妖精㉑
怯えた星々が雲に隠れたのか、周囲が一段と暗くなったように思えた。
突如現れた魔女の怒りは凄まじく、怒りが殺意へと変わり、その殺意が具現化して周囲を歪めているような錯覚さえ感じられる。
殺気にあてられた花々は不憫にもしおれ、当事者ではないギブソンでさえ凍えるような寒さに身を縮めた。
「お前が――」
何かを言いけた男がはるか後方へと吹き飛んでいった。
吹き飛ばしたのはハクが狩ったであろう大蛇の半身だ。
鮮血で花々を染めながら、頭部がないのもお構いなしに意思を持ったように男へと襲い掛かる。
「死霊魔術か! それもこれほどのオドとは珍しい! こんなことができるのは世界にたった一人しかいないな!」
「黙れ!」
空からの落石が男へと降り注ぐ。
フィズの怒りが左右の岸壁までも破壊したのかと思われたが、よくよく見ればそれらは岩ではなく先ほど累とともに駆逐したケンタウロスの亡骸だ。
落下の衝撃で体中の骨が砕かれたであろうに、これまた大蛇と同じように次々に起き上って男へと襲い掛かる。
体ごとぶつかり、砕けた腕の骨を突き刺し、己の頭部を投げつけ、そして歯が砕けながらも噛みつく屍たちの姿は、糸の絡まった操り人形が関節を不自然に曲げたままダンスを踊っているようだ。
「はははははは! 凄まじいな! 魔女と戦うなど三百年ぶりだぞ!」
しかし壊れた人形たちの猛攻を受けながらも男の余裕は消えない。
剣で屍を斬り、砕き、その攻防を心底楽しんでいるようだ。
ただ男は一つ忘れていることがある。
――激怒しているのは魔女だけではないということを。
「ぐぅあ!?」
初めて男の困惑と苦痛に満ちた声が谷底に響く。
背後から後頭部を強打されたのだ。
「お前に哀れなんて言われる筋合いはない」
それは普段の切れ長の瞳をこれでもかと見開いた累による一撃だ。
片足になりながらも疾走するケンタウロスにしがみついて思い切り殴り飛ばしたのだろう。
そして何も言わずともフィズが累の手を取れば、魔女とそのパートナーによる追撃が始まる。
呼吸のあった熟練のコンビネーションは男の反撃を一部も許さない。
激しく速く鋭くほんの少しの乱れもない阿吽の呼吸による猛攻。
それはまるでダンスだ。
互いに手を取り合い跳ねるように近づけば、ドレスを美しく舞いさせながら回転しそのターンに潜ませるように累の鋭い蹴りが男の側頭部を捉える。
たたらを踏んだ男への追撃はフィズの出番だ。
ぐるりと弧を描くようなスピンターンの勢いそのままに、肘を男の鳩尾へと打ち込む。
そしてその合間を縫うようにして襲い掛かる屍の群れ。
赤い月はスポットライトのように二人を照らし、舞う花弁は観客の歓声か、足の痛みがなければギブソンでさえ魅了されていたかもしれないと思うほどの幻想的かつ美麗で蠱惑的な光景だった。
「死ね!」
しかし二人はそんな雰囲気を演出する気など微塵もないのだろう。
最後には内に秘めた怒りを凝縮するような一言ともに累が男を大きく蹴り上げ――
「殺せ!」
主に命令された屍たちが手に持っていた槍を男の体へと次々に突き立てる。
終幕だ。
累とフィズによる屍を交えた男の処刑劇はこれで終わる。
そこで観客の一人が声を上げた。
「もう十分楽しんだ?」
瞳を閉じた女のその言葉に、男は微かな笑い声を上げながら起き上がって見せた。
累とフィズに驚きの表情はない。
これほど痛めつけてもまだ生きているに違いないと確信していたのだろう。
多少の留飲は下がったものの、いまだ殺意に満ち満ちた瞳をそろって男へ向けていた。
「今日は驚くことばかりだな。狩人に魔女に人形。妖精どもの遊びも馬鹿にできんな。奴らより私のほうが楽しんでいるぞ」
「ならそろそろ帰りましょう。さすがに遊びすぎだもの。待ち合わせに遅れてしまうわ」
「名残惜しいが、そうするか」
男の姿が一瞬霧のように消え、そして女の隣へと移動していた。
その体に刺さっていた槍はもうどこにもない。
「屍の魔女とその人形、そして狩人たち。お前たちの名前を聞きたいところだがそこの二人は教えてくれんだろうしな。私だけ名乗っておくことにしよう。ブラッドだ。ブラッド・ノールヘイム。忘れないでくれたまえ」
「さようなら」
二人の姿が掻き消える。
残されたのはいまだ怒りの収まらない累とフィズと、ハクを救えたことに安堵するギブソン。
そして――
「これは……何があったんだい」
ようやく合流したカザリとプラムを抱いたスロージアだった。
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