四重奏⑫
「店長?」
なんのことだと思いつつもユーリはボウガンの矢を切り払い、残った狩人一名とともに吸血鬼を挟むようにした位置取りを行う。
夜帽の足があれならば追跡した四名はすぐに追いつくだろうし、これでほぼ当初の想定通りの戦闘だ。
「はぁ。グリムと戦うことになるものだとばっかり思ってたのに、まさか初陣が狩人だなんて……」
「狩人と戦うのは初めてか? ってことは吸血鬼になってまだ日が浅いな」
「えっと、まぁ、吸血鬼になってまだほんの少しっすね。一か月ちょっとくらいっす」
ずいぶんと正直な吸血鬼だ。
ほとんど戦う力がないと自白しているようなものなのだが理解しているのだろうか。
ブラフという可能性もあるが、ユーリにはどうもこの吸血鬼が嘘をついているようには思えなかった。
しかしブラフでないならば逆にこの吸血鬼は何を考えているのだろうかと首をかしげてしまう。
「信奉者か?」
信奉者というのは吸血鬼に付き従う人間のことだ。
いつか自分も吸血鬼にさせてほしいと主である吸血鬼の言うことならなんでも聞く奴らなのだが、相方の狩人がそう問いかけたのはただの人間が吸血鬼になったとしても一か月程度で狩人やほかのグリムの存在を理解できるとは思えなかったからだろう。
最初からそういった裏の事情を知っている人間が吸血鬼になった、と考えれば信奉者の可能性が非常に高い。
「え? なんすかそれ?」
だが返答はそんな戸惑いに満ちたものだ。
これも嘘ではないように思えるが、それを確かめることが目的ではない。
いずれにせよ吸血鬼であれば依頼通り狩るだけなのだから。
ひとまずこの吸血鬼がどの程度のレベルかを見極める必要があると感じたユーリは吸血鬼を挟んで向こう側の狩人とアイコンタクトをとる。
ユーリの意図を察知した狩人が背後から足音を立てて斬りかかると、その音に反応して吸血鬼はそちらをむいた。
そうなれば今度はユーリの出番だ。
死角から手斧で首筋を狙った一撃を放ち――そしてそれが何の手ごたえもなく空を切った。
「なんだ!?」
「いない……?」
忽然と姿が消えた。
そこに先ほどまで立っていたはずの吸血鬼の姿はなく、そして――
「ぐぇ!」
その声とともにドォンという音が森に響き、眠っていた鳥が空へと一斉に羽ばたいた。
音源はユーリたちの遥か横からで、視線を向ければ木に後頭部を強く打ち付けたらしい吸血鬼が頭を押さえてもがいている。
そしてその衝撃を受けた木がゆっくりと倒れていくところだった。
「いたた、まだ慣れないな」
状況を踏まえればあの吸血鬼が斬撃を躱すために飛びのいたということなのだろう。
しかし残っているのは強く踏み込んだらしい足跡が一つ。
(たった一歩であそこまで移動したのか!? しかもあんな速度で!?)
相方の狩人が腰に下げていたボウガンを手に取り、頭をさすっている吸血鬼へ向かって引き金を引く。
ヘルメスでも一、二を争う腕前の狙撃手だ。
しかしその矢はユーリの振るった斧の一撃と同じく再び空を裂くばかり。
「また消えた!?」
「ふぅ。店長とカザリさんにも言われたけど、やっぱりこっちの移動のほうがいいすね」
今度は逆方向からの声だ。
慌てて首をぐるりと回せば影からずるりと這い出るように青い髪が覗いている。
こちらが見ていることに気が付いたのか、まるでプールから出るように影から体を引きずり出した。
「影を移動した、だと」
その現実にユーリのこの吸血鬼に対する警戒度はアクセルを全開にしたように一気にメーターを降り切った。
そしてそれは相方の狩人も同じだったのだろう。
震える声を抑えるようにしながらユーリへと問いかける。
「影移動って、中位吸血鬼じゃありえない……よな?」
「ああ、聞いたことも見たこともない」
「なら上位吸血鬼ってことじゃ……」
あり得ないと叫びたい気分だった。
吸血鬼は完全な上下関係があるグリムだ。
もし人間が血を吸われて吸血鬼になったとしても、その血を吸った吸血鬼以上の力は絶対に手に入らない。
つまり中位吸血鬼に血を吸われたなら中位吸血鬼未満の力しか手に入らないのだ。
だからこそ中位吸血鬼というのはほぼ雑魚吸血鬼ばかりである。
下位吸血鬼がなり損ないという吸血鬼未満のグリムを扱うせいで、中位という名でもその実態は物語に出てくるような力を持った吸血鬼などいない。
ただ腕力が強いことと多少の特殊能力があるだけの弱点の多いグリムだ。
しかし上位吸血鬼以上は違う。
彼らは数が少なく狩人たちからも真に恐れられる吸血鬼だ。
「だがもしあいつが上位吸血鬼なら、真祖が現れたってことに……一か月前にそんなことが」
真祖はこの世界に数人しかいない生まれたときからの純粋な吸血鬼である。
高速再生、魔眼、強靭な力、不老不死、眷属の召喚、身体変異、日光への完全な耐性などなどグリムの中でも逸脱した力を持つ正真正銘の化け物だ。
そして上位吸血鬼と呼ばれるものたちはそのたった数人しかいない真祖から血を吸われた選ばれし者である。
ただでさえ同族を作りたがらない吸血鬼が自ら選んで同族に加えることなどめったにあることではない。
だからこそ狩人たちの間で吸血鬼狩りとは中位吸血鬼以下のことを指すのだ。
なにせ上位吸血鬼という存在は知っていてもそれは実体のない幻のようなものであり、出会うことなど通常はあり得ないというのが狩人の常識なのだから。
だが目の前に上位吸血鬼と呼ぶにふさわしい力を持った吸血鬼が立っている。
それはただの吸血鬼を狩りに来たはずの狩人にとって悪夢に他ならない。
「ど、どうする?」
この樹海に足を踏み入れた時とは全く異なる怯え切った瞳がそこにはあった。
ユーリは自分もきっと似たような瞳をしているのだろうと思いつつ、だがここで逃げる選択肢は上がってこない。
ブロンクスの言葉が脳裏をよぎるが、少なくともすでに吸血鬼と戦闘しているレナーテや夜帽を追いかけた狩人たちが戻ってこないのに自分たちだけ先に逃げるなどできはずがなかった。
仮に逃げるとしても彼らが敗走したとわかった時だ。
「やるぞ。やるしかねぇ」
「くそ! まじかよ!」
他の吸血鬼も同等のレベルなのか。
もしそうなら夜帽はどうやってこんな吸血鬼たちと手を組むことに成功したのか。
ここにはいない夜帽にふざけるなと暴言を吐きたい気分にかられるが、そんなことをしている暇があるなら自分の生き残る確率を少しでも高めるほうが建設的だ。
ユーリは残った霊薬のうち、腕力と脚力の向上、そして一時的に皮膚を硬化させるものを一気に飲み干す。
「えっと、あの……いややっぱりいいっす」
何かを躊躇いがちに口に出そうとした吸血鬼が、途中で思い出したようにして口を塞ぐ。
交渉するつもりだったのか、だがいずれにせよいいと言われれば戦うしかない。
ユーリは手斧を握って吸血鬼へと斬りかかった。
普段ならばこの霊薬を呑めばどんな俊敏なグリムにも追いつき、そして外皮の硬いトロールのようなグリムでさえも切り裂くことができた。
しかし今は霊薬の効果が出ている気がしない。
斧をふるえば吸血鬼の姿は闇に消え、出てきたところを追いかけて振るってもまた逃げられる。
そもそも影移動と言っているが移動できるのは影だけなのか。
あるいは闇の中ならどこでも移動できるのか。
上位吸血鬼と戦ったこともなければ情報を得たこともないのでどうしたらいいのか全く分からない。
「はぁ、はぁ」
勝算の見えない戦いで体力だけが削られていく。
吸血鬼は影に隠れて逃げるばかりだがそれを仕留められない時点で彼我の戦力差は明白だ。
しかしユーリにも理解できたことがいくつかある。
一つ目はおそらく影を利用した移動はそれほど遠くまでいけないということだ。
もし長距離を移動できるのであれば夜帽を狩人たちが追いかけたときにそれを使って防ぐことができただろうからだ。
それに今の戦闘中もあくまで近・中距離の移動に限られている。
二つ目は影から現れる際に水面に水滴が落ちたように波紋が現れることだ。
普通に考えれば影に波紋が現れるなどあり得ないことだが、その影を移動しているのだから今更である。
そして最後は影にいる間は外の状況を吸血鬼が把握できないということ。
一度ユーリが出現の予兆である波紋に気が付きモグラ叩きのように斧を振るったところ、吸血鬼は驚いたようにしてすぐさま引っ込んだのだ。
もし外の状況が把握できていればそんなことはしないだろう。
これら三つを組み合わせて考えればやるべきことは明白だ。
「わかってるな」
「ああ」
お互いに長くチームを組んできた間柄だ。
詳細は言わずとも考えは伝わる。
ユーリが吸血鬼へと走り、先ほどまでと同じように斬りかかった。
当然相手は影へと姿を消すが、狙い目は影から姿を現す瞬間だ。
月明かりによって照らし出される影はある程度場所を絞ることができ、相方の狩人はボウガンに炸裂弾を装填して影に波紋が現れたのを見て取ると瞬時にその影に向けて引き金を引いた。
(当たるぞ!)
視界の悪い夜であっても霊薬の助けを借りた状態かつ、出てくる距離とタイミングさえわかれば狙撃の名手である彼が外すわけがない。
そう思って歓喜の表情を浮かべたユーリたちの前で、勝利への一筋の光を体現するように矢が爆発した。
直撃したのであればたとえ上位吸血鬼であっても相応のダメージは免れないはずだ。
弱ったところを銀武器で追い打ちをかければ勝利も見えてくる。
「あ、ありがとう。でも呼ばなくてもピンチになると勝手に出てきちゃうんすね」
しかし上位吸血鬼は傷一つ負っていなかった。
ユーリは理解できない光景に言葉を発することもできなかったが、吸血鬼が傷を負っていないだけであればまだ頭を動かす余裕はあったはずだ。
思考が完全に停止しているのは他の要素、吸血鬼以外に影そのものが具現化したような漆黒の大狼が突如現れたことが原因である。
「なんだよそいつは!?」
「名前はチョコちゃんっす。黒いのでチョコっぽいなって」
そんなことは聞いていない。
しかもこれが小型犬ならともかく、ヒグマほどの大きさもあり鋭い爪と牙に鮮血を思わせる瞳をした大狼にチョコちゃんなどとふざけた名前を付けるのはどう考えても間違っている。
おまけに先ほどの爆発をこの大狼がその身で防いだとなれば化け物だ。
「それで、その、吸血鬼になって呼べるようになった眷属なんすけど、自分を傷つけようとすると怒るので……」
大狼の唸り声にユーリたちは本能的な恐怖から動けなかった。
主が危険にさらされことに、チョコちゃんとふざけた名前をつけられた化け物が怒り狂っている。
「がッ」
ぎぎぎっと音が鳴りそうなくらいに硬くなった首を無理やり回し、そこにいたはずの相棒を探す。
最初に狙われたのはやはりボウガンを放ったからだろうか。
相棒は首筋を嚙み千切られ、水を入れたビニール袋に小さな穴をいくつもあけたようにぴゅーぴゅーと血を噴き出している。
声にならない声を上げ、助からない自分を理解しつつもユーリを見る瞳は救いを求めていた。
しかしそれも次第に色を失っていき、最後はがくりとうなだれ身動き一つとらなくなる。
「……お前たち、全員上位吸血鬼、なのか?」
こんな状況になってもまだ信じたくないのか、自然と口からこぼれたのはそんな言葉だった。
それに対して大狼を抑えるようにした吸血鬼はぽかんとした顔を見せる。
「え? 吸血鬼は自分だけっすよ?」
「なに? どういうことだ?」
「ああ、夜帽さんがそういえば言ってたっすね。吸血鬼って言われたかもしれないっすけど、吸血鬼は自分だけで店長は屍人形でフィズ先輩はカンビオンっす」
「屍人形、カンビオン……」
依頼人に嘘をつかれたということか。
だがなんでそんな嘘を、と考えたところでユーリにはすべてが繋がった。
「お前ら……魔女の一味か。狩人の真似事をやってるっていう三人組」
だから嘘をついたのか。
魔女相手じゃ依頼を受けないだろと。
(ふざけるなよ!! あの野郎よくも!! よくも!!)
死の恐怖を忘れるほどの怒りが体中を駆け巡り、そしてかちりという音に体がびくりと震えた。
音源はやはり吸血鬼。
彼女が手に持ったボウガンをこちらに向けて引き金に指をかけている。
「狩人になった時、こういう覚悟も必要だって先輩に言われたんすよね。それにさっきフィズ先輩にも釘を刺されたので、申し訳ないとは思うんすけど、依頼人のために引き金を引かせてもらうっす」
「グリムとして、じゃなくて狩人としてか……」
「はい」
その言葉に不思議なほどにユーリを苛んでいた恐怖が消えた。
手も足も出ずに上位吸血鬼に殺されると思えば恐ろしくて泣き叫びたい気分になっていたが、狩人として依頼のために殺されるということであれば、それは自分の力不足だとすんなり受け入れることができたのだ。
「そうか。それなら負けた俺が悪いわな」
依頼人に嘘をつかれた。
上位吸血鬼という化け物だった。
ブロンクスがここにはいなかった。
言い訳はいくらでもあるが相手が狩人なら負けたほうが悪い。
それが狩人の世界だ。
「いいぜ。お前が狩人だってんなら、やれよ」
目の前に立つ狩人が覚悟を決めたように漆黒の瞳から光を消し去った。
そしてカツンという音が頭蓋に響く。
意識が肉体から切断され、気づけば体は仰向けに倒れていた。
耳に響くのは大狼の遠吠えと狩人の吐き気を抑えるようなうめき声。
(狩人としちゃまだまだだが……まぁ最初は誰だってつらいわな……)
ユーリは去っていく足音を聞きながら、そう口元に笑みを浮かべた。
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