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なり損ない①

東京駅から山手線を利用して約二十分ほどのところにある五反田駅。

駅の東口には繁華街が広がり、夜間は酔ったサラリーマンや終電を乗り過ごした若者たちがカラオケの空き室を探して闊歩している。

対して西口は交通の利便性がよいこともあってオフィスなどが多く立ち並んでいた。そこの従業員が夜間に東の繁華街へと一斉に流れていくのはさながらサバンナの草食獣の大移動のようにも見える。


そんな五反田駅の西口から横断歩道を渡って少しした場所にある細い裏路地、その一角に小さなバーがあった。

繁華街が真逆にあることや路地からへこんだ奥まった場所にあるせいでわかりにくいのだろう。

路地自体はサラリーマン向けの飲食店が並んでいるため活気はそれなりにあるのだが、そのバーは切り離されたように静かだ。


バーの名前は「Grimms Line」。

店内は打ちっぱなしのコンクリートでできた床に五人ほどしか座れないバーカウンターと小さめのテーブル席が二つ。

明かりが乏しく寒々しさを感じさせる作りだが、店を訪れる客はこの静寂と孤独感を好むものもそこそこいる。

数少ない客の約二割ほどだろうか。

では残りの八割の客は何目当てかというと、酒や雰囲気ではなくこの店にたった二人しかいない従業員目当てである。


バーカウンターの中では一人目の従業員でありこの店のマスターでもある菫野累(すみれのるい)が背を丸めながら両手で握ったスマートフォンを難しい顔で凝視している。

切れ長の瞳に長いまつげ。耳にはいくつものピアスで穴が開いており、その耳が見えるようにと髪はショートストレート。

おまけに髪を下ろして一見わからないようにしているが、その髪をかき上げればサイドとバックは刈り上げられているという女性にしてはなかなか刺激的な外見をしている。

ただ累としてはあまりそういったものを大げさにさらすのはどうかというところもあり、ぱっと見で耳以外は普通のショートカットの女性に見えるようにと工夫していた。

とはいえ髪の裏側を名字になぞらえて菫色に染めていたり、外見に比べて背丈が成人女性の平均身長よりも低く小柄であることなどもあって、本人が思っている以上に人の目を引いていたりもする。

累目当ての客がこれまた約二割、残りの六割は今ここにいないもう一人の従業員目当てだ。


「遅い……なんでだ。またなんか変なことに巻き込まれてるんじゃ……」


暗色のアイシャドウを引いた目元に皺を寄せ、口から出る言葉は少しばかりの苛立ちが混じっている。

外見に比べて声が小さく覇気がないのはバーテンダーという客商売では致命的にも思えるが、この小動物のような弱弱しさとは裏腹な外見に惹かれる奇特な者もそこそこにいる。

それが先ほどの二割の客層である。


「そんなに遠くないんだけど」


買い出しを頼んでからすでに一時間以上。

移動時間等を考慮しても想定よりずいぶんオーバーしているが、そもそもがそんなに大した買い物でもないのだ。

たまに客がアイスを食べたいというものだから冷凍庫にはバニラアイスが常備されているのだが、今日はたまたまストックがなかったので開店前に買ってくるよう頼んだだけである。

コンビニエンスストアで買えるようなものなのでここまで時間がかかるのはどう考えてもおかしい上に、何度か電話をかけているのに反応もない。

普段ならワンコールもしないうちに飛び出るというのに今回に限っては全くの無反応。


「絶対面倒ごとだな」


累は諦めたような覚悟を決めたような顔を浮かべると、日本人らしからぬ菫色の瞳を天井に向けて一息つく。

マスターである累を除けばこの店唯一の従業員であるフィズはトラブルメイカーもしくはトラブル集積装置とでもいうべき問題児だ。

原因が本人にあるわけではないのだが、そういう面倒ごとを引き寄せてしまう呪いのようなものを生まれつき背負っているのでことあるごとに問題が起きる。

そうしてその問題を解決するために奔放するのが累なのだ。

台風の目よりも周りの被害が大きいというやつである。


「今日もダメか。残念、無念。お客がどんどん減る。やばい」


軽くため息をついてから入口へと向かい、店のドアに「Close」と書かれた看板を下げる。

定休日ではないがここ最近は店が開いているほうが珍しいのでいまさら文句は言われないだろう。

とはいえそんな調子だからいつまでたっても客が増えないのだが。


改めてバーカウンターに戻って準備をするのはシェイカーとカクテル・グラス。

フィズはたいてい大慌てのパニック状態で帰ってくるので、何かしら飲ませて落ち着いてからでないと話にならないからだ。

ちなみにフィズはアルコールに非常に強いのでカクテル一杯で酔いつぶれるようなことはない。

累も飲んでいる間は問題ないのだが、翌日に堤防が決壊するがごとくトイレへこもることになるので、あんまり飲みすぎないようにする必要がある。

お酒が好きなだけにこの体質はちょっと恨めしかった。


「お、帰ってきた」


扉の向こうで駆け足が聞こえたので、累はシェイカーにジンとリレ・ブランに加えてオレンジリキュールとレモンジュース、それにハーブなどの薬草風味で癖の強いアブサンと呼ばれるリキュールを少量入れてシェイクを始める。

シェイカーの中で小気味よい音を立てて混ざり合う液体とは真逆に、けたたましい音を立ててドアを開けたのは予想通りの人物である。

腰元まで伸びた白髪は所々がはねた癖のある毛で、ぜぇぜぇと息を切らすたびに店内の明かりを反射するよう煌めいた。

累をとらえる瞳は静かな湖畔を連想させる深い蒼。

そして見る人を文字通り魅了させて止まない美しくも愛らしい顔立ち。

フィズは片手にぶら下げたビニール袋を振り回すようにバーカウンターに近づくと、青い瞳に涙を蓄えて累へと抱き着いた。


「累さぁぁああん! またなんか変なのに襲われましてぇ! ぎゅっと抱きしめてくださぁい!! 黒くてすばしっこくてとても気持ち悪いんです!! 夏場に出る例のアレみたいに!!」

「やっぱり。これ飲んで落ち着け」


累とは真逆にフィズは高身長で、抱き着かれるとすっぽりと覆われる上に足がほんのり地面から浮いてしまう。

抱き着かれる前に準備をしておいてよかったと思いつつ、カクテル・グラスに注いだのはコープスリバイバーと呼ばれるカクテルだ。

コープスリバイバーはレシピが四種類あるのだが、今回は№2と呼ばれるものでアルコール度数は三十度を超える。

レモンジュースやアブサンによって清涼感のある爽やかな味わいのため度数に比べて飲みやすいが、逆に飲みやすいがゆえに調子に乗って何杯も飲むと気づいた時にはべろんべろんに酔っていた、なんてこともなくはない。

全力ダッシュをしてきたであろう人間に出すものではないのだが、フィズがこの程度で酔わないことを累はよく知っていた。


「はぁ~おいしい。やっぱり累さんのお酒は格別ですね」

「褒められるのはうれしい。もう一杯あげる」

「わーい。累さんとデートすると別のお店でお酒飲んだりしますけど、累さんが作ってくれたのと比べるとやっぱ違うんですよねー。料理のおいしさの秘訣は愛情っていうし、カクテルも愛情だと思うんですよ。累さんの私への愛がカクテルをおいしくしてくれてるんですね」

「愛は別に味に関係ない」

「そういう冷めたこと今言います?」

「おいしいのは私の腕。愛は、関係ない」

「でも累さん私のこと好きでしょう?」

「それはそれ。これはこれ。それにフィズの作ったご飯はまずいよ」

「……」

「すごくまずい」

「強調しなくていいですって」


静かになったので先ほどの件を聞いてみるかと累はフィズに話を振ってみる。

すると早くも空になったグラスの淵を指でいじりながら、フィズはいかにも疲れたといった体で口を開いた。


「そうですよぉ……早く累さんのところに帰ろうと思ったら急に襲われて。振り切って逃げようとしたんですけど私って運動神経ないじゃないですかぁ……」

「電話にでなかった」

「いやそれがどっかにスマホを落としたみたいで……累さんの写真がいっぱい入ってたのに……うわぁーんそっちのほうがショックですぅ!」

「よしよし。今度交番で落とし物を聞いてみよう」


ちょっとかわいそうになったので頭を撫でてやるとにへにへと笑みを浮かべる。

体格の差があるので何ともミスマッチだ。


「それで外見は? なにか特徴とか」

「うーん……この青い瞳でとらえた感じ、四足歩行でしたね。最初犬かなーと思って近づいたんですよ。コンビニで買ったチーズちくわもあったし食べるかなーって。でも近づいたら同じ四足歩行生物でも全然似てないし気持ち悪い感じで、こうなんというか、骨と皮! 俺お前食べる! ぎゃわーって感じの流れです」

「わかんない。説明下手。あとチーズちくわは買い物リストに入ってない。犬にも上げないほうがいいと思う」

「フィーリングで生きてますので。ちくわはお酒のアテです」


いい顔で答えられても中身が伴っていないので格好良くない。

とくにチーズちくわをもぐもぐしながらでは。


「撫でるの終わり」


すっと頭から手を離すとああっとフィズの情けない声が静かなバーに響く。

とはいえ穴だらけで情報不足のフィズの話でもなんとなく累には心当たりのあるグリムがいた。

脳裏にその姿を浮かべたのとほぼ同タイミングで、来店を知らせる小さな鐘の音が店内に鳴り響く。

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