妖精㉓
「よく生きて帰ったねハク。悪いけどちょっと見せてもらうよ」
「え? はい?」
カザリがハクの首筋に、次にふくよかとまではいかないがしっかりとある胸に手を当てる。
「ちょ、ちょっとなんすか!?」
「……やっぱりね」
状況がわからず真っ赤に顔を染めたままのハクに対し、カザリは覚悟をしていたが想像通りの結末に眉を下げて見せた。
そしてそれだけで十分にギブソンにも伝わったのだろう。
周囲のグリム達も同様で、理解していないのはハクだけだ。
「え? え? なんすか?」
「どこまで覚えている?」
「えっと、先輩たちとはぐれて……それからプラムちゃんがマンドレイクで気を失って、妖精がアスプを連れてやってきて、そうだ! 先輩聞いてくださいよ! 自分ひとりでアスプを狩れたんす!」
「ああ、死体を見た。よくやったな」
「へへへ」
照れくさそうに笑うハクをギブソンは穏やかに見つめている。
そして続きを促すと、ハクはまた思い出すように中空を見つめながら話をつづけた。
「えっとそれから……男だ。ブラッドって名乗る男に自分は……」
記憶が真実であることを確かめるようにハクの手が首筋へと動く。
そこにあるのは確かな噛み跡であり、それに気づいたハクがさぁっと顔を青く染める。
「自分……どうなったんすか」
「さっき確かめた。脈も鼓動もない」
「よく聞けハク。お前は吸血鬼になった」
吸血鬼は時間が停止したように年を取らず、体内の血流は止まり呼吸もしない。
だが呼吸をしていないから声を出せないというわけではない。
ハクはこれまで感じたことのないような衝撃に打ちのめされて声が出ないだけだ。
「ど、どうなるんすか……」
かすれた声でようやく絞り出した言葉は当然の疑問だった。
グリムを狩るべき狩人がグリムになったのだ。
それは自分が狩られるべき側になってしまったということであり、家族を失ってからの唯一の居所でもあった協会には決して帰ることができず、友人の狩人たちとも今後は会うことができないに違いない。
一度グリムに全てを奪われてから、ゆっくりと時間をかけて築き上げてきた大切なものたちが、今再び奪われたのだ。
それも今度は自分という存在すら――。
「全部……なくなっちゃった……」
いったいどれほどの絶望だろうか。
徐々に理解が脳内に染み渡るにつれ、ハクの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていく。
累のように我慢していない分その涙は激しく、次第に抑えきれない嗚咽が漏れた。
嗚咽は泣き声に、泣き声は絶望に満ちた言葉に変わる。
――どうして自分がこんな目に。
――どうしていつも自分ばかり。
――どうして……狩人としてやっと自信が持てたのに。
カザリもギブソンも、誰もがしばらく声をかけることができなかった。
人間からグリムへ変わったことへの慰めの言葉など見つかるはずもない。
「先輩……殺してください」
正気を失ったわけではない。
虚ろな瞳だが、その奥には確かな意思があった。
「じ、自分はもうグリムになったので……狩られないといけないっす。先輩も言ってましたよね? ……覚悟はできてるっすから」
せめて最期は信頼している狩人に、ということなのだろう。
ハクは泣きはらした瞳をギブソンに向け、どこか清々しささえ感じられる笑みを見せた。
「お前がそうして欲しいというなら構わない」
ハクが安堵と喜びと、隠しきれない恐怖を交えて微笑む。
けれどギブソンが言葉を止めることはなかった。
「だが俺が言った言葉をお前は勘違いしている。俺はこの依頼を邪魔するようなことがあれば、と言っただろう。今のお前は俺の敵なのか?」
「それ……は……」
「吸血鬼にはなったが人間のお前と今のお前、何か変わったのか? 俺が見ても特に変化はないぞ? 吸血鬼らしく犬歯が伸びたり呼吸をしていなかったりはあるだろう。だが根本的なところで変わっていないなら問題はない。今もお前は狩人だろう」
「……狩人」
「せっかく一人前の狩人になったのにここで諦めるのか?」
ギブソンの言葉にハクの瞳が明るさを取り戻していく。
沈んだ太陽が再び地平を照らすように、それは絶望の底に落ちた者が希望を取り戻す姿だ。
だがまだ信じられない、希望を持っていいのかという疑いを否定してほしいという風に、ハクは震えた声で問いかける。
「い、いいんすか? 自分は、まだ狩人だって言っても……」
「誰にも否定させない。お前は狩人だ」
ギブソンの一切の揺らぎのない瞳と言葉に、ハクは堰を切ったように再び大声を上げて泣き始めた。
彼に抱き着き、その胸を涙で濡らしていく。
その光景を見て安堵の表情を見せたのはカザリだ。
そして小さな声で累とフィズに嫌味を言って見せる。
「あれが正しい励まし方と立ち直り方だよ」
「……いや累さんが泣くなんて初めてだからパニックになってしまって……勉強になりました」
「もう一回泣いたほうがいい?」
「やめなって」
「スロージアも覚えておいたほうがいいですよ」
「なんで私にだけ言うのよ」
「だって絶対に私と一緒で励ますの下手じゃないですか」
「……そんなことないわよ」
次第にハクが泣き止んできたところでカザリも彼女に声をかける。
味方はギブソンだけではないと伝えておきたいのだ。
「最初にも言ったけどさ、生きててよかったよほんと。協会には私とギブソンが話をつけるから不安にならないでいい。どうにかするさ」
「カザリさん……」
「お前はあのアスプを一人で狩れたのだから狩人としての自覚と自信を持て。そして吸血鬼になったからといってそれが変わるわけじゃない。そこにグリムでも狩人をやってる見本がいるだろう」
ギブソンに指をさされて累がぱちくりと瞬きする。
さっきは励ましたのだから今度はお前の番だとカザリが軽く睨むと、仕方ないなといった雰囲気でフィズが口を開いた。
「まぁそうですね。累さんみたいな人もいるんだしそんなに不安にならなくていいんじゃないですか? それにもし協会がダメならフリーになればいいですよ。そっちのほうがいろいろ楽ですし。ねぇ累さん」
「ハクが吸血鬼になったのはフィズとプラムを守ろうとしてくれたからだし、私とスロージアも何かあれば助けるよ」
「え? なんで私まで?」
「だってプラムを助けてもらったお礼は返さないと」
「それはそうかもだけどさ……ってか累のところで働かせればいいんじゃない? グリムが一人でいるより安全だし、フリーの狩人としてやってくならちょうどいいでしょ」
スロージアの何気ない一言にしんと場が静まり返る。
それぞれの表情を言葉にするならば、カザリとギブソンは確かにという納得であり、累はまぁ別にいいかもなという達観で、フィズはちょっと待てという困惑であった。
「わ、私と累さんの愛の巣に第三者が入り込むなんて困りますよ!」
「でも累のところで働いてくれたら累は借りを返せるし、私も定期的に行くからなんかあったら助けられるでしょ」
「それはスロージアの都合じゃないですか!」
「協会にグリムがいるなんてことは難しいだろうから、確かにフリーの狩人になるってのが一番いいかもしれないねぇ。それに累のところだったら私も行きやすいし、協会だって仲間だったハクを狩るよりも問題は遠ざけて一か所に固めたほうがいいだろうし」
「ちょっとカザリ! 裏切るんですか!」
「裏切るって別にこの件でなにも手を組んでないだろう。まぁとにかくハクのことは私らでいったん考えるよ。とはいえもしもの時は頼むよ累」
「いいよ」
「いいんですか!?」
フィズが絶叫して累に掴みかかっている。
嫌だ嫌だとごねても累がいいよと言ってしまえばさすがにフィズも逆らえない。
しおれるようにして膝から崩れ落ち、結果的には諦めたようだ。
「どうしてもどうしてもだめだってなったらしょうがないですけど……そうならないよう協会と調整して何とかしてくださいよ」
「わかってるよ」
カザリからするとフィズの嫌そうな顔は痛快だ。
以前のこともあるので自然と口の端が吊り上がってしまう。
とはいえハクの未来がかかっているので彼女にとってより良い選択が行えるよう全力で協会と調整はするつもりだ。
そんな中でハクが申し訳なさそうにしながら累とフィズに恐る恐る頭を下げた。
「あの、もしものときはよろしくお願いします……っす」
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