四重奏⑨
「で、おじいさんはメドゥーサとどういう関係なんですか?」
樹海に足を踏み入れたあたりでそう質問を投げかけてきたのは、グリム三人組のうちの一人である、白髪のカンビオンであるフィズだ。
夜帽が彼女たちに依頼したのは二つ。
一つ目はヘルメスからメドゥーサを守ってほしいということ。
二つ目はひとまず会ってからということで保留されたが、一つ目の依頼を受けてもらえただけでもありがたい。
夜帽はすぐさま車を用意し――さすがにリムジンでは目立つので運搬用のトラックにした――館を後にしたあたりでヘルメスであろう車列とすれ違ったのは本当にギリギリセーフだったと肝が冷えた思いである。
「ずいぶん昔に彼女の母親に助けられたことがありまして」
口を開きながら樹海を進む。
車で進めるのは途中までで、彼女がいる小屋までは樹海を歩んでいかねばならない。
過去に何度も往復した道とはいえ、夜帽の老いた体にはなかなか堪えるものだ。
それも暗闇に月明りだけとなればなおさらのことである。
「じゃあ恩返しってことっすね」
「それなら母親のほうにするべきじゃないですか?」
「……まぁそれはそうなんですが、母親はもう亡くなっております」
「それって」
背後が何かを察したように静まり返る。
「あのメドゥーサ酒の彼女がそうです。私の前の主、倉吉雄大の御父上様がなくなられてから、あの男はグリムへの興味を隠さなくなりました。親の財産を狩りに使い、剥製などのコレクションを集め、それを自慢する。止めればよかった。私の話など聞く耳を持たなかったでしょうが、それでも止めるべきだった」
そうであればまだここまでの後悔はしなくても済んだかもしれない。
夜帽はあの日の出来事を思い起こすたびにどうしようもなくそう思うのだ。
「私がメドゥーサである彼女と出会ったのは偶然でした。山で怪我をし立ち往生した私を彼女が助けてくれたのです。最初に会った時は驚きましたが、とても素晴らしい女性だった。優しく、美しく、あれが一目惚れというものなのでしょうな。お恥ずかしい話ですが、本当にそれほどに彼女は素晴らしい人だった」
若い日の出会いは本当に衝撃的だった。
どうしようもないほどに胸が高鳴り、これが恋なのだと理解するのにそう時間はかからなかった。
「それからというもの、私は頻繁に彼女へ会いに行くようになりました。助けられた恩を返すという建前で、ただ彼女に会いたくて食糧品などを届けていたのです。彼女は山奥に潜んでずいぶんとひどい恰好をしていましたから、服や住む場所を用意したりもしました。まぁ住む場所と言ってもグリムが人前には出られないと言われたので人の来ない山奥に素人大工で小さな小屋を作った程度ですがね。それでも彼女はずいぶんと喜んでくれましたよ」
「まぁ、そういうグリムのほうが多いでしょうね」
「……はい。グリムには随分と生きづらい世界です。ですから皆様を見たときは驚きましたよ。まさか都会でバーを営むグリムがいるなんて想像もしなかった」
「そっすよね。自分も最初聞いた時は驚いたっす」
「まぁ都会に住むとそれはそれで苦労があるけど、そのメドゥーサよりはずっといい生活してるんだろうね」
できれば彼女にもそういった人生を歩んでほしかったが、彼女の笑顔を思い出せばあの生活で十分に幸せだったのだろうと思える。
それに思い起こせば人目のない自然の中で過ごす彼女との日々はとても楽しいものだった。
夜帽の瞳が暖かで彩り豊かな過去を見るように輝き、そしてガラス玉のように色味を失う。
「彼女と出会ってから数年がたったある日、私がいつものように彼女のもとへ行くとそこはもぬけの殻でした。小屋の中は荒らされ、狩人に襲われたことを察した私は彼女の行方を捜しました。ですが見つからず、私は主人に縋り付いてでも彼女を探すことを手伝ってもらおうと思い、館に急いで戻ったのです。まさか己の主人が彼女を狩っているなど知らずに」
あの時のあの男の表情を思い出すたびに抑えきれない憎悪が溢れる。
そしてその男の横で酒に浮かぶ彼女の顔を思い出すたびに憎悪を超えるほどの後悔が押し寄せ、怒りも悲しみ叫ぶこともできずにただ動けなくなってしまうのだ。
そんなことを繰り返して気づけば十年である。
「結局のところ、私はグリムというものを理解できていなかったのです。私は彼女のことをグリムだなどと思っていなかった。ただ愛すべき女性として隣にいてほしかっただけなのです。そして彼女とあの男が狩るグリムが同じものだとは露程も考えなかった。もし彼女が人目を避ける理由をもっと考えて理解していたなら、あの男の行動を止められていたかもしれない。そうでなくとも彼女にもっと安全な場所を提供できていたかもしれない。あれからそう後悔してばかりです」
彼女自身を含めて誰もがメドゥーサという怪物だと理解していたのに、自分だけはそのことを理解できていなかったと夜帽は過去を振り返る。
愛は盲目というが、もっと彼女が人間とは違うのだということを理解していればこんなことにはならなかったのかもしれない。
「後悔してるならあんな男はぶん殴るか殺すかすればいいのに。なんで黙って執事を続けてるんですかね」
「すいません。フィズ先輩は思ったことをすぐ口に出す人なので……」
「空気が読めない」
私が悪いんですか、と戸惑うフィズに夜帽は嫌な感情などなかった。
なにせ彼女の言葉に間違ったことなど何一つない。
愚かな男だと思われて当然だ。
「気になさらないでください。私もそうできたらどれほどよかったかと常々思っておりましたから。ただ残念なことに私には皆様のような力はありません。あの男のような財力もない。そうやって自分の無力さを呪って無為な日々を過ごしていただけです。ですがあの子だけは……」
夜帽の視界にようやくいつもの小屋が入った。
背後で「その子ってもしかして」という誰かの声が聞こえたが、夜帽は矢も楯もたまらず駆け出す。
「ルシアン!」
「ちょ、ちょっと狩人がいたらどうするんすか」
「とりあえずハクはおじいさんについていって。周りは私が見ておく」
ヘルメスのことなど頭から抜けていた。
今はとにかくルシアンの安否を知りたいのだ。
夜帽が荒々しく扉を開けば驚いた顔で固まっているルシアンの姿があった。
「驚いたぁ。どうしたじいさん、まだ一週間立ってないぜ?」
普段と変わらぬ姿と物言いに抑えられなかった不安が一気に安心へと変わり、緊張していた体が休息を求めるように重くなった。
思わず座り込んでしまいたくなったがそれは許されないと夜帽は己を叱咤する。
そんな風に感情がめぐるましい夜帽に対して彼女は料理中だったらしく、落ち着いてみれば肉じゃがにみそ汁のいい匂いがあたりに充満していた。
「なんだアタシの飯が恋しくなったか? しょうがねぇなぁ~量はそんなに作ってないんだけどご馳走してやるから座りなよ」
「い、いやルシアン、そんなのんびりしている暇はない。今すぐここから逃げるぞ」
「は? どういうことだよ? ってか後ろの奴らは誰だ?」
「あ、どもっす」
両目をふさぐように眼帯をしていてもルシアンにはハクたちの存在がわかるようだ。
しかし細かい説明をしている暇などない。
夜帽はとにかくここを離れなければとルシアンの手を取り外へと引きずり出した。
「うぉっと、おいおいどうしたじいさん。鍋に火つけたまんまだぜ? 火事になっちまうよ」
「いいから急いでくれ! あとで説明するから! 今はここから――」
キィン、と小さな金属音が響いた。
夜帽にはそれが何の音かわからなかったが、見れば出口に立っていたハクが手斧を振りぬいて冷や汗をかいている。
「あっぶな……」
何が危ないのだろうか、と彼女の持つ手斧へ視線が伸びたところで、真っ二つに叩き割られた矢が転がっていることに夜帽は気が付く。
そして顔を跳ね上げれば、この小屋を囲むように見知らぬ人間が四人。
「なんだ、今日はずいぶんと人が多いな。じいさんの友達か?」
「えーっと、友達? は自分と小屋そばにいる二人だけっす。他は違うというか敵っす。ってかその眼で見えるんすか?」
「見えないけどなんとなくわかる。初めまして、ルシアンだ。おふくろとじいさん以外の誰かと会うのは初めてだな」
「あ、どうも。ハクっす」
夜帽は目の前で呑気に自己紹介をしている二人にそんな場合じゃないだろうと叫びたい気持ちを必死に抑える。
グリムというのはこういう生き物なのだろうか。
思えば彼女ものんびりとしたところがあったなと思わず現実逃避しかけたところで累が声を上げた。
「ハク。二人を連れて車まで逃げて。フィズもついてって」
「え、私もですか?」
「念のため」
「店長は?」
「この四人をどうにかする」
たった一人で問題ないと言い放つ累に対し、狩人たちはあからさまに顔を顰めて見せた。
フリーの狩人として自分の腕を過小評価されるような発言は許せないのだろう。
その言葉を後悔させてやるという怒りに満ちた瞳がいくつかある。
「そっちはお願い」
「りょ、了解っす」
「わかりましたけど、すぐ来てくださいね」
四人に対してたった一人で大丈夫なのだろうか。
見れば四人は全員が武器を手に取り油断なくこちらを見据えている。
素人の夜帽が見てもわかるほどの暴力の達人たちだ。
それに対してこちらは少女と言ってもいいほどの小柄な女。
たとえグリムだと知っていても目の前の狩人たちに適うとは到底思えない。
「大丈夫っすよ。店長なら問題ないっす。というか自分のほうが心配っす……」
「ハクはそれでも吸血鬼なんですかね。もう少し自信もったらどうです? とにかく車まで急ぎますよ」
「よ、よし。行くぞルシアン」
「なぁ、何が起こってるのか誰か説明してくれよ」
いまだ状況をつかめていないルシアンに対してフィズがわかりやすくかつ端的に伝える。
「あいつらは狩人。私たちはグリム。これでわかりますよね。わかったらさっさと走って」
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