妖精⑳
ケンタウロスというグリムは上半身が人間で下半身は馬という、神話や映画などでよく知られているグリムである。
武器は木や石を使った原始的な槍や弓だが、古来から騎兵は歩兵に対して恐ろしいまでの脅威であったのだから、騎兵よりも自由自在に駆け回ることのできるケンタウロスが狩人にとって脅威であることは不自然でもなんでもない。
事実草原を走る累とギブソンはケンタウロスの集団に四苦八苦しているところだ。
「ハッ! ハァッ!!」
「ほうほう!」
「あーうるさい。邪魔」
ケンタウロスが互いを鼓舞するような雄たけびに悪態をつきながら、累は槍を突き刺そうと駆け寄ってきたケンタウロスを蹴り飛ばす。
双方の大きさを考えればあり得ないことだが、ケンタウロスはもんどりうって転がりそのままピクリとも動かない。
ギブソンは最初こそ驚いたものの、これもグリムとして何かしらの力を使ったのだろうと勝手に納得している。
累が列車で使っていたサブマシンガンは空から現れた妖精とハーピーの集団を駆逐したためとっくに弾が切れており、今は残っているケンタウロスの集団とそれにまたがる妖精を素手で駆逐しているところだ。
仲間であれば頼もしい限りである。
「あと少しだ」
「また追加が来なければいいけど」
ハクたちのもとへ急ごうと走り出したのもつかの間、遠くから聞こえたマンドレイクの叫びに誘われたのかハーピーが集団で現れ、それを何とか撃退したところで今度はケンタウロスの集団が森から現れたのだ。
ハクたちのもとへ一刻も早くたどり着きたいのだが、彼らを引き連れたままというのはよろしくない。
そもそも今いる場所は草原であり、ケンタウロスから走って逃げるというのは現実的ではなかった。
「隊列を組め―! 鋒矢の陣だ!」
「将軍! 私に一番槍を!」
「よし任せた! 行くぞー!」
「うぉおお突撃ぃ!」
「死を恐れるなー! 進め進めー!」
妖精たちが残ったケンタウロス数十名で陣形を組み、一気呵成に突撃してくる。
「まるで戦争ごっこだな」
「本当に死ぬのをごっことは言わないと思う」
累が呆れたように呟いた。
確かにその通りなのだが妖精からすればこれもただの遊びだ。
殺す殺されるということも含めて楽しみの一部なのだろう。
本当にグリムというものは訳が分からないと思いながら、ギブソンは握ったショートソードで先頭を駆けてきたケンタウロスの足を切り裂く。
前足が不自由になったことでケンタウロスは土ぼこりを上げながらつんのめるように転がり、腕や首が衝撃であらぬ方向へと折り曲がっていた。
ちなみにその背に乗っていた妖精も衝撃で吹き飛び地面に転がって気を失っているようだ。
「こいつらを片付けたらまた走るぞ」
「問題ない」
「近いんだな?」
「すぐ近く」
話が早い。
狩人としてギブソンがともに狩りをしたのはハク以外にはほんの数名だが、一緒に戦ってここまでやりやすい相手は初めてだ。
気を使う必要もなければ意思疎通も簡潔で素早くそして正確である。
この会話をしている最中にも累は続いて突撃してくるケンタウロスを次々と蹴り飛ばし、ギブソンも劣らぬ腕前で斬り捌いていく。
結果妖精たちが仕掛けた決死の突撃はたった二人を破ることができず、鋒矢の陣は散々にぼろぼろになって全滅となった。
「せ、戦場での討ち死にこそ、妖精の誉よ……」
「生まれたときは違えども……死すべき時は同じと、願わん……」
「何か言ってる」
「気にするな。格好だけだ」
「そりゃそうなんだろうけど」
妖精はケンタウロスが転がった時の衝撃のせいでひどく体を痛めたらしい。
全員ぼろぼろになりながら地面に転がって何やらぶつぶつと呟いて雰囲気に浸っている。
「急ぐぞ」
「うん」
また追加のグリムが現れないうちにと、二人は再び草原を走り出した。
「ハクが気になる?」
「そうだな。お前も魔女が気になるだろう」
「まぁね。もし妖精たちに襲われてたらどうなるか想像がつかない。たぶんフィズは無事だけどハクがね」
「……魅了されているかもしれないか」
ハクは本人が後ろ向きなだけで将来有望な狩人だとギブソンは思っていた。
狩人にはグリムへの恨みを原動力としている者が多いが、そういったものは大抵早死にする。
恨みが思考を停滞させるからだ。
逆にハクのように臆病な狩人は長生きする。
なにかひとつ狩人として壁を乗り越えることさえできれば、きっとハクは優秀な狩人として花が咲くだろう。
その何かを乗り越えるための手伝いをしたいのだが、ギブソンにはまだそれができないでいた。
「もし魅了されずに生き残っていたら……グリムを狩っているようであれば、褒めてやらないといけないな」
半ば願望のようなものが口をついた。
ここへ来る前に覚悟の話をしたが、魅了されたハクを手にかけるというのは想像もしたくない。
だが狩人としてもしもの覚悟は必要なことだ。
「無事だとといいね」
「ああ」
そのもしもがないようにと、自然とギブソンは祈るような気持ちになっていた。
そうしてはやる気持ちを抑えるようにしながら走り始めてしばらく、草原の切れ目が見えてきた。
代わりに見えてきたのはぱっくりと大地を割くような崖である。
「この下にいるはず」
「高いな。どこかから降りられる場所があればいいんだが」
飛び折れるような高さではない。
ギブソンはどこか道が続いていないかと見下ろし、そしてはるか崖の下に目当ての人物が立っているのを見つけた。
無事であったことに安堵し、そして目に入った巨大な大蛇の亡骸とそれを討伐したであろうハクに胸が熱くなる。
鉄面皮の彼の口元が安心と喜び、そしてハクが狩人として一人前になったことに対する誇らしさからわずかに緩み、瞬間表情が凍った。
――まずい。
脳内で警鐘が鳴り響いた。
いつのまにか現れた男女の二人組がハクと向き合い、そして男がハクへと近づいていく。
「くそ!」
「え? ちょっと!?」
躊躇っている暇などない。
ギブソンはそれが当然であるという風に崖下へと身を躍らせる。
重量に従い体は落下していくが、その力だけではまだ足りない。
地面へと落ちる力に加えてギブソンはまるで短距離走の選手がトラックを走るように岸壁を蹴って加速するが、固定したままの視線の先ではハクが男に捕えられたところだ。
そして首に男が嚙みつき、ハクはびくりと体を震わせる。
「――ッ!」
間に合わなかった。
しかしまだ助けられるはずだ。
そう願うようにギブソンは両手に握ったショートソードのうち、左手のものを男へと投擲する。
歴戦の狩人の投擲は崖を蹴って落下する中でも素晴らしい精度を誇り、寸分たがわず男の頭蓋に突き刺さった。
「おや」
男がハクから口を離し、赤い月を写した瞳がギブソンを捕える。
本来なら不意打ちで斬りかかるべきところなのだろうが、脳天に剣が突き刺さっても平然としているような男だ。
ハクの救出を第一に考えるなら男の意識をこちらに向けられただけでも成功と言っていい。
「あぁあああああ!!」
そしてギブソンは最後に強く壁を蹴り飛ばし、落下の勢いに狩人としての全力を乗せた一撃を乗せて男へとぶつかるようにして斬りかかる。
あまりの衝撃に花びらと土ぼこりが舞い、それが収まった時に立っていたのは血を流しながらもハクを抱えたギブソンと、それを興味深く見つめる片腕の男だ。
「あの高さから飛び降りて無事だとは驚いたな。それも私の腕を斬り落とし、彼女まで助けるとは」
「ブラッド、大丈夫?」
「問題ないとも。むしろ喜ぶべきことだ。彼もまた私が味わうに値する人間なのだから」
男が自分の頭に突き刺さった剣を抜き、斬り落とされた腕は塵が次第に形を成していくようにして会話が終わるころには元通りだ。
腕や頭の傷どころか着ていた服さえ元に戻っている様は、とてもギブソンの渾身の一撃を受けたとは思えない。
たいしてギブソンは見るからに満身創痍だ。
見上げるような高さの崖から飛び降りたのだからそれも当然だろうが、両足は砕け、頭部からは血を流し、口からを血を吐いているのを見れば内臓もひどくやられたに違いない。
しかし闘志はいまだ折れず、無事な左腕でハクを抱え込み、右腕に持ったショートソードは今も男へ突き付けられている。
逆に考えれば戦えるよう腕だけは守り切ったのかもしれない。
「さてどうしたものか。中途半端に血を吸うのはよくないんだが、姫君を守る騎士をここで殺して続けるべきか。そうして剣を構えているのも精いっぱいといったところだからな」
「試してみるか?」
「強気だな。そうでなければ面白くない……が」
ふと月明かりを遮るような影ができた。
そしてその影の正体が何なのかをギブソンが理解したときにはすべてが終わっていた。
「な……」
一瞬の出来事だった。
おそらく累が後を追いかけて飛び降りてきたのだろう。
そしてギブソンと似たようにして男へ飛び込み、落下の勢いをそのままにかかと落としを喰らわせようとしたのだ。
しかし男は持っていた剣で累の足を斬り落とすと、その首をつかんで地面へと叩きつける。
ギブソンが声を上げたのはこの瞬間だ。
「げほッ!」
「ふむ。この血は人間ではないな」
よほど強く叩きつけられたのか、周囲の地面はひび割れその中心の累はせき込むように血を吐き出している。
そしてその累を抑え込みながら、男は斬り落とした累の足を拾い上げて血をぺろりと味わう。
「煌血液……ということは屍人形か。死者に執着するのは孤独な愚か者ばかりだが、ここまで精巧なものは初めて見る。実に興味深い」
そう見破られたことに合わせるように、斬り落とされた足が球体関節を露わにした。
男は手に持っていた義足を放り投げ、興味深そうに累へと問いかける。
「お前の飼い主に会ってみたいがどこにいる? そこの人間どもではないだろう?」
「……飼い主じゃない」
「言い方が気に喰わなかったか? お前を造った主人と会いたいのだ。どこにいるのか教えてくれ」
「……主人でもない」
「どういう意味だ? 創造主と創造物。立場は明確ではないか」
「私たちはそんな関係じゃない」
「主人の人形ごっこに付き合っているということか? であれば殊勝なことだが哀れだな」
累を見下ろしたまま、男は憐憫の表情を浮かべて見せた。
そして見上げる累はというと、そこに浮かんでいる表情は普段と違う。
ギブソンにとって累は人形らしく無表情であり感情を大きく表に出さない、そういう認識だったが今は違う。
――怒っている。
それも激怒、憤怒、そういった感情がふさわしい。
男の言葉の何かが逆鱗に触れたのか、あるいは自分が組み伏せられたことに対する怒りか、とにかく累からほとばしるのは決して許さないという激情だ。
そしてその感情はあの女もそうなのだろう。
「累さんの血の匂いがしたから急いできてみれば……何をしているんだ、お前?」
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