四重奏⑯
さっきここから逃げたばっかりなのにな、と思いつつも累は少し離れた場所から倉吉の屋敷を見渡した。
軽く見た限りではどうやらヘルメスはもういないらしいが、それでも一応警戒は必要だろう。
静かに近づいて庭へと入るが物音ひとつせず、そのまま本館へと足を踏み入れるが人の気配もない。
もしかして酔いつぶれているのかと倉吉と会ったリビングへと向かうと血だまりができており、床には人間の折れた歯が散乱していた。
「あれぇ」
フィズと冗談交じりに――フィズは本気のようだったが――夜帽の依頼を拡大解釈して倉吉をぼこぼこにしてやろうか、なんて話をしていたのだがこの惨状を見るにどうやら先を越されたらしい。
残っている形跡からするとここにいた誰かは酒を飲んでいた倉吉を羨ましいくらいに滅多打ちにしたのだろう。
そしてリビングから隣の部屋へと血痕が続いており、見れば本棚の一部が開いて地下への階段となっていた。
「あー」
たぶん死んでるな、と思った累はそれを確認するために階段を軽やかに降りていく。
そうしてたどり着いたのはどこかで見覚えのある監獄だ。
この前ハクに話した昔の依頼でこんなものを見たなと思い出し、その感覚は間違っていないとばかりにトロールが倉吉の体を頭から齧っている。
おそらく牢屋に閉じ込められていたのだろうが、今は外に飛び出し久しぶりの食事に夢中なようだ。
倉吉はというと残っているのは下半身だけであの腹立たしい顔はトロールの胃袋の中らしく、ここまで倉吉を引きずりトロールを解放した誰かは地下室にある別の出口から去っていったようだ。
見上げるほどに大きい出入口であり、おそらくここから捕獲したトロールを運び込んだのだろう。
「やり返したい気持ちもあったけど、まぁこれはこれでふさわしいか」
グリムに関わったことを大いに後悔したことだろうが、その顔を見られなかったのは心残りだ。
累は食事に夢中なトロールへ背後から静かに近づき、そこから一気に背中を駆けあがると脳天に手斧を振り下ろす。
んおぉ、という間抜けな声を最後にトロールが前のめりに倒れて動かなくなった。
他に捕獲されたグリムはいないようなので、ここはもう安全だろう。
累はフィズに連絡をとって問題ない旨を伝えると、階段を上ってエントランスホールへと向かう。
そうしてそこで待つこと数分、フィズを先頭にハクとルシアン、そして命拾いした夜帽が歩いてきた。
「お疲れ様です累さん。あの男はどうしました?」
「死んでた。私たちより先に誰かが始末したみたい」
「……おそらく、ヘルメスのリーダーによるものでしょう。自業自得ですが」
夜帽は倉吉の死に喜びとも悲しみとも言えない複雑な表情を浮かべている。
己の愛すべき人を奪った憎い男でありながら、尊敬すべき主の息子でもあった男の死というのは、一口には語れない想いがあるに違いない。
そして隣のルシアンはというと眼帯をきっちりとしたまま周囲を興味深そうに見渡していた。
眼帯をしているのは本人曰くたぶん石化させることはないが不安なので念のためということで、別に眼帯をしていても感覚的に周囲に何があるかを把握することは可能らしい。
あと長い間眼を隠していたのでこのほうが落ち着くとのことだった。
マスク依存症みたいなものなのかもしれない。
「さっきはすみませんでした。今度は絶対に守るっす」
「人の気配はないから安心していいけど、まぁ警戒しとくに越したことはないか」
「はい。もうミスしないっす」
ハクが夜帽に頭を下げ、夜帽はよしてくれと慌てている。
あの狩人は頭に矢が突き刺さっていたので、ハクはそれで死んだと判断したのだろう。
気持ちはわかるがスタングレネードに怯みもしなかったアルベルトのように霊薬で強化された狩人はグリムよりも頑丈なことがあるので、きちんと息の根が止まっているかの確認はしなければならなかった。
狩人としての腕前は向こうのほうが上で、ハクは試合に勝って勝負に負けたというところか。
「じゃあ、行く?」
累の言葉に夜帽が頷き、ぞろぞろと酒造用の建物へと歩き出す。
ヘルメスと出くわす危険性もあったのにわざわざここへと戻ってきた理由は、夜帽が最後にやり残したことがあるので戻りたいと主張したためだ。
もちろんヘルメスがいるようであれば諦めるとのことだったが、なんとなく彼のやり残したことを察した累が先行して安全を確認し、こうして全員でここに戻ってきたというわけである。
「じいさんはここでずっと働いてたんだな。ずいぶんでかい屋敷みたいで羨ましいぜ」
「嫌なことのほうが多かったが、こうしてすべてが終わってみれば妙に感慨深いのもだな」
建物の扉を開けば以前と変わらぬ冷ややかな空気に包まれている。
ルシアンが寒さに体を震わせると、夜帽が着ていた上着を彼女へと羽織らせた。
「累さんもどうですか? 私の上着はあったかいですよ?」
「いやいい」
フィズが忘れているわけはないだろうが累は人形だ。
それも死んでいるのでよほどの寒さや暑さでない限り異常は起きない。
「そうですか……」
ちょっと残念そうにしているが、夜帽のように上着を着せるのではなく自分の懐に累を入れて上着で覆うようにするのはちょっと違う。
少なくとも仕事中にすることではないと累は思うのだ。
肩を落とすフィズから視線をそらし、以前訪れた際にはゆっくりと見ることができなかった周囲の酒を累は眺めていく。
本人が言っていたようにずいぶんと高価な酒を保管しているようで、中には累が手も足も出せないような金額のものも保管されていた。
「あの、興味があるのであればお好きなボトルをお持ちいただいても構いません」
「え? いいの?」
「先代から私が辞める際は好きな酒を十本まで持って行っていいと言われていますので、十本までならご自由にどうぞ」
「ありがとう!」
なんてすばらしい依頼人なのか。
涎が出そうになるのをこらえてお礼を言うと、累はすぐさま気になっているボトルを手に取って一か所へと集める。
ただしこれだけの量から十本となるとなかなかに難しい。
冷静かつ真剣に吟味しなくてはならないだろう。
「店長にこにこですね。あんな顔見たことないっす」
「これも職業病って言うんですかね。あんなに喜ぶなら今度からお酒をプレゼントしようかな……でも累さんそんなに強くないから買っても貯まる一方なんですよね」
「フィズとハクも飲んでいいんだよ?」
「自分はまだお酒のおいしさがそんなにわからないんすよね。飲んでればそのうちわかるもんなんすか?」
そういわれると自分はどうだったのか。
思い出しても累の記憶は屍人形となったあとからしかないためどういう経緯で酒が好きになったのかは不明であり、今の自分が目覚めたときにはすでに酒は好きだったしバーテンダーとしての知識や技能があった。
過去の自分が気にならないわけではないが、別に知ったところで何かが変わるわけでもないので特に気にしていない。
そんな風に自分の過去を思い起こしている累から回答がもらえず、ハクは質問相手を夜帽へと変えて問いかけた。
「夜帽さんは……ってあれ? 夜帽さんってお酒が飲めないって言ってた気がするんすけど」
「先代にお仕えしていたころはよく晩酌にお付き合いしていましたし、私も酒は好きでした。ただ、彼女のことがあってからはどうにも受け付けなくなってしまいまして。酒を飲んで忘れたくてもその酒が飲めないというのはなんともつらいものでした」
「すいません……デリカシーがなくて……」
「ハクは空気が読めませんね」
それをあなたが言うのか、とハクが眼を見開いている。
ちなみに累もフィズがそれを言うのかと凝視してしまったのだが、フィズにはそんなにじっと見つめられたら抱きしめたくなりますと言われて全く伝わらなかった。
そして抱きしめられている。
手に持ったボトルを落としかねないのでやめてほしい。
「この先だ。本当にいいのか、ルシアン?」
「ああ。いいぜ」
口数の少ないルシアンを見てどう思ったのか、夜帽は躊躇いながらも扉を開く。
そこには以前と変わらぬメドゥーサの生首が酒の大瓶の底に沈んでいた。
「お前の母親だ」
ルシアンが眼帯を取り、黄金色の瞳に母親の姿を映した。
ふっと口元を緩めると、額を瓶へ押し付けるようにしてうつむく。
「久しぶりだな、おふくろ。じいさんのおかげでここまでデカくなれたぜ。安心したろ? これからはおふくろの代わりにじいさんを幸せにしてやるよ。もちろんアタシも好きに生きて幸せになるさ。グリムだからな。おふくろももっと自由に生きてみてもよかったんじゃねぇの? まぁ記憶じゃ幸せそうにしてたから余計なお世話か。……とにかく、また会えてよかったよ」
ルシアンが顔を上げ、背後にいる夜帽たちへと振り向いた。
口元には笑みを浮かべ、瞳にはぎらぎと炎が燃えている。
比喩ではなく、本当に金色の瞳の奥で炎が揺らいでいるのだ。
「さて、燃やすか」
「は?」
「おふくろだよ。このまんまもアレだしな」
全員がぽかんとしたのは無理もないだろう。
代表して問いかけたのは夜帽だ。
「い、いや燃やすってお前……その酒から出して丁重に弔わんでいいのか?」
「じいさんがそうしたいんならそれでもいいぜ。でも死んでからだいぶ経つし、いまさらグリムが葬式ってのも変だしな。このまますぱっと燃やしたほうがおふくろも気持ちよく成仏できるんじゃねぇの?」
「お前がそれでいいなら構わんのだが……グリムとはそういうものなんでしょうか?」
夜帽に聞かれても何とも言えない話である。
「グリムの弔いかたは私たちも知らないけど、娘のルシアンが納得してるならいいのでは」
そういうものか、と夜帽はひとまず自分を納得させたようで、ルシアンへと頷いてみせた。
「んじゃ燃やすぜ」
どうやって、などと聞くまでもない。
ルシアンが視線を向ければメドゥーサの首が入った大瓶が大きく燃え上がったのだ。
「これもメドゥーサの力なんですかね」
「そうなのかな」
魔眼を複数保持しているということかもしれないが、詳細はやはりカザリに聞かなければわからないだろう。
確か変異種は協会が事細かに記録を残していたはずだ。
実際に過去に協会の依頼で累が変異種を狩ったときには、どんな見た目や能力だったかをかなり詳細にカザリに質問されたので間違いない。
とはいえメドゥーサの変異種について情報があるかまではわからないが。
「なんかあれだな。いっそ全部燃やしちまうか」
「え?」
止める間もなかった、とのちに累は後悔とともに語る。
ルシアンの言葉が終わるか終わらないかの時点で火炎はメドゥーサ酒だけでなく周囲のグリム酒を巻き込んで燃え上がり、アルコールによって促進された火はグリム酒を保管していた部屋全体へと広がったのだ。
そして勢いは収まるところを知らず、累が吟味して集めた酒だけでなく保管されたボトルたちまで巻き込んでいく。
「ちょっと何やってんの!?」
「累さんがそんな大声出すの珍しいですね!」
「いいからここから逃げないとやばいっすよ!」
「や、やりすぎだルシアン!」
「悪い悪い。すげーことになっちまったなぁ。あははははは!」
笑ってる場合じゃないと累は叫びたかったがとにかく今は逃げるのが先決だ。
かろうじて手に持っていたボトル二本だけを大事に抱え、夜帽を先頭にして全員で貯蔵庫から抜け出す。
「うわぁ、これ結構な騒ぎになるんじゃないっすか?」
夜空を照らすように、あるいは焼き尽くそうとしているかのように建物全体が炎に覆われている。
周囲の木々から距離があるからいいものの、下手したら森林火災になりかねない事態だ。
そんな状況でとうの放火魔本人はというと、これだけ派手に見送ったらおふくろも成仏できただろ、と満足顔だがその横でボトルが五分の一に減った累が泣きそうな顔をしており、そんな累を写真に収めるフィズのシャッター音と建物内でボトルが割れる音が深い夜に鳴り響いた。
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