妖精⑥
今朝の大騒ぎに比べてしんと静まり返った店内で累はどうしたものかと腕を組んでいた。
というのも業務用冷蔵庫が壊れたので予定していた武具の修理に行けなくなり、フィズが「私に任せてください!」などと自信満々に言うものだから一抹の不安を抱えながら送り出したのも束の間、修理業者がやってくればあっという間に冷蔵庫は本来の機能を取り戻してくれた。
これならフィズと一緒に行けたのでは、と思いつつ冷蔵庫の中身を戻してみればやることがなくなってしまった。
「どうしようかな」
バーの営業開始まではかなり時間があるし、フィズが返ってくるのはもうしばらく先だろう。
修理をフィズに頼んだ手前、店の中でダラダラと過ごすのもなんだか申し訳ないのでひとまず掃除でもするかと累が準備を始めると、そのタイミングを見計らったように店の扉が開いた。
最近常連客が増えてはいるが、開店前に店の扉を開ける人物は限られている。
「久しぶり」
「ああ、久しぶり。開店前に悪いね」
カザリだ。
ずいぶん久しぶりに見るが少し疲れているように見える。
いつもの余裕のある態度が消え、張り詰めたように表情も硬い。
「依頼?」
「そうだね。フィズは?」
「出かけてる。もうしばらく戻ってこないと思う」
「ならフィズが返ってから話すよ。いつものことで申し訳ないんだが、結構面倒な依頼なんでね」
カザリは席に座ると頬杖をついて黙り込んだ。
いつもかけている眼鏡の奥の瞳は暗く、目元には薄くクマも見える。
普段ならば煙草を吸ったり酒を頼んだりするはずなのだがそれもない。
何かあったのだろうかと累が見ていると、不意にカザリの視線がこちらを向いた。
「フィズは買い出しかい?」
「武器の修理に新宿まで行ってる。冷蔵庫が壊れて困ってたらフィズが一人で行くって言ってくれたから」
「この辺りならともかく新宿を一人で歩かせるのは危なくないかい?」
言葉の内容だけならフィズを心配するようだが実際はその周りの人間を心配してるのだろう。
第一累もそれが気になって仕方がない。
「今は私もそう思ってる」
「我慢してくれないと困るけどね」
「出てく前に注意したから大丈夫……なはず」
イライラするからって知らない人に手を上げてはいけませんよ、と繰り返し注意したのでそこは信じたい。
まるで買い物に出かける子供を心配する親のようだったが、はらはらと落ち着けないのでその感覚は間違っていなかったのだろう。
「何か飲む? 奢るよ?」
何もしていないとフィズのことが気になって落ち着かないし、カザリはお疲れのようなので体を動かしがてらカクテルでも提供しようかと思ったのだが、カザリからするとその言葉は意外だったようで驚いたように目を見開いている。
普段バーの経営が、などとぼやいていたせいかもしれないが、最近は常連客も増えたおかげで少し余裕はあるのだ。
「いいのかい? なら任せるから頼むよ。累の酒を飲むのも久しぶりだ」
そう言ってカザリが嬉しそうにほほ笑む。
カザリが店にやってくるのは大抵が面倒な依頼の時なのだが、カザリ本人はカクテルをゆっくりと味わってくれるので累の中では好印象である。
この店に来る客の中でも上位にランク付けされる良客だ。
逆に低位にランク付けされているのはバナである。
来店頻度が高いので経営的には助かるのだが、来店中ずっと見つめてくるので居心地が悪いという理由からだ。
「どうぞ」
累がグラスに入れて差し出したのはコープスリバイバーだ。
以前フィズに出したものは№2だが今回は№4で、№2がジンベースのカクテルなのに対してこちらはブランデーベースである。
ブランデーと聞くとアルコールがきつく思えるが、レモンジュースとオレンジジュースをシェイクしているためほかのコープスリバイバーよりもフルーティーで飲みやすい。
酒に慣れている人からするとジュースのように思えるだろう。
「おいしいね。あんまりきついのを出されたらどうしようかと思ったんだけどこれは飲みやすい」
「季節のフルーツカクテルとかでもよかったんだけどね」
これを作った理由は名前の通りだ。
疲れ切ったように見えるカザリを甦らせる、とはいかないまでも手助けになればいいと思って提供している。
それに個人的に累はこのカクテルを気に入っていた。
その理由も名前なのだが、屍人形という死んだ存在である自分が「死者を蘇らせる」という意味を持つカクテルを作るのが面白くて好きなのだ。
それに一つの名前で複数の種類があるというのも気に入っている。
「疲れてる?」
「まぁ協会もいろいろあってね。私みたいな中間管理職は休む暇なしさ。おまけに今回の依頼も――」
「ただいまー! 累さぁ~ん!!」
「うッ――」
けたたましく扉が開く音と駆け寄る音、そして累の小さなうめき声が聞こえたと思ったらカザリの視界から累の姿は消えていた。
フィズにすっぽりと抱きしめられ、カザリから見えるのは懸命に動いている小さな手だけだ。
その手でばしばしと背中を叩くがフィズは一向に介さない。
頬ずりに髪や頭の匂いを嗅ぐ姿はまるで仕事疲れの会社員が帰るなり猫に抱き着いているようだ。
まるで猫吸いならぬ累吸いだろうか、猫――今回でいえば累だが――に嫌がられているあたりもそっくりである。
「疲れました~。危うく新宿を滅ぼすところでしたよ」
「冗談だろうけど笑えないね」
「ん? なんだカザリじゃないですか」
「……久しぶりだね」
カザリに注意が向いたおかげでようやく累はフィズの胸で圧死する危険性から逃れることができた。
フィズからするとなんかいるなくらいの感覚なのだろうが、カザリからすれば往来のど真ん中で痛めつけられた記憶があるので軽く身構えてしまうのは仕方ないだろう。
「武器は」
「大丈夫です。いつもどおりきれいに修理してもらいましたよ。あとで地下にしまっときますね」
「ありがと」
ぼさぼさになった髪を整えつつ、ひとまずフィズのお使いが無事に終わったことに累はほっと胸をなでおろした。
普段よりも離れていた時間が長かったせいか妙にくっついてくるのが邪魔くさいが、まぁこの程度のことは必要経費である。
以前のようにグリムに襲われたとか、新宿で暴走しなかったというのは素晴らしい成果だ。
危うく圧殺されかかったが、ここは褒めるべきだろうと累はいつものごとくフィズの頭を撫でておく。
「二人ともそろったし、依頼の話をしてもいいかい?」
「いいよ」
「また依頼ですか。もしかしてスロージアを殺してこいとか?」
フィズが口の端を吊り上げながらそう言うと、カザリは少しばかり眉をひそめた。
どうやらスロージアが全く関係ないというわけでもないらしい。
「そうなの?」
「いやその件は気にしなくていい。スロージアについては協会は手を出さないってことで意見が一致した。だから君たちに魔女狩りを依頼することもない」
それは累としてはありがたいことだった。
今では常連客にもなってしまった関係でスロージアを狩るというのはどうにも気分が乗らないし、そもそもスロージアとプラムに狩りに行くことはないと約束してしまったので依頼されたらどう断ろうかと考えていたのだ。
「なるほどそういう結果になったんですね。てっきり狩ってこいと言われるのかと思ってたんですけど」
「私も」
「……そう主張する狩人もいたが、一部を除いてほとんどの狩人は魔女狩りには反対だったさ。リスクが大きすぎるってね。バキシェにジンリー。二人の魔女を相手にしてるのにこれ以上増やせるかって、まぁ当たり前の反応だよ」
「ならどんな依頼? 面倒だって言ってたけど」
これ以上に面倒な話があるのかと不思議そうに累が問いかけると、カザリが頭痛を抑えるように片手で目元を抑えた。
どうやら本人も話すのが苦痛らしい。
「さっき言った通り日本協会本部としては魔女に手出し無用。これが結論だ。ただ魔女の存在を見過ごすことに反対する狩人ももちろんいる。君らと手を組んでいることにも納得していない奴らがね」
「まぁそうだろうね」
「いろいろ面倒な仕事を片付けてるのに信用されないって不思議な話ですね」
フィズは冗談っぽくそう言ってせせら笑った。
言った本人も不思議でもなんでもなく信用されないのは仕方ないと思っているのだろう。
累にしてもそうだ。
どれだけ協会に協力的な姿勢を見せても累とフィズはグリムであり、そんな自分らを狩人は決して信用しないだろうと考えている。
特にグリムに恨みを持つような狩人は。
「協会の狩人はグリムに恨みを持つ人間が多いからね。それでも人間を守ることが第一って考えからグリムと手を組むことだってある。エルフやドワーフから武具を手に入れたり、時にはゴブリンなんかから情報を仕入れることもあるからね。ただグリムは何であろうと狩るべきって考える奴らもいるのさ。そしてそういう考えの人間が権力を持っていると、協会の方針としては魔女と敵対しないと決めても、それに反対する人間の言葉を完全に無視するわけにもいかないのさ」
「つまり偉い人の中に私たちを嫌ってる人がいると」
「そういうこと」
カザリが大きなため息とともに椅子の背もたれに大きく寄りかかり、そのまま顔を天井に向けた。
依頼の話にも入らずにぼーっと黒い瞳が虚空を見つめている。
そういう姿を見ていると、なんだかだんだんと疲れているというよりもふてくされているというか単に嫌がっているというかそんな風に見えてくる。
累にとってカザリはキャリアウーマンというイメージがあったのでこういう姿は意外だ。
よほど今回の依頼が気に喰わないらしい。
「あー……まぁそういうわけで、グリム排斥派とか撲滅派とか言えばいいのかな。そういうやつらから君らに依頼が来てる。ある意味で踏み絵みたいなものだよ。君らがこの依頼をこなすならそれはそれでよし。拒否したり失敗するなら討伐するべきと声を上げることができる。そういうことだ」
「そんなに面倒なグリムなの?」
踏み絵というからには通常の狩人では対処しにくい案件なのだろう。
いったいどんな面倒なグリムを狩れと言われるのやらと累が多少身構えていると、カザリが顔を天井に向けたまま視線だけを二人に向けて口を小さく開いた。
「妖精だ」
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