天使⑥
「まさか天使のねぐらがこんな場所とはねぇ」
「びっくりだよね~。普通日本で神に関係してる場所って言ったら神社とか鳥居とかだけど、まぁこんなのをしてる最中だしそこに惹かれたのかな?」
デイジーがとんとんと指で叩いたのは博物館の前に張られたポスターであり、そこには『古代ギリシャ展——神話の国ギリシャを知る』と書かれていた。
確かにギリシャ神話は世界的にも有名かつその神話に出てくる神々もそうそうたる面々だ。
神を求める天使たちからすれば惹かれてしかるべき場所かもしれないが、なにも博物館の特別展に聖域の入り口を造らなくてもいいだろうに。
「というかギリシャ神話に天使はいないんじゃなかったかい?」
「え? そうなの?」
「天使が出るのはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教だな。ギリシャ神話はヘルメスやイリスが神の使者として描かれているが、天使というわけではない」
そう答えたのはギブソンだ。
今日は人の多い場所だからかつばの長いハットをかぶっているが、カザリとしてはそこまで気を使わなくてもいいだろうにと思う。
とはいえそれはカザリがギブソンの顔に慣れているからであって、初対面かつ傷に慣れていない一般人がギブソンの顔を見れば驚くことは間違いない。
事実この件でギブソンをデイジーに紹介したらグリムのくせしてデイジーはかなり引いていた。
「俺たちが狩りにいく天使は天使という名のただのグリムであって、一般的に知られてる天使とは別ということだ。奴らからすれば神と名の付くものは何であっても崇拝の対象なのだろう」
「ある意味狂信者ってことだね。巻き込まれる側からしたらたまったものじゃないんだけどさ」
デイジーの持ってきた依頼は結局のところ無視できるものではなかった。
天使と言えば協会でもかなり危険視されているグリムであり、その居場所がわかってるなら見逃すことはできない。
大勢の人々の命を救えるのならば、協会としてはたとえグリムの依頼であっても動かざるを得なかった。
それも魔女のパートナーだというのならばなおさらのことである。
「残りの狩人はもう中にいるんだよね?」
「多分ね。止める間もなく勝手に先走っていったからそこら辺にいるんじゃないかい?」
「入口もわからんのに先に行ったのか」
「そうなんだよ」
聖域への入り口を知っているのはデイジーだけだ。
彼女が一緒に連れていくなら場所を教えるというのでカザリたちもまだ場所を知らない。
というのを一応説明したのにあの馬鹿は我慢できないと先に行ってしまった、とカザリは曇り一つない青空を見上げた。
そんな馬鹿とこれから狩りに行かねばならないというのが非常に気が重い。
「今更だがこの話は信用できるのか?」
「信用できるかって言われるとグリムだから信用はできないねぇ。けどさ、わざわざ協会に乗り込んで嘘を言うと思うかい?」
「あのさ~そういうのって聞こえないように話すものじゃない? ってかもうちょっと信用してよ。天使を狩るってことに関しては全面的に味方だから。嘘つかないって。ジンリー様に誓ってもいい」
魔女の名に誓われても困る、とギブソンの傷だらけの表情が物語っている。
しかしカザリとしては魔女のパートナーが魔女に誓うのならばそれは信用できるとも思うのだ。
「とにかく協会としては天使と聞いて無視するわけにもいかないんだ。面倒だろうが頼むよ」
「拒否するつもりはない。ただ妖精の夜会よりも面倒なことになる気がしてな……」
「それは同感だね」
デイジーを先頭に中へと入れば早速古代ギリシア彫刻が出迎えてくれた。
長い年月を経て部分損傷はあるものの、ギリシャ神話に名高いゼウスやアフロディーテにアルテミスなどの彫刻が並んでいる。
オリンポス十二神と呼ばれる彼らギリシャ神たちはその名の通りオリンポスと呼ばれるギリシア最高峰の山の山頂に住んでいると言われているが、その場に神がいたという記録は協会にない。
かつては存在していたが姿を消したのか、もとよりそんな存在はいなかったのか。
しかしギリシャ神話に出てくるメドゥーサやケンタウロスが実在するのだから神がいないというのもおかしな話であり、協会やライブラリの人々の間では神が実在するかどうかは永遠に結論の出ない話題でもある。
「で、あの二人はどこにいるんだか」
視線を巡らせれば館内の端っこのほうに暗い影を背負った男が立っていた。
それこそギリシャ神話の冥界の住人ではないかと思うほどに陰鬱とした雰囲気を漂わせているその男は、今回の狩りに参加する予定のバナである。
「ああもう姉さんはいつも勝手に先走ってばかりで僕のことなんかこれっぽちも考えてくれない。入口もわからないんだからここで待ってればいいのにどうして我慢できないんだ。振り回されるほうの身にもなってほしいよ全く。そもそもなんで僕が姉さんとセットで狩りに行かされてるんだ。沖縄で姉さんがやらかしたのは問題だけど、それを止められなかった僕も悪いだなんて先生もひどいよ。次からは止めろってなにも毎回同じ依頼に出さなくてもいいのに。おかげで最近は累さん、いや累に全然会えてない……」
ぶつぶつと独り言を延々と続ける冥界の住人を館内の人間はどう思っているのだろうか。
少なくとも近寄ってはいけないというのが共通の認識なのか皆早足でその場を去って行ってしまう。
特にその近くにある展示品が冥界の王ハデスに関するものだったりするのもマッチしすぎていて逆に気味が悪い。
「あのさ。あれってみんなにも見えてるかい? タルタロスの罪人とかじゃないよね?」
「見えてるけどさ……何あれ。陰気だし~暗いし~気持ちわるぅ~」
「あれと狩りをするのか……」
「いやまだがっかりするのは早いから」
こんなところで頭を抱えてもらっては困るのだ。
何せもう一人面倒なのがいるのだから。
「カザリ!! 遅いぞ遅い!!」
館内ではお静かに。
そんな常識も守れない人間に名前を呼ばれて落ち着ける人間がいるだろうか。
カザリはその場でしゃがみ込みたい気持ちを抑えて、駆け寄ってきた声の主の頭を思い切り殴りつける。
殴るのもどうかと思ったがほかにこの馬鹿女を黙らせる方法が思いつかなかったのだ。
「いった!」
「静かにしなよ。ただでさえ人目を惹くってのに騒がないでくれるかい?」
「ごめん。けどさ、こっちはすぐ天使を狩りに行きたいってのにいつまでたっても来ないからさぁ」
「あのさ、先に行っても意味ないって言ったよね? こっちにもいろいろ準備があるから待ってろって言ったのにブリスが先に行ったんじゃないか」
深いため息をつきたいところだが、カザリよりもギブソンのほうが早かった。
顔に傷を負った男がこれ見よがしにため息をついたことに気が向いたのか、ブリスが動きを止めてギブソンを凝視している。
「あれ、あんたギブソンだよね? こないだ準特等に上がった妖精の夜会から生き延びた狩人」
「そっちの評判も聞いている。グリムとの死闘が大好きな戦闘狂らしいな」
「そうなんだよ。姉さんはグリムのことになるとおかしくて。僕はバナ。よろしく」
「きゃあ! びっくりした! 急に出てこないでよ怖いなぁ!」
知らないうちにしれっと混ざりこんでいたバナの紹介も終わったところでギブソンがカザリの首根っこを掴んで柱の影へと引き込んだ。
それもあからさまに苛立った表情で。
「え、ちょ! 置いてかないでよ!」
その際初めて会った上にまともではない狩人二人に挟まれデイジーが不安そうな顔をしていたが、彼女を気に掛ける暇も与えられなかったカザリは黙って柱に押し付けられてギブソンの傷だらけの顔を見つめる。
こうして近くで見れば顔の傷はすべて同じ時期につけられたもののようだった。
しかし今は傷単品ではなく苛立ちに満ちたギブソンの顔全体を気にするべきである。
「顔の傷が気になるか?」
「あ、いや。本題をどうぞ」
「なら言わせてもらうが、あのグリムも信用ならんのにあの二人はなんだ」
「言いたいことはわかるよ。でも腕は確かなんだよ。それにアルメルがあの二人を推してくるもんだから断れなくてねぇ……」
「特等が?」
「アルメルの直弟子なのさ。まぁ性格は見ての通り問題だらけなんだが、さっきも言った通り腕は確かなんだ」
「それをまとめる側の立場にもなってほしいところだな」
実のところギブソンの言うことはもっともでカザリとしてもブリスとバナには不安があるし、そこに自分も行けと命令されるのは本当に頭の痛い話なのだ。
特に今回の様に重要度が高く通常の狩りよりもはるかに高度な案件は別の狩人に任せたいところだったが、それが叶わぬとなれば可能な範囲で最善を尽くすしかない。
そうしてカザリが知る狩人の中で実力があり信頼もできるギブソンをメンバーに無理やりねじ込んだという経緯がある。
「ブリスは見ての通り暴走しがちで、バナは自分の世界に入りこむところがある。ギブソンみたいに広い視野で指示の出せる人間が必要なんだよ」
「お前がやればいいだろう」
「私も行くけどさっきも見ただろう? ブリスとはどうも距離が近くて向こうは私の言葉を軽く見るところがある。それに階級も同じだから言葉に力がない。上の階級の人間が必要なんだよ。実績もあって腕の確かな狩人がね」
「……俺を準特等に推薦したのはこういう面倒ごとのためじゃないだろうな?」
「それは邪推しすぎだよ」
ギブソンを準特等に推薦したのは実力があり、かつグリムへの強い敵意もないからだ。
特にハクのことがあってからは累やフィズとの距離も近く、カザリからすれば彼のような人間が力を持ってくれると非常に動きやすい。
今回の件はたまたま運悪くタイミングが重なっただけだが、こうした時にギブソンを頼れる点を鑑みてもやはり準特等に推薦したのは間違いではなかった。
「まぁいい。ブリス、バナ。それとデイジー。こっちにこい」
遠くでこちらの様子を窺っていた三人がギブソンに呼ばれて近くへと集まる。
こうしてみれば奇妙なパーティだ。
まとめるギブソンには同情するが、そのパーティに組み込まれているカザリも随分と気が重い。
「準特等のギブソンだ。この狩りは俺の指示に従ってもらう。異論は?」
「ありません」
「グリムと戦わせてくれるんなら何も問題ないよ」
「よし。デイジーは戦闘には参加できないと聞いたがそれは戦える力がないということか? それとも戦えるが参加しないだけか?」
「戦う力なんてないよ~。ほら見ての通り華奢で可愛いだけが取り柄だからさ~」
「グリムの見た目は当てにならん」
「でも嘘は言ってないと思うよ? ほかのグリムみたいに戦ってみたいって感じが全然しないからさ」
確かにグリムの隣に立っているというのにブリスが大人しい。
バナも姉の言葉を補足するように「本当に戦える実力があるなら今頃姉さんは黙ってない」と付け加えた。
それは反転すれば戦えるグリムがいれば喧嘩を売らずにはいられないということなのだが、今この時においてはその野生の勘ともいうべき能力も判断の役に立つ。
「早速役に立ったろ?」
「結果を見るまでわからんがな。ならデイジーが自衛できない前提で動く。カザリが護衛についてくれ」
「わかった」
巻き込んだ責任もあるのでカザリはギブソンに反論することなくそれに同意した。
もともとこの狩りに参加した以上はギブソンの補佐に専念するつもりだったのでやることは変わらない。
そして唯一狩人でなければ人間でもないデイジーにギブソンの視線が再び向かう。
「それで入口はわかっているのか?」
「あーはいはいはい。もちろんわかってるよ~。ついてきて」
ツアーガイドの様に先導するデイジーの後ろをついて歩くのは、顔に傷を負った男、冥界の住人のような男、切り傷ひっかき傷だらけの服を着た女、そしてたった一人スーツを着た女。
なんとも奇妙なこの一行をほかの人々は一体なんだと思っているのだろうか。
他人の視線を気にしたくはないが物理的な視線の圧に耐えかね、カザリがまだかと言いかけそうになったころでデイジーが足を止めた。
「ハイ到着~。これが入り口だよ」
「絵画?」
飾られているのは入ってきた扉ほどもある巨大な絵画だ。
オリンポス十二神をモチーフにしたもので、最高神であるゼウスを中心にギリシャ神話の名だたる神々が描かれている。
「僕は何も感じないけど、これが本当に入り口?」
「どうやって入るの? 絵に触ってみる?」
ブリスの言葉に近くの係員がピクリと反応した。
不用意な発言もそうだがそもそも声がでかい。
人目があるというのを気にしてほしいところだが、そんなものを気にしていればもっとまともな服装でいるだろう。
つまるところ期待するだけ無駄ということなので、カザリは再びブリスの頭を叩いて黙らせる。
「静かにしなって。それでどうやって入るつもりなんだい? こんなに人目があるってのにさ」
周囲にはこちらを怪しんでいる係員だけでなく普通の一般客もいる。
平日のため混んでいるというほどではないが、逆に人が少ないからこそカザリたちは良く目立つ存在だろう。
「気にすることないんじゃなーい? オドがない人間にはどうせ何が起きたかわからないし」
どういう意味かと問いかける間もなくデイジーが片手を高々と掲げそれを一気に下へと振り下ろした。
「ジンリー様にかかれば、天使の聖域だってこの通り。夜が明け闇が消えていくように、暁の魔女の力の前には何もかもがあるがまま。さぁ皆さん着きましたよ~ここが天使の聖域にして私たちの狩場。張り切っていこう!」
あの騒ぎ立てていたブリスですら静かになっているのはあまりに瞬間的に周囲の光景が変わったからに他ならない。
先ほどまで眼前にあった絵画はそこになく、代わりにあるのは先の見えない長い通路だ。
等間隔に置かれた松明によって照らされているのは左右の壁とそこに描かれた神々を称える壁画。
そしてそれらの壁画は見上げるほどに高いが天井はなく、そこにあるべき天井の代わりは黄金を思わせる煌びやかな空だった。
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