瀲の魔女⑨
累が最初に思ったのはずいぶんと瘦せた男だなということ。
そして次に思ったのは――
「あれいない?」
思ったことが口に出たのだが、その瞬間に累は体をひねると同時に思いっきりフィズを蹴り飛ばしていた。
ぐえっという言葉が聞こえるが今は無視。
フィズが背負っていたバックパックから手斧を引きずり出すと、視界を高速で移動していた無礼者めがけて思いっきりその手斧を叩きつけた。
「おっと?」
甲高い金属音が響き、引きずり出されたように男が再び現れる。
「斧?」
「いきなり何するんですかぁ!」
「何って、君らグリムだろう。狩人の敵じゃないか。しかも僕を魅了しようとしてる」
「まぁ……言ってることは間違ってない。けど敵じゃない。私も狩人」
累の言葉に男が血色の薄い唇をへの字に曲げる。
だが話を聞く気はあるのか、すぐさま襲ってくるという風でもない。
なんか最近狩人に襲われてばかりだなと思いつつ、累は協会に依頼されたこと、このミュージアムに狩人や迷い込んだ人々がいることを知ったこと、魔女のダンジョンだからさっさと抜け出したほうがいいということを伝えた。
「協会に協力的なグリムがいるのは知っているけど、まさか魔女とそのパートナーまで協会にいるとは思わなかったな。秘密にされてたんだろうか。まぁそうじゃないと過激な人もいるから大騒ぎになるか。けど魔女と手を組むなんて。敵対するより手を組んだほうが得って判断か。さっきの狩人もどきが増えてる協会じゃ敵は少なく、味方は多いほうがいい。上層部もそういう風に考えたのかな。先生は知ってるだろうから教えてほしかったけど。ブリスも知ってるんだろうか。嫌だな僕だけ仲間外れにされていたら」
長身痩躯の男は視線を天井にさまよわせたり落ち込んだように床を見つめたりしながらぶつぶつとしゃべり続けている。
話を聞いて敵ではないというのは納得したのか武器は下げているものの、自分の世界に入り込んでいるようでどうにも話しかけにくい。
おまけにこの薄暗い通路で痩せた男がふらふらとしながら独り言を延々と続ける様はホラーだ。
累とフィズはこの不気味な男をどうしたものかと顔を見合わせるほかない。
「独り言が長いね」
「やせっぽちの生白い男がうつろに独り言しゃべってる姿って気味悪いですね。いきなり襲われたことを含めると第一印象は最悪です」
「フィズが第一印象よかった人いるの?」
「あれ、考えてみると累さんだけですね」
「そうだろうね。まぁこの人の第一印象が最悪ってのはわかるけど」
暗い夜道で出会ったら通報されても文句は言えないほどの挙動不審さだ。
まぁこんな仕事だからどこか精神がおかしくなっても仕方ないか、などと累が考えている合間も男の独り言は続いている。
「狩人もどきのことを馬鹿にしていたけど、僕の後に追加で狩人が派遣されたということは僕も信用されてないのか? 狩人もどきと一緒に簡単に負けるような奴だと思われてる? 嫌だな。なんでそんなことになってるんだ。グリムを見つけたから後を追うって報告したのに。そんなに弱そうに見えるんだろうか。ブリスだったら問題なかったのかな。比較すれば僕のほうが弱く見えるのは認めるけど嫌だな。帰ったら協会に文句を言おう。そうしよう」
「……納得した?」
男の独り言がひと段落したあたりで話しかけてみれば虚空を眺めていた眼がようやく累たちを捕えた。
そしてごそごそと何か小さな丸い団子のようなものを取り出したと思うと、累たちに向けてそれを指ではじく。
はてこれはなんだろうか。
そんな風にその団子のようなものを見つめていた累と男の中間でそれが破裂したと思うと、とてつもない悪臭が三人を襲った。
「くっさ! はぁ!? やだ! え!? なんなの!!」
混乱するフィズと。
「うぁ……おぇッ……」
吐き気を我慢する累と。
「くさい。最悪だ」
天井を見上げる男の三者三様だ。
「どういうつもりですか!? やる気ならぶちのめしますよ!? 累さんが!!」
「私か」
「やる気はないよ。グリムとはいえ狩人なら協力しよう。僕の一撃を防いだんだし狩人としての腕前も十分だと思う」
「じゃあなんですかこれ!? 初対面の女性二人にひどいんじゃないですか! 累さんに匂いが染みついたりしたらどうするんですか! そうなったら匂いがなくなるまでお風呂場で洗いっこしますけど! 裸ですみずみまで洗って綺麗にしますけど! それはそれでちょっと楽しみですけど!」
「洗われるのか……」
ちょっと嫌だなと累は思った。
特にフィズがその状況を想像して興奮しているのが嫌だ。
「いや君らは女性じゃなくてグリムだろう。魅了してくるから正気を取り戻すために使ったんだよ。まだたくさんあるから魅了してくるならたくさん投げるけど」
「やめて。さっき説明したけど、フィズは別に意図して魅了してるわけじゃないから。むしろ抑えてるくらいだから」
「そうなの?」
「そうですよ。なんで汚臭を振りまくような男を魅了せにゃならんのですか」
「……なるほど。そういうことならしょうがない。少し距離を置いてなるべく君を見ないようにしよう。それでもだめだったらこれを定期的に投げることにする」
「まだ投げる可能性があるんだ……。フィズ、どうにかならないの?」
「こればっかりはどうにもならないって累さん知ってるじゃないですか」
「大丈夫。匂いは一時的ですぐ消える」
一瞬フィズが残念そうな顔を見せたのを累は見逃さなかった。
たぶん家に帰って洗う気満々だったのだろう。
「狩人で屍人形の累に魔女のフィズ。しばらくよろしく。僕はバナだ」
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