妖精⑰
「道はこっちでいいのかい?」
「いいんじゃない」
適当なスロージアの言葉にカザリは軽く眉を上げる。
とはいえ何かを言い返すこともなく歩き続けるのは他に頼る者もないからか、それともスロージアが誤った道を教えることはないと信じているのか。
まぁどちらでも構わないとスロージアは周囲に視線を巡らせる。
どうやら森林地帯に飛ばされたようで、見上げれば木々の隙間からほんの少し夜空が除く程度で周囲はほとんど真っ暗だ。
スロージアはヴィーブルとしての感覚があるので問題ないのだが、地面は湿ってぬかるんだ土に木の根が飛び出ている。
おまけに木々から垂れ下がる葉やツタをよけなければならないことも考えれば歩くことは非常に困難に違いない。
しかし目の前を黙々と歩き続ける狩人は今のところ転げるどころか葉やツタにも当たらないし足を止めることすらなかった。
(狩人ってこういうもんなのかな)
これまで狩人をまともに見たことがなかったのでスロージアにはこれが普通なのかがわからない。
出会った狩人がいなかったわけではないが、どれもこれもぱっとせずスロージアが直接手を下すまでもなく死んでいったものばかりだ。
(累をベースには考えらんないしねー。まぁあんなのが大量にいたら困るんだけど)
唯一まともな戦闘――客観的にはぼろ負けしたように見えたかもしれないがスロージア的には接戦――をした狩人は比較対象にならない。
そういえば累のそばになんだかうっすらと狩人がいたような気もしたのだが、ほとんど記憶に残っていないので大した腕ではないのだろう。
少なくとも目の前を歩く狩人はこれまでの記憶の残骸のような奴らに比べればかなり強いように思えた。
もっともスロージアの相手にはならないだろうし、わざわざ覚えておく必要がないほどの存在なのは確かだ。
しかしスロージアはこう問いかける。
「あんた名前なんだっけ?」
「魔女が人間の名前を気にするのかい? ずいぶん珍しいじゃないか」
それはその通りである。
しかしそれでも名前を聞いたのは、この狩人にはさっきから気になる点があるからだ。
「別にいいでしょ。ここにはあんたしかいないんだから話し相手の名前くらい聞いても」
「なるほどね。名前はカザリだよ」
「ふーん」
特に聞き覚えのない名前だ。
腕の立つ狩人は魔女同士の会話で話題に上がったりするのだが、カザリという名前が話題に上がったことはない。
とはいえ狩人の名前なんてほとんど気にしたことがないので、聞いたけれど忘れているということもあり得る。
例外として覚えているのはだいぶ昔に魔女を討伐した狩人の名だ。
覚えている理由はその狩人に復讐すると魔女の一人が大騒ぎしたからである。
けれど印象に残っているのはその狩人の名前よりも、涙を流し激高し、必ず復讐すると叫んでいた同胞への驚きのほうだ。
常日頃集まっても口では文句ばかりだったので自分だけが魔女同士の交流を楽しみにしていたのかと思っていたが、案外魔女同士の絆は強かったらしい。
だがそれもその日までのことだ。
(思えば全員集まったのはあれが最後か)
あの日、誰も復讐に手を貸そうとしなかったことに愕然とした彼女の顔をまだ覚えている。
自分も復讐を手伝うと言っていたら何か違ったのだろうかと考えたことはあるが、そうするだけの勇気が当時のスロージアにはなかった。
胸に湧きだした罪悪感をかき消すように、スロージアは意識的に声を強めてカザリを馬鹿にするように声をかけた。
「しっかし狩人も大変なもんね。こんなところまで命がけでやってきてさ。結局程度の低いグリムを狩るのが精いっぱいで魔女には勝てないってのに」
「そうだね」
「バキシェにもぼろぼろにやられてるんでしょ? こんなことやってないでそっちを助けてあげたら?」
「そういうわけにもいかないのさ。こっちはこっちでやることがある」
「やることってぬいぐるみを奪い返すだけでしょ? それも累やフィズの手まで借りてさ」
きっと累とフィズというグリムが手を貸さなければこの依頼は成功しないだろう。
おまけにスロージアとプラムという倒すべき相手の手を借りるなどとてつもなく滑稽で笑いがこみあげてくる。
魔女を狩った唯一の狩人。
あいつがいない今、そんなことで魔女を倒せると本当に思っているのか、と口を開きかけたところで、スロージアの脳内に羽が舞うように一つの疑問が舞い降りた。
――累とフィズの二人をこんなくだらない依頼に使うだろうか?
妖精は確かに危険なグリムだが、狩人が大切にしているぬいぐるみ程度でこの二人に依頼を出すのはどうにも妙だ。
それに普段は裏口からこの夜会に参加しているのですっかり忘れていたが、本来夜会に参加するには招待状が必要なはず。
累やフィズも含めて五人も参加するなら最低でも招待状は三枚必要だ。
奪うものに対して数が合わない。
「このままこっちでいいんだね?」
「え? あぁ、いいんじゃない」
眼鏡の奥の瞳がこちらを窺うように見つめている。
どこか不快感を与えてくる眼だ。
「なに? 案内してあげてるのに文句でもある?」
「いや別にないさ。ただ案内してくれるなら前を歩いてくれてもいいんじゃないかと思ってね」
「嫌よ。私あんたのこと信用してないし」
「それはお互い様だろう」
「なら行き先のわからないあんたは我慢して前を歩くしかないってことよ」
肩をすくめてカザリが再び歩き出す。
最初っから黙ってそうして歩いていればいいのに変に挑戦的な女だ。
狩人であっても絶対的強者である魔女にはもう少し卑屈になるべきだろう。
(……あ)
そんなイライラとした気持ちを忘れさせるように、またカザリが目の前で妙なことをして見せた。
ヴィーヴルであるスロージアであれば、あるいはフィズや累なら問題ないだろう。
しかしただの狩人がこれに気づくのだろうか?
「あんたさ」
「せっかく名前を教えたってのに呼んでもらえないんだね」
「名前を呼ぶために聞いたわけじゃないもの。それより聞きたいことあるんだけど」
「嫌って言っても聞くんだろう」
「そうね」
その言葉に振り返り、話を続けろと言いたげにカザリは足を止めて見せた。
なんだかその態度が癪に障る。
スロージアは木の根でできた段差の上に飛び乗り、あえて見下ろすようにしながら言葉をつづけた。
「あんたここに来たことがあるでしょ」
「……なんでそう思うんだい?」
「だってマンドレイクを踏んでないもの」
そう一度も踏んでないのだ。
妖精たちが住むこの楽園は彼らのおもちゃ箱であり、そこに迷い込んだ人間やグリムにすぐ気づけるようにと彼らは特製のマンドレイクをいたるところに埋めている。
通常のマンドレイクは引き抜いたら絶叫を上げて聞いたものを気絶させたり発狂させる植物系のグリムだが、妖精が自ら育てたマンドレイクは上から踏まれただけで絶叫を上げる地雷のような習性がある。
そのため迷い込んだものがマンドレイクは踏めば絶叫に気絶や発狂し、その音を聞いた妖精たちはすぐさまおもちゃを見つけられるという寸法だ。
「普通ならわかりっこないのに、あんた最初からずっと踏んでない。偶然かなとも思ったけど何度か踏まないように避けてたでしょ?」
スロージアは別に善意でカザリを手伝っているわけではない。
ただ累やフィズに頼まれたから一緒にいただけで、もしマンドレイクを踏んだら大笑いして妖精のおもちゃになるのを見てやろうと思っていたくらいである。
だからこそいつ踏むかと楽しみにしていたのだが、目の前の狩人は何度もマンドレイクを避けるのだ。
おかしいと思わないほうがおかしい。
「私がとてつもなく優秀な狩人だからって考えないのかい?」
「地中に埋まって見えない匂わない気配もないマンドレイクに、初見で気づける狩人がいるならそもそもこんな場所に飛ばされないんじゃない?」
「まぁそれはそうかもね。ってことは残る答えは一つしかないわけだ」
「そうあんたがここに来たことがあって最初からマンドレイクが埋まってるって知ってたってことよ」
名探偵が犯人を追い詰めたときのように、びしっと指をさしてスロージアが得意げに笑って見せた。
しかしどうしたことか、その追い詰められたはずの犯人はというと困ったように眉を寄せて苦笑いを浮かべている。
「残念。ただの偶然だよ。マンドレイクが埋まってるなんて知りもしなかった。踏んだら何か起こるのかい?」
「はぁ? しらばっくれるわけ?」
「いやいや本当に知らないんだよ。狩人として常に罠には警戒してるからそれがよかったのかもしれないね」
「あんたねぇ」
どこからどう見ても怪しい。
偶然ですべて避けられるほど妖精たちは優しくない。
ここまで躱してきた時点でこの狩人がマンドレイクの存在を知っているのは確実なのだ。
「まぁ話の流れからしてそのマンドレイクを踏むとまずいんだろう? だったらここで話をするより先を急いだほうがいいんじゃないかい?」
「何、話を逸らす気?」
「いやそうじゃないよ。ただいかにもそれを踏みそうな人たちがいるだろう?」
「なによ。そんな奴がいたって私は関係な、い……」
しかしそう言われて少し苛立ちつつも考えてみる。
累とフィズはきっとどうにかするだろう。
狩人たちはどうなっても知ったことではない。
しかし残ったプラムは――
「あ……」
気づいたときには大抵のことは手遅れだったりするものだ。
それを示すように甲高い赤ん坊の泣き声のようなものが二人の耳に響き渡る。
音源は二人が進んでいた方向のさらに先だ。
「ほら、急いだほうがよさそうだ」
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