とある森で美しい女と出会い恋に落ち、その女との間に子もできたらしい。
しかしジャンヌ・ダルクが現れたことでイングランドは劣勢になり、パテーの戦いで敗北し妻と娘を連れて逃げようとしたところをフランス軍に捕まったとのことだ。
どこにメドゥーサの変異種が出てくるのかと読み進めれば、その兵士をフランス軍から救ったのがメドゥーサの変異種であり彼の娘だった。
父親を捕まえたフランス軍に怒り狂った娘の髪は次第に蛇へと姿を変え、蛇の一匹が見つめれば兵士が石に、また別の蛇が見つめればその兵士は雷に打たれたという。
そのおかげで男は助かったわけだが、娘が化け物だという現実が受け止めきれず、逃げるようにしてフランスを去ってイングランドへ帰ったらしい。
その後の妻と娘の記録はない。
「ハーフか。なるほど」
変異種が生まれる原因は別の血が混ざるからという説がある。
ゴブリンが人間の女を犯して産ませた子は、従来のゴブリンよりも賢く強い変異種になったという記録が残っているし、事実フィズは半人半魔のカンビオンでありインキュバスとサキュバスの間に生まれた同種のカンビオンよりもはるかに強い。
それにほかにも魔女に一人、人間とグリムのハーフがいる。
となればルシアンというメドゥーサの変異種もこの本の娘と同じようにどちらかの親が人間や別の種族だったりするのだろうか。
「おや白神さんではないですか」
最後の本を手に取ろうとしたところで声を掛けられてカザリの手が止まる。
止まるというよりは硬直したというほうが正しいかもしれないが。
「……遊佐、特等」
「そんなにかしこまった呼び方はしなくても構いませんよ」
先ほど話題に上がった男がなぜここに、とカザリが動揺したのも無理はない。
そんな不思議そうなカザリの視線に気が付いたのか、遊佐は苦笑しながら口を開く。
「いろいろと性急に事を進めすぎたせいでライブラリの人から嫌われてしまいましてね。その謝罪もかねてこうしてここに足を運んだというわけです。先人の努力に敬意を表さなかったのは反省していますから。ところで白神さんは何か調べものですか?」
「ああ、そうだよ。ここに来る理由なんてほかにないだろう?」
遊佐の眼に入らぬように本を閉じてそう答える。
いずれメドゥーサの件は報告を上げなければならないし遊佐の耳にも入るだろう。
だが先に山崎やアルメルに根回しするほうが先だ。
ここで遊佐に知られて得なことなど一つもない。
「そうですか。ところで白神さんには改めてお礼をしなければと思っていたんですよ」
「何をだい? そんな礼を言われるようなことはしていないと思うけど」
「いえいえ魔剣を持ち帰ってくれたお礼です。今までどの狩人にもできなかったことをあなたはしてくれた。心から感謝しています」
そう遊佐は頭を下げる。
彼は陰湿そうな外見をしているのでこれも何か裏があるのかと思えてしまうが、その言葉や態度は真摯であり本当に感謝しているようだった。
「依頼だからね。それに私ひとりの力じゃないってことはわかってるだろう?」
「ええ、もちろん彼にも礼を言いましたよ」
「ギブソンだけじゃないだろ。君が嫌ってる魔女とグリム……それにハクもだ」
遊佐は顔色を変えなかったが、カザリには少し空気が変わったように思えた。
「米沢ハク。彼女が吸血鬼になったことは非常に残念です。……もちろん彼女にも魔女とその下僕にも感謝していますよ。今回はそれだけ重要な依頼でしたから。ところで今はその三人で一緒にいるとか。もし彼女に会うことがあれば伝えてください。元狩人としてやるべきことをやるのであれば礼はすると」
「どういう意味だい? ハクに累とフィズを狩れって?」
「狩人なら当然のことです。むしろ吸血鬼としての力を手に入れたのなら単なる三等狩人だったころよりも狩れる確率は上がっているでしょう。まぁとはいっても所詮はグリム。グリム同士でなれ合っているのなら期待はできませんがね」
もしギブソンがここにいたらハクを道具のように思っているこの男を殴りつけていたかもしれない。
もしフィズがここにいたら累を下僕と呼んだこの男を生かしてはおかなかっただろう。
「一応忠告だが、もう少し発言に気を付けたほうがいいと思うけどね。自分が正しいと思っていても、それがほかの人間にとってそうとは限らないよ」
「私は狩人として間違ったことを口にした覚えはありませんが、忠告は胸に留めておきます」
「そうかい。それじゃ私は行くから」
まだ一冊読んでいないがここに長居はしたくない。
カザリは本をカートに乗せるとそのまま受付へと向かった。
遊佐は確かに狩人としては間違っていないのだろうが、あの考えは敵を作りすぎる。
現に自分の言動で協会内に不和を生み出しているのを彼は理解しているのだろうか。
「白神さん」
「まだ何か?」
「あなたも是非魔剣の使い手に名乗りを上げてみてはいかがですか? 魔剣を文字通り持って帰ることのできたあなたなら、その資格は十分にある。あなたが辞退するからまだ一等狩人ですが、狩人としての技量も本来なら特等狩人に比肩するものだと私は思っています。ただの調整役で終わらせるにはもったいない」
そんな話をされるのではと思っていた。
だからこそカザリは用意していた言葉を口にする。
「遠慮しておくよ」
そうしてカートを押して歩き始めれば、今度は呼び止められることはなかった。
だが視線が背中に突き刺さるような感覚は変わらず、追い立てられるようにしてカザリはライブラリを後にする。
次に向かったのは今回の問題の発生源。
つまりは累のバーだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




