妖精⑱
結局待つこと以外にすることもないのでハクは岸壁を背に座り込み、膝を抱えてぼーっと空を見上げていた。
都心で見ることのできない輝く星々は、ここが危険なグリムの住処だということを忘れさせてくれる。
赤い月だけが唯一不気味ではあるが、それも見慣れればいいアクセントだ。
視線を地表に戻せば花園の中心で二人のグリムが片方は無邪気にもう片方は真剣に花冠を作っている。
それをこうして遠くから眺めてみれば、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように美しく幻想的な光景だ。
「はぁ」
もう何度目かもわからないため息をハクはこぼした。
どれだけ綺麗な光景が目の前にあってもここが危険な場所だということには変わりないし、その危険を自分ひとりの力で打破できないことが情けなかった。
変に動いて迷惑をかけるよりはここでじっと待っていたほうが賢いということは理解しているものの、助けてもらうのを待つというのは結局足を引っ張っていることには違いない。
「なんでこうなるんだろ……」
自分の腕には見合わない依頼だから仕方ない。
まだ新人なのだからこれから変わっていけばいい。
そういった自分がいる一方で、それを卑下して落ち込む自分もいるのだ。
というよりもそうした感情のほうが大きい。
特に心の内を占めるのは「最初から狩人になんかなるんじゃなかった」という後悔だ。
根本にそれがあるせいで何もかもが後ろ向きな考えになってしまう。
「……もっとまじめに考えるべきだったなぁ」
グリムは恐ろしかったが、施設で育った仲の良い友達はみんなグリムを恨んでいた。
狩人になるのが当然といった雰囲気で、そこでグリムは怖いから自分だけ狩人にならないなんてことは言えなかったのだ。
なぜなら一番恐れていたのはグリムではなく家族を失ったことによる孤独であり、ようやく手に入れた絆を捨て去ることなんかとてもできるはずがない。
そうして流されるがまま生きてきた結果、こうして取り返しのつかないところまで来てしまった。
「大丈夫?」
「え?」
視線を上げれば明るい髪の少女が目の前に立っていた。
そのまるい瞳が不思議そうにこちらを見つめ、小さな手にはお手製の花冠が握られている。
魔女とほとんど同じ見た目だというのに、この少女は本当にただの人間の子供のような純粋さに満ちていた。
「あ、大丈夫っすよ! ちょっといろいろ考えてただけっす!」
「それならよかったぁ。じゃあはいどうぞ」
「これは……」
渡されたのは色とりどりの花で作られた冠だ。
いかにも子供が作ったという風にところどころ茎が飛び出ていたり花の位置やバランスがおかしいものの、一生懸命に楽しんで作ったというのが感じられる。
「元気なさそうだったから。これかぶれば元気になるよ」
「あ、ありがとう」
朗らかな笑みに押されるように、ハクはその花冠を自分の頭に乗せた。
こんなものをもらったのは初めてなので少し照れ臭い。
「わぁ似合ってるよ! えへへ、元気出た?」
「うん、元気でたっす。ありがとうプラムちゃん」
「どういたしまして」
相手がグリムであることも忘れてついちゃんづけで呼んでしまったが、そんなことはたいして気にならなかった。
無邪気なプラムの笑顔を見たせいか、この花冠が想像以上に嬉しかったのか、あるいはその両方かもしれないがとにかく心地よい気分だ。
それにこの場所に来て、いやこの依頼を受けてから初めて心の底から笑ったかもしれない。
そんなハクのすがすがしい笑みに答えるようにプラムも満面の笑みを返し、再び花冠を作りにフィズのそばへと駆けて行った。
「グリムってなんなんだろ」
プラムのようなグリムもいれば妖精のような恐ろしいグリムもいる。
考えてみれば人間にだっていい人も悪い人もいるのだから、グリムだからと一括りに恐れたり憎んだりすることは間違っているのかもしれない。
「ちょろいなぁ……」
ハクは自分がグリムに好意を感じ始めたことに苦笑する。
散々恐ろしい目にあってきたというのに少し優しくされただけでこれだ。
やはり狩人には向いていないのかもしれないな、と肩の力が抜けてしまう。
「やっぱりやめようかなぁ。向いてないよなぁ」
定期的に思い浮かんでは消えてく考えだが、いよいよグリムに敵意すら持てなくなったら終わりかもしれない。
仮に協会からプラムを狩れと依頼されたらどうするか。
そこに迷いが出る時点で狩人としては居場所がない。
特に協会の反対派に所属するハクは余計にだ。
「プラム。あんまり遠くに行かないほうがいいと思いますけど」
フィズの声にプラムを探してみれば少し離れた場所で花を摘んでいる。
特に危険なものはないように見えるが、確かに離れすぎないほうがいいだろう。
ハクもプラムに声をかけようと口を開いた瞬間――
「キィアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
意識が飛びそうになるほどの絶大な音量の叫び声が谷底に響いた。
咄嗟に両耳を抑える中、視線の先ではプラムが地面に倒れこむのが見えた。
「プラムちゃん! この、これ、マンドレイクか!」
距離があるから助かったようなもので、プラムを助けようにも近づけば確実に意識を失ってしまう。
ハクは転がっているリュックをひっくり返し、転がり出た霊薬の中から目当てのものを見つけると一気にそれを飲み干す。
先ほどの聴覚を強化するのとは真逆の効果で、聴覚・視覚・嗅覚を一時的に保護する効果のある霊薬だ。
「この、うるさい!!」
「アアアアア――」
斧を振り下ろせばぷつりと声は止んだ。
霊薬を飲んだとはいえまだ残響が残っているような感覚はあるが、それよりもまずはプラムの確認だ。
「プラムちゃん! プラムちゃん!」
「気を失ってるみたいですね」
無事だったらしいフィズがいつの間にか隣にやってきてそう呟く。
倒れこんだプラムは最初こそ眠ったように人の形を保っていたものの、次第に形が崩れてここで見つけたときのような球体に戻ってしまった。
それを見て焦った様子のハクを落ち着かせるようにフィズは言葉をつづける。
「大丈夫ですよ。魔女のパートナーがこの程度じゃ死にませんから。たぶんびっくりしただけですからそのうち目を覚まします」
「よ、よかったぁ」
「でもプラムよりも他を気にしたほうがいいと思いますよ」
「え? どういうことっすか?」
「これだけ大きな音が鳴ったんだから、妖精たちが気づかないはずないじゃないですか」
プラムが無事だということにほっとしていたハクに対してフィズの言葉は冷や水をかけるようなものだった。
急な展開に熱していた頭からさっと血の気が引いていくのをハク感じる。
そしてわずかな地面の揺れ。
それは次第に大きくなり明らかにこちらへと近づいていた。
「フィズさんはプラムちゃんをお願いします!」
もう逃げることは間に合わない。
ただのスライムに戻ったプラムを拾い上げ、それを半ば強引にフィズへと押し付けハクは叫んだ。
「ここは自分が何とかするから逃げてください!」
「いやでも」
「いいから!」
そして地面から巨大な大蛇が現れる。
体の半分以上は土の下に隠れているが、推定で全長二十メートル以上はあるだろうか。
外見はコブラに似ており、その特徴的な皮膚の紋様は艶めかしく輝き見る者を惑わせる。
「アスプ……」
吐く息に毒があり、また皮膚の紋様を長時間直視し続けると視界に異常をきたす危険なグリムだ。
最低限の備えとして毒への対策がなければ戦うべき相手ではない。
ハクが息をのんで固まっているのを見たのか、こんな状況でも変わらない声がハクの耳に響く。
「一人で大丈夫ですか?」
まだ逃げていなかったらしい。
背後からかかるフィズの言葉に甘えたくなる衝動をぐっとこらえ、眼前の巨大な大蛇を睨みつけたままハクは答える。
「問題ないっす。グリムを狩るのは狩人の仕事っすから」
自分でも笑ってしまうほど声が震えていた。
さっきまで狩人をやめようかと考えていたのだから、フィズに任せて逃げてしまったほうがいいんじゃないか、そんな気持ちも湧いてくる。
けれどそれよりもずっと強い想いが胸の中で熱く灯っていることに、花冠をプレゼントしてくれたあの無邪気なグリムを助けたいという想いに嘘をつくことはできない。
狩人としてはおかしな理由かもしれないし、協会の狩人やグリムを恨んでいた友人たちが聞けば顔を顰めたかもしれない。
けれど今のハクにとってはそれこそが狩人として戦うべき理由に他ならなかった。
「行って!」
弱音を吐き出すように語気を荒げて叫べば、フィズが徐々に走り去っていく音が聞こえた。
これでプラムはひとまず安全だろう。
だが目の前のグリムを倒さなければどうなるかわからない。
「さてさてさて」
「え?」
目の前の大蛇が言葉を話したように聞こえたのだ。
アスプが言葉を話すとは思っていなかったハクは目を見開いたまま硬直し、そんな彼女の前で大蛇は口を割くようにして大きく広げて見せる。
それで誰の声かはすぐにわかった。
「じゃじゃーん! いっちばんのり~! 私のオニキスちゃん! 逃がさないからね!」
口から飛び出てきたのはあの妖精だ。
アスプの口の中に隠れていたらしいが、毒性のある吐息が充満している中に隠れるなど正気の沙汰とは思えない。
「しつこいっすね」
「気に入ったものを手に入れるのが妖精だもの。それに今夜は妖精の夜会よ? 絶対にその綺麗なオニキスを私のものにするんだから!」
妖精が飛び回り、そして最後はアスプの頭の上にちょこんと座る。
よほど気に入られたらしいがそれを嬉しいとは思わない。
逆にそのことを後悔させてやると、ハクは手斧を片手に妖精を強く睨んで見せた。
「あら? あららららら? なんだかさっき会ったときよりも輝きが強くなった気がするわ。ふふふ、とっても素敵ね」
「どれだけ気に入られてもこの眼を上げるつもりはないっす」
「みんなそうやって嫌がるのよね。でも必ず私のものになるの。ゆっくりとあなたの体から引き抜いて、プチプチと繊維が切れる音を聞きながら、その宝石に頬ずりしてみたいわ」
「そんなの絶対に嫌っすね!」
美しい花園の中心で恐ろしい大蛇と悍ましい妖精と向かい合い、ハクはその手に持った手斧を構える。
憎いグリムを狩るわけでも、恐ろしいグリムから逃れるためでもなく、守りたいものを守るためにハクは地面を強く蹴って眼前のグリムへと挑んだ。
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