刑と燎㉓
燎の魔女ことバキシェは鬼や鬼人とも呼ばれるオーガの女性種であるオーグレスだ。
このオーガやオーグレスが恐ろしいグリムかと言えば人間にとってはそうだろう。
何せ平均して三メートル近い巨体が強靭な筋肉で覆われ、その剛腕で人間を引きちぎって喰らう。
彼らの一番のごちそうは赤子を宿した女だというのだから、人間が近づくべきではないグリムということはまず間違いない。
だが狩人からしたらさほど恐ろしいグリムというわけでもなく、その最も大きな要因となっているのが彼らの脳みその小ささだ。
巨体に反比例した脳みそは高度なことを考えることはできず、腹が減ったら何かを喰らう、という程度の動物に近い思考しか持っていない。
どれだけ剛腕で巨体であっても知恵がないのであれば狩人にとって狩るのはたやすく、また彼らは弱者には強気に出る一方で狩人など自分よりも強者だと判断すると怯える習性があるため、古くからオーガとオーグレスは狩人によって簡単に狩られその存在を人里離れた山奥や森林などに追いやられる形となっていた。
そんなオーグレスが魔女と呼ばれ始めた時、狩人の半数は笑って見せたものだ。
だが残りの半数はオーグレスが魔女の一員となったことに警戒し、事実正しかったのは後者の狩人である。
オーグレスはオーグレスでも、魔女となった彼女は変異種であった。
通常三メートルはある巨体が二メートルにまで縮み、野性的な外見は洗練された女性の姿に、そして外見に残った鬼という僅かな名残が額に生えた角であり、その頭部に詰まった知恵はオーグレスとはくらべものにならない。
彼女を笑った狩人たちは己の迂闊さを呪いながら死に、彼女を警戒した狩人たちは強靭な肉体に知恵という悪魔の実が宿っていることに絶望しながら死んだ。
そうして燎の魔女ことバキシェは今も昔も狩人たちに絶望と死を与え続けている。
腕を振れば狩人の上半身が吹き飛び、蹴りを放てば狩人の下半身が吹き飛ぶ。
彼女にとって死を与えることは簡単なことだった。
だったのだが——目の前の人形はまだ生きている。
「おッ——らぁ!!」
上段から思い切り足を振り下ろす。
所謂かかと落としという形だが、そこにいたはずの人形は腹が立つほどにすばしっこく、破壊できたのは城の床だけ。
放射状にひび割れた床や崩れ落ちた壁があたりに粉塵をまき散らすが、そうまでしても気に食わない無機質な瞳をくっつけたあの人形はまだ生きている。
「ちょこまか逃げやがって」
「馬鹿みたいに攻撃が単調なのが悪い」
「すぐ終わったらつまんねぇから手加減してやってんだよ」
実際遊び半分なのは確かだ。
だが遊びでも相手がただの狩人やグリムであればここまで生き残った奴はいない。
バキシェが振るう拳も蹴りも、これほど空を切ったのは初めてのことだった。
「てめぇこそ俺の口を黙らせるんじゃなかったのか? なぁ!」
ここまで攻撃を躱すのだからフィズのパートナーということは間違いないのだろう。
自分の所のサテンもそうだが、パートナーというのは魔女から過剰にオドを供給されて生まれたため通常のグリムなどよりもはるかに強い。
遊び半分で殺せる相手ではないということだ。
だが軽く壊そうとした人形がまだ元気に生意気な言葉を吐くというのは、この人形の持ち主であるフィズに笑われているようで腹が立つ。
(この人形をぶっ壊す。そうすりゃちょっとは気が晴れるってもんだ。あのクソ女、カカオラの誘いを何度も断りやがって。いつも冷めた目をしたつまんねぇ女がこんな人形遊びをし始めたとは笑えるが、まぁ丁度いい。こいつをぶっ壊したらクソ女がどんな顔するか楽しみだ!)
あのすまし顔を歪ませられるならばとほんの少し本気を出せば、先ほどまでの遊び半分の動きとは速度も破壊力も違う。
バキシェが床を一蹴りすれば瞬く間もなく人形の目の前へ。
突如として距離を詰められあまりの速さに驚いたのか、あの無表情ばかりだった人形の瞳が見開いている。
そして握りこんだ拳を人形の腹部へとめり込ませれば、何かが砕けた心地よい音がバキシェの耳に響いた。
頭を狙わなかったのは当てれば跡形もなく破壊してしまうだろうからであり、それではフィズに人形の残骸を見せられない。
やはり残った頭をあの女の前に転がしてやろうと思ったからだ。
「ははっ! 雑魚がッ——!?」
笑い声を上げようとして、視界がぐらりと揺れた。
思わずといった様子でバキシェは片膝をついて状況把握に努めるが視界は依然グラグラと揺れたまま。
その歪んだ視界の向こうで、自分と同じように片膝をついた人形がこちらを見つめている。
口の端から血を流し、にやりと笑っているのが分かった。
「少し静かになったね」
「てめぇ……!」
何をされた?
確かに自分の拳はあいつの体を吹き飛ばしたはず。
そう整理するバキシェだが、見ればあの人形の体はきちんと残っているようだ。
ドレスでよくは見えないが、それでも吹き飛んではいないしあの腹の立つ笑みを浮かべた頭がまだ呼吸している。
ふと口の中に苦い味が広がるのを感じた。
唾液と一緒に吐き出せばそれは間違いようがなく自分の血であり、そして僅かにだが顎に痛みがある。
(痛み? 俺が?)
痛みなど味わったのはいったいいつが最後だったか。
新鮮な感覚に顎をさすりながら人形を観察すれば、ドレスからちらりと除いたヒールがぽっきりと折れている。
「蹴りやがったな」
人形を見下ろすようにバキシェは立ち上がった。
一方あちらも履いていたヒールを脱ぎ捨て何事もなかったように立って見せる。
押せばぽきりと折れそうな体のくせに、こちらに負けじと睨みつけてくる瞳はその体のスケールに似合わない圧力を感じさせた。
「俺に殴られてまだ生きてるとはな。おまけに蹴りまで返してくるとは正直驚いたぜ。まぁあのイカレ女のダッチワイフなんだし、それくらい頑丈じゃないとすぐ壊れるか」
「まだよく喋る」
人形の眼が不愉快そうに細まりその手に持った散弾銃の銃口がバキシェへと向けられた。
最初に何度かその銃で撃たれたが、直撃を喰らったところで豆を投げつけられたほどの痛みもなない。
バキシェからすればただの棒切れに過ぎないそれを後生大事に持ち続ける姿は滑稽だった。
「属性付与」
「あん?」
何かぼそりと呟いたな。
そんな程度の認識だった。
だがその直後にバキシェを襲った衝撃と激痛は信じがたいものだった。
あまりの衝撃に体が後方へのけ反り、散弾が被弾したであろう肉体のそこかしこに穴が開いて血が流れでている。
「頑丈すぎ」
「なんだてめぇ!!」
人形が持っていた散弾銃を投げ捨てた。
銃身は爆発したようにはじけており、使い物にならないと判断したからだろう。
しかし何故そうなったのか、自分はどうして痛みなど感じているのか、それがバキシェにはわからない。
だが体は動くし闘争心も萎えていなければ、むしろ痛みで体が沸騰するような怒りと滾りがバキシェを包む。
「死——ねッ!」
「属性付与」
バキシェが振るった拳は円形の軌道を描きながら寸分違わず人形の頭部を貫いた。
これは一切の躊躇なく本気の一撃だ。
木端微塵にはじけるだろうと半ばやりすぎたと後悔したのもつかの間、なぜか殴られはじけ飛んだはずの頭部がそこにある。
あの無機質な瞳が額から流れ出た血に塗れながらもバキシェをじっと見つめていた。
「な!?」
動揺するバキシェの隙を狙ったように、人形がその小さな拳を握りこんでバキシェの腹部めがけて振りぬいた。
こんな矮小で弱弱しい拳など効くものか。
そう内心で嘲笑ったバキシェはまたも裏切られる。
「がぁ!!」
人形の拳が腹にめり込んでいる。
狩人の矢をはじき、狩人の斧に亀裂を走らせ、幾千万の熾烈な攻撃にも一切傷一つつかなかった金剛のごとき肉体が小さな人形の拳に痛みという名の敗北を叫んでいた。
「く、そがぁ!」
痛みからくる怒り、そして動揺にバキシェは離れろという思いも込めて人形を思い切り蹴り飛ばした。
普段のグリムや狩人ならこれだけでも死ぬのだろうが、ある意味予想通りに人形は吹き飛びながらもむくりと起き上がって見せた。
「お前、なんなんだ」
殴られ、銃で傷を負ったとはいえまだバキシェにはかなりの余裕がある。
所詮は傷の一つに過ぎず、痛みもほんの一時の些細なものだ。
だが自身の肉体に傷を負ったこと、そして殴っても死なない人形というのは魔女であるバキシェであっても動揺するに十分だった。
目の前で額から流れ出る血を拭っている人形は、その姿だけを見れば着用しているドレスも相まって、まさに精巧に作られた可愛らしいお人形という風情だが、バキシェからすれば殴っても壊れないどころか自分で自分を殴ったと錯覚するほどの威力のある攻撃をしてくるというのは不可解だ。
あの小さな体にそれだけの力を秘めているというのは、ひどく不気味である。
「どうです? 累さんはすごいでしょう。さすがのバキシェも驚かずにはいられないみたいですね」
「な!? てめぇ! フィズ!!」
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