瀲の魔女⑯
「フィズ、ちょっと買い出ししてきて。リストはスマホに送るから」
「はーいお任せください」
フィズが店から出ていくとバーの中はしんと静まり返る。
あのミュージアムの中と外で時間の流れがずれていたため帰ってきても外ではそれほど時間が経っていなかった。
そのためついでだからとフィズとあのあとに博物館へ立ち寄り、スロージアのミュージアム程ではないが見どころの多い博物館を一日ですべて回り切ることはできず、とはいえせっかくそこまで見たのだからと狩りは終わっているのに翌日も続きを見に博物館へ向かったのだ。
最終的に動物園に美術館に博物館と連日にわたって上野を楽しみすぎた累は気づけばバーを数日間休業していたことに気付き、慌てて翌日から店を再開させたもののしばらく休業していた影響なのか、少しは増えたお客たちもまた離れて行ってしまった。
もしかしたら閉店したと思われているかもしれない。
「はぁ」
今日も店を開けたというのに今のところお客はゼロ。
これがもう三日目だ。
自業自得とはいえさすがにこのままではまずいと思い、最終手段としてフィズを買い出しに行かせたのだ。
正直に言えばお客がいないので何か追加で買う必要もないのだが、フィズが外を歩くとそれにつられた人々がバーにふらふらと訪れることがある。
なんとも不健全な集客の仕方だが、四の五の言っている場合ではないのだ。
累が自分のプライドと店の経営を秤にかけて唸っていると、来店を知らせる鐘の音が小さく鳴り響く。
待ちに待ったお客が来たと累が表情明るく顔を上げれば、そこにいたのはあの細くて折れそうな狩人だった。
「本当にバーをやってるんだ」
「いらっしゃいませ」
あまりこういう場所に慣れていないのか、落ち着きなさげにバナは店内を見渡し、そして累をちらちらと見る。
髪だったり耳だったり手先だったり瞳だったり、本人はばれていないと思っているだろうが胸元に視線が来ているのも累はわかっている。
(警戒されてる? でもまぁグリムがバーテンダーをやってたら不思議にも思うか)
自分も逆の立場だったら失礼だと思ってもじろじろ見てしまうかもしれない。
そう納得して累はバナに話しかける。
「ご注文は?」
「あ、えっと、そうだな……メニューみたいなのは……」
「うちのバーは置いてない。季節のフルーツを使った限定カクテルだけその黒板に書いてるけど、それ以外は言ってくれれば作る」
「あ、そうなんだ。そうかメニューはないのか。勉強しとけばよかったな。えっとちょっとごめん。少し待ってくれ。えっと、どうしようかな」
バーにはメニューがない場合もある。
原料費の変動で値段を書き換えるのが面倒とかカクテルの種類が豊富で書ききれないなど店によって理由はあるが、累がメニューを用意していないのはお酒をあまり知らない人でもおいしく飲めるようにするためだ。
例えばメニューを置いておくとお客はその中から自由に選べるが、酒は種類が多く初心者ではどれがどういう味で度数が高いのか低いのか、飲みやすいのか飲みにくいのかわからない。
名前のイメージだけで頼んだら期待していたのと違った、度数が高すぎて悪酔いした、なんてことにもなりかねない。
「飲みたいイメージを言ってくれれば作る。すっきりしたのがいいとか、甘いのがいいとか。好きなウィスキーやワインがあるならそれも出せる」
だから累はこうしてお客に話を聞いて好みに合わせたカクテルを作るようにしている。
これもバーテンダーの基本的な仕事の一つだ。
最もメニューがないせいでハードルを高く感じる人もいるので一長一短なのだが、累としては来てくれた人には満足してほしいのでこういう形にしていた。
「そういうのでもいいんだ。じゃあどうしようかな。うーん、そうだ。僕のイメージに合うようなカクテルは出せるかな?」
「わかった」
と即答したもののどうしたものか。
無理ですとはバーテンダーのプライドからして決して言えないのだが、そもそもバナのことはこの間一緒に依頼を受けただけでほとんど知らない。
ぱっと思い浮かんだのがビジューというカクテルなのだが、その理由はカクテル言葉が「視線を感じて」なのだ。
(さっきじろじろ見られたから浮かんじゃったけど、理由を聞かれたら困るな)
視線を感じたからです、とはとても言えない。
というか今もブロンドの瞳が食い入るように見つめているのもよくない。
それしか連想できないくらいに視線がしつこいのだ。
ちょっとは遠慮して視線をずらしたりしてくれないのだろうか。
(あ、ちょうどいいのがある)
遠慮のない視線に少しイラっとしたが、奇跡的にバナに出すにはぴったりのカクテルが思い浮かんだ。
というかバナというよりも狩人にちょうどいいのだが。
「どうぞ」
「これはカクテルだよね。僕は詳しくないんだけど、なんて名前?」
「ハンター。狩人にはピッタリでしょ」
「へぇ、ハンターか。なるほど。そんなぴったりのカクテルがあるなんてすごいな。さっそくいただくよ」
ハンターはウィスキーとチェリーリキュールだけで作られるシンプルなカクテルだ。
ここまでの話でバナはあまり酒に詳しくなく飲む機会も少ないように思えたので、累はチェリーリキュールを少し多めにして甘口に仕上げている。
酒に慣れていないなら甘口のほうが飲みやすいからだ。
「うん、甘くておいしいよ。それに香りがいい。普段酒は飲まないんだけど、これなら僕でも味わって飲めそうだ」
満足してくれたようで何よりだ。
ちなみにカクテル言葉は「予期せぬ出来事」「都会の夜を狩る」というものだ。
それから考えるにハンターという意味はバナのような狩人のことではなく恋愛方面の狩人のことだと思われるが、累は言わずに黙っていた。
言ってもおそらく彼は幸せにならないからだ。
「来てくれると思わなかった」
「いや、その、名刺をもらったから」
そういえば渡していたなと累は思い出した。
あのミュージアムから出る少し前、アルベルトが店に来てくれたことを思い出してせっかくだからとその場にいた全員に名刺を渡して宣伝したのだ。
こういう地道な宣伝が店の経営を救うかもと思ったのだが、今思えば助けられた子供にまで配っていたのはやりすぎだったかもしれない。
「こういう場所は来たことがないんだけどいい機会だったし、また話もしてみたかったから。あぁその変な意味ではなくこの間の依頼の件でちょっと話しておきたいこともあって。ほらあの時は僕が失礼なことをしたと思って……悪かった。それと助けてくれてありがとう」
「気にしないでいい。私とフィズはグリムだし、信用できないって言葉は間違ってない」
フィズとスロージアの喧嘩もあったしバナが怒るのも無理はない。
それにバナを助けたのもそうするのが普通だと思っただけで、特別なことではないと累は思っている。
助けられたから助けた。
もし助ける力がなかったら助けなかった。
それだけのことだ。
「その言葉は本当に悪かったと思ってるんだ。グリムも悪い奴らばかりじゃないって頭では理解していたんだけど、あの時は冷静さを失っていてついあんなことを言ってしまった。君みたいに優しくて綺麗なグリムがいるって知った今は、本当にあの時の自分を恥ずかしく思うよ」
「優しいとは違う気もするけど、あと綺麗は関係ないと思う」
「え!? そんなこと言ってたかな!? あ、いや、うん、とにかくグリムに関する見方が少し変わったって言いたかったんだ。そう。そういうこと。特に変な意味はないから気にしないでほしい」
バナは焦ったようにグラスを傾けのどを潤す。
お酒のせいかな、口が滑ったな、などと小さくぶつぶつ呟くのは出会ったころと一緒だ。
「そういえばあの人たちはどうなった?」
「え?」
「ほら子供とおじいさん」
「あぁ助けた人たちなら子供は協会が引き取ったよ。グリムの被害にあった孤児たちを保護する施設があるからね。あの子たちがどうするかはわからないけど、もし狩人になりたいってことなら協会が専門の学校に通わせてくれる」
「狩人の学校があるの?」
「最近できたんだ。昔は徒弟制度みたいなものだったけど、それだと狩人の人口は増えないからって先生――僕の師匠が中心になって作ったんだ。協会の幹部も関わってる」
カザリは協会の内情を自分からは話さないし、累も特別興味があったわけでもないので聞かなかったが、協会はいろいろとやっているんだなと少し感心した。
その学校でどんな授業をしているのか気になるので機会があればカザリに聞いてみてもいいかもしれない。
「老人のほうはグリムに関する説明をして、口外を防ぐ魔術を受け入れてもらった。今はもう自宅へ戻っているよ」
「ふーん」
あの老人も不思議な存在だったが今はもうグリムとは関係のない世界に戻ったらしい。
それはそれでよいことだ。
幸せな余生を送ってほしいと思う。
「あの、ところでちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
グラスに少し残ったカクテルを一気に飲み干し、バナはゴクリと喉を鳴らしてから意を決したように口を開いた。
「こ、ここに定期的に来てもいいかな? 同じ狩人としていろいろと情報交換がしたいし、ほらこのお酒も気に入ったから」
「いいよ」
「ほんとうに!」
「いいよ。お客が少ないからむしろ助かる」
よかったぁ、と安堵の息がバナの口からこぼれる。
なんでそこまでと累は不思議に思ったが、とにかく常連になってくれるならありがたい。
断る理由もないし問題ないだろう、と思ったところで一つ不安がよぎった。
「この店であの臭い球は投げないでね」
今日はたまたまいないので問題ないが、フィズがいるときに来店してまた魅了されたといって悪臭をばらまかれても困る。
そんな警戒するような類の視線にバナは不気味な――おそらく本人にとっては満面の――笑顔で応えて見せた。
「大丈夫。確かに彼女には魅了されかけたことがあったけど、なぜだかあの依頼の終わりくらいから何も感じなくなったんだ。理由はわからないんだけど、とにかくこの店であんなことはしないさ」
「そうなんだ」
最初は魅了の効果があったのに今は効果がないなんて、そんなことがあり得るのだろうか。
バナ本人も不思議に思っているみたいだが、フィズのことを一番よく知っている累からするとそれは本当に信じられないことだ。
(フィズと同じくらいオドの多い魔女ならともかくバナは人間だしなぁ。誰かに先に魅了されたのかな。誰だろ)
誰かに先に魅了されていたなら理解できるが、あんな戦闘中にフィズ以外の誰がバナを魅了したのか。
累にはさっぱりわからないので、まぁ店に迷惑が掛からないならいいかと考えるのをやめることにした。
「じゃあ今日はこのくらいで帰るよ。また明日来るから」
「明日」
思ったよりも早い。
別に構わないが思ったよりも早い。
「それじゃまた」
そうしてバナが似合わない笑みを浮かべて去って行ってから数分後、再び来店の鐘の音が響く。
フィズが帰ってきたのかと視線を向ければ予想していなかったお客が二人。
「ふーん。ここがあんたの店ねぇ。いいんじゃないの?」
「大人っぽい……どうしようスロちゃん、プラムちょっと緊張してきちゃった」
それはスロージアとプラムの二人組だった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




