刑と燎㉑
「はっ、面白れぇ!」
どちらが先に動いたのかはわからない。
だが二人の衝突はホール内にすさまじい衝撃が走り、思わずアビーは両目をつぶってしまう。
そして自分自身の体が宙に浮いたかと思えば、次に目を開いたときにはすさまじい速さで廊下を疾走しているところだった。
「え? え?」
「すいません! あそこにいたら巻き込まれるんで無理やり引っ張ったっす!」
気づけば大狼の背に乗せられ、青髪の吸血鬼は狼の影に沈み込むような形で並走していた。
振り返ればアルベルトが少し後ろを走っており、ホールへと続く扉は遥か後方。
激しい炸裂音と銃声だけが耳に届く。
この瞬間の状況変化にも驚いたが、アビーが驚いたのはまだ戦闘音が続いていることだ。
あの魔女と戦ってまだ生きている。
ただそれだけであの人形がどれほどの力を持っているのか理解できるというものだ。
「ここらへんなら大丈夫っすかね」
そうハクが言うとアビーを担いでいた大狼が足を止め、さっさと降りろと言わんばかりにアビーを振り落とす。
助けてもらった恩があるとはいえ、強引に振り落とされて転げ落ちたのでアビーはぶつけた肘をさすりながら恨めしそうに狼を見つめた。
「チョコちゃんだめっすよ。もっと丁寧に降りてもらわないと。それでその、この後どうするんすかね? 自分、カザリさんからアルベルトさんたちのフォローをしろとしか聞いてないので」
「今回の目的は攫われた人間の救出だが、魔女が出た以上ちんたらと捜索している時間もない。できる範囲で攫われた奴らを救い出してさっさと撤退だな。エドワードにも状況は伝えたが、同じ意見だと」
そういうアルベルトは結構な歳だろうに狼についてくるくらいの速さで全力疾走して呼吸の乱れもない。
訳も分からず助けられたアビーからすると、アルベルトとの技量の差は時間が経つにつれて如実に感じるものだった。
これでも胸を張れるくらいには場数を踏み、グリムとの戦闘経験も積んできたものの、こうしてここに立ってみればまるで赤ん坊ではないか。
今となってしまえば散々にアルベルトや父より強いと言った自分を恥ずかしさからぶん殴ってしまいたい気分なのだが、紛れもなく優秀な狩人であるアビーは爆発しそうな羞恥心に蓋をして立ち上がる。
二人はすでに次にやるべきことに話を進めているが、アビーとしてはまだ納得がいかないことがあるので声を上げねばならない。
「あのさ、いいの?」
「いいって何がだよ」
「あの人ぎ……累とかいうグリムを置いて行って」
「そこのハクはともかく、俺ら二人に何かできんのか? 装備だって吸血鬼用で魔女対策なんかしてねぇだろ」
「それはそうだけど……」
「大丈夫っすよ。店長は強いので!」
ハクが一切の心配などしていないような笑顔でそう断言して見せた。
確かにまだ戦闘音が聞こえていることから察すると魔女と戦えるだけの実力があるということなのだが、それにしてもたった一人に魔女の相手を押し付けるというのは後味が悪い。
だがアルベルトの言うことももっともで、自分が役に立てるとはアビーでも思わなかった。
「……そう。ならいいんだけど」
「ははは、鼻っ柱が折れて少し静かになったか?」
「うるさいな! そりゃ魔女やよくわからないグリムが出てきたら混乱するでしょ! ……それに、この中じゃ私が一番弱いってことくらいわかるよ。足引っ張るようなことは言わない」
「気づいてそう素直に認められるなら優秀だろ。さて、吸血鬼が誘拐した人間をどこに閉じ込めてたかが分かればいいんだが、吸血鬼の嬢ちゃんよぉ。その狼に匂いを嗅いでもらうとかできねぇかな」
「チョコちゃんできる?」
ハクが問いかけるとアビーを振り下ろした時とは真逆の態度で、優し気にがふっと鳴いてついて来いという風に先を歩き始めた。
「イケるみたいっす」
「そりゃありがたい」
狼の後にハクが、ハクの後にアルベルトが続いて歩いていくが、アビーも歩きながら冷静に落ち着いて考えてみればこの吸血鬼も大概おかしい。
従えた巨大な狼に影に潜む能力。
あと気になるのは——
(なんで吸血鬼のくせに日焼けしてるの? 聞いていいのかな? というか元狩人って言ってたよね。あとなんで店長って呼ぶの? あー気になることが多い。なんなのよもう。わけわかんない。ってかあの人形も意味わかんない。魔女のパートナー……は百歩譲っていいとして、それが燎の魔女と対等に戦闘できるほどの化け物なの? そんな奴らと手を組んでる日本は正気じゃないでしょ。裏切られたらどうするつもりなんだか。はぁ、いろいろ相談したいけどパパは無事なのかな。アルベルトが連絡したってことは無事ってことだよね。パパにこのこと報告したらどう反応するんだろ。絶対驚くと思うんだけどなー)
先ほどまでの命の危機から遠ざかり、吸血鬼の姿が一切ない城内を歩くと危機感もないせいかアビーの脳内はインプットされた情報を整理するのに大忙しだ。
しばらくそうして考え事をしながら歩き続けていると、狼がとある扉の前で歩みを止めた。
「ここか?」
「みたいっす。チョコちゃんありがと」
主に撫でられ機嫌の良さそうな狼を尻目に、アルベルトとアビーは扉へ手をかけ中へと押し入った。
当然いきなり吸血鬼が現れても問題ないよう武器を構えての突入ではあったが、幸いなことに部屋の中に吸血鬼はいない。
しかし広い応接間のような部屋内には、その吸血鬼たちに弄ばれたであろう人々が所狭しと浅い呼吸で床やソファに横たわっていた。
「あのクソ吸血鬼ども。人間をドリンクサーバーか何かと思ってんじゃないの」
「言葉使いが悪いとエドワードに叱られるぞ。それに今更だろ。吸血鬼は人間をドリンクサーバーとしか思ってねぇよ」
悪態をつきながら人々の様子を窺えば、肌は青白く意識も朦朧としており、そして彼らの腕には一人残らず点滴の痕のようなものがあった。
近くには血液パックが複数あり、彼らから採取されたものなのだろう。
それらを吸血鬼がどう使っていたかと言えば当然医療行為などではなく、想像するのも悍ましい。
あまりに醜悪な光景にアビーの表情が歪むが、その背後から不思議そうに問いかけてきたのは吸血鬼その人だった。
「どうして血液パックが?」
「はぁ? あんた吸血鬼でしょ!? そんなこともわかんないの!?」
「あ、いや、自分吸血鬼っすけど吸血鬼のことに疎くて……」
申し訳なさそうというかバツが悪そうというかそんな表情にアビーの沸騰した頭も冷えていく。
彼女は確かに吸血鬼だが、ここで罵詈雑言をぶつけたところで意味はないしうっ憤も晴れはしない。
そう堪えたことがよかったのか、アルベルトに小言を言われる機会は避けられたようだ。
アビーははぁとため息をつきながら吸血鬼としても狩人としても未熟なハクに状況を説明し始めた。
「あのさ、吸血鬼が直接血を吸ったら眷属が増えるかなりそこないになるでしょ。ただでさえ数が多くて血に飢えてる吸血鬼どもがこれ以上眷属を増やすと思う? それになりそこないなんかは論外でしょ。だからまともな吸血鬼はこうやって人間から血を直接吸わずにドリンクサーバーみたいに血を注いで飲むの」
「あぁ、なるほど」
「まぁ、私たち人間からすればどっちでも最悪なことには変わらないけどね。血を抜かれれば死ぬことには変わりないから」
「……そうすね」
そう答えたハクの表情にあるのは怒りだろうか。
吸血鬼が怒る?
同族の行いに?
「怒ってるの?」
「え、いやだって、こんなのひどいっすよ。とにかく助けられる人は助けないと」
「安心しろ。とりあえずこの部屋にいる奴らには増血薬を飲ませた。さっさと運んで輸血すりゃ助かるだろう」
「よかったす。それで、ちょっとここはお任せしてもいいっすか? 吸血鬼から子供を監禁してるって話を聞いてて、ここにはいないみたいなのでそっちを助けに行ってくるっす」
「ああ、こっちは任せろ」
「よろしくお願いします!」
ハクはアルベルトとアビーに頭を下げ、駆け足で部屋を出て行く。
狼も少しばかりこちらを睨みつけると、ふんと鼻を鳴らして彼女の後をついて行っていった。
「どうした。自信満々だったアビーもここに来てから随分と表情が変わるな。赤くなったり青くなったり、イルミネーションかと思ったぜ」
「うるさいな」
「あいつが理解できねぇか?」
アルベルトが被害者の一人を抱えて部屋の外へと運びながらそう問いかけてきた。
淡々と仕事をこなすアルベルトに遅れてアビーも動き出すが、その表情には嫌悪感が強く出ている。
「グリムが人間の心配なんて」
「あいつは元人間だって言ったろ。それに元狩人だ。吸血鬼にはなったが中身は俺らと変わらねぇってことだ」
「それを言ったら吸血鬼はみんな元人間だよ。でも血に飢えて結局人を襲って怪物に堕ちる。元狩人だってそれは同じ。アルベルトだってそういう人たちが吸血鬼になるのを見てきたでしょ? そんな吸血鬼をたくさん狩ってきたんじゃないの?」
「まぁな。ただあの嬢ちゃんが違うのはわかるだろ。上位吸血鬼ってのは血を吸わなくても生きていけるから、吸血衝動に苦しんで人を襲うようなこともない。つまり人間の頃とそう変わらないんじゃねぇのか」
「でもいつ本当の意味で吸血鬼になるかわからないでしょ!」
アビーも部屋から被害者を運び出しながらアルベルトに向けて声を荒げた。
吸血鬼は敵だ。
この城の惨状は彼らが生み出し、目の前で苦しんでいる人々は彼らの犠牲者だ。
そんな吸血鬼の一人を信用しているアルベルトをアビーはやはり理解ができない。
「なぁアビー。お前の言う通りあの嬢ちゃんが敵になる可能性は確かにある。だけどよ。それがどうしたってんだ。敵になったら狩ればいい。それだけのことだろう?」
「それは……」
「いいかよく聞けよ。いい狩人ってのは理性と感情を切り分けられる奴だ。累もハクもグリムだが、今は手を組んだほうが大勢救える。それが事実だ。だったら使えるだけ使って大勢救えばいい。敵になったら狩ればいい。それだけを考えろ。お前はグリムへの敵意が大きすぎて感情が理性を無視しやがる。感情を優先すりゃお前は満足かもしれねぇが、救えねぇ命は出てくるぞ」
アルベルトの言葉通り大勢の人を救うという目的のため、理性に従えばあのグリムたちの手を借りるのが正しいのだろう。
ただ感情的にはやはり納得がいかないことだ。
割り切れない自分は狩人に向いていないのか、あるいはそう割り切れてしまうアルベルトが優秀なのか。
どちらかというとアルベルトが優秀というよりも異常なのではとアビーは感じた。
「言いたいことはわかるよ。でもグリムに背中を預けるなんて不安じゃないの? あの二人が絶対に裏切らないって言い切れる?」
「ああ、言い切れるぜ。少なくともこの依頼中は絶対に裏切らない。なんならこの依頼の報酬を全額賭けるか? エドワードの奴、いらねぇって言ったのに絶対に報酬を出すってうるせぇからなぁ。まぁ、賭けたら俺が勝つんだが」
がははと笑いながらアルベルトは淡々と人々を部屋から運び出している。
彼らもアルベルトから飲まされた薬が効いたのか先ほどよりも血色が良いようだ。
むしろ彼らよりもアビーの顔色のほうが悪いのではないだろうか。
「なんでそんなに信用できるの? グリムだよ? アルベルトの家族だって吸血鬼に殺されたようなもんじゃん!」
この依頼中に言うつもりはなかったのだが、どうしてもアルベルトのことが理解できず腹立たしさともどかしさからアビーは半ば怒鳴りつけるようにして吐き出してしまった。
口に出してから「あ」と固まるアビーの視線の先では、アルベルトの表情が驚きから次第に納得へと変化していく。
「なるほどなぁ。やけにあの嬢ちゃんを嫌うと思ったが、俺のことを心配してたのか?」
「そういうわけじゃない。アルベルトのことが理解できないだけ」
自分の子供のような感情が見透かされてアビーは内心恥ずかしさと腹立たしさで逃げ出したくなったが、それを誤魔化すように腕を組んで視線を逸らす。
そのせいでアビーからは見えなかったが、アルベルトが彼女を見る瞳は普段の猛禽類のような鋭さとは異なり優し気なものだった。
「心配してくれてありがとうよ。だがまぁ、俺は狩人だからな」
「狩人だからなんなのよ。私だってそうだよ」
「さっきも言ったろ。いい狩人ってのは理性と感情を分けられるってな。依頼に必要なら自分の感情なんか犬にでも食わせるさ。今回も変わらない。吸血鬼に恨みだなんだと感情を優先させたらマスカレードナイトなんて冷静に対応できないだろ。だからいい狩人の俺はこの依頼を達成させるために必要な手を打っただけさ」
「……必要なことだからグリムも信用するってこと? 私はそれがいい狩人だとは思わないけど」
「じゃあアビーが思ういい狩人を教えてくれよ」
「え?」
いきなりそんなことを言われても、とアビーは思考を巡らせる。
強いとか賢いとか子供でも浮かぶようなことしか思いつかないなか、被害者を運び終えたアルベルトがスマートフォンで何やら連絡をしていた。
おそらく手が足りないので救援を呼んだのだろうが、結局ほとんど運ぶのをアルベルトに任せちゃったなというバツの悪さがアビーの思考を邪魔してくる。
アルベルトが煙草に火をつけて一服し始めたのが「そんなに悩むことか?」と言われているようで、アビーはとにかく浮かんだことを勢いそのままに口から出した。
「ひ、人を助ける狩人よ! そう! 人を救うことが狩人の使命だもの!」
焦って半ば混乱しながら言った割には良い回答なのではないだろうか。
なぜなら父も狩人は人を救うためにいると常々言っていたし、これは間違いない答えだとアビーは得意げな表情でアルベルトを見上げた。
「協会の狩人らしい答えだな。まぁ俺からしたらゼロ点だが」
「はぁ!? 間違ってないでしょ!!」
「別に間違ってるとは言ってねぇだろ。エドワードだったら百点出すかもしれねぇしな。ただ俺の考えとは違うってだけの話だ」
「さっきの理性と感情がとか? 難しいこと言うけど人助けする狩人のほうがよっぽどいい狩人でしょ」
不服そうなアビーに対してアルベルトはどう話したら理解するだろうかと悩む教師のようだった。
それでも考えはすぐにまとまったのか、口に含んだ煙を長く吐き出すと改めてアビーへと問いかける。
「だったらそうだな、仮にお前とエドワードが二人で狩りに行ったとする。標的のグリムは強くてお前ら二人がかりでもキツイ相手だ。だがそれでもあと一歩で狩れるというところでそのグリムがエドワードを人質にした。グリムは見逃してくれるならエドワードを開放すると言い、エドワードは気にせずグリムを殺せと言う。グリムを殺したら人質となったエドワードは死に、グリムを見逃せばエドワードは助かるが逃げたグリムが犠牲者を増やす。さてお前だったらどうする?」
「え、そんなの……」
父を見捨てるかグリムの犠牲者となる人々を見捨てるか、どちらか選べと言うことだ。
答えに詰まったアビーを見てアルベルトは言葉を続ける。
「そこで悩まないのをいい狩人だと言ったんだ。俺だったらエドワードだろうとアビーだろうと構わずグリムを狩る。人を救うためじゃない。依頼されたことがグリムの討伐だからだ」
「……本当に?」
「ああ、そうやって今まで生きてきた。だから協会に入らずフリーの狩人をしてんだ。一人のほうが気楽だからな。まぁそれでもエドワードの野郎はしょっちゅう俺を呼びやがるから二人で組んだが、俺と組んで最後まで生き残れたのはあいつくらいだな」
自分の覚悟が足りないだけで狩人であればアルベルトのように躊躇いを持たないのだろうか。
アルベルトという人物をよく知っていたはずなのだが、狩人としての彼と話せば話すほど、アルベルトという狩人が何か不気味なグリムのようにアビーには思えてくる。
グリムという怪物を狩るのは人間だが、グリムを狩るには人間も怪物にならねばならないということか。
であればそれはとても悲しい生き方なのではないだろうか。
「もっと感情的に生きてみてもいいと思うけど」
自分はそう簡単に割り切れないと、そう自然と口から出たアビーの言葉は思ったよりもアルベルトの心に響いたようだった。
驚いたような顔のあと、わずかに後悔をにじませる笑みを見せ、アルベルトは「今更変えられねぇよ」と小さく答えた。
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