天使①
日本の経済、文化、政治の中心である東京は当然のように労働者の数も多い。
そしてその労働者の働くオフィスがずらりと並ぶ場所は俗にオフィス街と呼ばれるわけだが、その中でも有名なのは丸の内だろう。
古くから商業の中心地として栄えてきたこの街は、今では日本の有名企業が多数オフィスを構える日本を代表するオフィス街だ。
そしてそんな場所に堂々と佇むオフィスビルの一つに日本の狩人の本拠地がある。
見上げるほどに高いそのビルの階数は地下階も含めれば四十を超え、一階から最上階まではすべて協会のオフィス、地下一階は地下鉄駅直結となっているだけでなく、地下二階にはショッピングエリアにレストラン、地下三階は駐車場となっている。
仮に何も知らない就活生がこのビルを見たとしたら「こんな場所で働けたらいいな」と夢を見るほどにオシャレで綺麗なオフィスビルだ。
しかし少し前まで現場の狩人たちからこのビルの評判は悪かったという歴史がある。
というのもオフィス街の中心ということでこの周辺にいる人々は皆がスーツやそれに準ずる服装であり、そんなものを普段着ない狩人たちにとっては非常に居心地が悪く、実際一般のサラリーマンからは場違いな服装の集団に怪訝な視線が向けられることもしばしばあった。
とはいえそれだけならば我慢できる程度なのだが、日中に様々な服装の人々が協会に出入りするとスーツでない分非常に目立つ。
それも一等地に立つご立派なビルへグリムとの戦闘でボロボロになった服装で出入りする狩人がいるとなれば尚更で、これがずいぶん前に協会内で問題視されたことで、上層部から出入りする際は必ずスーツを着用するようにとの指示が出る事態にまでなった。
結果現場の狩人たちは渋々着慣れないスーツに身を包んで協会へと足を運び、こんな服を着せるなという文句が増えるようになったという歴史がある。
ただ現在ではオフィスカジュアルなどが一般化したこともあり、カザリの様にスーツを着て普通のサラリーマンのように出社する狩人と、ギブソンのように私服でいる狩人の二パターンとなって文句も減った。
ちなみにギブソンは自分が堂々と入ると顔の傷で人目を惹くということで自主的に地下階からひっそりと入っており、逆にブリスなどはその点を気にしないので返り血を浴びたまま表から入ってよく問題になっている。
さてそんな服装に関する歴史があった狩人たちの本拠地に今回現れたのは一見してこの場所には不釣り合いな女性だ。
デコレーションされた長く伸びた爪に露出の多いきらびやかな服装。
そしてブランド物のバックを身に着け、おそらくおしゃれの意味合いでサングラスをかけている。
渋谷や新宿であれば馴染むであろう姿の女性は協会のビルを見上げると、プラチナブロンドの髪をたなびかせてそのまま一階の受付へと足を運んだ。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
ニコリと好意的な明るい笑みを浮かべる受付嬢の問いかけに、女性はかけていたサングラスを持ち上げると合わせ鏡のような笑みを浮かべて口を開く。
「狩りの依頼なんだけどお願いできるかな」
受付嬢の問いかけにもし明確に狩りの依頼だと答えられなかった場合、グリムの存在を知らない一般人であると判断されこのビルの奥には入れない。
表向きはシステム会社のため営業や仕事の依頼に現れる者がいるが、そうした者は専用の協会員によって営業であれば不要だとやんわり断り追い返され、仕事の依頼であれば検討したふりをして数日後に断るもしくは関係会社を紹介するなどして、いずれにせよ協会の中枢には入れないようになっている。
「では弊社の者とのアポイントメントはございますか?」
「ないなーい。誰でもいいからさ。腕のいいのをお願い」
「承知しました。ご新規の依頼となりますので担当の者とお繋ぎいたします。お名前をよろしいですか?」
「デイジーでよろしく」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
子供の様に無邪気な笑みを見せるデイジーとは対照的に、受付嬢は淡々と仕事に徹するプロフェッショナルのようだ。
営業スマイルというものを張り付けたままの受付嬢は手元のノートパソコンで手続きを開始し、そんな様子をデイジーはニヤニヤと楽し気に眺めている。
そうしてさほどの時間も経たずに準備が整ったのか、受付嬢は変わりない営業スマイルでデイジーへと入館証を差し出した。
「ではこちらの入館証をお渡ししますので、二十五階までお願いいたします。到着しましたら担当の者が対応いたしますので何かあればその者にご質問ください」
「はーい。ありがと」
デイジーはお礼の意味もかねて受付嬢にウィンクして見せたが、やはり彼女は最後まで変わらない営業スマイルだ。
どんなことにも動じないプロとしての仕事は協会本部の玄関である受付嬢としてしっかりとした教育を受けているからだろう。
最もデイジーはそんなことを全く気にもせず、首に入館証をかけるとエレベーターへと乗り込み指定された二十五階に向かった。
「ほーらやっぱりバレない。バックは警戒しすぎ。まぁトニックみたいな感じなら怪しいってすぐバレるんだろうけどね~」
アハハとエレベーター内で一人笑うデイジーの前で扉が開く。
二十五階と言っても高層階用のエレベーターのため着くのはあっという間だ。
さぁこれからが本番だと気合いを入れたのも束の間、そこにいたのは銀縁眼鏡をかけた不機嫌そうなキャリアウーマンと武器を手に持った狩人数人だった。
「こんにちは。グリムが何の用だい?」
「わぁ……バレてた」
前言撤回やっぱりバックが正しかったなーなどと呟くデイジーに指揮官らしい女性が片眉を上げると、隣の狩人が斧を振り上げる。
「ちょちょ待った待った! 私は別に喧嘩しに来たわけじゃないから! というかむしろ人間様に危険を知らせに来ただけだって!」
「危険?」
「そうそう! ほら下で行ったじゃん! 狩りを依頼したいって! ね? 私いいグリムだから! 人様に危害加えないから!! 見て! 全然人を襲いそうな雰囲気ないでしょ!? 無害! 優しい! それに可愛い〜! ね!?」
頭からつま先までをじろりと見た女性は軽くため息をついて顎をしゃくる。
すると狩人たちは斧を収めたものの、デイジーを拘束するように両脇へと動いて手をがっしりと掴んで話さない。
「ちょっとそんな強く握んなくても暴れないって」
「グリムの言葉をそう簡単に信用すると思うかい?」
「日本の協会はグリムと仲いいって話だったと思うんだけど」
「だからいきなり首を落とすのは止めてやっただろう。とにかく話を聞かせな」
両手に手錠のような枷をつけられ連れていかれたのは窓も何もない個室だ。
閉塞感があり息苦しさを感じる部屋にぽつんと置かれているのは白いテーブルと椅子が二つ。
そのうちの一つに無理やり座らせられると、手枷とテーブルを鎖でつながれてしまった。
「ここまでしなくてもいいんじゃない?」
「悪いけど警戒は必要なんだよ。むしろこれでも足りないくらいなんだ。君が無害で優しくてただ可愛いだけのグリムだってんなら、拘束を解いて謝罪もする。だからそれを私らに証明してもらえるかい?」
「証明って言われてもさ~ただ狩りの依頼に来ただけなんですけど~」
面倒だなぁとデイジーは唇を突き出して不満を訴える。
しかし目の前に座る女性は全く優しさを見せてくれない。
「デイジーって名乗っていたね。なんでここに来た?」
「だから狩りの依頼だって」
「グリムが狩りを依頼する。それもよりによって協会の狩人にだ。自分でもおかしいと思わないかい?」
「まぁ今考えればそう思うんだけど~。こうなる前まではいい考えだなって思ってたの」
こんな目に合うなら来なかったよとデイジーは不貞腐れたように訴える。
こんなことならバックやトニックのように協会以外を頼ればよかったなと思うものの、こうしてここまで来てしまったのだからもう遅い。
デイジーとしてはとにかく彼女らに敵ではないと認めさせ、狩りを手伝ってもらわなければいけないのだ。
「ねぇ私のことを聞く前にさ、名前教えてくれない?」
「呪いでもかけるのかい?」
「そんなことしないし出来ないって。ただ単に仲良くなるための最初のステップだから」
じっと見つめ続ければ根負けしたように女性がこめかみに手を当て、カザリだと小さく呟いた。
「カザリね。いい名前じゃん」
「それも仲良くなるためのステップかい?」
「そうそう。名前を褒められるのは気分がいいでしょ? 私の名前も褒めてくれていいよ? デイジーって名前気に入ってるんだ〜。でも正直教えてくれるとは思わなかったけどさ」
「まぁ、君が大した力もないグリムだろうってわかっているのが大きいね」
「え、なにそれ」
「協会の入り口にはオドの量を計測する装置があるんだよ。だから君がグリムだって気づけた。普通の人間はオドが少なすぎて装置が反応すらしないからね。ただ君の場合オドは人間より多いがほかのグリムに比べるとかなり少ない。呪いをかけるなんてとてもできないくらいにね」
デイジーがぽかんと口を開けて瞳を真ん丸にしているのは当然驚いたからだ。
まさか人間がそんなものを開発して設置しているとは思わなかったからであり、そして言われたことはまさしくその通りだからだ。
「そう、そうそう! 私弱いんだよ! だからわかるでしょ? そんな私が狩人の本拠地に殴り込みに来るわけないじゃん!」
「だからって警戒しないわけにはいかない。それに君が何のグリムかもわかってない」
「ああ、私? 私は……まあ、内緒」
「はぁ?」
カザリがことさら不機嫌そうに眉をひそめた。
しかしデイジーとしては自分が何のグリムかというのは狩人に言いたくない。
仮に言ったところで信じてもらえるとは思えないが、信じられたらそれはそれで非常に面倒だ。
「あのさ、それで信じろってのが無理ないかい?」
「でも悪いグリムじゃないから! 弱いし! ただ可愛いだけ!」
人間というのは本当に疑い深い。
ここまで敵ではないと必死に訴えているのにカザリの瞳は鋼のように冷たい光があるだけで、まるで信じてもらえない。
こんな奴らに狩りを依頼するなんて、バックやトニックはうまくやっているのだろうかととても気になるところだ。
少なくとも自分がうまくいかないのならトニックは絶対にうまくいかないはずだと、デイジーは何につけてもダメダメな彼女を思い出して不安そうに肩を落とした。
「そんな風に落ち込んで見せられてもねぇ」
「落ち込むよ~思ったより人間って話聞いてくれないんだもん」
「話は聞くさ。信じるかどうかは別だけど」
カザリがごそごそと胸元のポケットを探り始めたのを見てデイジーが眉間にしわを寄せた。
それがあまりにも急な変化で不思議だったのか、カザリは手を止めて問いかける。
「どうかしたかい?」
「……たばこでしょ。匂いきついんだから止めてね」
「へぇ。よくわかったね」
取り出したのはデイジーの言う通りたばこの箱だ。
見せてみればデイジーが自分でも言っている可愛らしい顔を醜く歪めてあからさまに嫌だとアピールして見せた。
「鼻がいいんだね。吸ってもいないのに気が付くなんて」
「服にも匂いが付いてるからね。健康に悪いし止めたほうがいいよ~」
「君らみたいのを相手にしてたらストレスのはけ口が必要なんだよ。こうしてグリムと同じ部屋にいるってだけでも緊張するんだからね」
「え~こんなに可愛い子といるのに~? ってかそんな繊細な人には見えないけど」
「見た目じゃわからないもんだよ。それより話を戻すが、危険を知らせに来たって言っていたね。アレはどういう意味だい?」
どうにか信じてもらわないといけない。
だが信じてもらうためにはどうするべきなのかがわからない。
バックであればうまく言いくるめたりするのだろうが、デイジーは彼女ほど口がうまくないためいろいろと考えた結果、素直に話すことが一番だという結論に落ち着いた。
「そのままの意味だって。このままじゃ日本で大勢人が死ぬの」
「どこでどうやって」
「いやそれはわからないんだけど」
「は?」
「いやでも大勢死ぬのは確かだから! このままじゃほんとまずいよ! 一緒に止めようよ!」
嘘は一つもついていないのだが、さっきよりもカザリの視線が冷たい。
何故。
「あのさ、そんなぼんやりした話あるかい?」
「だってどうやって大勢死ぬかは知らないし」
これは本当だ。
あいつらがいる場所はわかるがあいつらがどうやって人間を苦しめるつもりなのかというのは本人たちに聞かなければわからない。
ただあいつらがそこにいるという時点で人間にとってとてつもない危機だというのは確かなのだ。
「そんなに信じられない?」
「……まぁここまで下手な嘘を聞いたことがないから本気度は感じるけど、信じられるかっていうと微妙だね」
「ただ危険な奴らがいるから狩りを依頼したいだけだって」
「ならその狩りの話だが、具体的に何を依頼したいんだい?」
そういえば肝心なその話をしていなかった。
道理で信じてもらえないわけだと、ぽんと手を打ったデイジーはこれなら信じてくれるだろうと再び笑みを浮かべてカザリへと口を開いた。
「天使を狩って」
「……今、なんて言った?」
「天使だよ。狩人ならわかるんじゃない? あいつらがどれだけ危険なのかがさ~」
予想通り顔色が変わった。
少なくとももっと詳しく話を聞こうという雰囲気になったのだ。
しかしカザリが問いかけるよりも、デイジーがだから信じてと訴えるよりも早く、この部屋の扉を強く開いた女が一人。
「その話詳しく聞かせて!」
「うわびっくりしたぁ!」
「ちょっとなんで急に……」
力なく項垂れるカザリを見るに随分と厄介な女らしい。
それは彼女の姿を見ればよくわかった。
「えっと、どちら様?」
ズタボロのジーンズに同じく傷だらけのジャケット。
そしてオシャレを自称するデイジーからは考えられないぼさぼさの髪。
立っていたのはそんな身なりの獲物に餓えた獣の眼をした女性であり、一目でまともでないとよくわかる。
「ブリスだよ。名乗るのは仲良くなるステップなんでしょう? 私とぜひ仲良くしようデイジー」
「あ、はい」
「さてと、じゃあ天使のことを詳しく話して」
有無を言わせぬ獰猛な笑みに、デイジーはつくづく人間って厄介だなと思うのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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