妖精㉙
ハクがちょいちょいと累の肩を叩いて見せてきたのはネットに公表されているカクテルのレシピだ。
これを見て暇なときに勉強をしていたらしく、手慣れた様子で目当てのページを開くとハクがこれだと指をさす。
「なるほど。わかった。ギブソンもいい?」
「構わない」
このカクテルは過去にも作ったことがあるのでレシピを見ずとも問題ない。
用意する材料はウォッカ、ベルモット、パールオニオンの三つだ。
この中で珍しいのはパールオニオンだろうか。
玉ねぎの一種だが、日本でよく見られる玉ねぎよりも遥かに小さく、その名の通り皮をむくと真珠のように艶のある光沢が特徴の玉ねぎだ。
もちろんそれをそのまま放り込むわけではなく、ピクルスに付け込んだものを使用する。
さてカクテルといえばバーテンダーがカシャカシャとシェイカーを振っているイメージを連想させるが、今回はそれとは異なりステアと呼ばれる作り方になる。
材料を混ぜるのは一緒だが、こちらはまずミキシンググラスと呼ばれる底が深くどっしりとした大き目のグラスに材料を入れ、それをバー・スプーンと呼ばれる柄の長いスプーンでかき混ぜる手法だ。
累はミキシンググラスに氷を入れて何度かかき混ぜてグラスを冷やし、中の不要な水を出してからウォッカとベルモットを入れ、改めてバー・スプーンで円を描くようにしてかき混ぜ始める。
「カクテルを作る累さんはやっぱりいいですね~」
「店長がシェイカーを振ってるのもいいっすけど、この感じも素敵っすね~」
「下手なバーテンダーはステアの時の音をカチャカチャ鳴らすんですけど、累さんはその点完璧です」
「さすが店長。かわいいだけじゃなくて技術もあるんすね」
横からの言葉を無視したいところだが、正面に座るギブソンの瞳が何よりも怖い。
気のせいかもしれないが先ほどよりも視線が鋭くなったように思える。
ひとまずステアが完了したので、累はストレーナーと呼ばれる蓋をグラスに着けた。
これはカクテルグラスへ注ぐときに氷が入らないようにするためで、あらかじめ冷やしておいたカクテルグラスにミキシンググラスからカクテルを注ぎ、最後に水気を切ったパールオニオンをカクテルピンにさしてグラスの中に入れれば完成だ。
「ハクのリクエスト。ウォッカ・ギブソン」
「ギブソン?」
「ちょうどいい名前っすよね。先輩のカクテルっす」
「ふむ」
ギブソンが差し出されたカクテルをゆっくりと味わっている。
ちなみに今回出したのはウォッカ・ギブソンだが、これとは別にギブソンというそのまんまの名前のカクテルも実在する。
どうせならギブソンでよかったのでは、と累は思うのだがハクのリクエストだし何かこだわりがあるのかもしれない。
「うまいな。カクテルを飲む機会はなかったが、こうして目の前で作ってもらったものを飲むのは味わい深い」
「そりゃそうよ。カクテルは自分で作るか誰かに作ってもらうしかないけど、技術がある人に作ってもらったほうがおいしいもの。特に累のカクテルはね」
スロージアが熟睡モードのプラムを抱きながら、鼻高々といった様子で累を褒めたたえた。
累も内心はとてもうれしいのだが、横でぱちぱちと拍手をする二人とそれを胡乱な目つきでみるギブソンが気になってそれどころではない。
「酒はうまいが……おかしくないか?」
「何がでしょう」
「ハクの様子がだ」
ですよねとむしろ同意をしたいところだ。
理解してくれたギブソンにやっぱりそうだよねという思いと、気づいてほしくなかったなという思いが相反し、累は複雑な顔で応える。
「私のせいじゃないんです」
「お前に魅了されているように見えるが」
「違うんです。私じゃないんです」
信じてください刑事さん、とでも言いたい気分だが、相手方の反応を見る限り完全な犯人扱いだ。
このままでは間違いなく送検、勾留、起訴、そして有罪判決確定である。
「先輩。そんなに心配しなくても魅了なんかされてないっすよ」
しかしここでまさかの援護だ。
被害者であるはずのハクが違うといえば事件にはならない。
助かったと累は大きく安堵の息を吐き出す。
「お前、少し前にそういって魅了されていたのを忘れてないか?」
「それはそうっすけど、店長に魅了の力はないって知ってるじゃないっすか。それに自分は吸血鬼ですし」
「それはそうだが……」
じゃあさっきのアレはなんなんだ、と言いたげな雰囲気だ。
それは累も同意である。
魅了されていないのなら正気を失っているとしか思えない。
「フィズ先輩に色々教わったからってのもあるかもですけど、自分ってかわいいものが好きなんすよ」
「そういや協会の寮から出てくときも、あのくまのぬいぐるみを持っていってたっけ」
「お恥ずかしながら……。なので単にかわいい店長を見るのが楽しいだけっす。推し活っす。好きとは別なんで安心してください」
ギブソンが「推し活とは……?」という顔をしているが、ひとまず本人の意思ということは理解したらしい。
累には理解できないがギブソンに怒られないなら安心していいのだろうか。
「まぁおまえがいいならいいが……」
渋々了承といった形でそう呟き、ぐいっとグラスを傾ける。
酒!飲まずにはいられないッ! といった雰囲気なので累はサービスでさりげなくもう一杯差し出しておくことにした。
決して賄賂とかではない。
「そういえばちょうどいいから言っておくけどさ」
話がひと段落したのを見計らって、今度はスロージアが口を開いた。
「魔剣の話、一応ほかの魔女にも伝えておいたから」
「言っちゃったんですね」
「だって私だけ知ってて黙ってるわけにはいかないじゃない。別に仲がいいわけじゃないけど、それで変に恨まれても困るしね」
「そりゃそうですけど」
「まぁみんな今どこで何してるか知らないから手紙を送っただけで見てくれてるかわからないけど」
スロージアの立場になって考えれば当然のことだろうが、狩人からすると困ったことではないだろうか。
視線をここで唯一の人間であり協会の狩人である二人に向けると、二人とも多少困ったような顔を見せているが思ったほどではない。
「まぁ仕方ないだろうね。別に協会だっていつまでも隠し通せるとは思っちゃいない」
「ただそう知られたってことに対して、魔剣の使い手を余計躍起になって探す可能性は高いな」
揃って疲れているような顔を見せるあたり、協会では何やら面倒なことが起こっているのだろうか。
累がそう疑問に思って問いかければ、カザリが重たい口を開いて応えてくれた。
「遊佐……反グリム派の筆頭だが、彼が魔剣の使い手を探すべきだって強く主張していてね。それ自体は間違った意見じゃないからほかの幹部も強くは否定できなかったんだが、その結果遊佐は世界各国のめぼしい狩人に片っ端から声をかけ始めたんだ。おかげで日本の野心ある狩人たちもそれに乗っかり始めて、今じゃ誰が魔剣の使い手になるかで協会は大騒ぎさ」
「そのせいで本来優先すべき狩りも後回しにされる始末でな。本部長の山崎は狩りを放置するなど言語道断と怒り心頭なんだが、それでも遊佐が使い手探しをやめないせいで幹部連中の間に亀裂が入ってる」
「魔剣の使い手を探すのを優先すべきかどうかで偉い人がもめてると」
累の言葉に二人ががっくりとうなだれるようにして頷いた。
山崎と遊佐、どちらの方針が正しいかは一概には言えないだろう。
人命を優先して今狩るべきグリムを狩るという山崎の方針はもちろん正しい。
しかし根本たる魔女を狩ろうと今の被害を切り捨ててでも魔剣の使い手を探す遊佐もまた正しい。
グリムである累には判断のできない問題だ。
「各国でも魔剣の扱いについては意見がまとまっていなくてね。とはいえ魔女の被害を受けているヨーロッパや北アメリカの協会からは魔剣の使い手を探すべきって声が上がってる。魔剣の使い手が見つかるか今の時代にはいないと判断されるまで、この騒ぎは続きそうだ」
はぁっとため息をこぼすのは発言したカザリだけでなく隣のギブソンもだ。
「奴らが狩りをしないせいで俺の仕事も増えてな。おかげで協会全体の雰囲気も悪い。反グリム派とその他の派閥で睨み合いだ。これ以上悪化しなければいいんだが」
「人間って本当にバカなのねぇ。目的は同じなのに喧嘩するなんて。でもそんなことしてるとちょっとまずいかもね」
「どういうことだい?」
スロージアの含みある言葉にカザリが問いかける。
どうしようかとスロージアは悩んでいたようだが、しばらくフィズとカザリたち狩人の間で視線を往復させると、まぁいいかと口を開いた。
「さっき魔剣のことで手紙を魔女たちに出したって言ったじゃない? そしたらそれを見た魔女の一人が激怒してね。近いうちにたぶん大変なことになると思う」
「なんだと。どの魔女だ?」
「燎の魔女よ」
スロージアの言葉にカザリは顔を曇らせる。
「フィズも知ってるでしょ? バキシェのこと」
「あー……なんか常に怒ってる人だったような……」
「まぁあんたら仲悪かったもんね。そのバキシェは魔剣の使い手に恨みがあるから、魔剣が協会の手に戻ったことも、その使い手を探そうとしてることも気に喰わないんでしょ」
「だからただでさえ大暴れしてるというのにそれ以上のことをするつもりだと?」
「たぶんね」
累はバキシェという魔女のことを知らないが、カザリとギブソンの顔色からすると相当まずいことのようだ。
フィズとスロージアしか知らないので当たり前のことだが、本来魔女は人間の天敵なのだからこういった反応が正しいのかもしれない。
「あと魔女の一人がバキシェはやりすぎじゃないかって言っててさ。あんまりやりすぎてのんびり暮らしてる私とかにも火の粉が飛んできそうだし、近々バキシェの処遇について魔女裁判を行うから参加してくれって言われたのよね」
「魔女裁判?」
「累は知ってるでしょ? あんた一回バキシェに訴えられてるし」
「え?」
フィズが首をひねって困惑している。
これは本当に知らないという顔だ。
「マジか……あんたそんなだからバキシェから嫌われてんのよ。まぁあの裁判は始まる前にバキシェが説得されて訴えるのをやめたから開催されなかったけど、自分のことなんだから覚えておきなさいよ」
「累さんと会う前のことは興味ないことばかりだったのであんまり覚えてないんですよね」
「あっそう……」
バキシェに同情するわ、とスロージアが首を振って呆れていた。
フィズのこういう所は今更だが、そんな裁判にかけられる所だったというのは初めて聞いたので興味深い。
しかしそもそもその魔女裁判とはどういうものなのだろうか。
「魔女裁判って?」
「えーっと魔女同士で喧嘩してお互いに実力行使に出たりすると力が大きいから結構な大騒ぎになるのよね。周りへの被害も大きいしさ。だから喧嘩する前に魔女同士で問題を解決するための話し合いを魔女裁判って呼んでるの。裁判を招集した魔女が原告。召集の理由や被告は時々によって違うけど、フィズの時はお茶会に何度誘ってもフィズが無視するからってバキシェがフィズを訴えたのよ」
「ず、ずいぶんとかわいらしい理由で裁判になるんすね……」
「まぁね。でもバキシェが怒ってたのは事実だし、裁判なしで喧嘩してたら大変なことになってたんじゃない? まぁ結果的に裁判せずにすんだわけだけど。示談っていうの? こういうの?」
フィズはそもそも裁判を認知していないので示談とは違うだろう。
というか魔女も喧嘩するなら人間とさほど変わらないのでは、と口に出しかけたがそれを言うとまた問題になりそうなので累は空気を読んで黙っておく。
それに今はそんなことよりも魔女裁判の件だ。
聞いた内容からすると、今回の被告はバキシェということなのだろうか。
「バキシェが裁判にかけられるのはわかったけど、具体的には何の罪なんだい? やりすぎっていっていたけど、狩人殺しすぎ罪でもあるのかい?」
「そうね。私もぼんやり聞いただけだから詳しく知らないけどそんなもんなんじゃない? もしバキシェがやめるか魔女の過半数がバキシェの行為を認めるんだったら無罪。逆に過半数の魔女たちがバキシェにこれ以上狩人を虐殺するのは止めろって言うなら有罪になるわね」
「有罪になったらどうなるんすか?」
「さぁ。判決はそこにいる魔女全員で決めるけど、最悪バキシェを魔女全員で滅ぼすことになるかもね」
スロージアの言葉に狩人の二人は考え込むように顔を顰めている。
特にカザリはまた報告すべきことが増えたと悩んでいるのか困惑と苦痛と怒りが入り混じったような顔をしていた。
「まぁ魔女なんてみんな気まぐれだからどうなるかわかんないけどね。それに昔ならともかく今は魔女同士で会うこともないし、裁判が本当に実施されるかもわからないわ」
「ふーん。まぁ結果がわかったら教えてくださいよ」
「あのさ。なに関係ないふりしてんのよ。あんたも魔女でしょうが。開催するときは当然呼ばれるにきまってるでしょ」
「不参加は……」
「ダメよ。出なさい」
ええっとフィズが救いを求めてこちらを向いてくるが、累は黙って首を振って見せた。
別に裁判内容が気になるわけではないが、参加しなかったことでフィズに矛先が向かうのは避けたいからだ。
「まぁいろいろ話が聞けて良かったよ。私はそろそろ帰らせてもらう。明日も早いし今聞いたことを整理しておきたいからね」
「俺も帰るとするか。ひとまずハクが元気そうでよかった。また顔を見せにくる」
「はい! カザリさんも先輩もまた!」
話もひと段落し、協会の狩人である二人は考えることも多いだろう。
カザリとギブソンは明日も忙しいとぼやきながら店を出ていき、スロージアもつられるようにして今日は帰るとプラムを抱いて席を立った。
「なんだか協会も魔女も大変そうっすね」
「うん」
「向こうは向こう。私たちは私たちです。面倒ごとには触れずにしばらくのんびり過ごしましょう」
「フィズは魔女だから半分面倒ごとに足突っ込んでるけどね」
とはいえフィズの言う通り面倒ごとに自ら首を突っ込むことはない。
しばらくはのんびり過ごしたいなと累は思うのだった。
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