四重奏⑦
まずいことになったという焦りからか、夜帽は自然と早足となる。
己の主人は本人が思うよりも賢くないというのは夜帽も理解していたため、その愚かさを計算に入れて動いていたつもりだった。
しかし愚かであるがゆえに己の欲望を満たすためならばどんな手段もいとわず判断も早い。
そしてその執着心の強さを今回は見誤っていた。
(予想ではまだ余裕があると思っていたがまさかこんなに早く見つかるとは。あの時にもっと強く説得しておけば……)
楽観的だった過去の己を罵る言葉が尽きることはないが、今はそんなことよりもまず彼女に危険を伝えなければならない。
「……だめか」
スマートフォンから連絡をかけても反応がない。
たまたま席を外しているのか通話の取り方がわからないのか、こんなことならもっと事前に説明しておくべきだったと後悔ばかりだ。
「せっかく移動を検討してくれたというのに、なぜこのタイミングで……」
「夜帽!」
愚かな主人がいつものごとく声を荒げて名を呼ぶ。
貴様なんぞに名を呼ばれたくはないと何度思ったか知れないが、大恩ある父君のためにとここまで尽くしてきた。
だが事ここに至ってはそれも限界かもしれない。
「なんでございましょうか」
お前に構っている暇はない、という感情を長年培った鉄の表情に隠して問いかける。
「あいつらは別棟にいるんだな?」
「はい」
「そうか。お前の提案は悪くなかった。おかげで狩人を呼ぶ時間ができたからな。さっきヘルメスに連絡を取った。もうすぐ奴らがここに来るから迎えの準備をしろ」
「へ、ヘルメスにですか? 何故?」
普段ならばこう問いかけると黙って従えと怒鳴られるところだ。
しかし今回は違うらしい。
どうやらその理由を話したくて仕方なかったようで、濁流を吐き出すように口を開いてくれる。
「考えを変えた。グリム同士の殺し合いも魅力的だが、それ以上に俺はあいつらの態度に我慢ができん! 俺を馬鹿にしやがって! たかがグリムが、狩人が、おれの言うことに逆らうだと!? こっちは正当な報酬を用意してやったのに払いのけやがって……あいつらは俺のコレクションも馬鹿にしやがった!!」
子供の癇癪だ、と夜帽は冷ややかな瞳で己の主を見つめる。
これまでの狩人は莫大な報酬に従う従順な猟犬ばかりだった。
彼らも内心では舌を出していたのだろうが、仕事だからと己を隠す程度の理性はあった。
しかし今回呼ばれたのは狩人であってもグリムだ。
グリムは己の欲望に忠実であり、そしてその欲望を叶える力のある強者だ。
そんな強者たちからすれば子供が騒いでいる姿などひどく見苦しく見えたに違いない。
煽られ、馬鹿にされ、依頼を断られる程度で済んだのはむしろ幸いだというのに、この男はなぜその幸運に気づけないのか。
「それで何故ヘルメスを?」
「あいつらを狩るために決まってるだろうが! 全員剥製にして飾ってやる……いや酒に漬け込むのもいい。その前に生かしたまま捕えられたらぐちゃぐちゃにして楽しんでやる! いいか一人頭五千万出すって奴らに伝えろ。三人で一億五千だ。生捕りにできるなら追加で五千万ずつ、合計三億だ」
「よろしいのですか?」
「あいつらを俺のコレクションに加えられるなら安いもんだ。あぁ、あとついでにメドゥーサの狩りも頼んどいたからな。そっちは一千万だと言っておけ」
金額に対して問いかけたわけではないのだが、この主には伝わらなかったようだ。
「しかしヘルメスが依頼を受けたのですか? 彼らの話では魔女に手を出すのは危険とのことでしたが」
もともと彼女たちの存在を知らせてきたのはヘルメスのリーダーだ。
協会が持てあますほどの魔女という存在のグリムがほかのグリムとともに狩人の真似事をしていると倉吉に話したのだが、隣で聞いていた夜帽からするとあれは暗に危険だから手を出すなという忠告だった。
そのヘルメスがいくら法外な金額を提示されたからといって、協会が敵対を避けている魔女に真正面から挑むとは到底思えない。
「あぁそれなら問題ない。三人とも吸血鬼だと言っておいたからな」
「それは……嘘をついたのですか?」
「いちいちうるせぇな。魔女だろうが何だろうが十分な金は払ってる! 足りなきゃ追加で出してやるさ! 狩人なら言われたとおりに狩ればいいんだよ!」
なんて愚かな男だろうが。
金さえあれば何とでもなるなど妄言に等しい。
たとえ財力があったところで狩人という純粋な暴力装置に適うはずがないことをなぜ理解できないのだろうか。
それも相手はフリーの狩人というアウトローな連中であり、そんな恐るべき狩人たちに喧嘩を売るような真似をしてただで済むとは思えない。
「上等な酒でも用意して迎えてやれ。あと女もだ。それと金さえありゃ黙るだろ」
話は終わりだと手を振る主に頭を下げ、夜帽はそれと同時に覚悟を決める。
(ヘルメスに依頼したとなれば、私一人ではもう守り切れんか……。彼女たちが依頼を受けてくれるといいが)
向かう先は別棟だ。
もはや主人でもないただの狂人の命令など投げ捨て、夜帽は駆け足で彼女たちのもとへと向かう。
急がなければヘルメスがその名の通りに驚くような俊敏さでここに集まることだろう。
たどり着いた別棟は明かりがついており、まだ彼女たちは起きているようだ。
この程度の距離で息が切れるとは、と自身の年齢にうんざりしつつもはやる気持ちで別棟の扉を開けば、そこは何とものんびりとした空気が流れていた。
「あれおじいさん? 夜食でも運んできてくれたんですか?」
「い、いえそういうわけでは……それより皆様は何を?」
「ボードゲームっす。そこにいっぱいあったので」
確かにこの別棟は来客用の宿泊施設なのでそういった暇つぶしの道具が多々ある。
テレビゲームにポーカー用のテーブルやビリヤード台。
他にもシミュレーションゴルフなどもあるが、今彼女たちがやっているボードゲームはどちらかというと子供向けだ。
「また振り出しに戻るなんだけど」
「累さん多くないですか?」
「これ絶対なにか仕組んでるでしょ」
「いやそんなことしないっすよ。そして自分はまた子供が増えったっす~」
「子だくさんじゃん」
「処女だから吸血鬼になれたのに、現実と大違いですね」
「関係ないじゃないっすかそれ。ってかほかの人がいる所でそういう話題やめてほしいんすけど」
彼女たちはもともとここに何をしに来たんだったか。
少なくともこうして女子会を開くためではなかったはずだ。
しかし道中のリムジンでもそんな雰囲気はあったし、無理やりここに引き留めたということもあるのでこのことに対して夜帽から何か文句を言えるはずもない。
たとえ夜帽が大切な人の安否に焦りを覚えていたとしてもである。
「皆様にお願いしたい依頼がございます。急で申し訳ございませんが少しお時間をいただけないでしょうか」
「さっきの話なら断るよ」
「いえその逆です」
「逆?」
フィズとハクがそろって小首をかしげる。
累は二人が見ていないうちに再び振り出しへ戻るはずだったルーレットをこっそりずらしていたが、そんなことよりもしっかりと話を聞いてほしい。
「メドゥーサを守っていただきたいのです」
その言葉に初めて菫色の瞳がこちらを見てくれた。
ヘルメスからメドゥーサを守るにはこのグリム達の手を借りるしかない。
いつだって神に対抗するのは怪物なのだから。
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