刑と燎㉘
吸血鬼というの本当にずるい。
そう自分のことを棚上げしながらハクは眼前の怪物に歯噛みした。
同じ上位吸血鬼でも、あまりにも格が違いすぎると。
「やっぱりハクはまだ上位吸血鬼になって日が浅いわね。それではただの人間の戦い方よ? 吸血鬼としての能力をもっと活かさないと」
姉として妹を指導しているとでも言いたいのだろうか。
メアリーの苛烈な攻撃に息も絶え絶えとなっているハクとしては有難迷惑なのだが、まだ指導の一環で本当に殺しに来ているわけではないということは救いでもある。
しかし同じ上位吸血鬼でもこうも力の差があるのか、と思わずにはいられない。
吸血鬼の能力は個々によって大きく異なるが、ハクでいえば影に潜む、チョコちゃんと呼ぶ狼の召喚、そしてついさっき発現した吸血矢ともいうべき対象の血を枯渇させる矢を生み出す能力。
これらはどれか一つとっても狩人に恐れられてしかるべき強大な力であり、それら複数の能力があるという点を見ればハクは吸血鬼としてかなり優秀であるともいえる。
対して眼前のメアリーはどうか。
視線を向ければメアリーの背から生える翼が嫌が上にも目に付く。
血で凝固し形作られた深紅の翼。
その翼が触手の様に伸び縮みしハクへと襲い掛かるのだ。
こちらから攻撃しようにも変幻自在のその翼が矢をはじき道を阻み、いまだメアリーをその場から一歩引かせることすらできていない。
逆にこちらは四方八方から襲い掛かる鋭利な翼に肌を裂かれ致命傷を負わないことに精一杯だ。
せっかくのドレスも無残に切り裂かれ、たった一つの能力であってもその習熟度と汎用性の高さ、そして戦闘センスの違いにハクは防戦一方なのだ。
「でもそちらの人間は意外とやるものね」
メアリーの純白の瞳がハクから一人の老狩人に移動する。
アルベルトだ。
「上位吸血鬼相手は初めてじゃないんでな」
「そう。その時は狩れたのかしら?」
「今のお前ほど強くはなかったからな。さほど手はかからなかったぜ」
「上位吸血鬼にも血の薄い者はいるけれど、脆弱な人間が狩ったのなら十分に称賛されるべきね。素晴らしいわ」
「はっ、見下しながら褒められてもな。もう少しうまい褒め方ってのを勉強しろよ」
皮肉交じりにそうメアリーへと答えつつ、ハクの前に立ったアルベルトが後ろ手にサインを送ってくる。
かつて学園で学んだ狩人が利用するハンドサインであり、簡単な単語の組み合わせだが、それが意味するところは「時間を稼げ」ということ。
メアリーがこの場に現れた時、誰一人声を出さずともその場にいた全員が一致した見解として、まず子供たちを含めた被害者を逃がすことだった。
アルベルトとハクが何も言わずともメアリーの前に立ち、エドワードとアビーたち狩人は子供たちを抱えてその場を離れ、それを見ていたメアリーは楽し気にテストをしてあげる、と言い出したのだ。
「そうねぇ、ハクはやっぱり中途半端よね。狩人としてみてもそっちの人間よりも弱いし、吸血鬼としてみても力の使い方が弱いわ」
「はぁ、はぁ……そ、そんなこと言われても……」
「あとそうやって呼吸するのも意味ないんだからやめないと。人間の頃の残滓が強すぎるのかしら。まぁこれは時間が解決してくれるかもしれないけれど、やっぱり一番は血ね」
薄い笑みを浮かべたメアリーの口元では白く鋭い牙がきらりと輝いた。
具体的に言わずともわかっているでしょうと、そう彼女の笑みが語っている。
「……自分は狩人なので」
「そういうプライドがあるのはいいと思うのよ? でもそういうのって実力が伴わないと自分の首を絞めるだけじゃない? 姉としてハクには自分の身を守れるくらいの強さを手に入れてもらわないと心配なの。マスカレードナイトを襲撃したのはとても面白い素敵な発想だけど、今の貴方では上位吸血鬼に殺されてしまうわ」
憂い気に目を伏せる様は本当にハクを心配しているようにしか思えない。
未熟な妹をどう導けばよいかを思案する良い姉の表情だ。
ただ根本的にすれ違っているのはハクがメアリーを姉だと思っていないところだが、メアリーはそんなことなど微塵も考えていないのだろう。
あるいはハクがそう思っていても構わないということか。
「だからね。やっぱり血を吸ってみたほうがいいと思うわ。私たち上位吸血鬼は血を吸わなくても生きて行けるけれど、血を吸ったほうが遥かに強い力が得られるの。試しにそこの人間はどう? 年代物だけど、熟成された分とても味わい深いと思うわ」
「いや、それはちょっと……」
「古いのは嫌い? やっぱり初めて飲むなら若い血のほうがいいのかしら?」
「そういう意味ではなくって……」
「悪かったな年寄りで」
世間話に混ざりこむような自然な様子で、アルベルトが銀に輝く粉末をメアリー目掛けて投げつけた。
あまりにも自然な動きだったために、ハクはその瞬間アルベルトが何をしたのか理解できず、飛散する銀の輝きを見てようやくメアリーに向かって何かを投げつけたということを理解したほどだ。
しかしメアリーもハク同様に虚を突かれた様子だったが、気づいたところで避ける必要性を感じるものではないらしい。
「無意味よ」
言葉通りだ。
翼を持つ相手に粉末など投げつけたところで、その翼を羽ばたかせれば風によっていとも簡単に吹き飛ばされる。
危険性を感じないのも当然のことで、何をしたいのか理解できないとメアリーの口元には嘲笑が浮かんでいた。
「そりゃどうだろうな」
しかし歴戦の狩人がそんな無意味なことなどするわけがない。
その証拠に吹きとばされた粉末の一粒一粒が突如として発光しメアリーとハクの視界を奪った。
上位吸血鬼二人の視界を一瞬とはいえ奪うほどの光の中、老狩人は渾身の力で斧を振るう。
「ッらぁ!」
「ッ——!」
もし首を刎ねられていれば、ここでハクの姉はいなくなっていたかもしれない。
が、上位吸血鬼がそう簡単に狩れるのならばマスカレードナイトの襲撃などもっと前向きに狩人たちは検討していただろう。
事実どう知覚したのかはわからないがすんでのところで避けられ、アルベルトの振るった斧で切り落とせたのはメアリーの翼の一部であった。
「本当にただの人間がよくやるわ。貴方みたいな狩人ばかりであれば、私たちももっと狩人を恐れたでしょうに」
「大したダメージもない癖によく言うぜ」
アルベルトの言葉通り翼の一部を切られたと言っても血で形成された翼だ。
話している間にも切り取られた一部は元通りになっており、メアリー自身にダメージなど微塵もないに違いない。
だがそれでもハクにはメアリーの気持ちがよくわかった。
あれほど異常な力を持つ相手に特殊能力も何もないただの人間が傷を与えたという事実が称賛されてしかるべきだということを。
もし自分がただの人間のままだったとして、アルベルトと同じようにメアリーに立ち向かえただろうか。
そんなことは考えるまでもなく不可能だ。
なにせハク自身、吸血鬼としての力を総動員した今現在でもメアリーに傷一つつけることができないのだから、ただの人間のままではどうなるかなどすぐわかる。
何せあらゆる面で吸血鬼のほうが優れているのだから。
「やっぱりすごい」
思わずハクの口から賞賛の言葉が漏れる。
ただの人間が上位吸血鬼と渡り合う、その光景に人間の可能性を感じさせられた。
「ハク、見てた? これが狩人としての合格点よ。そして吸血鬼としての合格点は私。ハクはどっちも未到達、落第だわ。ある程度の相手には今のままでも勝てるでしょうけど、本当の強者というものにはこのままでは勝てないわ」
「それはまぁ、その通りっすね。見てて十分理解したっす」
「素直でいい子ね。嬉しいわ」
ふふっと笑みを浮かべ、聞き分けのいい妹にご満悦の様だ。
ここだけを切り取ればいい姉の様なのだが、生憎とその背に生える禍々しい翼が不釣り合いで、ハクとしては決して近づきたくはない。
とはいえ攻撃しようとしたところで逆に一歩も近づけないのだが。
「今回はなかなか楽しいわね。ブラッドも来ればよかったのに。数年に一度と言ってももう数百年以上繰り返したこのマスカレードナイトもマンネリ気味でね。今回みたいに狩人の襲撃や魔女の登場なんて本当に心が躍るサプライズだわ! どうせ今回もつまらないからって来なかったブラッドもきっと悔しがるわね。あ、そういえばあの時私の誘いを断ったのはこれを隠してたのね。ハクもなかなかやるじゃない」
「ええと、いえ、その、はい」
あの時点では知らなかったし本当にマスカレードナイトに参加するつもりは微塵もなかったのだが、結果として隠したようになってしまったのでハクは曖昧に頷いた。
もしあの時点で知っていたらきっと褒められるようなうまい隠し方などできなかったに違いない。
「さてと、それじゃあハクの実力は理解できたし、テストは終わりね。ハクも自分の実力はわかったでしょう?」
「え? それは、まぁ……」
終わり?
ということはこのまま大人しく帰ってくれるのだろうか。
あのエルフとドワーフの店で出会ったように、あっさりとさよならと去ってくれると期待していいのだろうか。
そうハクが伺うようにメアリーの顔を見れば、そこにあるのは好意的な笑みを浮かべた姉と名乗る女の顔。
少なくとも「テストは終わったからじゃあここからは本番です」と殺しにかかってくるような雰囲気はない。
「次は少し本気を出すから、死なない程度に瀕死になってもらうわ」
「……え?」
前言撤回。
殺すとは言われなかったが似たようなことは言われてしまった。
そんな笑顔で言う言葉ではないだろうに。
「あの、やっぱり怒ってるとかなんすか?」
「え? 怒る? なぜ?」
「マスカレードナイトを襲いましたし、攫われた人を助けようとしてますし、吸血鬼の敵の狩人ですし……」
「ああ、そんなこと」
違う違うと笑って言われてしまえば、じゃあなんでこれから死なない程度に痛めつけられなきゃいけないのかが理解ができない。
そんなハクの心境を読み取ったのか、メアリーは不出来な妹が理解できるようにとことさら優しい声で理由を説明し始めた。
その優しさが、逆にハクの恐怖を煽るとも理解せずに。
「言ったでしょう。ハクは狩人でも構わないし、やりたいことをやってもらって構わないって。怒ってなんかいないわ。私がハクを瀕死まで追い込もうと思ったのはね。貴方のためよ」
「ちょっと意味が……」
「吸血鬼として強くなってほしいのよ。そして強くなるためには血が必要不可欠だわ。でもハクは飲みたがらないから、貴方の体から血を抜いて餓えてもらうことにしたということ。餓えれば嫌だなんて我儘は言えないし、血を飲めば強くなるから、ほんの少しの辛抱よ。私が手伝ってあげるから」
頑張ってねとそう告げるメアリーの笑みは、薬を嫌がる子供にしょうがないなと苦笑いを浮かべる母親に似ていた。
生きていく上で必要なのだから、嫌でも我慢して飲みなさい。
体に必要な栄養が入っているのだから、嫌でも我慢して食べなさい。
メアリーにとってはそんな風に好き嫌いをする子供に教え込むような当たり前の言動なのだと、ハクは呆けた頭でぼんやりと理解した。
「じゃ始めるわね」
だから血は飲みたくないというのは我儘であり、飲めないのなら姉として手伝ってあげる。
ただそれだけのことをしようというのだ。
「ま、待って!!」
「だめよ。始めるわ」
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