天使⑦
「どこここ!! いつ移動したの!!」
ようやく状況を把握したらしいブリスが興奮した様子で声を上げる。
内心で驚いているのはカザリも一緒なのだが、なぜそう喜んだ顔で叫べるのか不思議だ。
いきなり知りもしない場所に移動させられたら驚いて警戒するのが普通だろうに。
「騒ぐな。何がいるかわからん」
「そ、そうだよ姉さん。もう天使がそばにいるかもしれないのにそんな大声出すのやめなよ。いきなり襲撃でもされたら困るじゃないか。そもそも狩人ってのは相手のことをよく調べて対策を練って罠にかけて狩るのが正しい姿なのに、今回は天使のことを何も知らないし相手の有利な場所で戦うんだからもっと警戒してくれないと。まぁ姉さんがそんなタイプじゃないのは知ってるんだけどさ」
「長いよ。それに声が小さくて聞こえないっての」
「君ら姉弟はお互いに足して二で割ったほうがいいね。どっちも極端なんだよ。で、それはいいとしてここが天使の聖域なんだよね? 思ってたのと少し違うけど」
空から降り注ぐのは暖かな淡い光の結晶だ。
見上げるほどの高さの壁に囲まれているとはいえ、空が見えるし降り注ぐ光の結晶や壁には松明もあるので全体的には明るい。
しかし左右はもちろん背後も壁であり、正面は道が続いているが先が見えない。
「そのはずだよ? まぁ私も天使の聖域なんて入ったことないからわからないけど」
「いずれにせよ一本道だ。先に進むしかないだろう」
「よっし。先頭は私に任せて!」
「あまり先走るな」
走り出しかけたブリスの首根っこを掴んでギブソンが睨みつける。
さすがのブリスもあまり話したことがない上の階級の狩人に睨まれると好き勝手にはできないらしい。
不服そうではあるがギブソンに従って足を止めて向き直った。
「……仕方ない。ブリスが先頭、俺が左でカザリは右。最後尾はバナで中心がデイジーだ」
「よっしゃ! 任せな!」
「僕が最後尾ですか。いいですけど」
「デイジーは私とギブソンから離れるんじゃないよ。戦えないんだろう?」
「うん。離れないからちゃんと守ってね~」
通路は五人が横並びになっても余裕があるほどに広い。
とはいえデイジーの護衛もあるため彼女を中心とした陣形でカザリたちは歩を進めた。
時折ブリスが足早になるのをギブソンが諌めるということが数回続いたが、しばらく先へ進むと分かれ道となっておりそこで一同は再び足を止める。
「どっちが正しいんだい?」
「え? それ私に聞いてる? 知るわけないじゃん初めてくるのに」
「じゃあなんで一緒にいるのかな。僕らをここに入れてくれれば彼女はいらないんじゃないのかな。邪魔なだけじゃない?」
「ちょっとそこの陰気くんさ~ぶつぶつ言ってるの聞こえてるからね~? 私がここにいるのはそういう依頼だから。狩人ならわかるでしょ? 受けた依頼はきちんと守ってくれないと。ね?」
デイジーが鼻で笑うようにして言い返すとバナは顔を逸らしてまた何かぶつぶつと言っている。
カザリの耳に断片的に聞こえるのは『同じ女でも累とは大違いだ』とかである。
累がバナとそんなに仲がいいとは知らなかったので少し意外なのだが、そんなバナをフィズが放置しているという点はさらに意外だ。
(まぁこの様子だとバナが勝手に累に気をやってるだけかねぇ。フィズもそうだけど累も罪な女だ。やっぱり魔女とパートナーは似るってことかねぇ)
とにかくバナの恋路は今の状況には全く関係ないのでこの分かれ道をどちらに進むかを決めなければならない。
「ねぇ右に行こうよ。なんとなくグリムがいる気がするんだよね」
「それは勘か?」
「勘だけど結構私の勘って当たるんだよ? 特にグリム関連はさ。天使かもしれないし右にしようよ」
こいつを信用していいのか、というギブソンの視線がカザリに突き刺さる。
しかしブリスの勘がよく当たるというのは確かなのだ。
「私は右でもいいけどね」
「姉さんの勘は確かによく当たりますよ。天使かどうかまでは保証しませんけど。ほら姉さんグリムなら何でもいいし」
「私を軽い女みたいに言うなって。今日は天使狙いなんだからさ。天使とやりあえるなんて考えるだけでゾクゾクしてくる!」
「うぇ~それって一応聞くんだけどさ。性癖なの? グリムに興奮するみたいな?」
デイジーがすすっとカザリの背に隠れながらそう問いかける。
一応グリムなので身の危険を感じたという所らしいが、狩人から逃れるために狩人の背に隠れるというのもおかしな話だ。
「性癖って言われればそうかもね。グリムと会うと、こう……なんて言うのかなぁ。とにかく戦いたい。あいつに傷をつけたらどんな声を出すか、あいつに傷をつけられたらどんな痛みがするのか、そんな風に興奮してくるんだよね」
「うわぁ……引くね~」
「あ、でも安心していいよ。あんたは不思議と全然興味出ないんだよね。弱っちそうだからかな」
「そう言われてもこっちは安心できないっていうかさ、もっとまともな狩人はいなかったわけ?」
「そうだよ。姉さんがいつもそんな感じだから弟の僕は苦労するんじゃないか。あのブリスの弟かっていつも噂されてさ。僕はそんな性癖なんかないってのに同じ奴みたいに見られるから困るんだよ。せめて人前でそういう話をするのは止めたほうがいいんじゃない? 服装もカザリさんを見習って綺麗にするとかさ」
「何言ってんのよ。あんただって同じじゃない」
バナの訴えにブリスは眼を細めてそう言い返して見せた。
睨みつけているわけではないのは口の端が吊り上がっているのを見ればわかる。
弟をからかっているという所か。
「お、同じってなんだよ。僕はグリムに興奮なんかしないよ」
「へぇ~じゃああのバーにしょっちゅう行くのはなんでなのかな~? あそこにいるお人形さん。累はグリムじゃなかったっけ?」
「累?」
ギブソンが聞きなれた名前に反応しカザリへちらりと視線を送ってくるが、それに対してカザリができるのはご想像の通りですと頷くことしかない。
「る、累さ——累は別だ! ほかのグリムと一緒にしないでくれ!」
「どこが違うって?」
「グリムは僕にとってずっと憎むべき対象だったけど彼女がそれは違うと教えてくれたんだ。そう、あの日魔女に殺されそうになった僕を身を挺して彼女は守ってくれた。あの小さく可憐で触れれば折れてしまいそうなほどの華奢な体で僕の前に立ち、ドラゴンの炎から守ってくれた。僕がひどいことを言ったというのにそんなことは気にしていないと救ってくれたんだ。なんて慈悲深いんだろう。僕はドラゴンの炎から守られ火傷一つなかったのにまるで体中を熱せられたように興奮が止まらなかった! そして理解したんだ! この世には種族など関係なく尊く素晴らしい存在がいるのだと! 愛に種族は関係ないのだと! 僕は彼女のためならばこの命を喜んで捧げられる! 彼女に救われたからじゃない! 彼女が僕に愛を教えてくれたからだ!」
そう高らかに叫ぶバナの瞳は血走っていて、まるで狂信者の様だ。
普段は猫背気味にぶつぶつと小さな声で話す癖に、今は話の途中から背が徐々にまっすぐになり声も大きく、最後には背を反るようにして両手を広げて叫びだす始末だ。
どう見ても正気ではない。
「魅了されているのか?」
「いや累にそんな能力はないはずだけど」
前に見たことのあるグリムの力を一時的に使う特殊能力を使えば累でもバナを魅了できるだろうが、わざわざそんなことを累がするとも思えない。
それにバーに足を運んだ際に累からバナの愚痴を聞いた覚えもあるので、そんな面倒ごとを自分から起こすとは思えなかった。
「なら素であれなのか」
「そうなるね」
「どうなってるんだこいつらは……」
頭を抱えるギブソンを見てことさらに怯えた様子のデイジーが口を開いた。
「キモイ……」
「それは同感だね。姉と弟。よく似てるよ」
結局のところグリムに対して特別な感情を抱いているという点は同じだ。
そしてその異常な熱量もよく似ている。
やはり血のつながりというものはあるのだなぁと現実逃避がてら感心してしまうのも仕方ないくらいだ。
「累か。私もあいつとはやりあってみたいんだけど」
「だ、駄目だよ! 姉さんは近づけさせないからな!」
「いいからいったん落ち着け。今はお前らの性癖の話なんかどうでもいい」
ギブソンが二人の間に割って入り言い合いを止めた。
依頼の最中なのだからこれは至極まっとうなことであり、少し興奮しすぎたかとバナも反省している——ブリスは変わらなかったが——ようだ。
「それよりバナ。お前バーに出入りしていると言っていたが、興味があるのは累だけか?」
「え? えっと、はい。そうですけど」
「ほかの店員には興味が無いんだな?」
「ええ、まぁ……それが何か?」
「いやそれなら問題ない。それじゃあ右に進むぞ」
いまだにハクのことを気にかけているとはギブソンも面倒見がいいことだ。
たまに一人でもあのバーに顔を出しているのは知っているが、最近ギブソンから『ハクとルシアンの距離が妙に近い気がする』と父親の様に警戒していたのを聞かされたカザリとしては、グリムを気に掛けるという点で案外ギブソンも二人とそう変わらないのではという結論に達した。
無論そんなことを言えば俺は違うと怒鳴られるに違いないのでそれはそっと心にしまい込む。
そうして首をひねるバナを最後尾に一行は進む。
しばらく進むとまた分かれ道に差し掛かり、そこでもブリスの勘に従って先へ。
そのまたしばらく進むとまた分かれ道があり、そこもブリスの勘に従ってさらに先へ。
一体いくつの分かれ道を進んだだろうか。
一向に先が見えずどこへ進んでいるかもわからない。
「これってさ。みんな薄々わかってると思うんだけど迷路じゃない?」
「そうだねぇ。こりゃどう考えても迷路だ」
その言葉に一行が足を止めたのは再び分かれ道に差し掛かったからだ。
曲がった道を記憶しているとはいえ全体の姿が見えず、また自分たちがどの辺にいるかもわからない。
見上げても変わらない空があるばかりで方向の指針にもならず、どの程度歩けば天使にたどり着けるかも未知だ。
「これ一生抜け出せないなんてことないよね?」
「それはないはずだと思いたいが、いずれにせよ全体図がわからないとどれほどかかるかもわからない。最悪ここで餓死するな。食料や飲料水はどの程度ある?」
「私はそんなに持ってきてないよ。ペットボトル三本にエナジーバーが数本」
「僕も同じ」
「となると用意してきたのは俺とカザリだけか。それもせいぜい数日分だが」
ギブソンとカザリはこの依頼が天使の聖域内で行われるため、長期戦となった時のことを考慮して水や食料を持ち込んでいた。
しかし大量に持ち込めば動きが鈍り荷物の持ち運びに体力も消費するためそれほど多くは持ち込んでいない。
協会所属の狩人にとって狩りというのは基本的に長くても一日で決する場合が多く、特に事前調査等を協会の職員が行ってくれていることもあってカザリたちは長期戦の狩りに慣れていなかった。
これがフリーの狩人であれば獲物の様子を探る、罠を設置するなどで数日間の狩りはざらにあるのだが、この違いが協会所属の狩人のいいところでもあり悪いところでもある。
今回でいえば事前準備をしてきたギブソンやカザリが用意周到であり、長期戦を意識していなかったブリスとバナは協会所属の狩人らしいとも言えた。
「どうする? また私の勘で先に進んでいい?」
ブリスの言葉に全員が顔を見合わせるが、何も情報がないこの状況では先に進む以外の道がないというのを確認しただけで終わった。
結局ほかにいい案も出ず、再び一行はブリスの勘に従って先へと歩き出す。
「そういえば、ギリシャ神話にも迷路があったねぇ」
「それは私も知ってるよ~ラビリンスでしょ? まぁ名前しか知らないけどさ」
「ラビリンスはミノス王に命じられてダイダロスが造りあげた巨大な迷宮だ。ダイダロスは人間でありながら神々に匹敵するほどの知恵と技術を持っていたため、出来上がった迷宮は一度入ったら出られないと伝わるほどに入り組んだ構造だったらしい」
一瞬の静寂の後、再びデイジーが口を開いた。
「あのさ、ギリシャ神話繋がりでここもそうなってるとか無いよね?」
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