刑と燎㉝
アルベルトは一人ルーマニア協会本部の中を歩いていた。
マスカレードナイト襲撃前と比べて人が少なく落ち着いた雰囲気はあるものの、そこで働いている職員の顔はいまだに興奮に満ちている。
彼らが互いに囁きあうのは英雄たちへの賛美と憧れ。
曰く、マスカレードナイトを襲撃し吸血鬼を推定五百以上討伐するなど伝説的である。
曰く、吸血鬼のドリンクサーバーになりかけた人々を大勢救いだしたことは英雄的行動だ。
曰く、サプライズ登場した燎の魔女を撃退したことはこの作戦の成功を決定的にした。
などなど今回の作戦は大成功にして歴史的戦果である、という扱いをされていた。
しかし当事者として参加したアルベルトはどうか。
馬鹿を言うな、という感想に尽きる。
確かに吸血鬼は大勢狩ったが、それは乱入した刑の魔女によるものが大半だ。
しかもその被害に巻き込まれて狩人の大半が死亡しているし、人々を救ったのも事実だがそれは五十人にも満たない極僅かな数だ。
あの城の巨大さを見れば五十人という数はグラスから零れ落ちたほんの数滴の血でしかない。
吸血鬼どもは気にしていないか、そもそも気づいてすらいないのではないだろうか。
そして極めつけは燎の魔女であり、撃退などと言い出したのは誰なのか。
おそらく報告を受けた幹部連中なのだろうが、誇張するにも程度というものがある。
狩人は燎の魔女と戦闘すらしていないというのに、いつの間にやらアビーとアルベルトの二人が撃退したということになっていた。
ただ目の前に立っていただけのことを戦闘というのならば、お前らにもできるじゃないかとほらを平然と広める幹部連中を魔女の前に立たせてやりたくなる。
本当なら実際にやってやろうかとも思ったし、もしくは数発顔をぶん殴ってやろうかと拳を握りこんだりもしたのだが、残念なことにアルベルトはフリーの狩人であって協会の幹部に直接会えるような立場ではない。
そしてこういうことを嫌って怒りだしそうなアビーは父親のことで手一杯なため、アルベルトとしてはアビーたちを静かにさせておきたいこともあって不服ながらも広まったデマを受け入れていた。
とはいえ今回協会に足を運んだのも、エドワードの部屋からあるものを取りがてら、もし幹部に出会うことがあったら殴ってやろうと思っているからである。
そんなアルベルトが目当ての馬鹿はいないかと視線を巡らせていると、まだ若い狩人たちの姿が見えた。
「おい、あれ。アルベルトさんだよな?」
「凄腕のフリーの狩人! 魔女を撃退した英雄だろ!」
「すごいなぁ……。やっぱりフリーの狩人は依頼難易度が高いって話だし、フリーのほうが鍛えられるのかな」
「協会にだってアビーさんがいるじゃない。あの人みたいに私たちも鍛えるのよ。次回のマスカレードナイト襲撃があるならその時こそ参加できるようにね!」
などと聞きたくもない話が聞こえてしまうのは熟練狩人の弊害か。
本人たちは作戦に参加できなかった三等狩人のようで、悪意がないとはいえ事実でもないことで持ち上げられるのは居心地が悪い。
かといってわざわざ彼らのもとへ行って、それは嘘だから止めろなどと言う気にもなれず、アルベルトは彼らに気が付かなかったと装いながら早足でその場を去った。
「ったく浮かれやがって」
誇張されているとはいえ久方ぶりの大戦果なのだから仕方がないのかもしれないが、それにしてもこの協会の雰囲気は浮ついている。
おそらくヨーロッパの協会であればどこもそうなのだろうが、その中でもアルベルトとアビーのいるルーマニア協会は特段に浮かれているに違いない。
喉から手が出るほどに欲しかった勝利という名の美酒。
それを全員が存分に味わっている最中なのだ。
しかしそれが薄められた安酒だと知っているアルベルトからすると文句の一つも言うなというほうが無理だろう。
道中ほかでも尊敬や好奇の視線に晒されながら、アルベルトは逃げ込むようにしてエドワードの私室へと入り込んだ。
部屋の主がいないせいかここだけは協会内でも以前から何も変わらない。
ようやく落ち着けたことに軽く息を吐きながら、アルベルトは目当ての物はどこかと視線を巡らせる。
「確かこの棚だったか」
扉を開けばグリムに関する資料が綺麗に整理されているが、よく見れば資料が前に飛び出ている。
アルベルトは手前に飛び出た資料を近くのソファに放り投げ、空いたスペースを覗き込めばそこに目当てのものを見つけて口元に笑みを浮かべた。
「隠し方が雑だな。ってか隠す必要あるか?」
取り出したのはエドワード秘蔵のウィスキーのボトルだ。
別に協会のルールというわけでもないのだろうが、酒を飲むとアビーあたりに文句を言われるからなのか。
自分の友人がせっせと隠し場所を考えていたことを想うとおかしくて笑いがこぼれるというものだ。
「まぁこれで十分だろ」
ボトルを片手に部屋の扉を開けば、驚いた顔が二つあった。
片方はおそらく協会の人間で、もう片方はアジア人のようだ。
どっちの顔にも見覚えはない。
「だ、誰だお前は! なぜこんな場所にいる!」
「あ? 俺はこの部屋の主に許可は貰ってんだよ。そっちこそ誰だ」
声を上げたのは現地の人間であろう男だ。
アルベルトの威圧を込めた突き刺されるような瞳に怯えたのか、距離をとるように彼は数歩後ずさる。
しかしプライドはへし折れていないのか、距離を開けたことによる安心感か、彼は改めて大声を上げ始めた。
「わ、私はルーマニア協会の幹部だぞ! その言葉遣いは何だ貴様! 協会の人間なら私に敬意を——」
そこで男が吹き飛んだ。
もっと正確に言えばアルベルトに頬を殴られ背後の壁に後頭部をしたたかに打ち付け、気を失って地面に横たわっている。
幹部というにはあまりにも、という姿だ。
「この程度も避けられねぇくせに特等で幹部かよ。エドワードが嘆くわけだ」
「まぁヨーロッパの協会全体が狩人を失って質が低下していますからね。実力のある幹部は燎の魔女との戦闘で一番に亡くなっていますよ」
「お前は?」
隣から口を出してきたアジア人と思われる男。
彼に拳を握り締めながら問いかけると、それで殴られるのはごめんだと言わんばかりに片手を振って男は応える。
「いえいえ私は日本協会の人間です。正確には元ですが、遊佐といいます。貴方はフリーのアルベルトさんですよね。お会いできて光栄です」
愛想がいいように見えてどこか裏のある笑みがアルベルトの神経を逆なでする。
とはいえ床に転がったデマの源泉と違うのであれば殴るわけにもいかず、アルベルトは遊佐という男が差し出した手を仕方なしに握り返した。
「日本では不幸なすれ違いがあり、協会の狩人が何名か貴方と殺し合いになったとか」
男の手に力が入る。
笑みを浮かべたままではあるが、瞳はどろりとした感情に包まれているようだ。
床に転がる男よりも遥かに強さを感じられるが、それに怯むアルベルトではない。
「ああ、こっちも依頼なんでな」
「そうでしょうね。依頼であれば仕方ない。狩人とはそういうものです。ええ、貴方は実に優秀な狩人だ」
握っていた手を離したことで、遊佐は薄い笑みを浮かべたままだが瞳の暗い感情は奥へ消えたようだ。
少しばかり重くなった空気をよくしようとしたのか、遊佐が困ったように床に転がる男へ視線を送る。
「彼にはこの協会を案内してもらっていたんですよ。この部屋も今後は私が使うことになったようなので」
「この部屋はエドワードのだろ。どういうことだ」
「ああ、まだご存じではなかったのですね。エドワード・フォード特等が負傷により狩人としての復帰は絶望的だとルーマニア協会は判断したようで、代わりに私がこちらの幹部として席に座る形になったんです。協会に長らく尽力してきたフォード特等には悪いと思うのですが……」
どこか思う所があるのか、遊佐は言いにくそうに言葉を区切る。
対してアルベルトは不機嫌さを隠しもせず、あからさまに顔を歪ませて見せた。
確かにエドワードは命こそ繋いだものの、傷が深く狩人として復帰することはもうできないだろう。
だからと言って引退した男を引きずり出し、マスカレードナイト襲撃という無茶な狩りに突き合わせ、挙句命を失う所だった男に対して協会はこんな仕打ちをするのかと思わずにはいられない。
今回の狩りの真の功労者はアルベルトでもなければアビーでもなく、未熟な狩人たちを守ろうと努力したエドワードだ。
それを理解もしなければ刃に亀裂の入った斧はいらないとばかりに打ち捨てる協会への不信感と怒りは凄まじいものだった。
いっそこのまま幹部連中の首を刎ねてやろうかと考えてしまうほどに。
「気持ちはわかりますよ。私も今回の協会の判断はあまりにも不誠実だと思っています」
「でもお前は空いた席に座るんだろ」
「そうですね。幹部の席を空けておくわけにもいきませんから。もしエドワード特等が復帰されるなら喜んで席をお返ししますよ。そうすれば私も日本に帰れますからね。正直に言えば私だってここに来たかったわけではないんですよ。ただ日本で少し性急に事を進めすぎたせいで、向こうの本部長と対立してしまって……それでこうして理由をつけて追いやられたわけです」
「なるほど。ここは左遷先ってわけか」
「まぁ……あまり魅力的な職場ではないですね。とはいえここでしかできなこともありますから、これはこれでよかったとも思っていますが」
「何する気か知らねぇが俺は興味ねぇよ」
迸る怒りを必死に収めようと努力しつつ、遊佐に背を向けアルベルトは歩き出す。
エドワードやアビーはこのことを知っているのだろうかと憂鬱な気分になりながら協会を出て向かうのは、エドワードが入院している病院だ。
表向きは一般の人間も通う普通の病院だが、グリムの研究施設が地下にあることをアルベルトは知っている。
そして今回の様に狩人が負傷すればその研究成果を生かした治療を行うというわけだ。
連綿と受け継がれてきた彼らの治療法は現代の医療技術とは異なり、狩人相手だからこそできる霊薬を利用した治療が主である。
現代の医療技術がいくら優れているとはいえ、グリムから負った傷や毒に呪いなどは彼らの専門外であり、この病院のスタッフだからこそエドワードの命も救われたと言えるだろう。
そんな彼らに内心で敬意を払いつつ、アルベルトはエドワードのいる個室へと足を運んだ。
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