四重奏⑭
夜帽とルシアンは巨木に隠れるようにして座り込んでいた。
足が言うことを聞かず、これ以上逃げるのは無理だと判断したフィズから隠れていろと言われたからだ。
「足は大丈夫かよじいさん」
「少し痛めただけだ。問題ない」
「まぁ結構な歳だもんな。無理しないほうがいいぜ?」
「馬鹿もん。こういうときくらい無理せんでどうする。その気になればまだまだ走れるわ」
とはいえ息はまだ荒い。
そんな夜帽を見てルシアンは見栄っ張りだなと楽しそうに笑って見せた。
「笑っとる場合か? お前の母親もそうだったが肝が座っているというかなんというか……」
「いや~刺激のない毎日だったんでつい面白くなっちまってよ。それよりあの三人は誰なんだ? 助けてくれてるけど、グリムなんだろ?」
「そうだな。色々話すと長いんだが、三人ともグリムでしかも一人は魔女らしい」
「魔女って確か子供の頃におふくろに聞いたな。オドが多いグリムがそう呼ばれるんだっけか」
「オド? そこらはお前のほうが詳しいかもしれんな」
「グリムにはオドって呼ばれる力の源みたいなのが流れてんだけどさ、それが桁外れに多いのが魔女なんだと。アタシにもオドが流れてんだろうな。あんまりそういう実感はないけど」
魔女という恐ろしさは倉吉とともにブロンクスから聞いたが、なぜそう呼ばれるのかは知らなかった。
それにオドという情報もだ。
「もっとお前の母親から話を聞いておけばよかったな。後悔ばかりだ」
「今から学んできゃいいだろ? アタシが教えてやるぜ」
「そうか。それは楽しみだ。グリムのこと以外にもお前はいろいろと物知りだからな。料理を教えてもらうのもいいな」
「ああいいぜ。料理はアタシの特技だからな。でも妥協は駄目だぜ。やるならきっちり全力だからな」
想像するだけで楽しそうだ。
疲れに満ちていた夜帽の顔がルシアンにつられて笑みへと変わる。
「ああそうだ。あの三人だが魔女だけじゃないぞ。他の二人は狩人らしい」
「狩人? 狩人ってグリムの天敵だよな……え? どういうこと?」
「私にもわからん。だが狩人だからこそ依頼したら守ってもらえたんだ。まぁ相手はヘルメスであってグリムではないから普通の狩人の仕事じゃないかもしれんが、護衛も狩人の仕事のうちだからと引き受けてくれてな」
他に縋る者がなかったとはいえ意外とすんなりと依頼を引き受けてくれたことには驚いたものだ。
ただ話をして感じられたのは報酬目当てというよりも、あの愚かな男の思い通りになるのが嫌だからという雰囲気だった。
よほど男の態度が腹に据えかねていたに違いない。
「しかもあの三人は狩人をしながらバーも経営している」
「は? バーってあれだよな? 映画や小説に出てくる酒を出すのがメインのお洒落な飲食店で、主人公がグラスを傾けながらタバコを吸ったり、ヒロインといい雰囲気になったりするあの場所だよな?」
「まぁ間違ってはいないな」
「なんでグリムがそんな店を開いてんだよ。マジな話なのかそれ?」
「私も見たからな。事実だ」
嘘だろ、とルシアンが後頭部を木に預けて夜空を見上げている。
グリムとして長い間樹海に身を潜めている立場からすると、あのグリム達の自由さ、というよりも無茶苦茶な状況が理解できないのだろう。
そして少なからず、じゃあなんで自分はこんなところに隠れているのか、という憤りもあるはずだ。
「自分もそんな風に外へ出てみたいと思ったか?」
夜帽の言葉にルシアンは答えない。
だが答えたくないのではなく気持ちが整理できずに言葉が出ないといったほうが正しいように見えた。
「あの三人のリーダーは菫野累というんだが、彼女にお前のことを頼んでみた。バーで雇ってもらえんかとな」
「え、は、マジかよ!?」
「お前が一人隠れ潜んでいるのは外で生きていくことが危険だからだろう。だが彼女の店であればグリムであっても安全だ。それに今までお前が内心で憧れていた外の世界を見ることができる。興味はあったのだろう? もっと自由に世界を見て回りたいと」
「気づいてたのかよ……」
「当たり前だ。お前が私を気遣って隠れていることを選んだのは理解している。だが私はお前に幸せになってほしいんだ。もっと自由に生きてほしい」
この薄暗い森の中で一生を終えてほしくはなかった。
外は危険が満ちているかもしれないが、それでも彼女たちと一緒であれば安全だろう。
グリムを信用するなど危ない考えだと言われるかもしれないが、長い間執事として生きてきた夜帽からすれば人間でもグリムでも信用できるかは個人によって異なる。
その点でいえばあの累というグリムは依頼を守ってくれると感じた。
執事として長年あらゆる人間を見て、グリムとも接してきた自身の勘がそう告げている。
「お前は料理が得意だからな。あのバーで働けばお前の料理に夢中になる客も現れるかもしれん」
「……アタシがそんなことやれんのかな」
「彼女もお前の腕には興味を持っていたぞ。料理が得意なら大歓迎と言っていたし、きっとうまくいくさ」
「じいさんも、来てくれるのか?」
ルシアンの瞳が眼帯越しにこちらを見つめていることが夜帽にはわかる。
誰がお前から離れるものか、と安心させるように夜帽は微笑んで見せた。
「一番最初にお前の客になるさ」
「そっか。それならいいかもな。へへ、なんか楽しみになってきたぜ。約束だからな」
「ああ」
夢が膨らむとはこのことだろう。
これほどに未来が輝いて見えることなどいったいいつ以来か。
「もう出てきでも大丈夫ですよ!」
お互いに明るい未来を描いて微笑みあっていると、離れた場所からフィズの声が聞こえた。
「終わったみたいだな。出ても大丈夫みたいだぜ」
「そ、そうか。よし」
ヘルメスを警戒しつつ頭を木陰から除かせてみれば、声を上げたフィズだけでなく別れていた累やハクも合流しているようだった。
その姿を見る限り怪我を負っている雰囲気もなく、少し離れた場所にはヘルメスの狩人であろう遺体も転がっている。
信じられない気分だが彼女たちはあのヘルメスの狩人たちをすべて返り討ちにしたらしい。
「ほら安全みたいだぜ。行こうぜじいさん」
ルシアンが夜帽の手を引いて立ち上がらせる。
あとは彼女たちと合流すればルシアンは外の世界へと旅たち、後悔ばかりだった自分の人生にようやく光が差し込む。
そう夜帽は眼を輝かせた。
だが光には必ず影があるのだと、そう気づけたのは夜帽がこれまでに培ってきた経験からだろうか。
突き飛ばしたルシアンの驚く表情が瞳に映る。
どうやら約束は守れそうにないという申し訳ない気持ちと、彼女はこれで安全だという安心感、そしてもっと彼女の食事を味わっておけばよかったという後悔。
やっぱり自分は最期まで後悔ばかりだと笑みを見せ、そして夜帽は己の体から血が流れる音を聞いた。
***
ルシアンにとって夜帽は気づけばそこにいた存在だった。
母親とともに笑顔を見せる人間。
そんな人間がいつからか暗い表情を見せるようになったのは、やはり母親が狩人に狩られたのが原因だろう。
当時のルシアンは幼かったが、それでも悲しいというよりも仕方ないという気持ちのほうが大きかった。
なぜなら自分たちはグリムだから。
物語でもなんでもそうだ。
常に怪物は神々の敵であり、英雄を生み出すために殺される生き物。
読んだ本では常に怪物は悪者であり、自分のような怪物はいつか殺されるのが宿命なのだと幼いながらに知っていたのだ。
けれど夜帽は母親の死を悲しんでくれた。
幼いルシアンの手を取り体を抱きしめ生きていたことを喜んでくれた。
それがどれだけ嬉しかったか。
あの日からルシアンにとって夜帽は大切な存在になったのだ。
自分も生きていていいのだと教えてくれた大切な人に。
そんな大切な人が力なく倒れている。
おかしいな、先ほどまで一緒に話をしていたのに、とルシアンは首をかしげる。
「どうしたじいさん」
きっと冗談だろう。
こんな歳になってもふざけたことをするとは仕方ない人だなと体に手を触れ、そして首元に流れる温かな液体がルシアンの両手を染める。
すぐに血の匂いだと気づいたのは自分が怪物だからだろうか。
「く、っそ……眼が霞んで、ずれた、か……」
「なんで!? 殺したのに!」
「狩人の霊薬を、甘く見ちゃいけねぇ、よ……」
狼の唸り声。
それに嚙み砕かれる何か。
そして強い後悔の声が一つと、あきらめの声が二つ。
眼が見えない分、声からどんな感情を持っているかを察するのは得意だ。
きっと何か想定外のことが起きたのだろう。
グリムである彼女たちでも防げなかった何かが。
「じいさん、死ぬのか?」
老人の声はしない。
ただこちらを見つめているのはわかった。
いつも老人が見つめるときは温かな気持ちに包まれるからだ。
けれどそう長くないうちにその温かさも消えていくのだろう。
それも永遠に。
「なぁ、じいさん」
やっぱりこうなるのか。
怪物というだけで生まれたときからいろいろなものを奪われた。
母親も自由も、そして今回は唯一残った大切な人も。
それほどまでに神々は怪物が憎いのだろうか。
怪物に幸福は許されないのだろうか。
思い起こせば老人から渡されたタブレットで調べたメドゥーサの神話には自然と涙が流れたものだ。
彼女は美しさから神の嫉妬を買って怪物へと堕とされ、挙句に寝込みを襲われ死後もその首をさらされる始末だ。
なんて不憫なのだろうか。
そして自分はそんな怪物と同じなのだと、あの小さな小屋の中で未来に絶望したのを覚えている。
きっと自分は幸せにはなれない。
怪物にふさわしく孤独に不幸に死んでいくのだろうと思っていた。
けれど老人だけが幸せを願ってくれたのだ。
ならばそう生きてみてもいいのではないか。
もしそれを阻むものがいるのなら、それが狩人でもそれこそ神々であっても、立ち向かってみていいんじゃないだろうか。
「おい、ふざけるなよ。約束しただろうが」
そうだ約束だ。
老人と交わした約束は自分が幸せになるための最初の一歩だ。
ならばどんな手を使ってでもそれは必ず守らせて見せる。
なぜなら自分はグリムだ。
怪物だ。
己の欲望に正直に生きることこそが怪物である証明だというのなら、今ここで怪物だと高らかに宣言してやろう。
「絶対に死なせねぇぞ。じいさんにはアタシ以上に幸せになってもらわなきゃアタシも幸せになれねぇんだよ!」
ルシアンが己の瞳を塞いでいた眼帯を荒々しく引きちぎった。
長い睫毛に隠された瞳は蛇を思わせる縦に裂けた瞳孔があり、月明りを連想させる金の瞳が強い意志を持って老人を見つめている。
長い間封印されていたメドゥーサの瞳が現れたことに彼らも気づいたのだろう。
ルシアンの緑髪が次第にいくつかのまとまりへと変わり、それらはついには八つの蛇へと姿を変化させた。
ルシアンと蛇、合わせて十八もの瞳が老人を見つめる。
だが所詮は怪物。
メドゥーサが力を解放したところで瀕死の老人を救えるはずがない。
石化させて彼が生きていたという証を残せる程度だろう。
だがそうでないことにほかのグリム達は気が付いたようだ。
「メドゥーサって石化させるだけのはずですよね?」
「そのはずっすけど……」
ボウガンの矢により老人の首にできた傷が次第にふさがっているのだ。
老人の青白い顔も次第に血色を帯び、浅かった呼吸も穏やかなものへと変わっていく。
まるで月明りのもとで花が咲くように、その金色の瞳の下で老人の命が吹き返したのだ。
「変異種だ」
累が呟く。
グリムの中には同じ種族であってもまるで別のグリムのような特異な力を発揮するものがいる。
それが変異種と呼ばれるものだ。
例えばグールの変異種は他の個体よりも強靭な皮膚と俊敏さを持っていたという。
トロールの変異種は知能が高く高度な会話すらできたという。
ではメドゥーサの変異種は?
「治癒能力を持ったメドゥーサですか?」
「どうだろう。もともとメドゥーサの石化は魔眼の一種だから、別の魔眼が発現したって可能性はあり得るけど、詳しくは調べてみないとわからないかな」
カザリに聞いてみれば何かわかるかも、と累が言葉にしたタイミングで老人が薄く瞼を開いた。
「ル、ルシアンか……?」
「ああそうだぜ。ったく心配させんだからよ~。約束を守らずに死のうなんて許さねぇからな」
「そうか。そうか。悪かったな」
顔をほころばせる老人をルシアンが優しく抱きしめた。
口元にいたずらっぽい笑みを浮かべ、老人の耳元で囁く。
「こう見えてアタシは怪物なんだぜ? 簡単には死なせねぇからな。覚悟しろよ」
「ああ、そうだな。お前が怪物だということを忘れていた。ずっとお前のそばにいるとも」
「よろしい。愛してるぜじいさん」
ヘルメスという神に打ち勝った。
奪われるはずだったものを奪い返した。
今日は怪物が勝利した記念すべき日だ。
そう言ってルシアンは心から笑った。
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