四重奏⑥
「うえぇ……」
水をぶちまけるような音と酸っぱい匂いはハクが我慢できないと吐き出したものだが、その気持ちは理解できる。
メドゥーサと言っても目の前で浮かんでいるのは一見してただの人間の生首だ。
それを酒に漬けて味わうなど完全にどうかしている。
「なんだよきったねぇな」
「大丈夫?」
「ず、ずびばぜん……」
「気にしないでいいですから」
ハクがどんな気分になったかなどこいつには理解できないのだろう。
自慢の品を前に急に吐き出したハクのことが心底理解できないといった顔をしている倉吉に比べれば、ショックで吐き出したハクと心配する累たちのほうがよほど人間らしいかもしれない。
「グリムで酒を造るなんて正気ですか?」
「あぁ? 何が悪いってんだ?」
「趣味が悪い」
「はっ! お前ら庶民の感覚で俺に文句言うんじゃねぇよ! 第一お前らだってさんざんほかのグリムや人間を殺してきたんだろうが。まだ死体を有効活用してる俺のほうが慈悲深いくらいだぜ」
「最悪」
狩人も狩ったグリムの亡骸を武器や防具に利用することはあるが、それらをこんな形で使うという発想はない。
それもメドゥーサのように人間と姿かたちが変わらないのであれば、このような行為はなおさら忌避されてしかるべきものだろう。
だがこの男はそれを平然としてみせる。
しかも狩人のように人々を守るためであるとか、依頼があったからというわけではなく、自分の快楽のために他者に金を積んで狩らせた挙句の行動だ。
フィズが最悪だと吐き捨てるのも無理はない。
「私が掃除いたします。こちらでうがいをなさってください」
「ずびばぜん……」
ハクが夜帽に連れられてこの部屋を出ていく。
吐しゃ物特有の酸っぱい匂いに気分を害したのか、倉吉は手に持っていたグラスに新たに酒を注いでぐいと飲み干す。
その酒が何でできたかを知った今となってはまるでこの男そのものが化け物のようだ。
「まぁ女のゲロの匂いで飲む酒も悪くない。館に戻るぞ」
こうして掃除をしている夜帽を除いて四人は再び館のリビングへと戻ってきた。
ハクの顔色はまだ悪い。
「さて依頼の話だ。ここまで説明すればわかるだろうが、新しい酒を造りたくてな。それ用のグリムを狩ってきてほしい」
会った時と同じようにソファに深く座り横柄な態度で足を組んで倉吉は言う。
テーブルの上にはあのメドゥーサ酒。
こんな男に酒の材料として扱われるとは、そのメドゥーサもさぞ無念だったに違いない。
「人狼を狩れって話だったよね」
「あぁ、お前も見ただろうがいろいろと試しててな。人狼はまだ試したことがないんだ。人狼特有の雄々しさや荒々しさが酒に風味として現れるんじゃないか、と思って期待していたんだが依頼は変える。お前らが来る前に新しい情報が入ってな。別のグリムを狩ってくれ」
「急な話ですね。別のグリムってなんですか?」
倉吉はテーブルの上のメドゥーサ酒のボトルをこんこんと指ではじいて見せた。
「メドゥーサ?」
「そうだ。こいつはおれが仕込んだグリム酒の中で最高の一品なんだが、あいにくと量が少ない。それに熟成までに時間がかかる。こいつは十年前に仕込んだものだが、こいつを飲み干すまでに次の酒を仕込んでおきたいんだ。そんなわけでメドゥーサを狩人どもに探させてたんだが、つい最近になって情報が入った。灯台下暗しってのはこういうことを言うんだなぁ。まさかすぐそばの樹海に潜んでるとは思わなかったぜ」
そこで甲高い音が全員の耳を打った。
視線を向ければ夜帽の足元でグラスが一つ割れている。
おそらく累たちに水を用意してくれようとしたのだろうが、手に持っていたトレーからグラスがひとつ滑り落ちたようだ。
「何やってんだ夜帽!」
「も、申し訳ございません」
「ったくじじいが。親父が雇ってたから情けでここにいさせてやってんだ。ヘマするならクビにするぞ」
倉吉の怒号に焦りが出たのか、夜帽の顔色は蒼白だ。
額に冷や汗をにじませながら、震えた手で割れたグラスを拾い集めている。
「で、どこまで話したんだか……あぁ、だからそういうわけだ。メドゥーサを狩ってこい」
「あの、そのメドゥーサの場所を突き止めた狩人がいるんすよね? だったらその人に頼めばいいのでは……」
「あぁ? バカかお前!? 何のためにお前らをここに呼んだと思ってる!」
「はぅ」
倉吉の怒号にハクがびくりと体を震わせた。
正直ハクの疑問はもっともで怒鳴られる筋合いなどないと累は思うのだが、この男は自分の思い通りにならないと声を荒げる性質でもあるらしい。
こんなところをギブソンが見たら確実に倉吉は二度と表を歩けないほどの顔にされるだろうが、そうならないというのはこの男の運のいいところか。
ひとまずギブソンの代わりに累はさりげなくハクの背をさすって励ましておく。
「ただの狩人に狩らせたってつまらねぇだろうが! グリムとグリムの殺し合い! 俺はそれが見てぇんだよ!」
「思ったよりもくだらない理由でしたね。まぁそもそもが酒の材料集めとかいうふざけた依頼なので驚きませんけど」
「……というか見たいって、もしかしてついてくるの?」
「当たり前だろう! ボクシングだって庶民がモニター越しに見てるのと違って俺は現地の特等席で見る男だ! 今回もお前らについていって殺し合いを特等席で見る!」
おそらくあのアスプを狩った時もこんな感じで狩人についていったのだろう。
この男の依頼に対してどう回答するかというのはもうとっくに累の中では決まっているのだが、それでも嫌気がさしてしまうのは止められない。
隣のフィズと顔を見合わせればお互いにこんな顔ができるのだと感心するほどに嫌悪が溢れ出ていた。
「あぁ心配するな。グリム同士の殺し合いの特等席につくんだからな。それ相応の金は当然払う。夜帽からは一千万だと聞いただろうが、その倍出してやる。二千万だ。これなら文句はないだろう?」
累とフィズの表情を見て勘違いしたのか、倉吉が笑みを浮かべて金額を提示してくる。
言葉に出さずともお前ら庶民には十分な金額だろうという声が聞こえてくるようだった。
そしてこれ以上この男に付き合うのは人形と言えども精神的に限界だった累は、それこそ人形のように感情を込めずに言葉を繰り返した。
「お断りします」
「あ、ん? なんて言った?」
「お断りします」
怒鳴るか自慢気な顔をするか気味の悪い笑みを浮かべるかの三択だった男の顔が、理解できない事象にフリーズしている。
そして次第にその小さな脳みそに現実が追い付いてきたのか、予想通りの怒りの表情へと切り替わった。
「ふざけるな! 十分な金は出してるだろうが!」
「金の問題じゃないんですよ。というかそこを理解できてないのが問題なんですけど」
フィズの言うとおりである。
そもそも金の問題だと思っている時点で話が通じない。
「というわけで帰る。行こう」
「お、おいおいおいちょっと待ってこらぁ!!」
倉吉の静止を無視してさっさと出ていこうとしたところで、思わぬ人物が立ちはだかった。
夜帽である。
「これからご帰宅されるとなればずいぶんと遅くなってしまいます。本日は皆様に別棟でお休みいただき、改めて明日依頼について回答をいただくというのはいかがでしょうか。お酒も入っておりますし、雄大様も皆様も冷静に話し合いができていないご様子ですので」
夜帽の言葉は腰の低いものではあるが、その瞳にはここで帰らせないという確固たる意志が見えるようだった。
バーでの印象と異なる老人の急な豹変に累たちは戸惑いを隠せない。
「……チッ。返事は明日しろ。夜帽、案内してやれ」
「かしこまりました」
何かを言うまでもなく断ったはずの依頼が再び蘇ってしまった。
そしてさっさとここから離れたいという思いも空しく夜帽に連れられ累たちは豪華な別棟へ。
気づけば先ほどの本棟ほどではないが豪華なソファに座って顔を見合わせている始末だ。
「私断ったよね?」
「確実に断ってましたね」
「それでも返してもらえないって、フリーの狩人って色々面倒っすね……」
「いやここまでは初めてですよ」
「断ったはずなのに」
半ば強制的に別棟の中へと放り込まれ、三人は揃って何でこんなことにと頭を抱えた。
リムジンで騒いでいたころは楽しかったのに……と。
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