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瀲の魔女⑭

バナのブロンドの瞳には、迫りくる炎がとてつもなく遅く見えた。

命の危機が迫っているというのに、肌に感じる熱さに暖炉の前で寝ころんだ子供の頃を思い出してしまう。

まだ何も知らずにいられた幸せな日々。

優しい両親と勝気で少し意地悪な姉と楽しくも騒がしく過ごした懐かしい日々のことを。

けれどその幸せな思い出も、少し掘り起こせば悲しみに染められてしまう。


別れは突然だった。

バナは家族でよくキャンプをしたのだが、その日は親に内緒で夜遅くに姉とテントから抜け出し、遮る高層ビルも邪魔な街の光もない満天の星空を眺めに行ったのだ。

そうして満足して姉とテントに戻ろうとして、そこでグリムと出会った。


そこから詳しいことは覚えていない。

けれど駆け付けた両親が自分たちを庇って喰われ、そのグリムは狩人によって討たれ、両親と狩人のおかげで自分と姉は生き残ったということだけをバナは覚えている。

それからの日々はどこか色の薄れた世界だった。

幸運だったのは姉がいたことと、助けてくれた狩人が子供を放っておける人間ではなかったということ。

姉と二人で縋り付くようにして頼み込めば、狩人は不承不承ながらも狩人して生きていくすべを教えてくれた。


そうして色の薄れた世界で姉と二人、グリムを狩り続けた。


(……これは、走馬灯だろうか)


仮にそうなのだとしたらこの後自分は死ぬのだろうか、とバナは少し怖くなる。

助けた子供たちがどうなるかも心配だ。

それに何より、たった一人置いて行ってしまう姉に申し訳ない。


(悲しませてしまうな)


何か助かるための方法があった気がするのだが、親を失った子供の姿が自分に重なって冷静ではいられなかった。

悔しい。

もっと自分に力があればと思う。


(強ければ、こんなところで死ななくて済んだのに……悔しいな)


眼前の炎も動き出した。

どうやら走馬灯ももう終わりらしい。

そして自分の人生も、とバナはゆっくりと瞳を閉じる。


(さよなら。ごめん……姉さん)


だが瞳を閉じきる寸前、暗い影が彼の前に立った。

そして――


「うわッ!?」


強い衝撃とわずかな熱風。


「え? そんなに……熱くない?」


目の前に少女が立っている。

小柄で無表情で声も小さい、人形のような女の子。

彼女がドラゴンの燃え盛る炎を防いでいた。


「君は、どうして――」


そのどうしてには二つの意味が込められていた。

どうして助けてくれたのか。

どうして無事でいられるのか。

それを理解したのかはわからないが、少女はバナに視線を移して小さく呟く。


「前にもそんな質問されたな……なんて答えたっけ」


彼女が何かを思い出そうと首をひねると、耳についたいくつものピアスが炎の明かりを反射する。

なぜだかバナは視界が一段クリアになったように感じた。

色の薄まったこの世界に誰かが一滴色を落としたように。


「狩人だから。そう。そう答えたんだった」


思い出せたことがうれしいのか、彼女はほんの少し微笑んだ。

不思議なことになぜかまた色が足された。

世界が明るくなるたびにバナの胸には妙な痛みが走る。


「それに私はグリム相手のほうが強いから」

「累さんこれ!」


ドラゴンの息吹が収まり、潮風がバナの頬を撫でる。

まるで何事もなかったかのようだが、眼前のドラゴンはまだ健在なので夢ではない。

だからこそ自分がどうして生きていられたのかわからない。

そしてその炎が収まったタイミングでフィズから投げ放たれたのは、累の身長を超える細くて長い棒のようなもの。


(あれは……刀?)


正確には刀身が二メートルを超える野太刀だ。

累はそれを鞘から抜き放つと刃に指を這わせる。


属性付与(エンチャント)


累の白い指が刃の上を滑るようにして移動すると、その部分から炎が燃え盛る。

まるでドラゴンの炎が刃に凝縮されたような凄まじい業火。

バナは自分の細剣に炎精霊から作り出した霊薬を垂らして属性を付与していたが、今見ているものはそれと似ているようでまったく別物だ。


「よし」


そう呟くと、累ははじかれたようにドラゴンへと駆け出した。

片方のドラゴンが威嚇するように咆哮を上げながら鋭い前爪を累へと向ける。

そしてそれを見た累が肩に担いだ野太刀を振り下ろし――


「ギャアアアアアアアア」


ドラゴンの前腕が切り落とされた。


「嘘だろ……」


とてつもなく貴重なドラゴンの血液を雨のように浴びながら、バナは呆けたように言葉を漏らす。

ドラゴンの鱗はとてつもなく強靭だ。

それに単に頑丈なだけでなく魔術的な守りも備えている。

たとえ近代兵器を使ったとしても魔術を含まない弾丸ではドラゴンに傷一つ付けられず、仮に魔術の守りを突破しても鱗と肉を貫く威力を出すのは不可能に違いない。


だが今目の前で起きているのはその不可能が可能になった光景だ。

そして累は振り下ろした野太刀を反転し、ドラゴンの首めがけて振り上げた。

ドラゴンの苦痛に満ちた咆哮が止み、その巨体は糸が切れた操り人形のように地面へと転がる。

少し遅れて頭部が地面に落ちた。


屍となったドラゴンとその血を浴びて佇む累。

何が起きているんだとバナは叫びたかったが、累はその時間も与えてくれずに残ったもう一体のドラゴンへと迫った。

伝説であり神話に語られる偉大なグリム。

それを屠ったという雰囲気を微塵も感じさせない累の態度はどこか恐ろしささえ感じられる。

恐怖か興奮か、バナはぶるりと自分の体が震えるのを感じた。


「ガァッ!」


ドラゴンが空高く羽ばたき上空から炎を累めがけて吐き出す。

空に飛ばれてしまえばどうにもできない。

それどころかそもそもあの炎をどう防ぐのか。


その答えは累が左手を迫りくる炎に向けたことで分かった。


「炎が吸い込まれてる?」


わずかな熱風を残すばかりでドラゴンの炎はすべて累の左手へと吸い込まれていく。

そしてドラゴンが炎を吐くのをやめれば、変わらずそこに累が立っているのだ。

伝説のグリムには申し訳ないが、バナにはドラゴンの気持ちが手に取るように分かった。


どうして――と。


「空か」


累は手に持っていた野太刀を放り投げ、代わりにホルスターに収めていた拳銃を手に取った。

拳銃といっても通常の大きさをはるかに超える単発式の大型拳銃である。

そして左手に握ったのはその弾薬だろう。


属性付与(エンチャント)


たとえ威力の高い大口径の銃であろうとドラゴンの鱗を貫通できるわけがない。

それは不可能だ。

しかしその不可能はすでに先の一体で否定されている。


累は赤く光る弾丸を装填し、そして空高く舞いこちらを睥睨するドラゴンへ向けて引き金を引いた。

弾丸が走った軌跡は紅のラインを描き、そしてドラゴンの胸へと食い込む。


「終わり」


累が勝利を告げるのと、巨大な炸裂音と業火がドラゴンの胸にぽっかりと穴を開けるのはほぼ同時だった。

空から力なく落ちていく伝説の成れの果ては、海面に巨大な水柱を立てその姿を水底へと沈めていく。

残ったのは赤く染まった海原だけだ。

読んでいただきありがとうございます。

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