天使⑧
「その可能性はあるんじゃないかな。聖域の入り口がギリシャに関連していて迷宮もあるのに、ラビリンスじゃないってこと逆にある? まぁ天使って言ってもグリムがこれだけの迷宮を造ったってのはちょっと信じがたいけど」
「オドが多いグリムなら迷宮を作ることもあり得ないわけじゃないかもね。そもそもデイジーの事前情報じゃ天使は複数いるんだろう? だったら手分けして造ったってことも考えられる」
「別に天使がここを造ったかどうかはどうでもいいけどさ、その天使をどうやって探し出すかを考えないとダメじゃん?」
「それはそうだ」
「でしょ?」
デイジーの言っていることは間違っていないのでギブソンもそう言って頷いて見せる。
意見があったことに少しばかり安堵したようだが、それでも隠し切れない不安を表情に見せながらデイジーは話の根幹へと足を踏み入れた。
「でさ、優秀な狩人のみんなはどうやって天使を探すつもりなわけ?」
「天使がどこにいるかはわからないが、まずはこの迷宮から脱出することだな。聖域に入ってすぐに迷宮ということは先に進ませたくない意図があるのだろう。であれば迷宮を攻略できればその先に天使がいるはずだ」
「なるほど。それは確かにそうかも」
うんうんと納得できる答えにデイジーは少しばかり笑みを見せる。
延々と迷路を歩かされて気が滅入っていたのだろうが、希望の見える言葉で前向きになったのか、次に口を開いたときは先ほどよりも声に張りがあった。
「よし。じゃあこの迷宮からどうやってでるのよ。もちろんあるんだよね? 脱出法がさ」
「今の状況ではだいぶ難しいな」
「は? 難しいって……」
先ほどから一転してデイジーの顔が曇ってその場に足を止めたため、彼女に合わせて全員がその場で立ち止まった。
カザリもギブソン同様にギリシャ神話になぞらえてこの迷宮の脱出法を考えていたのだが、ギブソンの言う通りここからの脱出はかなり難しいと言わざるを得ない。
バナも同じ結論なのか三人そろって顔色は良くなかった。
最もカザリ以外の二人はもともと顔色が悪いのだが。
「ラビリンスからの脱出法は二つあるんだよ。けどこれがどう頑張っても一つ目は絶対に無理でねぇ」
「な、なんでよ」
「ダイダロスが必要なのさ」
「ダイダロスってさっき話に出てきたラビリンスを造った人?」
「そう。この迷宮から抜け出すことができたのは二人いて、そのうちの一人がダイダロスなんだよ」
そこでデイジーが首を傾げた。
何かおかしなことを言っていないか、と。
「ん? よくわかんないんだけど、自分で造った迷宮に入ったの?」
「ミノス王の怒りを買って迷宮に幽閉されたんだよ。というわけで哀れなダイダロスは自分で造った迷宮から抜け出せなくなったわけだ。しかしそこは名工ダイダロス。彼は自分の知恵と技術をフルに使って人工の翼を作成し、見事この高い壁を乗り越え迷宮の外へと飛び去ったというわけ」
「めちゃくちゃすごいじゃんダイダロス……ってか無理じゃんそんなの! 人口の翼って何それ!?」
「だから無理だって言ったじゃないか」
余談ではあるが、その際ダイダロスと共に迷宮から飛び立ったのがかの有名なイカロスである。
彼は父親であるダイダロスと異なり太陽に近づき過ぎたせいで墜落死してしまったので迷宮からの脱出という意味では失敗している。
「で、でもさっき二人この迷宮から脱出できたって言ったよね? ってことは別の脱出法があるんでしょ?」
「それは——」
「その前にデイジーはさ、この迷宮がどうして造られたか知ってる?」
話に割り込んだのはブリスだ。
獲物をいたぶって喜んでいるような、そんな趣味の悪い笑みを浮かべてデイジーを見つめている。
「え、どうしてって、それはさっき言ってたじゃない。王様に命じられたからでしょ?」
「違う違う。どうしてミノス王はそんな命令をしたかってこと」
その理由は知らないのだろう。
デイジーはブリスの問いに答えられずに沈黙し、静かに彼女が口を開くのを待った。
「答えはね、この迷宮に怪物を閉じ込めるため」
「怪物?」
「そう。実はミノス王が海神ポセイドンを怒らせてね。その罰としてミノス王の妻であるパシパエが呪われてしまうの。この呪いがおかし——いや、ひどいものでさぁ。なんとパシパエは人間ではなく牡牛に欲情するようになってしまうわけ」
え、というデイジーの顔にブリスは満面の笑みを向ける。
笑う所でもないし、その話の結末を知っているギブソンやバナは苦い顔をしていた。
きっと自分も同じ顔をしているのだろうなとカザリは片手で口元を隠す。
「まぁそのあとはまたダイダロスが出てきたりしてなんやかんやがあるんだけど、結局のところパシパエは牛との間に子供ができるんだよ。そりゃ牛に欲情する呪いなんだからそうなるよね。で、そうして生まれたのが頭は牛に体は人間の怪物。あの有名なミノタウロスさ」
「ミノタウロス……え、じゃあこの迷宮に閉じ込められた怪物って」
「そうミノタウロスだよ。ミノス王がこんな怪物人目に晒せないってここに閉じ込めたんだ。そしてミノタウロスの餌として人間がこの迷宮に送られラビリンスは血に染まった。まぁ一応怪物でも立場的には妻の息子ってことになるから殺すことはできなかったのかもね。ろくでもない話だけどさ」
「……あのさ、ミノタウロスが閉じ込められたのはわかったけど、それが脱出方法とどう関係があるのよ」
デイジーの当然の質問にブリスはまた口の端を釣り上げた。
それだけでおさまらないのかブリスの体から異様な興奮が感じられる。
まるで有名アトラクションに向かう子供の様な必死に抑えようとしているけれど抑えられない興奮がにじみ出ているのだ。
「脱出できたのはミノタウロスを討伐した人間なんだよ」
「え?」
「つまりこのギリシャ神話を再現した舞台でミノタウロスを狩ればいいんだよ! ははぁ、今までグリムを狩ってきたけどミノタウロスは初めてだ……それも神話と同じ舞台でなんて最ッ高じゃないか!」
「え? え? ほんとに? ほんとにミノタウロスを狩ればここを出られるの?」
意気揚々としたブリスとは正反対にデイジーは混乱したようにカザリたちへ問いかけてくる。
確かにブリスの言葉に間違いはない。
間違いはないが、穴がないわけでもない。
「確かにブリスの言葉通り、ミノタウロスを討伐したテセウスはこのラビリンスから無事脱出している。最も彼にはアリアドネの糸があったわけだが」
「アリアドネ?」
「アリアドネという王女がいてね。彼女がテセウスに糸玉を渡してこう言うんだ。『この糸を入り口に結んで少しずつ伸ばして先へ進めば、糸をたどって必ず戻ってこられる』とね。だからテセウスは迷宮に惑わされずに脱出できたってわけ」
「……あれ? じゃあミノタウロスは関係なくない? 糸ないとダメじゃん」
そういうことだ。
確かにテセウスはミノタウロスを討伐したが、迷宮を抜け出せた直接的な要因はアリアドネの糸にある。
しかも入口から入ったテセウスと違ってカザリたちはいきなり迷宮に放り出されたわけだからそもそもの前提が違う。
糸があったところでこれでは意味がない。
「嘘つき! これじゃ一生ここから抜け出せないじゃん!」
「え? どこが? 別に嘘ついてないし」
「今の話聞いてた!? 糸がないと結局脱出できないんだよ!?」
「でもミノタウロスを討伐したあとのラビリンスは崩壊したって説があるんだよ? ミノタウロスを閉じ込めるって目的も無くなり、その役目を終えたラビリンスは崩壊して消え去ったってね。つまりミノタウロスを狩れば脱出できる!」
「え? そうなの?」
ブリスの言葉はいまいち信用できないのかデイジーは必ずカザリたちへ問いかけてくる。
そしてまた今回もブリスの言葉は間違っているわけではない。
「そういう説もある、というだけだな。ミノタウロスが討伐された後、ラビリンスは神話に出てこない。現代にも残っていないし風化し消え去ったのか、あるいはまだどこかにあるのか。ブリスの言葉通りその役目を終えて崩壊したかもしれない。いずれにせよラビリンスがどうなったかははっきりしていない」
「でも可能性はあるってこと。ほら、そしたらやることは一つだね」
確かに可能性はある。
そしてそのほんのわずかな可能性に縋るくらいしか今のカザリたちに出来ることはない。
「じゃあ……そうする?」
同じ結論に達したらしいデイジーがおずおずと問いかけてくる。
ほかにいい方法はないものの本当にこれでいいのかという戸惑いが感じられるが、カザリたちもそれしかないかと同意の声を上げた。
「よっし決まりだ! ミノタウロスを狩ろう!」
「やる気を出すの良いけどさ~そのミノタウロスがどこにいるかはわかってるわけ? 見つからないんじゃ意味ないじゃ~ん。そもそも今の話も仮説だし本当にいるの? ミノタウロス」
そう結局はそこに行きつくのだ。
相手が天使でもミノタウロスでも結果が変わらない。
だがブリスの反応は素早くそして簡潔だった。
「それなら問題ない。もう気配がしてる」
ブリスが指をさしたその先には曲がり角があり、松明の炎に照らし出された影を全員が捉えた。
それは牛の頭を持った悍ましい怪物の影だ。
動きは緩慢なのか照らし出される影は徐々にだが大きくなっている。
そして通路に響く足音。
意外と言えば意外だが、重々しい足音ではなくかつんかつんと通路に響く軽やかな足音だ。
「いるし……」
デイジーの言葉通り、通路から現れたのは紛れもなくミノタウロスである。
壁に手をかけ牛の頭がこちらを覗き込むようにしており、手には両刃の巨大な戦斧。
こちらに気付いたミノタウロスが牛に似た泣き声を上げるが何を言っているかはわからない。
「うわ。姉さんの言った通りか。でも始めて見るけど思ったより小さいな。人間とそう変わらないくらい? まぁ不気味なことには変わりないんだけどさ。武器を持つグリムってのは厄介だし」
「はっはぁ~! めっちゃやる気出てきたぁ!」
ブリスが両の拳をぶつけて今にも駆けだそうとしたその瞬間、その首根っこを掴んだのはまたしてもギブソンだ。
「何すんの!」
「いいから待て! よく見ろ!」
ミノタウロスがそこにいるだけだ。
何をよく見ろと言うのかとブリスが叫んでいる中、カザリがデイジーを守るように立って小さく呟く。
「嘘みたいだね」
気づいたのはカザリとギブソン、次にバナ、デイジー、最後は戦いたくて仕方のない興奮しきったブリスだ。
そのブリスも異変に気づけば動きを止めてじっとミノタウロスへと視線を注いでいる。
正確に言えば、ミノタウロス『たち』に。
「すっげーいっぱいいるじゃん!」
「神話じゃ一体だけじゃなかったかい?」
「この界隈じゃよくある話だろう。神話や伝承じゃ貴重な一体なのに実はそこらにいるとかな」
「言ってる場合!? 誰よミノタウロスを狩ったらここから出られるとか言ったの! あれ全部狩るの!?」
最初に現れた戦斧を持ったミノタウロスにそれよりもかなり小柄なミノタウロス、そしてその奥には先ほどの二体よりも大きめのミノタウロス。
計三体がそこにいた。
いやその三体の背後に見えにくいがもう一体。
つまりは四体ものミノタウロスであり、こちらの狩人と同数というのはデイジーを守ることも考えると分が悪い。
——が、そういうのを気にしないのが一人。
「よりどりみどりじゃんか! ひゃっほう!」
「待て!」
「待てませーん!」
ついに暴走したブリスがギブソンの手を振り切って突撃していった。
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