妖精⑩
累とフィズの姿が消えると残った三人の狩人のうち最初に声を発したのはギブソンだった。
「先に行ってくれ」
その一言で察したであろうカザリが何も言わずに壁の向こうへと消えていく。
残ったのはギブソンと落ち着きがなくその表情には不満さがありありと表れたハクの二人だ。
「どうし――っで!? いだだだ! いだいいだいっす!」
「目が覚めたか?」
「な、なにがっすか!? や、やめてほしいっす!」
しばらくそうしてギブソンはハクの頬を容赦なくねじり上げる。
一応先輩に手は出せないという気持ちがあるのか無理やり逃げようとはせず、涙目になりながらもこの急かつ理不尽な扱いにハクは耐えるばかりだ。
つまんでいる頬が赤くなり涙目が涙を流すくらいになったところでようやくギブソンはその手を放す。
痛みから解放されたハクは何が何だかわからずにひぃひぃとすすり泣くしかない。
「な、なんでこんなことするんすかぁ……」
「お前が魅了されているからだ」
「え?」
ハクの呆けた声に、気づいていなかったのかとギブソンは小さくため息を漏らす。
新人とはいえこれでは先が思いやられると言いたげな雰囲気だ。
「あのフィズという女はカンビオンだと事前に話しただろう」
「カンビオン……」
「サキュバスとインキュバスの混血児。人を魅了する怪物だ」
「あ、いや覚えてるっす! 覚えてるっすけど……自分、魅了されてたんすか?」
「美しい綺麗だと言葉にし、奴のそばにいたがる。そしてそれを邪魔されれば不満を表す。見ていればわかることだ」
「……全然気づかなかったっす」
そう指摘されてみればフィズが綺麗だと言わずにはいられない熱のような感情が確かにあり、できるだけ彼女のそばにいたいという気持ちにあふれ、それを止めたギブソンに対しては苛立ちをぶつけるところだった。
全く気付かなかったものの、こうして落ち着いて考えてみれば自分の行動に寒気を感じたのだろう。
ハクの小麦入りの肌が青白く染まっていく。
「あまり落ち込むな。ベテランの狩人が耐魅了用魔術具をつけても抗うことが難しい相手だ。新人のお前が魅了されるのも仕方がない」
「そうかもしれないっすけど……こんなあっさり魅了されるなんて」
「カザリの話では奴は普段から意図的に周囲を魅了しないよう抑えているらしい。だが今回は俺やお前がどの程度の狩人か試したんだろう。自己紹介の途中から精神にもやがかかるような感覚があったからな」
「え? それって先輩と自分を魅了しようとして、自分だけ魅了されたって話っすか?」
「そうなるな」
「そんなぁ……」
さっそく足を引っ張っているじゃないかと肩を落とすハクに対してギブソンは変わらず無表情のままだ。
しかし残った右目が困ったように周囲を見渡し、最後にはひどく落ち込んで地面に沈み込んでいきそうなハクへと落ち着く。
「お前は新人だ。失敗はできるうちにすればいい。それをフォローするために俺がいるんだからな」
「……はい。もう同じ失敗はしないっす……絶対にしないっす!」
「あまり気負うと失敗する。平常心だといつも言っているだろう」
「はい……すみません」
「まぁこの依頼中に限ってはもう魅了してくるようなことはないと思うがな」
「え? どうして?」
「協会と敵対するようなことは避けるだろう」
監視されている身でこれ以上妙な真似をすればたとえ依頼がうまくいったとしても協会からの印象は悪くなる。
ギブソンの見立てではハクの技量がどの程度かわかった時点で目的は達したはずで、フィズがこれ以上問題を起こすことは考えにくかった。
しかしながら相手がグリム、それも魔女である以上、狩人としては最悪を常に想定しなくてはならない。
「だがもしお前が魅了されて依頼を邪魔するようなことがあるとしたら、最悪殺すことになる」
ギブソンはどんな時でも声を荒げたりすることがない。
指導もねぎらいも常に淡々と話すだけだ。
だからこそギブソンがこうして告げる言葉は、自分が魅了されたら起こりえる未来なのだとハクはリアルに思い描くことができた。
「逆も然りだ。俺が魅了されるようなことがあれば、その始末をつけるのはお前の役目だ」
「え、そ、それは……」
だがこの言葉に対しては想像ができない。
自分を指導しあらゆるグリムを淡々と処理するこの狩人が魅了されるなんて未来が見えるはずがない。
想像したくないと言い換えてもいい。
「これも狩人の仕事だ。覚悟はしろ」
しかしその言葉が退路を塞ぐ。
これは狩人として生きていけるかどうかの分岐点なのだ。
自分の感情を優先して正しき判断から逃げるようでは狩人としての資格はない。
だがそうギブソンに促されてもハクには難しいことだった。
「お前が狩人として生きていくことに乗り気でないことは知っている」
「え!? いや、そんなことは……」
「自分が思っている以上にお前はわかりやすいぞ。本当はやめようと思っていたが、招待状が届いてやめるにやめられなくなったんだろう。せめて奪われたものを取り返してからやめようか、といったところか」
「う……でも、別にまだやめるって決めたわけじゃないっすよ……」
ギブソンに心の内を見透かされ、ハクは居心地が悪そうに顔をそむける。
これまで手取り足取り教えてくれた相手に狩人をやめたいですなんて言えるわけもなく、かといってこのまま狩人を続ける自信もなくどちらにしようかふらふらとしていたのだ。
結局ずるずると続けて今はここにいる。
「これから先も狩人として生きていくのか、それとも別の道を行くのかはお前次第だ。しかしこの依頼の最中は狩人として目の前のことに集中しろ。でないと死ぬことになる」
「……はい」
狩人として生きていくのは過酷なことだ。
肉体的にも精神的にも限界を試され、そして今回の依頼はこれまでのどの狩りよりも過酷なものになるのは確実だ。
そんな過酷な人生をこの先も歩むのかはまだ決めていないが、それでも一つの予感がハクにはあった。
この依頼が終わった時、それがどのような結果であれ、ギブソンとともに狩りを行うのはこれが最後になるだろうという予感が。
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