刑と燎㉜
サテンと名乗った魔女のパートナーがどういう力を持ち、どんなグリムなのか。
それらの情報は一切ない。
そしてそんなサテンが突如としてまばゆい光に包まれれば、狩人として訓練されているアビーでさえも思わず目を瞑ってしまうほどだ。
「え!?」
気づいたときには両手両足が拘束されているとなれば動揺するのは当然だ。
十字架へ貼り付けにされ、眼前には宙に浮いた槍が固定されたアビーの胸を貫こうと矢をつがえるようにして引き絞られている。
「うぁ——ッ!!」
「アビー!!」
パニックになりながらも両腕に力を入れて枷を外そうと暴れて見れば、これが意外と簡単に外れて足を拘束されたままにアビーは無理やり身をよじる。
肌をかすめる怖気とがつんと十字架に何かが突き刺さった音に思わず自分の体を見下ろすが、幸運なことに体は無事だ。
残った足かせも銃で撃ちぬいて破壊し地面に降り立つと、どうやら同じく拘束されていたらしいエドワードも娘の無事な姿に安堵した表情をアビーへと向けた。
「うむ。やはりオリジナルほどの力は出ないか。外見はこうして完全にコピー……いやオリジナルよりも光が淡いか? となるとこの光は内面の感情が関係しているのか? ううむ。確かに余はオリジナルほど羞恥心を捨ててはいないしな」
誰だ、というのがアビーの率直な感想だ。
眼前に立つのは体中から光を迸らせた黄金の美女であり、その体にはマントの他には何一つに身にまとっていない。
「気を取られるなアビー!」
エドワードがそう叫んで謎の女へ向けて斧を振りかぶった。
確かに今は戦闘中であり、少なくとも眼前の女は敵に違いない。
呆けている暇があるなら戦うべきだ。
「よい! では次だ!」
黄金の女が斧を目前にして叫んだ、そう思った時にはすでに別人がそこにいた。
エドワードの斧が一瞬動きを止めたのも、誰が相手でも戦わなくてはと思ったアビーがその直後にまた動きを止めたのも、眼前に現れた新たな女があまりにも美しいからだ。
「……紛い物でも多少は魅了されるのか。気持ち悪い」
白髪に藍色の瞳を持った美女は、その美しい外見とは裏腹に吐き捨てるようにそう言い放った。
そして本来ならばエドワードの斧がその整った顔を頭蓋の中身ごと叩き割っているはずなのだが、彼女の顔を半分隠すようにして斧を防いでいるのは聖者への憎しみを瞳に宿したゾンビだった。
「オ、オーレル……」
彼ならばエレベーターで危険を知らせて死んでしまったではないか。
そう否定するようにアビーが口にした名にゾンビはただ呻き声で答えるばかりだ。
その頭部にはエドワードの斧が深々と突き刺さり、まだ人間のように赤い血がどろりと額から滴り落ちる。
「死体を操るのか!」
「……はぁ。こうして姿を真似てみればオリジナルの気持ちもよくわかる。ゴミとは話す気にもならない」
美女はアビーとエドワードに視線を送ることすらせず、ただうんざりとした様子でそうため息をつくばかりだ。
そうして彼女を守るように、オーレルと呼ばれていた狩人の死体が二人へと襲い掛かる。
「くそ!」
エドワードは死してなお苦しみを与えられる同胞を救うように、彼の首を切り落とした。
動く死体だったものは床に転がり、今度こそただの死体となって動かない。
ゾンビとはいえ同胞を手にかけたエドワードとその姿を見たアビーの表情は暗く、眼前の女を許すことはできないと強く睨みつけた。
だがほんの少し彼女が口元に笑みを浮かべれば、その気持ちが霧散するように敵意が薄れるのだ。
「仲間を無残に扱われても、そうやってすぐに魅了される。オリジナルも嫌がるわけだ」
見透かされたことに腹が立ったのか、それとも魅了されていたということを認めたくないのか、いずれにせよそういった反骨心のおかげでアビーは美しくも恐ろしい女へと銃口を向けることができた。
そしてこれ以上何かが起きる前に、と引き金を引く。
——だが、やはりそう簡単には終わらないらしい。
「え、どこに?」
銃声が二発。
外すような距離ではないはずなのだが、眼前にいたはずの女の姿はない。
異変にいち早く気づいたのはエドワードだ。
先ほどよりも周囲がわずかに暗く、その原因が自分たちを影が覆っているからだと気づいたのだ。
そうしてその影が何なのかと見上げれば、またもや見たこともない女が満月を隠すように空で羽ばたいている。
いや正しくは少女か。
「どいつもこいつもこうして使うとなかなか難しいのよね。オリジナルよりは力が落ちるし、そもそも魔女の力って使いにくいのよ」
小生意気な顔をした小学生くらいのドレスを着た少女だ。
背中から翼竜に似た翼を生やし、空中で羽ばたきながらこちらを見下ろす、というよりも見下している。
「魔女だと!?」
「そうよ。なに、まだ気づいてなかったの? だから人間ってやっぱり馬鹿。どうせ最期になるから特別にって私が順々に魔女の姿を見せてあげたってのに気付かないなんて。そんなんだからいつまでたっても魔女に勝てないのよ。さっさと諦めて死ねばいいのに」
少女が翼を大きく羽ばたかせれば、激しい突風が二人を地面へと叩きつける。
堪らずエドワードは膝を折り、アビーは地面に倒れながらも少女へ向けて引き金を引いた。
しかし少女はくるりと回転して容易くそれを回避してしまう。
「げほっげほっ!」
「人間って脆すぎ」
「な、なんなのあんたは!」
「え、まだ気づいてないの? ドッペルゲンガーに決まってるじゃない! こんなにコロコロ姿変えるグリムなんてほかにいないでしょう? 言われるまで気づかないなんて狩人としてどうなのそれ」
アハハと笑い出す少女にそんなドッペルゲンガーがいるわけないだろと言い返したい。
普通のドッペルゲンガーが姿を真似たとしてもそれはあくまで外見のみの話だ。
その対象の力、ましてや魔女の力など使えるわけがない。
「まぁ魔女に作られた特別性なのは間違いないけど、それでもこの程度が限界なのよね。それに姿を変えると言動が引っ張られるし、やっぱり私って自分のことだけどドッペルゲンガーって嫌い」
不貞腐れたような顔で背に生えた翼をしまい込むと、見上げるほどの高さにいたというのに重力を無視したような安定感のある着地を披露して見せる。
そしてそこに立っていた姿はまたもや別の人物だった。
ただこの姿は幸か不幸かアビーとエドワードの二人でも知っている。
「んじゃ最後はやっぱり俺か。ヨーロッパの狩人って言ったらこの姿が一番好きだろう?」
炎を身に纏った鬼人。
見間違いようがなく、それはこの地の狩人が何よりも恐れる魔女の姿だ。
「俺がこの姿をしてるところを見られたら怒られるんでな。さっさと終わらせるぜ」
熱を凝縮し赤々と染まった右腕が周囲の空気を歪ませ、燎の魔女は大きく振りかぶってその腕を地面へと突き立てる。
吸血鬼によってよく手入れされたであろう芝生が盛り上がり、その下からあふれ出たのは津波のようにアビーとエドワードへ迫る業火だ。
「近寄れアビー!」
逃げ場のない迫り来る炎の壁に思考が停止しかけたが、その声によってアビーは半ば反射的に父親のもとへと駆け寄った。
「それでどうすんだよ。最後に二人仲良く焼け死ぬか?」
腹立たしいがその通りだ。
後ほんの数秒後には寄り添いあった親子の焼死体が出来上がるだけで、近づいたところで何か手立てなどあるわけがない。
そう悲観したアビーではあったが父親であるエドワードは娘の死を許容する気など一ミリたりとないようだ。
エドワードはアビーを強く抱き寄せると、懐から出した小瓶の液体を二人の体へと投げかける。
少しとろみのある液体で、肌に触れると液体それ自体が意志でもあるかのように体全体へと広がっていき、そうしている間に次にエドワードが取り出したのは折りたたまれた布であり、向こう側が透けて見えるほどに薄く頼りない。
それを大きく広げてエドワードはアビーをそれで包み込んだ。
なぜ自分だけと抗議する暇もなく炎が二人へと襲い掛かる。
エドワードはアビーを守ろうと強く抱きしめ、アビーは父親の腕の中で業火が自分たちを焼く音を聞いた。
そうして炎の音と、父親の苦痛の声とを聞き続けてどれだけ立っただろうか。
燎の魔女が呆れたような声を出し、自分たちがまだ生きていることにアビーは気が付いた。
「マジか。まだ生きてやがる」
「パパ!」
自分自身の体は業火に包まれたとは思えないほどに綺麗だ。
僅かにあの布がカバーしきれなかった足元が火傷しているだけでほかに傷らしいものはない。
対してエドワードはひどいものだ。
アビーを庇ったせいかスーツの背中や腕の部分は中の皮膚ごと焼け爛れてくっついてしまっている。
「パパ!!」
「だ、大丈夫だ。淑女がそう大声を出すものじゃない……」
ぐらりと倒れかけたエドワードがまだ余裕があると見せるようにそう微笑んで見せた。
頬も火傷し明らかにやせ我慢をしている笑顔だが、それでも父親が生きていることにアビーの目じりに涙が浮かぶ。
「やっぱりオリジナルほどの力は出ねぇな。それに時間切れか。半分まであと一人だからどっちかは殺したかったんだが」
チッ、と舌打ちをすると、燎の魔女の姿が掻き消え、そこに立っていたのは燎の魔女ではなくそのパートナーの姿だ。
「バキシェ様がお帰りになったみたいなので私もここでお暇します。せめて半分はいっときたかったんですけどねぇ。まぁ仕方ないか」
そんな言葉を残して姿が見えなくなる。
本当に逃げたのかという疑いからアビーはエドワードを支えたまま警戒を続けたが、先ほどまでと違って周囲は静まり返っていた。
だがそこに駆け寄ってくる足音が響き、アビーは慌てて銃口を向ける。
「おいおいどうした落ち着け」
「アルベルト!」
影から飛び出したのは待ち望んだ狩人の姿だ。
思わず安堵から膝が揺れて崩れ落ちそうになってしまう。
「アルベルト、パパが! パパが私を庇って!」
弱り切ったエドワードは大声を出すアビーを咎めることもできないらしい。
アビーはエドワードを優しく地面に横たわらせると、父親を助けてとアルベルトを見上げる。
だがそこにいたアルベルトはなぜか斧を振りかぶっていた。
なぜ、と理解ができずに呆けているアビーを誰かが突き飛ばす。
そして鮮血が芝生を染めた。
振り下ろされた斧の刃がエドワードの肩口から胸を大きく切り裂き、その傷から血がとめどなく溢れ出ている。
「これで半分か。まぁ最低限だな」
「あ、あぁ……あああああああああああああああああ!」
アルベルトがにやりと笑い、そこでアビーは自分の失態に気が付いた。
相手はドッペルゲンガーだとわかっていたのに、私はなんて馬鹿なことをと。
「すぐに後を追わせてやるからそう泣くな」
「んなこと俺は言わねぇよ!」
「な——!」
斧の刃が再び煌めいた。
しかしそれはアビーたちを切り裂くものではなく、アルベルトがアルベルトを狙ったものだった。
眼前には二人のアルベルト。
片方はアビーたちに刃を向けて、もう片方はアビーたちを守るように立って。
「ア、アルベルト……なの?」
「見りゃわかんだろ。でなきゃお前らを庇わねぇよ。エドワードを背負ってエレベーターまで急げ」
「う、うん!」
父親を背負えば流れ出る血が背中をつたってただただ恐ろしかった。
この血が流れ出るたびに父親の命は失われていく。
それがたまらなく恐ろしい。
「あぁ、本当に時間切れですね。今度は本当に帰りますよ」
「失せろ」
「はいはい」
いつの間にか姿を元に戻していたサテンがそうアルベルトに恫喝されて去っていく。
本当に去ったかなど信じられないが、今はとにかくここから離れることのほうが重要だ。
「手伝ってアルベルト!」
アルベルトがエレベーターの扉を開き、そこへアビーはエドワードを寝かせた。
すぐさまボタンを押せばエレベーターは期待通りに上へ上へと動き出してくれる。
だが今はその時間があまりにも長い。
「……パパは助かる?」
「さぁな」
憮然としたアルベルトがエドワードの止血をしながらそう答えた。
エレベーターはまだ止まらない。
この長い待ち時間が父親を死へと引き込んでいるようでたまらなく恐ろしい。
「死なないで……」
父親の手を握り、縋り付くようにして祈る。
アビーにはそれしかできず、ただただ自分の無力さが憎かった。
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