刑と燎㉛
「向こうは大丈夫だと思う?」
「その様子だと心配してるのはアルベルトのことだけじゃないようだな」
前を行く父親がいたずらっぽい笑みを浮かべてこちらへと振り返る。
その顔がちょっと嫌でアビーは背負っていた子供の位置を整えるようにして顔を逸らした。
「別にそういうわけじゃないけど。……あの上位吸血鬼、明らかに格が違った」
あのハクとか言う吸血鬼らしくない吸血鬼でさえアビーでは逆立ちしても勝てそうにない。
しかしそのハクが突如現れたメアリーと名乗る吸血鬼に震えるほどに怯えていた。
それだけでもどれほど恐ろしい相手なのか理解できるというものだ。
「きっと上位吸血鬼の中でも特に優れた個体だな。長い間狩人として生きてきて上位吸血鬼を狩ったこともあるが、あれほど怖気が走ったのは初めてだ」
「パパでもそうなるの?」
「そりゃそうなるさ。狩人は死と隣り合わせの仕事だが、実際に自分の死を間近に感じれば体も強張る」
怯えるのは自分が未熟だからと思っていたが、そうではないということにアビーは少し安堵した。
安心したおかげか、そのあとに続いた「だからアビーには狩人をやめて普通の仕事についてほしいんだよ。まぁパパに憧れて狩人になってくれたのは本当に嬉しいけど、やっぱり心配なんだよ。考えてくれないかい?」という父親の意見は全く耳に入っていない。
「でもアルベルトならきっと無事に戻ってくるよね?」
「え? あぁ、まぁアルベルトなら大丈夫だよ。あいつはまだ現役で危険な依頼を何度もこなしてきた。今回も大丈夫さ」
「そうだよね。ここにきてからアルベルトの凄さがよくわかった。帰ったらいろいろ教えてもらわないと」
「……教えてほしいならパパが教えるのに」
寂しそうな顔をしているが今の所理想の狩人はアルベルトなので教わるなら彼に頼みたい。
そんなアビーの生暖かい視線を感じたのか、エドワードが何かしら喋ろうと口を開いたところで声がかかった。
「エドワードさん!」
こうしてみれば庭園の隅とはいえ野外にエレベーターがずらっと列をなしているのは奇妙な光景だが、どうやら目的地に着いたらしい。
エレベーター前でこちらを待っていたらしい狩人たちが手を振っている。
「待たせたな。状況は?」
「アビーが助けた人々は全員外へ運びました。あとはあなたが背負っている子供たちだけですよ。こう言っては何ですが、魔女が吸血鬼の注意を引いてくれたのでずいぶん楽でした」
「そうか。ひとまず無事に救出できたのは幸いだ。この子たちも頼む」
背負っていた子供たちを狩人に託し、アビーは先ほどまでいた吸血鬼の居城を見上げる。
まだあの中にどれほどの吸血鬼がいるのか。
そして拉致された人々もまだいるのではないか。
何よりアルベルトがまだ帰ってきていないし、あの吸血鬼や人形のことだって気になってしまう。
「アビーはここで撤退だ」
「でもまだ——」
「撤退だ」
普段は優しい父親だが、その言葉には有無を言わせぬ圧力があった。
確かに自分が残ったところで大したこともできないと、そう理解はできるのだがどうしても後ろ髪を引かれる思いがある。
納得できない自身の想いに無理やり蓋をしようと努力している姿に思う所があったのか、エドワードが苦笑しながら口を開いた。
今度はいつもの父親としての優しげな声だ。
「アルベルトのことならパパが最後まで待っているから気にするな。アビーは先に帰るんだ」
その言葉にすんとアビーの顔から感情が抜け落ちたようだった。
真顔に近いが僅かに眉が寄っているのでそこから感情を読み取るならば、何を言っているんだこの父親はというところか。
そんな娘の顔にエドワードが動揺したように表情を崩している。
「は? なにそれ? パパが帰らないなら私も帰らないけど」
「え」
アビーにとっての今回の作戦の最大の目的は父親を無事に帰らせることだ。
その父親が残るというのなら先に帰ることなどありえない。
一番最初にそれで揉めたのになぜそんなことをいまさら言うのだろうかとアビーはまじまじとエドワードの顔を見つめ、エドワードはエドワードでなんで帰らないのと言いたげな困惑顔をしている。
「パパがここに残るなら私も残るよ」
「い、いや、駄目だぞ! パパは責任者だからアルベルト達が戻ってくるまではここで待つがアビーは帰りなさい! これは命令だ!」
「はぁ命令!? 実の娘に命令って何!? パパのことが心配で参加してるんだから、無事に戻るまで離れるわけないじゃん!」
「それは最初に話したじゃないか! パパは責任者でアビーとは一緒に行動できないって! だからアルベルトと一緒に行動することになったんだろう!」
「でも今は一緒じゃん! もう作戦も終わりなんだしここで一緒にアルベルトを待つくらい問題ないでしょ! ってかパパの言う通りにするなら私はアルベルトと一緒にいたほうがいいよね! 今からあそこに戻ろうか!?」
「そういう屁理屈を——」
……と言いかけたところでほかの狩人たちが子供を背負ったままどうしたものかとこちらを見つめていることに気が付いたらしいエドワードは、こほんと咳払いをして呼吸を落ち着けると、今更ながらに特等狩人の威厳をもって狩人たちへと指示を出し始めた。
「あー、君たちは先に子供たちを連れて撤退してくれ」
「えっと、はい。わかりました。子供を運んだら戻ってきましょうか?」
「いやここもどうなるかわからないから戻ってこないほうがいい。エレベーターホールには数人残しておいてくれ」
「了解しました」
マスカレードナイトからさっさと抜け出したいのか、それとも上司とその娘の親子喧嘩に巻き込まれたくないのか、とにかく狩人たちは示し合わせたように子供を背負ってさっさとエレベーターへと乗り込んでいった。
「はぁ、わかった。ここで一緒にアルベルトを待とう。でも吸血鬼の姿がないとはいえ、ここはマスカレードナイトなんだからそんなに大声を出さないようにな」
「パパだって大声出してたでしょ。それよりここで待つよりアルベルトを助けに行ったほうがいいんじゃない? まぁ私が役に立つとは思ってないけど、それでも待つだけってのは……」
「気持ちはわかるがここで退路を守る人間も必要だろう。もし吸血鬼にエレベーターを破壊されでもしたら逃げ場が——」
エドワードの言葉を遮るように、ガコンという音が響いた。
そして二人が何の音だと思ったのつかの間、異変を知らせる声が続く。
「エドワードさ——!!」
そこでぷつりと途切れた危険を知らせる狩人の断末魔。
二人が視線を向ければエレベーターの蛇腹扉を開いてそこに挟まるように倒れこんだ狩人の姿があった。
そして血に染まってそれを見下ろすのは助けたはずの子供だ。
「驚かせてすみません。本当はここについたときに私ですってお知らせしようと思ったんですけど、いざ着いたらお二人が喧嘩し始めてタイミングを逸してしまって……いやー我ながら微妙なタイミングですね。ほかの狩人は逃げちゃったし子供も一緒に行っちゃったし。まぁ子供は狩人でも吸血鬼でもないので殺すつもりはなかったんですけどね。ほらバキシェ様に言われてないし、私も子供相手はちょっと気が引けるので」
よいしょと蛇腹扉を横にスライドさせ、狩人をまたぐ様に飛んで出てきた時には姿は変わっていた。
幼い子供の姿ではなく、黒髪のショートヘアーで丸眼鏡をかけた女。
「燎の魔女のパートナー」
「サテンですよ。あれ? 自己紹介しましたよね?」
おかしいなと首を傾げたサテンにアビーは拳銃を突き付ける。
魔女のパートナーにこんなものが効くのかという疑問はあるが、それでも武器を構えない理由にはならない。
それはエドワードも同じなのか、隣で斧を手に持った気配があった。
「はぁ。いや私もこんなことをやりたいわけじゃないんですよ。でもバキシェ様の命令ですからね。やらないと後が怖くて」
「何の話だ?」
「あぁ、そちらの方はあの時いませんでしたね。いやーバキシェ様の命令で狩人と吸血鬼、合わせて百人殺さないといけないんですよ。これがまた難しくて……まさかロイヤル様が現れるとは思わないじゃないですか。庭で数を稼ごうと思ったらバッサリ全員殺されちゃって数が足りないんですよ」
困った困ったと重いため息をつくサテンは内容さえ置いておけば重いノルマに苦しむ会社員の様でもある。
そのノルマの内容が邪悪でさえなければ手伝ってやりたいところではあるが、生憎とそのノルマの対象になっている二人からすれば同情できる点などない。
「あと一人でようやく半分なのですが、これ正直無理かなぁ」
「……どうしてそんなことするの?」
「はい?」
「アビー?」
前と隣からそれぞれ疑問の声が上がる。
もしこれがマスカレードナイトに参加する前であればこんな質問など投げかけなかったに違いない。
だが妙なグリムたちと触れ合ったせいか、不意に疑問が口をついてしまったのだ。
「いやだからそれはバキシェ様に命令されたからで」
「命令されたって嫌なら断ればいいじゃない。あの魔女に暴力も振るわれてたし、あんな女のそばで無理難題を聞いてるよりも、嫌なら逃げればいいでしょう?」
「……まぁ、それは確かにそうなんですけど。狩人にそんなこと言われるとは思ってませんでした」
本当に驚いているのか眼を見開いて凝視され、アビーは少しばかりの居心地の悪さを感じた。
ちなみに隣からも同じ視線をちらちらと感じたのだが、娘のことよりも眼前のグリムから眼を離すなと言いたい気持ちをアビーはぐっと堪える。
しばらく二つの視線に身を刺されるような思いでいると、サテンが口を開いた。
「私はバキシェ様に殴られるのが好きなマゾでもないし、バキシェ様みたいに無駄な殺戮が好きなサドでもないです。なので貴方の言い分はもっともです。とはいえ私はバキシェ様のパートナーですからねぇ~」
「魔女に何かしら強制されているのか?」
問いかけたのはエドワードだ。
魔女のパートナーに話を聞ける機会などそうそうないので気になったのか、それとも戦闘にならないよう会話で事を収めようと努力しているのか、いずれにせよこの会話へ参加する気になったらしい。
「別にそういうことはないですよ。私が仮にバキシェ様のもとを離れても、たぶん何も言われないでしょう。バキシェ様はあの通り、ほかの魔女様ほどパートナーを大事にはしてくれてませんから」
それなら命令を聞く必要などないのではないか。
そんなアビーの考えが聞こえたように、サテンはちっちっと舌を鳴らして口の端を釣り上げて見せた。
「別にバキシェ様のことが好きなわけでもないですし、パートナーとして魔女を支えなきゃとかいう使命感があるわけでもないですが、あんなに危なっかしい人を独りにしておけないじゃないですか。いろいろなところから恨みを買って、きっといつかそれに押しつぶされて無残に死んじゃいますよあの人。止めたほうがいいって言っても聞きゃしないですからね~」
はぁやれやれと首を振ってうんざりとした様子でサテンは語る。
けれどそうして中空を見つめる瞳にはどこか暗い光が宿っているように見えた。
「だからしょうがなく私が一緒にバキシェ様と死んであげようと思ってるんです。嫌で嫌で仕方ないですが、魔女様一人じゃ可哀想ですからね。首を切って晒されるならその隣に私の首を。いつかは終わるその時までの、今は単なる暇つぶしなんです」
本当に嫌そうな顔をしながら、そうサテンは語った。
しかしアビーたちがその言葉を理解するのは非常に難しい。
というよりも理解できないと言ってしまったほうがいいだろう。
実際アビーがちらりと隣に視線を向ければ父親が見たこともない困惑顔をしている。
「悪いんだけど、言っている意味がよくわからない……」
「そうですよねー。多分意味わからないだろうなって思ったんで気にしないでいいですよ」
苦笑いでそう返されても困ってしまう。
ただ一つ理解できたこととしては、やはりグリムとの対話は非常に難しいということだ。
「まぁお二人に理解してもらいたいのは、私が狩人をこうして殺して回ってるのは暇つぶしだということです。なのでその点に腹を立ててもらえればいいんじゃないかなと思います。私もやる気のない相手を一方的に殺すのはちょっと気が引けますので。さてじゃあ始めますか。私もまだノルマがありますから」
予期せぬ魔女のパートナーとの戦闘は、眼が眩むほどの眩い光が開戦の合図となった。
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