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プロローグ

美しくなりたい。

ただその一心でそれは生き続けてきた。

彼女と呼ぶべきなのだろうが、人から見れば怪物でしかない。

極端な前屈姿勢に背骨は折曲がり、それでも背丈は二メートルを超える。

瞳は複眼であり、首をしきりにひねる所作も含めれば蠅そのものだ。

極めつけはねじれ曲がった巨大な鉤鼻。


それはハグと呼ばれる怪物である。

鬼婆や老魔女とも呼ばれる魔術を行使し人を喰らう化け物。


そんな醜い怪物が美しくなりたいなどと考えているとはだれも予想だにしないだろう。

最も彼女の姿を見たものはひとり残らずその腹に収まったか彼女の美を保つ装飾品や化粧品となったため、彼女が一人静かに山中の洞窟に潜んでいることは誰にも知られていない。

同類のハグが人の血肉を味わうのを最も優先しているのに対し、彼女の関心は自分が美しくなることだけだ。

そのおかげか同類が狩人と呼ばれる野蛮な輩にその醜い首を切り落とされて晒される中、彼女だけは百年以上もひっそりと生き続けた。

時折迷い込んだ人間が彼女の美容品になる程度で、同類たちに比べれば狩人の目に留まるほどのことではない。


だから安心して研究を続けていられる。


美しくなるためには肌の血色を良くしなければならない。

故に若い人間の血を肌へ端正に塗り込んだ。

美しくなるためには黒檀のようにな艶やかな黒髪が必要だ。

故に若い女の頭皮を髪の毛ごと剥がし、それをいくつも繋いで出来上がった鬘は自慢の一品だ。

美しくなるためには笑顔を魅力的に見せる白い歯が重要だ。

故に人間の骨と毛で歯ブラシを作って毎日の手入れは欠かさない。

美しくなるためには自分をより魅力的に見せるアクセサリーと服も必要である。

故に人間の瞳を綺麗にくり抜き首飾りに、骨と剥いだ皮でドレスを作って着飾った。


外の世界のことなどまるで知らないが、彼女は自分こそが世界で一番美しいと信じて疑わない。

時折迷い込む人間が彼女の姿を見るなり悲鳴を上げるが、真の美とは恐ろしさをも感じさせるものだ。

現に今も彼女の前に一人の女がへたり込んで悲鳴を上げている。

いつものことだと彼女が枯れ枝のような指を女に向けて一振りすれば、女は目を見開いたまま寝転がり動かなくなった。

美容品を作るには生きたまま鮮度よく捌くのがポイントなのだ、と彼女は考えているのでそうむやみに殺したりはしない。

今のは簡単な麻痺の魔術だ。

もっとも麻痺といっても動けないだけで触覚と痛覚はある。

女性からするとことさらの恐怖だろう。


そんな声ならぬ悲鳴に気づかぬまま、最近は美容品の補充が多くて助かるな、と口の端を釣り上げたところで彼女はふと疑問に思った。

そう、以前に比べると迷い込む人間が多くなってきているのだ。

最近ではひと月と経たぬうちに素材がやってくる。

それはそれで喜ばしいのだが、いったい何があったのだろうか。


ここで同類のハグであったなら危機感を覚えたのかもしれない。

人を喰らうということは天敵に気づかれるリスクが増えることだと。

しかし彼女は気づかない。

長い間危険などとは無縁の生活を続けてきたことと、一度としてその天敵と会ったことがない彼女は自分を狙う存在がいることなど考えもつかない。

彼女がその天敵に気づかれなかったのは、ひとえに目立たなかっただけのこと。


ここに住み始めて数百年――もうその安全は破られていることに彼女は気が付いていなかった。


森林に張った結界が新たな侵入者を検知した。

なんだまた素材が迷い込んだか、と彼女は転がった最初の素材を担いで歩き始める。

しかもこの反応からすると二人。

今日だけで三人も確保するなんて、大盤振る舞いもいいところだ。

三人もいるならば少しくらいは贅沢をしてみてもいいかもしれない。

生き血で泉を作って体ごと浸かってみるのはどうだろうか。


「ひひひ」


思わず嗤い声が溢れる。

そうして足取り軽く獲物のもとへと向かった彼女はそれを見た。


最初の印象は白い女と黒い女、次に大きい女と小さい女、続いて笑っている女と無表情の女、そして危険な女と危険な女、最後に感じたのは美しい女と美しい女。

印象がめぐるましく変わり、最後は臓腑が体から抜け落ち地面に零れ落ちたような感覚だった。


――あの女たちを、羨ましいと思っている?


白髪で背が高く、微笑みを浮かべる女。

正確には微笑んでいるわけではない。

あれはこちらを明確に嘲笑っていた。

そしてその笑みに思わず羞恥を感じてしまうほど、劣等感を感じるほど、あの女は美しかった。


黒髪で背が低く、感情を見せずにこちらを見ている女。

不気味なほど生きている気配が感じられない。

作り物めいた気配だが、それゆえの美しさがある。

あの輝く黒髪を見れば自分の鬘のなんと滑稽で、あの無感情な眼差しで見つめられれば自分の着飾った姿はなんと無様なのか。


初めての嫉妬、羞恥、憧れ、そして恐怖。


そんな感情の中において、ハグとしての、怪物としての本能が囁いている。

あれは人間ではない。

人間のように見えるがあれは自分と同じ側、つまりは怪物なのだと。


「意外とすぐ見つかりましたね。もっと累さんとハイキングを楽しんでもよかったんですけど」


白い女が不満を訴えるようにわざとらしく口を突き出す。


「ハイキングというか、山登り。暗くなる前に見つかってよかった」


黒い女は相手の態度を意に介さず、白い女へと手を突き出す。

白い女は嬉しそうにいそいそと担いでいたバックパックを下ろすと、そこから引き出した手斧を黒い女へと手渡した。


その光景を見ながら彼女はぶるりと体を震わせた。

背筋に冷たいものを感じたからだ。

遠目でもよくわかるほどにあの斧は使い込まれている。

彼女が素材を捌くのに利用しているナイフと同じようなものだろう。

であればあの斧は何のために使われるのか?


黒い女が草花を踏みしめながらこちらへと急ぐ様子もなく近づいてくる。

それが不気味で仕方ない。

普段出会った人間たちが見せる恐怖の視線もなければ、時折出会う熊や野犬の敵意や殺意とも違う。


「ち、近づくんじゃぁない!」


しわがれた声で警告を発したが、黒い女は歩みを止めない。

しかし彼女自身も言っておきながら当たり前だろうとも思った。

なにせ仮に自分が素材どもに同じことを言われたところで何も感じないだろう。

つまりあの女もそう感じているのだ。


これから殺す相手と話をする必要などないと。


「ひぃぁ!」


悲鳴か雄たけびか自身でもわからぬまま、彼女は麻痺の魔術を行使する。

しかし女の歩みは止まらない。

もはや魔術が無効化されたことに驚きはないが焦りは別だ。

すでにお互いの距離は五メートもない。

どうにかしなければと狼狽えながら、彼女は自分の支配下にある草木へ命令する。

あの女を縛り上げろと。


「……ん」


女から不満そうな声が漏れた。

鞭のように木々がしなり、草花は蜘蛛の巣のように女の足を絡めとった。

あの斧で軽く払われるのではと懸念していたが、思っていたよりもあっさりと黒い女の歩みが止まったことに安堵の息が漏れる。


「フィズ?」

「はい」

「魔術は止めるって言ってなかった?」

「はい」

「なにこれ」


黒い女が木々に手足をからめとられたままぐるりと目線だけを横にずらすと、いつの間にか白い女が黒い女の隣に立っている。

しかもあれは何だろうか。

助けに来たのかと思いきや四角い板を黒い女に向けている。

白い女が嬉しそうに板をたたくたびにカシャカシャっと聞き覚えのない音が静かな森に響いた。


「いや止めようと思ったんですけど累さんのこういう姿もまた貴重だなと思って、これでまたコレクションが増えますね」

「怒るよ」

「もうちょっと! もうちょっとまってください!」

「早く」

「あ~縛られてる累さんも素敵ですよ~」

「早く」


カシャシャシャシャシャと連続で音が響くなか、嬉しそうな白い女に対して黒い女は無表情ではあるが瞳がだんだんと細くなっていく。

対して魔術を行使した本人はというと、しばらく眼前の奇行に呆気にとられていたものの動けないなら好都合だと背を向けて走り出した。

片方を捕えているのだからそのまま絞め殺してしまえばとも思ったものの、明らかにあの二人は危険だ。

さっさと逃げて姿をくらましまたどこかで落ち着いて研究を続ければいい。


「なんだ……?」


走り出してしばらくし、彼女は異変に気付いた。

あのカシャカシャという妙な音がまだ聞こえる。

それどころか女たちの掛け合いもまだ聞こえるのだ。

振り向けば最初の位置から距離がまるで変っていない。


「な……なに? どうして?」


また走り出すが周囲の景色が変わらない。

あの音と声も近いままだ。


「さて満足」

「早く」

「はいはい――ぬわっ!」


息を切らせながら振り向けば、解放された黒い女が白い女の頭を容赦なくはたいているところだった。

なぜまだこんなに近いのか。

なぜ逃げられないのか。

そしてなぜあの女は自由になっているのか。

走ったせいかあるいは恐怖なのか、じっとりとした汗が顔中に噴き出て止まらない。


「じゃあ終わらせようか」

「よ、よせ! 近づくなぁ!」


担いでいた素材を投げつける。

しかし躱される。

魔術を行使する。

しかし歩みは止まらない。

悲鳴を上げて走り出す。

しかし先ほど同様に逃げられず、背中に鋭い痛みが走った。


「ぎゃぁあ!」


痛みに悶えて地面を転がり、そして黒い女に胸を踏みつけられる。

その華奢で小柄な体とは思えないほどの力にうめき声が漏れ、身動き一つとれはしない。

彼女にできるのは頭上に振り上げられた斧が、いつ落ちてくるのかという恐怖に耐えることだけ。

視界の端で白い女がにんまりとした笑みを浮かべながらまた四角い板をこちらに向けているのが見える。


「こ、殺すのか? どうして……?」

「仕事だから」


それは彼女が求めた答えではなかったが、それ以上の質問はできなかった。

一瞬の衝撃と目まぐるしく変わる視界。

視線の先で身動きしない自分の体を見たとき、彼女は首がはねられたのだと理解した。

徐々に意識が消え去り視界も黒く染まっていく中、彼女が最後に見た景色は白い女が四角い板を黒い女に見せているところだ。

その四角い板に映っているのは、汗と涙に塗れ、恐怖に歪んだ顔の醜い怪物と、それを打倒した美しい黒髪の女。


(……ああ、なんてひどい。あんなに醜いと知って、いたら……洞窟から、出たり、しなかった……のに――)

読んでいただきありがとうございます。

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