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閑話 真祖①

白で統一された通路を歩く道すがら、左右へと視線を流せばいろいろなモノがいる。

例えば蹲って動かない年老いた人間の男に、こちらを見て助けを求める若い人間の女。

他には限界まで餓えているであろう中位吸血鬼に激しく暴れまわるなりそこない。


以前訪れた時から素材のラインナップが変わっているが、これらもすぐに実験に使われるかして消費されるのだろう。

しつこく助けを求められたり血をよこせと叫ばれたりするが、彼は特に興味を持てないので喚き声を無視して先へと進む。

それでも一応食指が動くような獲物がいないかチェックするために歩みはゆっくりだが、やはりここで捕まっているような弱者では彼が味わうに足る獲物はいないようだ。


「なんともつまらない光景だ」


餓えているわけではないが常に良質な食事を求めている彼からすると、ここにいるラインナップは下の下もいいところでまるで食欲がわかない。

それは普段最高級の食材と技術で作られたフルコースを食べる男が、どういうわけだが刑務所の冷えた食事を出されたようなものだ。

食べられないことはないが遠慮したいし欲を言えばいつもの食事を出せ、という気持ちになるのも仕方がないだろう。


対して最後に味わったあの狩人は実に美味だった。

決して強いわけではなく、精神力も脆弱でありながら、それでも強大な敵に立ち向かい勝利したあの女狩人は味わうに相応しい獲物だった。

ただ心残りとしては血を吸いつくせなかったことである。

その後に現れた魔女と人形も実に面白い相手ではあったものの、やはり血を味わうには人間が一番であり、それを残してしまったというのは実に悔やまれる。


「まぁそれもまた巡り合わせというものだな。結果的に見ればメアリーが喜んでいたようだし、悪くはないか」


妹ができたとはしゃいでいたメアリーはここにはいない。

新しいドレスを着こんでマスカレードナイトに参加したようだが、飽きもせずに同じことを繰り返し上等な血も用意できないあの宴に参加する意味があるのだろうか。

あの城の主であった真祖が狩られてからというもの、マスカレードナイトの質は極端に下がっている。


「どうせつまらないと戻ってくるのが関の山だろうに。愚痴の一つでも聞く用意をしておかないとな」


最上と言えるほどではないがなかなか味わい深い血をボトルに詰めておいたので、屋敷に戻ったらそれを肴に話を聞いてやろうと考えつつ、彼はようやくこの場所の主のもとへとたどり着いた。

吸血鬼ならば足音を聞くまでもなくとっくに来訪に気付いているはずなのだが、彼に背を向けたままの男は目の前の何かに夢中なようで反応がない。

しばし待ってから、彼はその男に向かってため息交じりに声をかけた。


「久しぶりだな。迎えに出てくれてもいいだろうに」

「わざわざ僕がお前に会いに行くのか? 研究の時間を無駄にして? 冗談だろう?」

「ほんの数分の出迎えもできないとは冷たい友人だな」


そう投げかければ背を向けていた男が振り返る。

しばらく前から香りがしていたとはいえ、男が振り向けば服に飛び散った濃厚な血の匂いが鼻腔を刺激した。


「ブラッド。別に来てくれなんて頼んだ覚えはないんだが」

「ふらりと予定も聞かずに現れるのが友人という関係ではないのか、サースト」


サーストと呼ばれた男は仕方ないという風に片眉を下げると、手に付けていた血に染まったゴム手袋を床へと投げつけた。

汚れてもいいようにと手術衣のようなものを着ているが、こちらも真っ赤な鮮血に染められており、それも脱ぎ捨てると後片付けするのは部屋の隅で置物の様に佇んでいたなりそこないだった。


「土産もある。一杯飲みながら話そう」

「いいところだったんだがな」

「吸血鬼の一生は長い。目の前の死体よりも友人を優先してくれ」


ちらりと視線をサーストから手術台に向ければ、そこに乗せられている患者はあらゆるところを弄繰り回されとっくに死んでいる。

もとはおそらく人間なのだろうが、体の大半が変異している上にサーストが切り刻んているのでおそらく人間という言い方しかできない。

相も変わらず熱心なことだが、そんな彼が友人を大切にしていることはよく知っていた。


「強引だが、まぁいい。お前の言うことにも一理あるからな」


素直ではないが予想通りの言葉にブラッドは軽い笑みを返す。

サーストが何も言わずに歩きだすのはこの流れがよくあることだからであり、決まってこの後はテラスで酒を酌み交わすからだ。

ブラッドもそれを承知しているのでどこへ行くのかなどわざわざ問いかけずに後をついていく。

そうして到着すればやはりテラスにテーブルが一つとイスが二組用意されていた。


サーストの拠点は世界中にあるため外の景色は毎回変わるが、今回はニューヨークのセントラルパークを見下ろせる位置にあるビルの最上階だ。

テラスから見下ろせば大勢の人間が行き交いその喧騒が耳へと届く。

以前はドイツ、その前は中国、さらにその前は確かフランスであり、サーストはこうして飲んでいる間もいい研究材料がいないかと目を光らせるために人間の多い都市に拠点を構えることが多かった。


「今日のは何だ」

「日本の甲州ワインと呼ばれるものだ。最近一人日本の狩人を吸血鬼にしたので日本のものを選んできた」


そう口にするとサーストがここに来て初めて興味を持ったように、赤い瞳を見開いた。

おそらくそんな顔をされるだろうなと思っていたブラッドはその隙に淡々とグラスへワインを注いでいる。


「お前が子を? 男か女どっちだ? 歳は? いやまて狩人だって言ったな。狩人を吸血鬼に?」

「順番に答えるとまず女だ。歳は……いくつだろうな。おそらく成人はしていると思うがまぁ若い。あとは狩人という点についてだが、実力はそこそこだな。弱いわけではないが強くもない。だが戦う様は美しかった。そして美味だった」


口に含んだワインは血を一滴も入れていない普通のワインだ。

いつもは血を混ぜたりしてより深みを持たせたりするのだが、今回は白ワインなのでこのままの果実の芳醇な香りとふくよかな口当たりを楽しみたいという思いがあったのでそのままだ。

代わりに付け合わせに持ってきていたチーズに血を含ませている。


「最初から子にするつもりだったのか?」

「いや、味わうだけのつもりだったのだが別の狩人が現れて持っていかれてしまってな。不可抗力という奴だ。だが……」

「どうした」

「思い出したらその狩人もなかなか上質だった。一緒に味わってしまいたかったが、実に惜しいことをした」

「飲み残しを公開してるのか? 相変わらずだな」


呆れたように言われるが誰だって食事中に皿を持っていかれれば同じ気持ちになるだろう。

おまけにその皿に追加で料理が乗ったとなればテーブルに戻してくれと言いたい気持ちになるのは当然だ。


「だが普段のお前ならそのままその二人の血を吸うだけだろう。なぜ逃がした」

「ああ、それが実に面白い出会いだったのだが、食事を魔女とそのパートナーに邪魔された」

「魔女が? それは魔女が狩人を庇ったっていうのか?」

「いやそうではないな。正確に言えば魔女のパートナーである屍人形(ネクロドール)が狩人を庇うように私へ立ち向かい、その人形を返り討ちにしたら魔女が激怒した。そして魔女と人形にずいぶんと痛めつけられたというわけだが……自分でも話すとよくわからんな」


そういえばなぜあの人形は狩人を庇ったのか。

そのあたりを深く考えていなかったので、こうして話してみれば不思議だった。

とはいえ別に知りたいとも思わないのだが。


「僕だったら血の味よりもそっちに興味があるがな。屍人形をパートナーにする魔女なんていたか?」

「屍の魔女だな。死体を使役していたから間違いない」

「……屍の魔女だって?」


サーストの調子が先ほどまでと変わったことにブラッドは違和感を覚えた。

吸血鬼の鋭敏な感覚がというよりも、単に長く友人として付き合った経験から察したことだ。

そして向こうも同じく長く付き合った友人としてブラッドが自分の異変に気付いたことに感づいたのだろう。

迷いがあるのか口を閉じたまま瞳を彷徨わせていたものの、やがて観念したようにサーストはワインで湿らせた唇を動かした。


「知ってるか? 僕は一度あの魔女に殺されかけたことがある」

「何? それは初耳だな」


だろうなとサーストは口の端を釣り上げグラスを傾けた。

浮かべている表情こそ笑顔という部類だが、真祖という途方もない年月を生きてきた彼でも隠し切れない感情がその裏には隠れている。


「ずいぶん昔の話だが、研究所を奴に襲撃された」

「屍人形も一緒だったのか?」

「いや奴一人だった。唐突に現れたと思ったら実験体を軒並み殺しつくされるわ研究資料は破壊されるわで最悪だった。……僕は、抵抗すらできなかった」


確かに魔女ともなればその強さは察するものがあるが、あの時対峙した魔女からはそれほど強さというものは感じられなかった。

実際にブラッドも二人に激しく痛めつけられたとはいえ、それも瞬間再生できる程度の傷でしかない。


「お前が抵抗できないほどだっただと? 私が対峙した印象では勝てないと思うほどの相手ではなかったが」

「……逆に聞くがあいつと対峙して何か感じなかったのか?」

「何か?」


いや特にはと答えれば、サーストは鼻で笑って深く椅子へともたれかかった。

そうして顔をそむけるようにして何かを呟く。


「魅了されたんだ」

「ん? 悪いが良く聞こえなかった。なんと言った?」

「だから魅了されたんだ!!」


もう一度言わせるなという怒りと羞恥に満ちた表情でサーストは怒鳴った。

しかしブラッドからしてみればサーストの言葉は耳に入っても理解ができない。

何せ吸血鬼は魅了耐性があり、それも真祖ともなれば完全な耐性があるはずなのだ。


「信じられないと言った顔だな。だが事実だ。誰がここに入り込んだんだと振り返って直視した瞬間、僕はもう魅了されていた」


サーストが顔を歪ませ己の髪を掻き毟った。

よほど耐え難いのか、羞恥心にいてもたってもいられなくなったのか、勢い余って瞳と同じ赤色の髪の毛がぶちぶちと引き抜かれていく。

幸い吸血鬼は髪の毛も再生するので禿げ上がるようなことはないものの、サーストは手に着いた髪の毛を見るとうっと声を上げて手を払った。


「僕を見下して、嘲笑って、軽蔑して、ゴミだと吐き捨てるあの魔女の顔が今でも頭から離れない。腹が立つならそれでいい。けど僕がその顔を思い出すたびに感じるのはなんて言うか、その、幸せなんだよ。なんだこれ。僕がまるで変態みたいじゃないか。最悪だ本当に……」

「お前がそういう性癖じゃないなら、いまだに魅了の影響があるということか」

「そんな性癖は持ってない!」


サーストは四人いる真祖の中で一番見た目が若い。

人間でいえば十五、六の少年と言ったところだ。

無論外見だけであり、生きてきた年齢でいえばブラッドとそう変わらないのだが、頬を赤く染めて記憶の中の女に悶える姿を見れば思春期の少年そのものともいえる。


「噂には聞いていたけど、正直舐めてたよ。あの魔女の前に立った瞬間、まるで抵抗できずに魅了された」

「お前がそうまで言うのなら、私は手加減されたということになるな」


しかしあの怒りは本物の様に見えたが、手加減する余裕がまだあったということなのか。


「もし狩人を庇っていたのなら、間違って魅了しないよう注意していたのかもしれないな」

「なるほど、そういう考えがあるか」

「お前だって気を付けたほうがいい。過去に魔女との戦闘経験があるからって、あの魅了は反則だ。かなり昔の話だが今思い出すだけでも顔がにやける」


少年が必死ににやけ面を抑えようとしている様は見ていて面白い。

しかし一歩間違えれば自分がそうなっていたとなれば笑える話ではなかった。


「だが結局魔女は何しにここへ来たんだ?」

「さぁな。正直魅了されていた間のことはうろ覚えにしか記憶がない。おまけに魅了されていた僕が覚えようとしていたのはあの魔女の顔や体だけで、今思い返しても……ああ、クソ! 思い出させるな! とにかく気づいたときには研究室で転がってた。何もかもめちゃくちゃにされていたがな」

「殺されなかったのが不思議だな」

「……その価値もなかったんだろう。そういう眼をしていた」


悔しさをにじませた表情をしているが、果たしてその悔しさは何に向けたものなのか。

殺す価値もないと見逃されたことに対してか、それとも魔女にとって価値のある男として見られなかったことに対してか。

問いかけるのは野暮だなとブラッドはグラスの酒を口へと運ぶ。


「昔は付き合いの良かったお前がいつからか研究に没頭するようになったのはそれが原因か」

「そうだよ。僕は僕のやり方でいつかあの魔女を殺してやる。そのためにはもっと優秀な吸血鬼が配下に必要なんだ。自分で言うのも恥ずかしいが、僕みたいに魅了されたら困る」

「だから配下の吸血鬼を刻んで、くっつけて、何か進捗はあったのか?」

「……まぁ、中位吸血鬼じゃ役に立たないことはわかった。それでいっそなりそこないを強化して使えるようにしたほうがマシだと思って今はそっちに力を入れているところだ」


サーストが指をはじくとなりそこないが血の入ったボトルをプレートに乗せて現れた。

外見はよくいるなりそこないと何ら変わりないが、こうしてサーストの指示を聞くという点が研究の成果ということだろう。


「本能に従うままのなりそこないを改良して、命令を聞くようにしてみた」

「メイドにしては外見が問題だな」

「ボトルを持ってくるくらいの作業なら問題ない。とはいえ」


サーストがもう一度指をはじくとなりそこないの頭に風穴が開いた。

そうしてぐらりと当然のように倒れこむ。

ちなみにボトルはブラッドが回収済みだ。


「御覧の通りだ。弱い」

「所詮なりそこないだからな」

「それはそうなんだが、戦闘能力だけでいえば血の薄い中位吸血鬼よりはなりそこないのほうが強い。それに検証してみたんだがなりそこないには魅了の効果が薄かったんだ」

「そういう趣味だったのか? なりそこないを魅了するというのは考えるだけでも悍ましいな」

「馬鹿。誰が本気で魅了したいと思うか。研究の一環だ。おそらく吸血衝動しかないせいで魅了されるということが理解できないんだろう。動きが鈍くはなるが吸血衝動を完全には抑えきれなかった」


獣でさえ子孫を残すためにつがいを作り、子を守るために命を懸けるのだから、魅了、つまりは愛するということを知っている。

しかしなりそこないには吸血衝動しかない。

この世界に存在する数多くの恐ろしいグリムは愛を少なからず知っているからこそあの魔女には逆らえないはずだが、なりそこないは愛を理解できぬがゆえにあの魔女の天敵になりえるのか。


とするならば、それこそがあの魔女に対抗するきっかけになるのではないだろうか。

読んでいただきありがとうございます。

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