天使⑩
「魔女がお嫌いですか? 嫌ならば断わって頂いてもよかったのに。その場合はおとなしく身を引きました」
「リスクよりもメリットのほうが大きい。そう判断したからよ。でしょう?」
「まぁ、お前の言う通りだな」
「なるほど。私がお支払する報酬に加えて天使のネームバリューですね。確かに天使の討伐経験がある狩人というのは珍しいですし、フリーの狩人ともなれば依頼が増加するのは間違いありません」
「それだけじゃないわ。暁の魔女と接点ができるというのも大きな点なのよ。今回みたいに大きな案件が舞い込んでくるかもしれないのだから。ね? ブロンクス」
バレンシアがブロンクスの顔を覗き込んでいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
久々の狩りだからか、少しばかりテンションが高い。
「ジンリー様との繋がりですか。それは確かに報酬の一つとも取れますね」
「気に食わないか?」
「いえ。構いません。ジンリー様は気になさらないでしょうし、あの方は才能ある人間が好きですから。今後も貴方がたに依頼できるような案件があれば相談させていただきます。とはいえそれはこの狩りが成功したらの話ですが」
「ちょっと~いつまで話してんの~? さっさと先に進もうよ~」
子供にはつまらない話だったようでチチが三人よりもだいぶ先へ進んで声を上げている。
もう少し緊張感を持ってほしいところだが、いまさらそんなことをチチに期待したところで無駄なのでブロンクスは黙って彼女のもとへと歩み寄った。
「何か気になるところはあるか?」
「んーなんか変な感じはするかな」
チチは周囲に視線を巡らせて首をわずかにかしげる。
彼女は子供だがそれを補って余りあるほどの戦闘能力に加えて鋭い感性もある。
何か変だというのならばこの場所には気を付けたほうがいいということに違いない。
「バックを中心にバレンシアとチチが前で俺が最後尾だ」
「畏まりました。皆さんよろしくお願いいたします」
「うん。任せて~」
チチが気合いに満ちた声を出して一人先へ駆けていく。
先走らせるのは危険だが一人でも何かあれば何とかして帰ってくるだろうという信頼はあるので、バレンシアやブロンクスたちがそのあとを慌てて追いかけるようなことはない。
むしろいつ天使に襲われても問題ないようバックを守ることに集中している。
「久しぶりの狩りはどうだ」
「まだ天使と出会ってもいないんだからよくわからないわよ」
後ろから見ていればせわしなく周囲を気にしているのがよくわかる。
以前であればもう少し余裕があったはずだが、そこはやはり現場を離れた弊害というものだろう。
しかしバレンシアであればすぐに昔の勘を取り戻すのは間違いない。
「それでも緊張しているのはわかる。もう少し力を抜け」
「アドバイスどうもありがとう。新人の子たちにもそうやってアドバイスしてあげたら?」
癇に障ったらしく少しとげのある雰囲気でそう言われてしまった。
ユーリがいればここらで場を和ませる発言をしてくれるのだろうが、生憎と気の利いた言葉が見つからないブロンクスは黙り込んだままだ。
そんな風に黙り込んだブロンクスから返事がいまだにないことにバツが悪くなったのか、今度はバレンシアが少し気を使ったように声を投げかけてきた。
「冗談よ。別に貴方の言ったことは間違いじゃないし静かにならないで。ちょっと癇に障って私の言い方が嫌味っぽくなっただけ」
「いや、別にお前の発言は気にしていない。新人にアドバイスをしろというのも最もだからな。ただ……」
「ただ?」
「少しユーリに頼りすぎていたなと思っただけだ」
「……そうかもしれないわね。彼だったらさっきみたいに貴方が黙り込んだらフォローしてくれたもの」
組織では仕事ができるからいいというわけでもない。
人と人を繋げるムードメーカーも必要なのだ。
そういう点でユーリはヘルメスには欠かせない人物であり、そういったことを苦手とするブロンクスが頼りにしていた男だった。
「確かユーリさんと言えばブロンクスさんの右腕と呼ばれる方でしたね」
「ああ」
「今回の依頼には不参加なのですか?」
「別の依頼で死んだ」
一瞬の静寂。
そしてバックは実にグリムらしくない、人間が訃報を聞いたときに浮かべる取り繕った表情で僅かに頭を下げた。
「それはとても残念なことです。失——」
「魔女に殺されたんだよね~」
「チチ!」
先を進んでいたチチが髪を撫でながらあっけらかんと言い放つ。
だがこちらを振り向いた彼女の瞳は空虚で陰鬱なものに満ちていた。
「屍の魔女だよ。知ってる?」
チチの問いかけにああなるほど、とバックは納得したような様子を見せた。
「魔女との繋がりが欲しいというのはこれが理由ですか。屍の魔女に関する情報が欲しいのですね?」
「それだけが理由ではないがな」
「嘘つき。ブロンクスが仇を討ちに魔女へ会いに行ったの知ってるんだから」
「お前は勘違いしているな。アレは屍の魔女とそのパートナーで狩人だというグリムが気になっただけだ」
「私も一緒に行けば絶対殺せたのに」
「ならお前を連れて行かなくて正解だったな」
不貞腐れたようなチチにブロンクスはどうしたものかと少し惑う。
ブロンクスも魔女たちに恨みがないと言えば嘘になるが、それを理由に復讐しようとは思わない。
「相手はグリムだが狩人でもある。お互い依頼を受け、それを全うしただけだ。であれば敗北したユーリたちの落ち度であって復讐なんてのはお門違いもいいところだ」
「でも向こうはグリムじゃん!」
「グリムでもだ。それにただのグリムではない。日本の協会と関係を構築した狩人でもある」
「そんなのおかしい!」
「そうね。チチの言いたいこともわかるわ。グリムでありながら狩人というのはかなりおかしな話だもの。それに魔女のパートナーだなんてね」
「でしょう!?」
「でもグリムであっても狩人には違いないわ。協会からも認められて実際に依頼を受けてほかのグリムを狩っているわけだし、そして狩人同士の争いは負けたほうが悪いというのは私たちの世界じゃ常識よ。きっとユーリだってそんな復讐考えるなって言うと思うわ」
バレンシアの言葉にチチが顔を俯け頬を膨らませる。
あからさまに納得がいっていないとわかる顔だ。
「そう不貞腐れるな。どうしても復讐したいというのなら、もうすでにそれは終わった。一番の元凶はすでに始末したからな」
「ブロンクスはそれで満足でも私は嫌なの!」
「チチさんはお二人と仲が良かったのですか?」
バックが話の流れを逸らすようにそう問いかけた。
意図してのことなのかは知らないが、この話題から抜け出したいブロンクスとしてはありがたい。
「確かにチチは二人と仲は良かったな。だろう?」
「……うん。ユーリはお兄ちゃんみたいだったんだ。私の言うことは何でも聞いてくれたし、欲しいものは何でもくれたし」
「ユーリは甘やかしすぎなのよ」
「チチが我儘に育った原因の一つだな」
決して教育に良いとは言えない甘やかしぶりだったが、そういったこともあってチチが一番懐いていたのはユーリだったかもしれない。
対してレナーテはどうなのだろうか。
「レナーテはね~妹みたいな感じだったな~」
「妹? 姉じゃないのか?」
「え~ブロンクス知らないの? ああ見えてレナーテはズボラなんだよ? 朝は寝坊するし部屋は汚いし服もいつも同じの着ようとするし」
「そうなのか。知らなかったな」
ブロンクスからするとレナーテは狩りの技量は一級品でチームの指揮もできる優秀な人材だ。
てきぱきと依頼をこなす彼女の姿を見ているのでそんな一面など想像もできない。
「レナーテは仕事とプライベートをきっちり分けるタイプなのよ。ブロンクスの前だとプロフェッショナルって感じかもしれないけど、私やチチの前だと結構抜けているところが多かったわ。だからチチが朝起こしたり部屋を掃除したりしていてね」
「そうそう。本当に手間のかかる妹だったんだよ~」
「自分の部屋は掃除しないくせにレナーテの部屋は掃除するのか」
「お姉さんぶりたい年ごろなのよ」
随分と年の離れた妹もいたものだ。
かつての仲間の一面というものを知ると、今更ながらに頬が僅かにほころぶ。
しかし寂寥感が同時に胸を襲い、それに潰されたようにチチが鼻をすすった。
「ユーリとレナーテに会いたいな……」
それに対してかけられる言葉はない。
そして同時にこういう時にこそ雰囲気を変えられるユーリのような人間が欲しいとついブロンクスでさえ思ってしまうのだ。
二人を失った喪失感というものはチチだけでなく、ブロンクスやバレンシアもいまだに埋まっていない。
「ええと、分かれ道が多いわね」
話の流れを変えようとバレンシアが不器用に口を開いた。
それがあまりにも無理やりで少しおかしかったのか、チチが眼を赤くしながらもくすくすと笑う。
「迷路みたいだよね~道覚えてる?」
「メモしてるから問題ないわ。チチは覚えてるの?」
「当然! こういうのはゲームでもやったことあるんだ~」
得意げにこれまでの道のりを語って見せるチチを見ながら、ブロンクスは内心でこの場所の広さに辟易していた。
これまで何度か分かれ道を曲がり、そのたびにマッピングしながら先へと進んできたのだがいまだに全体像も出口も見えてこない。
「それよりバレンシアは大丈夫なの? 久々じゃない? こんなに歩いたの」
「ありがとう。でも大丈夫よ。むしろ久々に歩いて気持ちがいいくらいだから」
「あの、気になっていたんですが、バレンシアさんは華奢な割にずいぶんと武骨な武器を使われるんですね」
バックがずっと気になっていたことをようやく聞けたと安堵したように問いかけてきた。
その視線の先はバレンシアが肩に担いだ巨大な戦斧であり、グリムであるということもあるのか、バックは近寄りがたいものを見るような眼で少し距離をとっていた。
「意外かもしれないがヘルメスの中で最も腕力があるのはバレンシアだ。その戦斧も枯れ枝を振り回すように使う」
「枯れ枝って、そこまで軽いとは思わないけど……まぁ、でも間違ってもないかしら」
「誇張表現ではないだろう。お前が前に素手でオーガの首をもぎ取ったのはヘルメス古参メンバーのトラウマだからな」
「え? そんな恐ろしいことを……?」
「そうだよ~? しばらくバレンシアがオーガって呼ばれるようになって、調子に乗って呼びまくったユーリがひっぱたかれて入院したんだから!」
あれはユーリが悪いとはいえ平手一発であれほど人が吹き飛ぶとはとても現実とは思えなかった。
あの騒ぎからオーガは禁句となりしばらくしてバレンシアも前線を退いたので今のメンバーのほとんどは知らないだろう。
「それはなんとも凄まじい……」
「恥ずかしいので昔の話は止めましょうね」
頬を赤らめてバレンシアが曲がり角を曲がり、そこで表情を変えて全員に足を止めるよう合図を出した。
「どうしたの?」
「見て。あれは……ミノタウロスかしら? こっちに気付いてるみたい」
バレンシアの言葉通り通路の先にはミノタウロスがいた。
それも五体も。
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