刑と燎⑳
マスカレードナイトを襲撃してすぐにここは異常だとアビーは感じた。
見たことのないような巨大な城に見渡す限りの吸血鬼たち。
人が家畜の様に扱われ、どこもかしこも血の匂いが充満している。
だがそれらを覚悟して参加したアビーからすれば異常ではあるが驚くほどのことではない。
そんなアビーが驚いたのは二人組のグリムをアルベルトが味方だと言ったことのほうだ。
日本の協会はグリムに対して友好的であり、魔女とも手を組んでいるという正気では考えられない話を聞いていたものの、まさかその魔女のパートナーが助けにやってくるとは考えもしなかった。
そんな危険な存在に助けを求めたアルベルトの正気を疑うのはアビーとしては当然なのだが、父が認めたというのであれば仕方ない。
そう不承不承ながらもグリムの手を借りることを認めたタイミングでそれは現れた。
「よう、遊びに来たぜ。吸血鬼ども」
ひび割れたガラスを叩き割るようにして空間から現れたのは二メートルを超えるであろう長身の女だ。
動きやすさを重視しているのか体にぴたりと吸い付くような服を着ており、そのせいか鋼のように固いであろう綺麗に割れた腹筋が浮かび上がっている。
腕や足も長身に比例して太く逞しいが決して太っているというわけではなく、均整のとれた筋肉を身にまとったスタイルのよい体だ。
黒と白のツインカラーの長髪をかき分けるように額からは二本の角が生えており、笑みを見せる口元には吸血鬼とは違った獰猛さを感じさせる犬歯がよく目立つ。
(噓でしょ……。ない、これは絶対にない……)
グリム二人に動転していたほんの数分前の自分が羨ましいとアビーは思った。
否定したいが目の前の鬼女はヨーロッパの狩人では知らない者はいないであろうあの例の魔女の外見と瓜二つだ。
実際に見たことはないがノイローゼになるほど延々とあらゆる人から繰り返し聞かされたのでその容姿を覚えているアビーは、口から出した否定の言葉とは違って脳内では事実を絶望とともに受け入れ始めていた。
「いらっしゃいませバキシェ様」
「……おい。なんでお前のほうが先にいんだよ。俺の後をついてなかったか?」
恐ろしい燎の魔女にして殺戮の鬼女、オーグレス変異種のバキシェ。
そんな触れるどころか近づくだけで死を予感させる存在へ吞気に話しかけたのはマスカレードナイトに参加した吸血鬼の一人のようだった。
ドレスを着こんで手には日傘まで持っている。
「いや私はほら吸血鬼にもなれるので先にいろいろ情報収集しておこうかと。それにこういうドレスも着てみたかったんですよ。どうです? 似合います?」
「興味ねぇな」
「うわぁ~反応が淡泊。そんなんでよくカカオラ様と仲良くやれましたね」
「うるせぇな。興味あったら俺だって褒める」
「じゃあ興味持ってくださいよ。私も一応カカオラ様と同じ顔なんですから練習だと思って」
「めんどくせぇ奴だな。ったく、悪くないんじゃねぇの? カカオラだったらもっと綺麗だけどな」
「……練習だって言った私も悪いですけど、比較されると褒められた気は全然しないですね」
ドレスを着ていた女がなんだかなーとため息をつきながらアビーたちへと振り返った。
眼鏡をかけた黒髪の女でその外見にもアビーは見覚えがある。
「燎の魔女のパートナー……」
「あら、私も有名なんですね。はいサテンと申します。そしてこちらは皆さまが恐れおののく最も怖いと書いて最恐の魔女。狩人を見たら殺さずにはいられない暴走鬼人。バキシェ様です」
「なんだよその紹介」
バキシェとサテンの二人は軽く遊びにでも来たといった雰囲気だが——実際そう言っていたので二人はそう思っているのかもしれないが——アビーにとってその遊びは死に直面する遊びだ。
怯えからか普段は何の支障もなく思った通りに動いてくれる肉体が、今は地面に根を張ったようにピクリともしない。
「バキシェ?」
「あん? なんだよ」
魔女の名を呼んだのは少し前に立っているあの人形だ。
何かを思い出すように魔女の名を呟いたようだが、なぜそんな不用意なことをとぎょっとした眼でアビーは人形の小さな後頭部を見つめた。
「どこかで聞いた記憶が」
「あれじゃないですかね。ほら魔女裁判に関係してるっていう」
青髪の吸血鬼は覚えていたことを得意げに人形に話しているが、アビーからすればお前まで何をのんびりと会話に参加しているんだと怒鳴りつけたかった。
馬鹿なのか周りが見えていないのか死にたがりなのか知ったことではないが、やはりグリムは正気じゃないと思わずにはいられない。
というよりもそうとでも思わなければ、ヨーロッパの狩人を大量殺戮している死の権化の目の前で呑気に会話している今の状況に納得ができなかった。
「ああ、フィズがそういえばそんな話をしてた。あのバキシェか」
「そっすね。つまり魔女っすね。……ん? 魔女?」
「おい。俺の名前をずいぶん気軽に呼ぶじゃねぇか。狩人なら大抵ビビッて動かなくなるんだけどな」
「あのバキシェ様。名前を呼ばれたことよりもっと大事なことありません? あの二人フィズ様の名前を出してましたよ?」
「フィズ? あん? なんであんな奴の名前を……いや待て、お前もしかしてあのイカレ女の人形か?」
バキシェの問いかけに累は首をひねってハクを見上げた。
何を疑問に思うのだろうかとアビーが不思議に思っていると、累が口を開く。
「イカレ女って?」
「多分フィズ先輩っすよ。自分の周囲でこの人やばいなーって思うのフィズ先輩くらいなので」
「それフィズが聞いたら怒ると思う」
「絶対に言わないでください。ってか相手が魔女ってよく考えたらやばくないっすか? 逃げたほうがいいと思うんすけど。魔女と戦うのが依頼じゃないっすよ」
今更魔女の脅威に気が付くとはハクとかいう吸血鬼はやはり頭が悪いとアビーは内心で叫んでいるが、その言葉を聞いて「まぁなんとかなるよ」と答えている累のほうは頭が悪いのではなく異常であり、イカレ女はお前だとこれまた内心で叫んでいた。
「おいごちゃごちゃ言ってねぇで質問に答えろよ」
「あ、ごめん。イカレ女がフィズのことならその認識であってるよ。人形って呼び方はあんまり好きじゃないけど」
「やっぱりそうかよ。なんであいつの人形がここにいるんだ? 命令でもされたのか?」
その質問に累の雰囲気が変わったように思えた。
アビーの位置からでは累の表情は見えず、仮に見えたところで人形じみたその無表情さでは感情を読み取れなかっただろうが、なんとなく不機嫌になったような空気の重さを感じたのだ。
「命令とかじゃない。フィズとは上下関係ないし」
「はぁ?」
「フィズは恋人だし」
「はぁ?」
「というかどっちかというと立場は私のほうが上な気がする。店長だし」
「はぁ?」
「確かにフィズ先輩店長には甘いっすからねぇ。先輩のほうが下っぽい気がするっす。あ、でも服選ぶときとかは先輩のほうが強いっすよね。お風呂とかも先輩のなすがままですし。ちなみにあれ、体くらい自分で洗ったほうがいいと自分は思うっす」
「いやアレはフィズが強引で……まぁ、じゃあやっぱりフィズとは結果的に上下関係がないってことで」
「何言ってんだお前ら」
誰が今ここでのろけ話をしろと言ったのか。
何言ってるんだと突っ込んだバキシェに、よく言ってくれたと感謝したくなるのが少し悔しい。
「あのフィズ様がそんなに献身的にお世話するなんてちょっと想像できないんですけど」
「俺もだよ」
あの凶暴な魔女の圧力が減り、少し困惑したようにしている。
どういう状況なのかさっぱりわからないが、アビーとしては落ち着いて呼吸ができる程度には冷静になることができた。
そうして呼吸によって新鮮な空気を取り入れると頭も動き出し、ふとアルベルトはどうしているのかと思い出したが隣に彼の姿はない。
バキシェが現れる直前までそこにいたのにいったいどこにと視線を巡らせれば離れた場所の柱の陰に隠れるように立っていた。
手にはスマートフォンを持ち、おそらくエドワード達に魔女の出現を知らせているに違いない。
(いったいいつの間にあんなところに……)
アビーは魔女の出現に固まっていたが、アルベルトは出現の予兆が出た時点で退避したということだろうか。
これが経験の差かもしれない。
(ってかそんな余裕あったんなら私も連れてってよ! こんな場所に置いてかなくてもいいのに!)
バキシェに気付かれないよう、そんな気持ちを視線に宿してアルベルトを見れば呆れたような顔をされてしまった。
おそらく「動けなかったお前が悪い」というようなところか。
狩人として散々アルベルトよりも強いといった手前、ぐうの音も出ない。
実際アルベルトにもアビーを連れて隠れるほどの余裕はなかったのだろうし、これは自分が悪いとアビーは受け入れて嫌な現実へと改めて視線を戻した。
「つーかよ。お前魔女とパートナーが対等だと本当に思ってんのか? パートナーって呼んじゃいるが、結局こいつらは俺たち魔女の創造物にすぎない。創造主と創造物。上下関係が生まれるのは当たり前だろうが」
「私とフィズはそうじゃない」
「はっ、笑えるな。まぁ確かに魔女にはパートナーと仲良くやってるようなやつも多いが、そんなの誤魔化しだ。おままごとみたいなもんだぜ。本当の愛も信頼もあるわけねぇだろうが。こんな風にな!」
瞬間、バキシェの隣に立っていたドレスの女が顔面を殴られ吹き飛んだ。
人間のアビーであれば頭部がはじけるような衝撃だったはずだが、ドレスの女は床に転がったまま上半身を起こすだけの力はあるようだ。
しかし持ち上げた顔は無残で、かけていたメガネは当然のように壊れて吹き飛び、頬は歪み鼻や口から血を流して歯は数本折れているようだった。
「おいサテン。ここはいいから狩人と吸血鬼を殺してこい。ノルマは百だ。足りなかったら腹を殴る」
「げほっ。はぁ、はい、わかりましたぁ」
血を吐きながらそういうと、サテンと呼ばれた女はよろよろとした足取りで城内へと消えていった。
理解はしていたはずだが、改めて魔女としての破壊力を見せつけられると背筋が寒くなる。
再び強張った体と狭まる視界の中で魔女の言葉は続いた。
「見たろ。従順な奴隷だぜ。言えば何でも従う。お前だって同じさ。あのイカレ女が恋人役になってほしいって作ったんだろうよ」
あははは、と魔女の高笑いがホールに響いた。
だがアビーの視線はその恐るべき魔女ではなく、それよりも手前の小さな人形の背中に吸い寄せられた。
不思議なことだが、この小さな背中からあの魔女と似たような圧力を感じるのだ。
「ハク、ここはいいから予定通りアルベルト達の手伝いしてきて」
「え、と、店長はどうするんすか?」
恐る恐る問いかけたハクに対して累は散弾銃に弾を装填し、最後には銃口を魔女へと突き付けて口を開いた。
「あのむかつく女を黙らせる」
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