妖精①
白神カザリはすっかりぬるくなったコーヒーを無理やり喉に流し込む。
ぬるく苦くそしてひどくまずい。
カザリの趣向から言えばココアやカフェラテなど甘味のあるものが好みなのだが、今求めているのは無理やりにでも眠気を退けるカフェインだ。
なので仕方なしにコーヒーを口にしているのだが、そのおかげもあって仕事はそろそろひと段落が付きそうだ。
「これで十分かねぇ」
がらんとした深夜のオフィスにカザリの疲れ切った声が響く。
パソコンのモニターに映っているのは先ほど作成したばかりの報告書だ。
累のようなフリーの狩人ならグリムを狩っておしまいなのだが、協会という組織に属するカザリはそうはいかない。
討伐されたグリムの詳細や被害報告に狩人への支払金の対応など事務的な手続きが山のようにある。
それでも通常ならば部下に仕事を投げることができるのでもう少し余裕があるのだが、今回の案件はさすがにそうはいかなかった。
「魔女か。どうするつもりなんだか」
突如日本に現れた瀲の魔女。
被害は一般人二名に狩人が一名。
軽微といえるが魔女が出たということ自体が大問題だ。
「今は暁に……燎の魔女で手いっぱいだろうに」
北アメリカを中心に活動している暁の魔女。
ヨーロッパを中心に活動している燎の魔女。
魔女のダンジョンからあふれ出るグリムの対応に、現地の協会は大変なことになっているらしい。
噂ではヨーロッパのいくつかの協会支部が狩人を複数名派遣し徒党を組んでダンジョン攻略に挑ませたらしいが、一人残らず惨殺された挙句に死体は協会に送り付けられ、好戦的で残虐性の高い燎の魔女に現地の狩人たちは震えあがっているという話だ。
北アメリカのほうでは狩人が返り討ちに会うだけでなく一般市民が多数行方不明になっており手が回らないという報告もある。
おかげでダンジョンから這い出るグリムの討伐ならばともかく、その根源である魔女の討伐は不可能に近いとのことだ。
そんなところに新しい魔女が現れたという情報が出れば、日本各地に散っていた協会の幹部たちがすぐさま緊急会議を開こうとするのも頷ける。
なにせ今度は日本でそういった被害が出るかもしれないのだから。
「まぁフィズが協会に来た時ほどじゃないけどさ」
あの時は本当に大変だった。
今考えてもよく話がまとまったと信じられない気分である。
そしてその奇跡的な関係は今も続き、その調整に自分は今も奔放していると思うとカザリはさらに肩が重くなる気分だった。
「さて」
とにもかくにも明日の緊急会議のための報告書作成は済んだ。
カザリは大きく伸びをすると立ち上がる。
固まり切った体がほぐされる心地よさと仕事を終えた解放感というのは素晴らしい。
「酒を飲んで帰りたいけど……」
以前は累のバーによってから帰ることもあったのだが、なり損ないの一件から行くのが憚られるようになってしまった。
普通に暮らしているように見えるとはいえフィズも魔女だ。
それを思い出させるような出来事のせいで安心して酒が飲める気はしない。
「我慢するか」
協会が表向きはただのシステム会社として入っているオフィスビルを出ると、夜の冷えた空気がカザリの肺を満たしていく。
駅までの道のりには同じく残業をしていたであろう人々の姿。
彼らを見ると、すぐそばに恐ろしい魔女や化け物がいることに気づかないというのはなんて幸せなのだろうと羨ましく思ってしまう。
「はっ」
いまさらそんなことを思って何になるだろうか。
自分を馬鹿にするように鼻で笑うと、カザリは駅の人込みの中へと消えていった。
そして翌日、カザリはいつものように満員電車に揺られて出社すると、自分のデスクから個人用のノートパソコンを手に取り役員フロアへと向かう。
「よっ。久しぶりカザリ」
会議室へ向かう途中で声をかけてきたのは今回集められた協会幹部の側近の一人だ。
腰元まで無造作に伸びきったブロンドヘアーに、目立つのは右目を覆うようにできた火傷の跡。
羽織っているジャケットはひっかき傷だらけで、シャツや穴あきだらけのジーンズには黒ずんだ血の跡が残っている。
たとえ火傷があっても身なりさえ気にすれば魅力的な女性であろうに、本人は全く興味がないらしい。
「なんだいその恰好……もう少し気を使ったほうがいいと思うけどねぇ」
「いや今朝まで狩りでさ。急いでこっちに向かってきたから着替える暇もなくて……ふぁ眠い」
大あくびする彼女を横目に会議室の扉を開けばすでに何人かは集まっているようだ。
会議室はすり鉢状でテーブルが大きな二重丸のようになっていて、中央のテーブルに座るのは幹部のみだ。
外縁のテーブルにはそれぞれ幹部が連れてきた側近や直系の弟子たちが座る形になっている。
カザリは自分の上司が座るであろうポジションの後ろの席に座り、昨日用意していた報告書を会議室のモニターに映す用意を始めた。
「カザリが報告すんの?」
「そうだよ。ってか君の席ここじゃないだろう」
「いいじゃんまだみんな来てないし」
「確かにまだ開始まで時間はあるけどさ、君の上司はもう席についているじゃないか」
「大丈夫だって。先生は私に甘いから」
先生と呼ばれた幹部の一人をちらりと見れば、なんだか寂しそうな顔だ。
久々に会う弟子と話がしたいのではないだろうか。
「寂しそうだけど」
「いいのいいの。ちょっと過保護なんだ」
まぁ本人がいいと言っているのだから仕方ない。
寂しそうな顔をしている妙齢の女性をなるべく視界へ入れないようにしつつカザリは準備を進める。
「で、何を狩ってきたって?」
「え?」
「え、じゃないよ。どうせ自慢したいんだろう? ブリスがそうやって話しかけてくるときはたいてい狩りの話がしたくてたまらないからだって知ってる」
「ははぁ、わかってたんだぁ。じゃあ話すとさ、今朝狩ったのはフィーンドなんだよね。それも熊と牡鹿の死骸がめちゃくちゃくにくっついてるやつでさ。綺麗だったなぁ」
フィーンドは悪霊に属するグリムだ。
本体は実態がなくそのままであれば特に害はないのだが、生き物の死体を見つけるとそれに憑依して動物や人間などを襲って喰らい始める。
憑依した骸を破壊すればフィーンドも除霊されるので、実体のない霊体がわざわざ倒されやすくなってくれたともいえるのだが、フィーンドの危険性は憑依したものに左右されるので注意が必要だ。
「なーんか熊と牡鹿がまとめて死んでたみたいで、そこにうまく憑依したっぽいんだよね。おかげで体はでかいし爪や牙に角まで生えててさ。ザクザクひっかかれちゃった」
ザクザクひっかかれた、というところを嬉しそうに語るのはよくわからないが、服が傷だらけなのは納得である。
もしかしたらマゾの気でもあるのかとカザリが不審がっている間もブリスの楽し気な狩りの話は続く。
「最後は首を切り落としたんだんだけど、その頭があまりにも立派でさ。つい嬉しくなっちゃって、報告窓口にわざわざ持ってっちゃったよ。いらないって怒られたけど」
「そりゃ昔ならともかく今じゃね。素材をとるならともかく、そうでないのに頭なんか渡されても困るだろうさ」
「だってこの驚きを誰かと共有したくてさ」
昔はグリム討伐の証拠に首を見せていたらしいが、今はスマートフォンがあるので写真を撮ってグリムの体の一部を渡せばいい。
果たして窓口担当の人間はその首をどう処理したのやら。
とはいえそれほどのグリムをさらりと話す程度の苦労で討伐できたというのは彼女の実力があってのことだ。
視線の端で妙齢の女性が嬉しそうに手を叩いているのは、よくやりましたということなのだろう。
そんな雑談をしているうちに会議に参加するメンバーは全員集まったようだ。
ブリスは眠そうにあくびをしながら本来の席に戻りカザリも準備万端。
カザリの目の前に座っているのは直属の上司でもあり、日本の協会に属する狩人の頂点に位置する存在だ。
彼は全員が出席していることを確認すると会議を始めるために口を開いた。
「さて、全員集まったようだし始めよう。まずは急な招集に応えてくれたことに感謝を。昼夜問わずグリム討伐に追われているところに申し訳ないのだが、すでに聞き及んでいる通り日本に新たな魔女が出現した。好戦的ではないとのことだが対応について意見を交わしたい」
同じテーブルに着いた四名の狩人を見まわしながら、日本協会本部長の山崎元はゆっくりと語る。
落ち着いたトーンの声と物腰柔らかな口調ではあるが、狩人一人一人を見つめる瞳は力強く今回の議題の重要性を感じさせた。
「白神君に今回の件について詳細をまとめてもらった。まずは彼女から報告を聞こう」
バトンが渡されたと判断したカザリは立ち上がると一礼をする。
この会議室に集められた面々は誰も彼もが一流の狩人であり、その視線を一心に受けるというのはまるで狩られる側のグリムのような居心地だ。
最も少し前であればカザリも委縮していたのだろうが、フィズの苛烈極まりない注意を受けた今ではさほどのこともない。
「では報告させていただきます」
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