瀲の魔女①
シェイカーの小気味いい音が静かな店内に響いている。
今日のバー「Grimms Line」のお客様は二名でカップルのようだ。
これまでにここを訪れたカップルはどちらかがフィズに魅了されて散々な結果になることがあったのだが、今回のカップルは珍しくお互いに夢中なようで、バーカウンターの端で甘い空気を醸し出し、はたから聞くと体がむずかゆくなるような愛の言葉を互いに囁きあっている。
「ライラです」
累がグラスに注いで男性のカウンターに置いたのはウォッカをベースにコアントロー、ライムジュースとともにシェイクしたカクテルだ。
ほぼウォッカで作られているため度数が高く飲む人を選ぶカクテルでもある。
ちなみにカクテル言葉というものがあるのだが、ライラは「今、君を想う」である。
対して女性が口にしているのはカクテルではなく白ワインだ。
といっても通常の白ワインとは違い、酒精強化ワインと呼ばれる度数の高いワインである。
その中でも世界三大酒精強化ワインに入るシェリー酒と呼ばれるものであり、こちらのカクテル言葉は「今夜はあなたにすべてを捧げます」だったりする。
カクテル言葉を知っている累からすると偶然ではないだろうな、と思いつつ久々にバーテンダーの仕事ができて満足だった。
しかしながらフィズは違うようである。
「累さん、私たちも負けてられませんよ」
「何が」
「あんなこれ見よがしにイチャイチャして! 私たちのほうがもっと愛し合ってるのに!」
とてつもなく悔しがっている。
仕事中にイラつくことはあってもこれだけ悔しがるフィズは見たことがない。
新鮮な気持ちになるものの、店員が客に対抗心を燃やしてどうするのか。
しかもイチャイチャで負けたくないなどと。
「私だって累さんのことをいつも想って、今夜に限らず毎日すべてを捧げるのに……!」
「いや、仕事中」
「わかってますけど、こんな目の前であんなイチャイチャと……私たちのほうがもっとイチャイチャできますよ!」
「どういう対抗心?」
フィズの熱に気圧されそうになるが、店員がいきなり目の前でイチャつき始めたら客はどう思うだろうか。
ガールズバーと勘違いされることもあるのにそんなことを始めたら確実にこの店は健全なバーではなくなってしまう。
どう取り繕ってもまともな店だとは思ってもらえないだろう。
「仕事」
「あうっ!」
見えないところでフィズの足を踏んづけて正気を取り戻させる。
痛みからかちょっと落ち着いたフィズだが、目にうっすら涙を浮かべて肩を震わせているのは痛みからではないだろう。
(……そんなに悔しいのか)
フィズ目当ての客がちょっかいかけてくるのも面倒だが、今回も別の意味で面倒だ。
仕方ないので累は新しいカクテルを作り始める。
どうせ客は愛の固有空間にどっぷりつかっているカップル二人だけなので、店員の一人が酒を飲んでも気づかないに違いない。
ちょっと作るのが面倒なカクテルだが、今作るならこれかなと思ってフィズに差し出したのはフローズンマルガリータである。
フローズンとあるように通常のマルガリータをシャーベット状にしたカクテルだ。
すっきりとした味わいとシャーベットの清涼感が、頭の熱くなっているフィズにはちょうどいいに違いない。
それにカクテル言葉もぴったりだろう。
「累さん!」
ぱぁっと瞳を輝かせ、フィズは累をぎゅっと抱きしめた。
(結局イチャついている気がする……)
カップルは自分の世界に入っているし誰も見てないからいいかと思ったところで、バーに新しい客が訪れた。
なぜこのタイミングでと累が慌ててフィズから離れようともがくがもはや手遅れであり、入ってきた客の呆れたような声が店内に響く。
「おいおい何だこの店はよ」
声の主は少し前に殺し合いをしたばかりの老狩人だった。




