なり損ない⑬
老狩人の名はアルベルト・アードモアという。
十五歳で狩人となり、それから五十年も現役であり続けた。
これは狩人がグリムに殺害されることや霊薬による短命化などを考えれば驚異的であり、達成した依頼の内容を合わせて見れば尊敬と称賛を送るにふさわしい人物だということが十分にわかる。
ノルウェーでは個体名付きの上位吸血鬼、ロシアでは屍鬼変異種にバジリスク、イギリスでは集団で人を喰らっていたハグをたった一人で掃討してみせた。
どれも討伐困難な相手であり、それを成し遂げたアルベルトの名は狩人界隈で広く知れ渡っている。
そんなアルベルトの狩人人生の終わりが見えてきたころに訪れたのが日本という地であり、そして狩人人生で最も危険な相手と今対峙している。
累と名乗った菫色の瞳と整った容姿、それに耳のピアスが印象的な女。
その小柄な体格はアルベルトから見れば少女といってもいい外見だ。
今まで殺しあってきたどの怪物よりもか弱く見えるというのに、その内側に秘めた力は見た目以上に違いない。
「怪物大事の時間だ。狩人さん」
その言葉がきっかけだった。
まとっていた人間という皮を捨て、あらわとなった人形の腕が手首を支点に傘のように外へと開く。
有機物と無機物の歪な組み合わせにアルベルトの背筋に寒気が走った。
(まずい!)
ここで動かなければ致命的なことになる。
そう察したアルベルトは地面に張り付いた足を無理やりに動かし累へと迫った。
狙うは首一つ。
先ほどまでの余裕はなく、必死の形相のアルベルトと薄い笑みを浮かべた累を見れば一瞬のうちに立場が入れ替わったことはすぐにでもわかった。
アルベルトを知っている人間からすると、焦ったように突撃するのは彼らしくない行動だと顔を曇らせただろう。
大きな斧と粗暴な言動から、彼をよく知らない人間は彼のことを大斧で力押しに討伐するタイプだと誤解している。
だが実際は少し異なり、大斧を主武器とするのは間違っていないがアルベルトが最も重要だと考えているのは対象の情報収集と事前の戦闘準備だ。
相手のことをよく理解し、それに沿った罠を仕掛け行動を制限する。
そうして大斧で仕留めるのだ。
だが今回はその時間がなかった。
累という存在がどういう性質の怪物であり、どういったものが苦手であり、どんな行動をするのかが全く分からない。
それでも長年の経験と勘からある程度の行動を予期して事前に罠を用意し追い詰めることまではできた。
だがそこまでして仕留めることができなかったが故に、今この瞬間に流れが完全に変わってしまったとアルベルトは悟った。
(あの馬鹿は逃げ切れたか? いやここで逃げられるような奴ならこんな面倒なことにはなってねぇよなぁ……ったく、どうしてこうなっちまったんだか)
累の開いた腕の中にあるのは黒色の液体が入った細い薬瓶が一つと空の薬瓶が四つ。
そのうち二つの空瓶が累の手によって赤と黄の液体が入った薬瓶と交換されると、開いた腕が元へと戻っていく。
銃の装填よりもそれはずっと早く、アルベルトが振るう刃はまるで間に合わない。
しかしそれでもと大斧に最大の力を込めた。
「ちっ……遅かったか!」
アルベルトの悔恨に満ちた声と甲高い金属音が響くのはほぼ同時だった。
長年数多の怪物を共に屠った大斧は、目の前の細い女の首を狩り取るどころか自身の刃に大きな亀裂を残して敗北を叫んでいた。
普通に考えればこの大斧が人ひとりの首を刎ねることすらできないなどありえない。
「鱗だと? なんなんだお前は!」
「屍人形。少し特殊だけど」
累の首元には先ほどまではなかった青色の鱗があり、それが斧の刃を防いだのだろう。
だが大斧の刃を砕くほどの鱗などそうそうありえない。
それもただの屍人形が突如として首に鱗を生やすなどありえない。
(どうなってやがる!)
今までの経験が全く役に立たない現状にアルベルトは歯噛みする。
それにここで時間をかければかけるほど本来の目的を達成できなくなる可能性があった。
焦りが思考を鈍らせ、それがまた焦りを呼ぶ。
だがアルベルトがここまで生きてこられたのはそんな予想外の事態が起きても決して考えることをやめなかったからだ。
軽く息を整え、アルベルトはいったん眼前の怪物のこと以外のことはすべて脳から切り離した。
(さっきの腕に入れた液体が怪しいが、屍人形ってのはそんな機能あったか? いや無いと思うが……それは造った奴次第か?)
屍人形は死者の魂を生前の生者に似せた人形へ移し替えて生まれたいわゆるゾンビの亜種である。
ゾンビは器に死者の肉体をそのまま使うので腐敗していくが、屍人形はそうならない。
むしろ器である人形によっては生前よりも強靭になるだろう。
そのため屍人形の強さは人形を造る人形師の腕によるところが大きい。
しかも死霊魔術と器となる人形の成型技術の二つが必要なため、そうそう見ることができない珍しい怪物だ。
そのためアルベルトには屍人形に対する知識がほぼないと言ってもよかった。
過去に屍人形を討伐したという狩人の話を人づてに聞いたことがあるが、その屍人形は体に武器を仕込んでいたという程度で謎の液体を取り込むだとか肌に鱗を生やすなんて話は聞いていない。
(ったくこんな化け物相手じゃ考えたところで埒が明かねぇな)
とはいえ真正面からぶつかったところで大斧が使えない今は決め手がない。
後退しながら向かうのは事前に罠を仕掛けたポイントだ。
先ほどまでのボウガンと同じだが、仕掛けられた矢は標的に着弾次第爆発する危険な代物である。
「また罠?」
「はっ! わかってたって避けられるかは別だろう!」
累の落ち着き払った態度に、この仕掛けでも意味がないのではという予感がよぎる。
しかしここでほかに手はない。
投げつけたナイフが仕掛け糸を断ち切ると、累めがけて四方から計十二本の爆破矢が飛んだ。
先ほどの鱗の強度を見れば大したダメージを追わせることはできないかもしれない。
だがせめて動けなくすることさえできれば、という希望とともに放った矢が次々と爆発していく。
そう爆発した。
累に着弾するよりもずっと早くに。
「冗談だろ? ガキが読んでた日本のコミックにこんなキャラクターがいたのを思い出すぜ……」
放たれた矢がすべて燃やされ爆破されたのだ。
あの女がドラゴンのように口から吐き出した業火によって。
「子供? いるんだ?」
肩をすくめて応えると、再び息を大きく吸い込んだ累がアルベルトめがけて業火を吐き出す。
咄嗟に視界を埋め尽くす炎に投げつけたのは水精霊の粉末だ。
広がる巨大な水滴が業火を受け止めると水蒸気が周囲に吹き荒れる。
だがドラゴンの如き息吹を水精霊ごときが受け止められるだろうか。
無理だ。
水滴は瞬く間に蒸発し受け止め切れない炎がアルベルトへと襲い掛かる。
「ぐ……ぉぉおお!!」
肌を焼き喉を熱し肺が干上がるような感覚。
それを耐火性のあるコートに隠れるように防ごうとするアルベルト。
しかしその業火の中から黒い影が飛び出したかと思うと、とても小娘に蹴飛ばされたとは思えないほどの衝撃が腹部を襲った。
アルベルトの体は宙を舞って地面に一度ぶつかるとその勢いのまま倉庫の壁へとたたきつけられる。
「……燃料切れか。結構貴重なのにもったいない。でもまだ水精霊の粉末を持ってるとは思わなかった」
黒く濁った薬瓶を放り捨てながら、ゆったりとアルベルトに近づく黒い影は累だ。
「お前は……なんなんだ……」
ドラゴンのような鱗にブレス、そして急な筋力増強。
まるでいくつもの怪物が複合したような、キメラとも言える存在。
そんな怪物の中の怪物に今まで出会ったことなどアルベルトほどの狩人でも経験になかった。
「屍人形で、狩人で、一番大事なのがバーの店長。狩人は副業」
累が静かにそう話しかけながらアルベルトへと近づく。
アルベルトのほうはというと体を動かすことができない。
これまで狩人として生きてきた彼の生涯において、これほど無防備な姿を敵にさらすのは初めてだった。
負けたことがないわけではなかったが、その場合でも逃げられるだけの余力は残していたし、敵が勝ち誇ったように近づいてきたときには逆転の手が必ずあった。
しかし今はそれがない。
「あなたを殺すつもりはない。でも仕事だから、あのなり損ないは始末する」
「……まぁ、負けたんだから仕方ねぇな。だが俺を生かしてくれるとは……いつかお前を殺しに行くかもしれんぞ」
「そんなことしないでしょ? 狩人同士殺しあうことはあってもそれは依頼があるから。狩りが終われば全部水に流す。それが狩人だし」
「普通はそうだな。けどお前はグリムだろ? 俺がお前を狩りに行ってもおかしくはないんじゃないか?」
「まぁ、それは確かにそう。でももし次襲ってくるようなことがあったら、多分フィズが怒る。やめたほうがいいと思う」
累が遠い目をして眉を寄せた。
もしかしたら過去にそういうことがあったのかもしれないが、ここに彼女がいる以上その結果は察することができる。
それに彼女の助言はこちらを本気で心配しているようにも感じた。
「わかった。ここで生かしてくれるならその恩を仇で返すような真似はしねぇよ。お前は無意味に人を殺すような怪物でもねぇみたいだからな。ただ……」
「ただ?」
続く言葉をアルベルトは飲み込んだまま黙り込んだ。
目の前の累という屍人形はいい。
まだ人間として会話ができるし身の危険がない限り敵対はしないだろう。
だがあの女。
表情豊かで美しく愛らしく誰からもその存在を望まれる混血児。
あの怪物は信用できない。
「いやなんでもねぇさ」
喉から出かけた言葉をアルベルトは飲み込んだ。
狩人は依頼がない限り変に踏み込んで危険を呼び寄せるようなことはしないのが鉄則だ。
「そう? じゃ、また。これバーの名刺。客としてなら喜ぶ」
「はぁ? こんなところで客引きかよ?」
軽く手を振って累が去っていくと、耳に響くのは静かな波の音だ。
優しく頬を撫でる潮風が熱で火照った体に心地よい。
やれるだけのことをやって敗北したという感覚も相まって、アルベルトは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「悪いな。結局最後まで出来損ないのクソ親父だ」




