妖精⑲
ハクはアスプへと一直線に駆け寄る。
本来であればアスプの攻撃を避けることを中心に考え、ギブソンたちの救援を待ちたいところだ。
しかし時間をかけてしまえばマンドレイクの叫びに気づいたほかの妖精たちが集まってくる可能性もある。
となれば多少の無理はしてでも急いで目の前のグリムを狩らねばならなかった。
「――ぅ!」
アスプの丸太のような尾がハクを吹き飛ばそうと迫る。
まだ体の半分は地中に潜っていると油断していたため反応が遅れたが、スライディングをするようにしてギリギリのところで回避ができた。
そしてその勢いのままに肉薄し、持てる力のすべてを手斧に込めてアスプの胴体へと振り下ろす。
「よし!」
さすがにこれ一撃で致命傷を負わせることはできなかったが、斧の刃先はアスプの鱗を絶ち、その肉を切り裂くことには成功していた。
鱗が強固すぎて刃が通らないのではとの懸念があったものの、苦痛に満ちたアスプの唸り声を聞けば決して勝てない相手ではないという希望が見えてくる。
しかしまだほんの僅かな斬り傷を与えたにすぎない。
「ちょこまかと! やっちゃえニョロニョロ!」
「まずッ!」
妖精に鼓舞されたようにアスプが口を大きく開き、そのまま薄い緑の息を吐き出せば周囲の花々がみるみるうちに枯れていく。
すぐさまそれが毒だと気づいたハクは、再度振り下ろしかけた斧を止めて慌てて距離を取った。
ただの人間にあの毒に対する耐性などはないが、狩人たちがこれまで積み上げてきた歴史は無駄ではない。
そのままの足で向かうのは先ほど放り投げたリュックであり、まだあの中には霊薬がある。
「追えー逃がすなー!」
「ひぃひぃ」
なんて情けない声を出して走っているのだろうか。
きっと涙もうっすら流れているのだろう。
しかし背後から聞こえる巨大な大蛇が這いずる音に怯えないほうがおかしいのだ。
ハクはいつものように後ろ向きな自分にうるさいと叫び、目の前のリュックへダイブするように飛びついた。
途端にアスプの鋭い牙が先ほどまで自分がいた場所を過ぎ去っていく。
「おしい!」
妖精の悔しげな声にまだ自分は生きているのだと実感する。
もし人の胴体ほどの大きさもあるあの牙で一度でも嚙みつかれればそれで終わりだ。
抜け出すこともできなければ毒で体は腐っていくだろう。
そうならないためにもまずは近づいて戦えるよう毒耐性の霊薬を飲まなくては、とハクは走り続けたまま急いで拾ったリュックの中身をあさった。
「えっとえっとえっと……あれ!? なんで!?」
掴んだリュックの中に目当てのものがない。
そういえばと思い出したのはプラムを助けたときのことだ。
あの時にリュックをひっくり返して霊薬は地面に転がしたまま。
冗談だろうと先ほどリュックがあった場所に視線を移動させれば、アスプに押しつぶされた霊薬の残骸が散らばっている。
「ああもう! うそでしょ!?」
「きゃははははは! 楽しい~!!」
「楽しくなんてない!」
言い返せずにはいられなかった。
これが自分の最後の言葉になるかもという思いを否定しつつ、ハクはどうにかしないといけないと必死に頭を回転させる。
(先輩に言われたことを思い出さないと。狩りは常に冷静に。想定外のことがあっても焦っちゃいけない)
まずは現状の把握だ。
アスプは追いかけてきては噛みつきを繰り返すが、動きが単調でまだギリギリ躱すことができる。
それに毒は脅威だが広範囲にばらまくようなことはしてこない。
これはもしかしたら奪う予定の瞳が痛まないようにと手加減している可能性もあった。
(そう考えると隙がある? ……ってあれ!?)
冷静になったおかげか、ふと頭に乗っていたものがなくなっていることに気が付いた。
スライディングやら飛びついたりとずいぶんと動き回ったのだから当たり前だが、いったいどこで落としたのかと周囲を見渡せば先ほどの霊薬の残骸のそばにかわいらしい花冠が落ちている。
「なにやってんだもう!」
絶対に今はそんなことをすべき時ではない。
しかしどうしてもその花冠を見捨てることができず、理性とは真逆にハクは進行方向を花冠へと向けた。
距離が離れるように逃げていた人間が急に向かってきたのを確認し、妖精はチャンスとばかりに熱狂した声を上げる。
「噛んじゃえ!」
蛇特有のゆらりとした静の動きからの残像を残す程の急激な動による噛みつき。
妖精はジェットコースターを楽しんでいるかのように歓声を上げ、対するハクはこの選択をした数秒前の自分に罵倒を飛ばす。
もしギブソンであればその腕力でアスプを真正面から叩き伏せただろう。
カザリであれば華麗に躱して反撃に移ったに違いない。
ではハクはどうするか。
「うぐッ!」
一等狩人と同等の攻防などできるはずもなく、ハクの体が車に跳ね飛ばされたように転がる。
だがハクは自分の技量をわきまえており、無謀な反撃よりも致命傷を負わないことを重視した。
結果斧を盾に受け流すようにしたことで、体こそ吹き飛ばされたものの嚙みつきによる致命的な傷を負うことはなかった。
自身の体が問題なく動くことを確認すると、ハクはすぐさま起き上がって花冠へと走る。
「よし!」
手に掴んだ花冠をなくさないようにとリュックの中に入れたことで気が抜けそうになるが、そんな暇はないとハクは次の行動へと移る。
リュックの中身を見れば霊薬はほとんどなくなっているが、魔術具は少しだけ残っていた。
これらを使って今度こそ眼前のグリムを狩らなければならない。
それに妖精相手には使いにくくて出番がなかったが、斧よりは使い慣れているもう一つの武器もきちんとある。
「やれる。やるんだ」
ハクはそう自分自身を励まし、再び噛みつこうとしているアスプに向かって薄い赤色の液体が入った小瓶を投げつけた。
小瓶はアスプの体によって破壊され、格納されていた液体を周囲の花々へと振りまく。
そして変化は瞬時に現れた。
「な、なにこれ!?」
妖精が困惑したように叫び、アスプも動きを止めて周囲を見渡す。
なぜなら視界を覆うほどの巨大な花々が突如として現れたからだ。
もともとこの花園で咲いていた花々だが、それらが突如としてアスプの体半分を覆うほどの巨大な花々へと成長し、それに隠れるようにしてハクがどこにいるかがわからない。
「もうどこにいるのよ!」
妖精が悔し気に叫んだのと、アスプが悲痛な悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。
「な、なに!?」
最初に切り裂かれたアスプの傷が広がっている。
血が地面にしたたり、痛みからか弱気になっているアスプを妖精がしかりつけた。
「弱気にならないでよ! はやくオニキスちゃんを――ってまた!?」
繰り返し繰り返しアスプの体が斬りつけられる。
そのたびに響き渡る悲鳴に我慢がならなくなったのか、妖精はいよいよ最後の手段をとることにしたようだ。
「うぅ……宝石が痛むから嫌だったけど、もう全部枯らしちゃえ! 毒よ毒!」
どうせ隠れていたとしても毒からは逃れられないと妖精が指示を出せば、アスプは言われるがままにすぐさま周囲に毒を吐き出した。
巨大になっていても所詮はただの花。
大きな抵抗もなく枯れていき、美しい花園に黒い絵の具を零したように汚染は広がっていく。
そうして無残な花々の中心で妖精が笑ってた。
「あははは! これでもうどこにも隠れられないわ! さーてどこにいたのかな?」
アスプの頭の上からぐるぐると見渡す。
しかし枯れ果てた花々ばかりで目当ての宝石が見当たらない。
「こっちっすよ」
「え?」
声の主は遠くにいた。
ちょうど毒の影響のないぎりぎりの場所に立っており、その周囲にはまだ花が咲いている。
「なんでそんなところに……」
ハクは妖精の呆けた顔にしてやったりと笑顔を返して見せた。
きっと妖精は近くに隠れていると思っていたのだろう。
だが実際は最初の一撃のみが斧によるもので、それ以降は近くにいると思わせるために傷めがけてナイフを投げただけだ。
妖精が毒を吐けと指示したときにはその背後で安全な距離を確保して立っていただけのこと。
「まぁこれを外したら終わりだけど」
構えたのはクロスボウだ。
特別腕力が強いわけでも瞬発力に優れているわけでもないハクにとって近接戦というのは苦手な部類だ。
腕に自信がないため近接戦はあくまで最後に止めを刺す締めに行う行為であって、それまでにどうやってグリムを弱らせるかというと、ハクはこのクロスボウに頼ることが多かった。
矢を切り替えれば攻撃手段も豊富であり、そうして自然と多用することが多くなっていくことでハク自身は気づいていないが狩人の中でも上位に入るほどの腕前となっている。
――そんな彼女がここで外すだろうか。
かちりと引き金が引かれ、矢が枯れた花々の上空を風を切り裂いて飛んでいく。
そして当然のように――ハクは驚いた顔をしていたが――アスプの体へと突き刺さった。
斬り裂かれた傷へ突き刺さったせいか、矢が刺さった程度にしては大きく体をくねらせてアスプは苦痛に耐えるが、その頭に乗っている妖精は余裕の表所を見せている。
「こんなちっちゃな矢じゃ倒せないわ! さぁ今度こそ覚悟し――」
妖精が最後までしゃべることはなかった。
なぜなら突き刺さった矢が炸裂し、アスプの体を真っ二つに裂いたからだ。
黒々と枯れた花園に赤い血しぶきを振りまきながらアスプは倒れこみ、頭に乗っていた妖精は爆発の衝撃で気を失っているらしい。
「……やった」
信じられなかったが夢ではない。
初めて一人で、それもアスプという難敵を相手にして多少の打ち身程度の傷で勝利できた。
何度も死を覚悟したのにここでこうして息をしていることに現実味が感じられず、ハクはゆっくりとアスプの死体へと近づいてこれが現実なのだと確かめる。
「う、うう……」
その声にびくりと飛び上がって身構えれば、妖精がうめき声をあげながらもがいている。
まだ気を失っているようだが起きてまた追いかけられても面倒だ。
かといって無抵抗の相手を殺すことも躊躇われ、ハクは仕方なしにアスプの死体の一部を妖精の上に重し代わりに乗せることにした。
「これでいいか」
「ぐえぇ……」
動けないが死なない程度の重さだろう。
これでひとまずは安全だが、改めて考えてみても出来過ぎた成果だ。
「アルウラネの活性剤があって助かった。それにこのクロスボウも」
花々を巨大化させたのはアルウラネから抽出し煎じた活性剤だ。
植物にかけると急激な成長を引き起こす反面、数時間もすれば枯れてしまう。
今回は妖精たちの住処に行くということでもしかしたら役に立つかもと一応持ってきていたのだ。
「先輩が聞いたら驚くだろうなぁ」
驚くギブソンの顔を思い浮かべ、ハクはくすりと笑う。
しかしここにもしギブソンがいたらさほどこの結果に驚かなかっただろう。
確かにハクは戦闘能力に関して秀でたものはないし、常に後ろ向きで普段の戦いには強く怯えが混じっていた。
けれどギブソンに教えられた通り事前準備は欠かさないし、クロスボウの扱いに関しては高い腕前を持っている。
足りないのは精神的な部分であり、持てる力と事前準備を十全にこなせば狩人として十分な活躍ができるとギブソンは理解していたからだ。
「げほっ、少し吸い込んだかな」
打ち身だけではなかったらしい。
多少毒を吸い込んでいたようでせき込むとほんの少し血が混じっている。
これで命を奪われるようなことはないだろうが、念のため解毒薬を飲んでおきたいところだ。
それに幸いほかの妖精たちやグリムが襲ってくるようなことはなかったが、これからまた現れないとも限らない。
すぐにフィズたちと合流しなければと視線を巡らせ、そしてハクは気が付く。
――見慣れない男女がこちらを見つめていることに。
「素晴らしい。やはり狩人という生き物は面白い」
「ご機嫌ね。でもそこまでのことかしら?」
「そこまでのことだとも。人間のように劣った生物が知恵と勇気を振り絞って戦うのは賞賛に値する」
「そう言われてみると見応えはあったかもしれないわね」
最初に感じたのはフィズやスロージアと雰囲気が似ているということだ。
外見は人間にしか見えないのにこちらを見る瞳には人間性の欠片も感じられないからだ。
しかし男の瞳は二人ともどこか雰囲気が違う。
「あの、どなたっすか……」
人間のように見えるが明らかに人間ではない。
それが恐ろしくて、喉が張り付くような渇きを覚えながらハクは問いかける。
「先に名乗るのが礼儀ではなくて?」
「構わないさ。いいものを見せてもらったのだから、こちらから名乗ろう」
男はかぶっていたシルクハットを丁寧にとり、心からの敬意を表すように深々と頭を下げてみせた。
「ブラッド・ノールヘイム。ぜひ覚えてくれたまえ」
頭上に浮かぶ赤い月が宿ったような深紅の瞳が楽し気にハクをじっと見つめていた。
年齢は三十代後半に見えるがグリムであるなら外見だけの話で意味はない。
波打ったような髪は肩ほどまで伸び、綺麗に切りそろえられた顎髭といかにも高級そうな黒のコートは英国紳士風の外見だ。
「メアリー・ノールヘイムよ」
隣の女性は男よりも若く見える。
これも外見だけで意味はないかもしれないが、おそらく二十台前半だろうか。
特徴的なのは瞳を閉じていることと、白蝋のような白い肌と血のように赤い唇。
ブルネットの髪には黒のドレスと深紅のバラを形どったヘッドドレスが合わされていた。
「君の名前を聞かせてくれるかな?」
「……米沢ハク、っす」
「ハクか。覚えておこう」
男がゆっくりとこちらへ向かって歩き始め、ハクは警戒するように身構えた。
「な、何をするつもりっすか……?」
「何とは? グリムは好きなことを好きなようにする。狩人ならばよく知っているだろう?」
それを聞いたハクの動きは素早かった。
アスプを狩る前であれば恐れ怯え、とてもこんな動きなどできなかっただろう。
しかし今のハクはアスプを単身で狩った確かな腕をもった狩人である。
その手は流れるように矢をクロスボウへと装填し、照準は一切のぶれなく男の心臓を狙い定め、そして矢を手に取ってから数舜の間には引き金を引いていた。
しかし――
「そんな……」
ハクが驚愕に満ちた声を吐き出す。
放たれた矢を男は避けたり防ぐこともなく、そのまま心臓で受け止めて見せたのだ。
ただのグリムならそれで死ぬ確かな一撃だが、男は平然と歩み続けている。
「せめてアスプに使用した炸裂する矢を使うべきだったな」
「ぐぁッ!!」
男の手がハクの喉を強く掴みそのまま宙へと持ち上げる。
まるで氷に掴まれたのではと思うほどの冷たさに驚き、そしてこのままでは呼吸ができなくなる焦りにハクは男の腕へ縋りつくようにしてもがく。
「米沢ハク。お前の戦いは素晴らしいものだった」
「う、ぐ……」
「だからこそ、私が味わうに相応しい」
そしてハクは己の首筋に痛みが走るのを感じた。
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