妖精⑮
(どう答えたら……無視、はできないよね。この子の性格的に怒りそうだし。どうしよう)
ハクは累とスロージアの様子を窺うが、累は返答に困っておりスロージアはそんな累を見て首をかしげている。
スロージアの質問に対して空白の時間が生まれてしまっているが、かといって変な嘘をついて余計に怪しまれるのも最悪だ。
(しょうがいない……か。うん。しょうがない)
ハクは覚悟を決め、弱気を飲み込むようにごくりと喉を鳴らす。
そして――
「く、くまのぬいぐるみ……っす」
「え?」
「は?」
累とスロージアのぽかんとした声が響く。
それだけでなくフィズやカザリにギブソンの視線が自分を貫くようだ。
気のせいかもしれないが天井からも視線を感じてしまう。
「え? なんて言った?」
「くまのぬいぐるみっす。親から誕生日にプレゼントしてもらったぬいぐるみで、それがないと夜眠れないんす。なので皆さんに頼んで今日ここに来てもらったってわけで……」
全部が嘘ではない。
盗まれたのはくまのぬいぐるみであり親からのプレゼントだということも夜眠れなくて困っているのも事実だ。
ただこの件はついでであり、本来は魔術具の奪取が依頼だということは隠さなければならない。
「――は」
本来なら同じ協会の狩人であるギブソンとカザリには死んでも知られたくなかったがこの際は仕方ない。
そんな苦渋の決断を下したハクに対してスロージアの口から洩れたのはかすれた空気の音だ。
そして次に続いた言葉にハクは顔を赤くする。
「ははははははは! あっはははははははははははははははははははは! あ、あんた歳いくつよ!?」
「……二十二っす」
「そ、そ、その歳で!? はははは! し、死ぬかもしんないのにここまできたの!? すごい! すごいってあんた!!」
覚悟の上だ。
覚悟の上なのでこの羞恥心には耐えなければならない……が、つらいものはある。
「あんまりうちの後輩を笑わないでくれないかい? それだけ大切なものってことだよ」
「そ、そうね! そうよね! ふふ、大切なものって人それぞれだし、ふふふふふ」
「ところでさっき盗まれたものを奪うと言っていたが、盗まれたものがどこにあるかを知っているのか?」
二人もハクが身を挺したのだと理解してくれているのだろう。
カザリがフォローしギブソンが話を変えてくれた。
そんな二人に心の中で感謝しつつスロージアの答えを待っていると、彼女はまだ笑いをこらえるように震えながら列車の行き先を指さした。
「この列車の終着点。そこに妖精たちが保管してる。まぁこの列車は毎回途中で止まるから終点まで進んだことがないんだけどね」
「じゃあスロージアはどうやってそこまで行くつもりだったの?」
「私はほら飛べるし。ここで少しゆっくりしたらいつも飛んでいって気に入ったものを奪って帰るだけよ」
見た目からはいったい何のグリムなのか見当もつかないが、どうやらスロージアというグリムは空を飛べるらしい。
魔女ならあり得るのか、そもそもそういうグリムなのか、魔女に対する情報を持っていないハクには判断がつかなかった。
「ついでですし手伝ってくださいよ」
「ついでって意味わかんないんだけど。そもそも手伝うって何を?」
「私たちを終点まで運ぶとかできないの?」
「無理言わないでよ。せいぜい持ててプラムと累くらいだって……いやプラムの中に全員包めば運べるかな? っていやいやいや、そんな疲れることしたくないし、無理無理それは無理だって」
ぶるぶると頭を振るスロージアに累が困ったように首をかしげて見せた。
どうしてもどうにもならないのか、という雰囲気にスロージアが少したじろぐが本当にどうしようもないらしい。
無理なものは無理と叫ばれてしまったのでこれ以上は頼めないようだ。
「そもそも私が手伝わなきゃいけない意味がわからないし」
「だって友達じゃないですか」
「友達だからってなんでもするわけじゃないでしょうが」
「え、手伝ってくれないの?」
「いや、だから、そのさ……累はその顔やめてよもう……」
奇妙な気分だった。
グリムは恐ろしいと思っているハクからするとグリムを生み出す魔女たちはその恐怖の根源だ。
しかしフィズとスロージアという魔女がこうして話しているのを見るとその怖さというものが垣間見えない。
かといってフィズに魅了されたことやスロージアの瞳を思い起こせば油断してはいけないということはわかる。
(だけどなんだろう。こういう姿だけを見れば、あまり悪い人たちに思えないような……)
目の前の光景はただの仲の良い友人同士の会話のように見えるし、比較すれば外にいる妖精たちのほうがよっぽど恐ろしい。
自分の胸の内に親近感のようなものが芽生えていることに、ハクは静かに動揺していた。
「ぬいぐるみでもなんでも奪い返したいならこの列車を動かせばいいじゃない。たぶん先頭まで行けば動かせると思うけど」
「なるほど。じゃあ一緒に行こう」
「だから私が行く必要あるそれ? 私は魔女なのよ?」
累がいよいよ何も言わずに「え? 来てくれないの?」みたいな顔をし始めた。
屍人形というだけあって無表情なグリムだなと思っていたが、こうしてみると意外と感情表現は豊かなのかもしれない。
もっともふつうの人に比べて表現が乏しいのは事実なのだが、それでもスロージアには何を言われているのかというのが十分に伝わっているようだ。
「ああもう! わかったわかった! ついてく! ついていけばいいんでしょ!? 特別だからね!」
「楽しそうだねぇスロちゃん」
「楽しくないわよ!」
とは言っているが楽しそうに見えるのは確かだ。
「しかし思わぬことになったもんだね」
「協会にどう報告するべきか悩むな」
「そっすよねぇ……」
ハクは詳しいことを知らないが、瀲の魔女が上野に出たという話だけは協会から聞いている。
いろいろと偉い人たちで方針について話していたらしいが、そこにまた瀲の魔女が出てきましたと報告したらいったいどうなるのか全く想像がつかない。
しかし偉い人たちが再び頭を悩ますことになるのだろうな、とハクはその報告を上げるギブソンとその会議に出席するであろうカザリを生暖かい目で見つめた。
特にカザリなんかはその未来を思い描いて憂鬱にでもなっているのかずいぶんと暗い顔だ。
「じゃあ頼もしい仲間も加わりましたし、さっさと先に進んじゃいましょうか」
「私がついてくのは特別なんだからね。本当に感謝しなさいよ」
「うん。ありがとう」
「……わかればいいのよ」
ふんとスロージアが再び顔をそらし、そのまま次の車両へと進んでいってしまった。
それに合わせるようにプラムという謎のグリムもずりずりと隣の車両へ移動していくので、ハクたちは外に追い出されないよう慌ててスロージアの後を追いかける。
車両間の移動もすべてプラムが覆って守ってくれているおかげで走る必要もなく、妖精たちの突撃はおろかほかのグリムによる攻撃すらこの膜ははじき返して見せた。
実際オーガがこぶしを振り回してきたときなどはまるで鋼鉄の壁を殴ったようにオーガのこぶしが砕かれ悲鳴を上げるほどで、いったいこのグリムは何なのかと驚くほかない。
「あれ。この車両は何もない」
「何の部屋ですかこれ?」
「私が知るわけないでしょ。こんなところまで普段こないし」
そうしていくつかの客室を通り過ぎてたどり着いたのは何もない空虚な部屋だ。
ほかの部屋のような調度品もなければ乗客もいないようで、妖精たちが入り込むような窓もない。
あるのは隣の車両への扉だけだ。
「まぁどうでもいいよ。さっさと次の部屋に――ってなに!?」
「しまったあの妖精どもこんな魔術まで!」
最後に聞こえたのはその言葉だけだった。
視界の暗転と静寂。そして気味の悪い浮遊感。
それらが一瞬のうちに行われ、ハクが次に気づいたのはどことも知れない花畑の中だった。
***
先ほどまであった窓も何もない地下室のような列車の一室から一変して、累の視界に広がっているのは赤い月を浮かべる湖畔だった。
周囲を見渡せば湖畔を彩るような青く淡い光を放つ木々に黄色を基調とした花々が咲くばかり。
あの巨大な列車と悪夢のようなグリム達の影はどこにも見当たらない。
「フィズ?」
呼べば必ず返事をするはずなのだが答える声はない。
景色が切り替わる直前にカザリが魔術だと叫んでいたが、それが正しいとなるとこれは瞬時にどこかに移動させられたということなのだろう。
とすると狩人たちもそうだが何よりフィズがどういった状況になっているかが気にかかる。
「フィズ!」
もう一度叫ぶ。
累の内心の焦りが出たように先ほどよりもその声は大きかった。
フィズが妖精やほかのグリムからそうやすやすと傷を負うなど考えられないが、離れたことで変に暴走しないかだけが心配だ。
「ここに飛ばされたのは俺たちだけのようだな」
期待していた声とは違ったが返事はあった。
視線を向ければ月明りに顔の傷跡を赤く照らされたギブソンが立っていた。
赤い月の下で出会うには恐ろしい顔の男だが、ひとまず一人ではないということには安心するべきだろう。
「ここがどこだかわかる?」
「いやわからんな」
お互いにあまり無駄口をたたくタイプではない。
どうしたものかと考え始めれば当然のように静寂があたりを包んだ。
「霊薬を使ってみる」
「グリムなのに霊薬を持っているのか?」
累はスカートをまくり上げて太ももにつけてあるポーチから一つの薬瓶を取り出した。
これだと言わんばかりに突き出したあたりで、仮にも男の前でスカートをめくるのはまずかったかと思ったものの、ギブソンはたいして気にしていないようだ。
(フィズがいたらまずかったかも)
ギブソンが不幸な目にあっていたかもしれないが今回はセーフだ。
それにここで変に反応されたら微妙に嫌な気持ちになっていたかもしれないので、ここにいた狩人がバナではなくてギブソンでよかったかもしれない。
「それは?」
「嗅覚を上げる」
「それなら俺も持っているが距離が離れすぎていたら使い物にならないぞ。第一何の匂いを追うつもりだ?」
「正確には霊薬じゃない。私専用の特別性。それに匂いも問題ない」
フィズは左腕の袖をめくりあげ、いつものように擬態を解いて薬瓶を腕へセットする。
初めて見たギブソンが驚いたように目を見開くが、いちいち説明するのも面倒なので特に何も言わない。
こういうときはギブソンがおしゃべりでなくてよかった。
「ちょっとまって」
これは過去に人狼から奪い取ったオドの塊だ。
使えばアルベルトと戦った時のように運動能力を上げることができるが、今回でいえば人狼の嗅覚を必要としている。
他のものに比べて希少なのであまり使いたくはないが出し惜しみするのは論外だ。
少し経てば自分の体に流れる煌血液が人狼のオドになじんでいくのを感じる。
そして集中すればなじみのある匂いをかすかに感じることもできた。
「いた。……でもこれはまずいかも」
「まずい?」
「その、フィズの匂いをたどったんだけど、近くであの時飲んだジュースの匂いがしてる」
「あの時の……」
ギブソンの顔色が変わる。
あのジュースを服にこぼしたのはたった一人しかいない。
「連れていってくれ。急ぎで頼む」
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