なり損ない⑫
「追いかけてくるんじゃないかとは思っちゃいたが、よくここだってわかったな。だが残念ながらもうなり損ないはここにはいないぞ。とっくに依頼人に引き渡したからな」
倉庫から出てきたのは予想通りの人物である。
今回は右手に累の持つものよりも一回り以上大きい斧を持っていた。
狩人によって扱う武具は異なるが、古い歴史の中で斧を扱う狩人は数多いためこれが老狩人の主武器なのだろう。
「嘘。まだ近くにいる」
本当にここから離れた場所にいるのだとしたら、老狩人が待ち構えている理由がない。
累たちを馬鹿にしたいだけなら別だが、そこまで老狩人はこちらに執着していないはずだ。
それに匂いがまだここらに充満している。
「フィズ、これ。私の血の匂いを追って」
累がフィズに手渡したのは薄い黄色の液体が入った小瓶だ。
これは累がいくつかの素材をブレンドした霊薬と呼ばれるもので、嗅覚を向上させる効果がある。
今回のような匂いを頼りに目標を追うのに役立つので、累だけでなく多くの狩人が自分用のレシピを持っているよく知られている霊薬だ。
「私ならこんなの使わなくたって累さんの香りを追うことくらい余裕ですよ?」
「そこまで臭くない」
「そういう意味じゃなくて、いい匂いだって話です」
「とにかく追って。見つけるだけ。何もしない。手は出さない。いい?」
「あれ信用されてないです?」
「……信用してる」
「ちょっと間があったのが気になりますがそういうことなら頑張ります! 後でほめてくださいね!」
そういうや否やフィズはふらりと無防備な状態のまま老狩人へと駆け寄っていく。
正確には老狩人の後ろにある扉から倉庫へ入ろうとしているのだろうが、あまりにも唐突かつ警戒心のなさに老狩人自身も一瞬あっけにとられて動けなかったほどである。
老狩人は立ち直るとすぐさま右手に持った斧をフィズへ振り下ろそうとするが、すぐそばで身の毛のよだつような刃が自分の首めがけて振り下ろされんとしているのにフィズはちらりとも視線を向けない。
そしてその凶悪な刃は累が振るった手斧にはじかれフィズの白いうなじに届くことはなく、本人は何事もなかったように倉庫へと入っていった。
残ったのは信じられないものでも見たと言いたげな老狩人に疲れたような顔の累、それと少しずつ遠ざかっていくフィズの鼻歌だ。
「なんだあいつは? いかれてるな!」
「それは私もそう思う。まぁ完全に信頼されてるって、悪い気分ではないけど」
「そういうもんかね。若いやつの趣味はよくわからねぇや」
やれやれといった様子で片手を首に当てていぶかしむ老狩人に対して、累は少し距離を取ってから口を再び開く。
すぐさま斬りかかることもできたのだが、その前にもう一度くらい話をしてみてもいいだろうと思ったのだ。
「依頼内容はどこまで? なり損ないを届けるだけなら、私たちを止める必要はないと思う」
「まぁ確かにお前の言う通りなわけで、そう言われりゃそうなんだがな。生憎ここをどく理由が俺にはねぇんだよ。俺は今すぐにでもあのいかれた化け物を止めなきゃならねぇ。わかったんならもう黙ってろ」
「残念だ」
どうにも話が通じない男だ。
老人は頑固になると言われているが、そう言われる原因の一つは自分の経験則が若者に劣っているはずがないと思い込むことにあると言われている。
それに当てはめればこの老狩人は目の前の小娘に負けるはずがない、と思っているのかもしれない。
わざわざ交渉するほどの相手ではないと。
そう考えると少しばかり癇に障る部分もあり、累は不機嫌そうに老狩人を睨みつけた。
「後で後悔しても、遅いよ」
「馬鹿が。後悔しないためにここにいるんだ」
先に動いたのは老狩人だ。
屋上と全く同じように投げつけられたナイフを、累は先ほどと変わってたやすく回避して見せる。
やはり避けるだろうと予期していた老狩人は動じることもなく直線的に距離を詰め始めるが、右手の大斧を警戒している累としては距離を取りたい。
あれを食らえばいくら人間以上の耐久力を持っていようがただでは済まないと嫌でもわかるのだが、老狩人は見た目以上の俊敏さだ。
あんなに重そうな獲物を持っているというのにたやすく累へと食らいついてくる。
(歳の割に素早い)
ならばとショットガンを老狩人へと向けると、突如飛来した何かにショットガンがはじき落された。
「は?」
一瞬何が起きたのかわからずあっけにとられるのもつかの間、地面に転がったショットガンを拾う間もなく老狩人の斧を避けるという選択に迫られた。
戸惑いつつも転がるようにして斧を避けるが、その瞬間左肩に何かが突き刺さる。
「え!?」
痛みがなくとも左腕のきしむ音に累の顔が混乱と焦りで歪んだ。
そしてその状況こそ老狩人が望んだものだ。
突如全く把握できていない攻撃にさらされたことによってできた隙を狙って、老狩人は渾身の力を込めた斧を累へと振るう。
「ッ――!!」
間一髪ながらそれを手斧で防いだ累だったが、老人とも思えぬ力が込められた一撃に体ごとコンテナへとたたきつけられてしまった。
コンテナが歪むほどの衝撃にすぐさま立てない累へ向かって、さらに追い打ちをかけようとする老狩人。
しかしその視界が突如まばゆい光でふさがれた。
「クソ……スタングレネードか。おいどこ行きやがった! 逃げるわけじゃないだろう!」
常人なら耳をつんざく爆音と目を焼くような光に聴力と方向感覚を失い、失明や気を失うこともあり得る近代兵器だ。
吹き飛ばされたタイミングで咄嗟に投げつけたのだが、狩人として鍛え上げられた肉体や日々積み重ねられた霊薬の効果か、老狩人にはさほどの効果はなかったようだ。
とはいえ一瞬でも視界を奪うという目的は達したようで、すでに老狩人の視界内に累の姿はない。
そして当の本人はというと、ほんの少し離れた倉庫の影へと潜んでいた。
「困った。思ったより強い。歳とってあの強さって全盛期いつだ? こんなのまで仕掛けるとか」
油断していたわけではなかったのだが想像を超える強さであり、そもそもなり損ないを届けるという依頼が終わったのにここまで本気で戦うのが累には理解できない。
左肩に突き刺さっていたのはボウガンの矢であり、累たちがここへ来る前に遠隔操作可能なボウガンをいくつか仕掛けていたのだろう。
これがいくつ仕掛けられているかは不明だが、射線に誘導してうまく的中させるなんてよほどの経験がないとできない芸当だ。
「しかもスタングレネード……そんなに効いてない。なんで? ほんとに人間?」
「いつまで隠れてんだ! お前を置いてあいつを追ってもいいんだがな!」
「それは、困る。……困る」
大きくため息をついてから倉庫の影から累が飛び出すと、老狩人が待っていたと言わんばかりに笑みを浮かべて見せた。
余裕の表れなのだろうが、狩人としての腕前では比べるまでもないことは十分理解したので累は黙って肩をすくめる。
「やっと出てきたか。お互い時間は大事にしたいだろう。逃げ回るのはやめたらどうだ」
「強いね。狩人として敵わないことはよくわかった」
「ほう殊勝なこったな。だったらどうする? あいつを連れてここで引くなら見逃してやってもいいぞ」
「それは無理」
累は持っていた手斧を捨て羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てる。
そしてシャツの袖を肘のあたりまでめくると、累は心底面倒そうにため息をついて見せた。
「フィズの奴、このままじゃ勝てないってわかってたな」
累が左腕をすっと横に伸ばす。
白鳥の首のように白く細い左腕、それが青白い雷を放ったかと思うと残ったのは球体関節を持った人形の腕だ。
一流の職人が丹精込めて作り上げたであろうなめらかな球体関節と、それに連なった変わらぬ白い腕。
指の一つ一つの関節も球体によってつながっており、目線を腕から顔へと移せばそこだけは人間の顔がそのまま残っている。
「怪物退治の時間だ。狩人さん」




