刑と燎⑲
混乱したように叫んだのは自分だったのかほかの吸血鬼だったのか、ヒューゴは地面に降り立った光の塊が何なのかを確かめようと眼を細めて見つめた。
徐々に光に目が慣れてくれば、まず目についたのは首のない巨大馬だ。
頭部を切り落とされたような形で断面からは青白い炎が噴き出ている。
そしてその巨大馬がどこから声を出しているのかわからないがいなないて見せると、このまばゆい光の中心とも思える誰かがその背から飛び降りた。
「人、か?」
「多分……ってか、なんだあれ? 服着てないぞ」
ルーカスの言葉にやはりこいつは頭が悪いのだなと思ったのもつかの間、ヒューゴの光に慣れてきた眼には確かにマント以外一切を身に着けていない裸の女が立っていた。
全身から噴き出すように光が溢れているせいでそれがある意味服のようにも見えるのだが、とにかく全裸であることには間違いない。
「……服、来てないな」
「だよな」
二人そろって何で空から全裸の痴女がと思い始めたころ、後ろの馬車から現れたのはこれまた衝撃的な人物だった。
まず一人目は長身で緑色の長髪にサングラスをかけた女だ。
だがこの女に対しては威圧的な外見ではあるが光り輝く全裸女に比べればはるかに普通だなという印象しかない。
問題は次に出てきた人物だ。
眼を焼くような光の中でも圧倒的な存在感を感じさせる藍色の瞳をした女性。
白髪は光を反射するように輝き、すらりとした手足が動くたびに視線が釘付けになって脳内に刺激が走る。
何よりヒューゴがこれまでに見たことのないその美しい顔には抗いようがなく魅了されてしまう。
力が弱いとはいえ魅了の能力を持つ吸血鬼だからこそわかることがある。
それは自分自身があの白髪の女性に魅了されていることだ。
このままでは瞬き一つすることすら彼女の許可を求めるようになってしまう。
そんな恐ろしさと快感に板挟みになるヒューゴを救ったのは最後に出てきた、みずぼらしいというほどでもないがどこかの農村の女といった様相の女性だった。
「皆様、こちらは七人の魔女の一人、輝きの魔女にして世界を統べる王、ロイヤル様でございます」
淡々とした口調だったがその内容は光り輝く全裸女が現れた並みに衝撃的な内容だった。
魔女と言えばグリムにとって絶対的な力の持ち主だ。
ヒューゴのような弱小グリムからすると上位吸血鬼以上に逆らってはいけない存在である。
ほかの吸血鬼もそう感じたのか、あるいはあまりの衝撃に理解ができないのか、戦闘中だった吸血鬼や狩人たちすらその言葉に動きを止めている。
先ほどまでの騒ぎが嘘のような静けさの中、質素な服装の女が不服そうに口を開いた。
「困りましたね。静かなのはよいことなのですが、ロイヤル様に対する敬意が足りません」
「よい。いきなり民の前に王である余が現れれば驚いて固まるのも当然というものよ」
ロイヤルと呼ばれた女がその輝き以上に満ち満ちた自信と威厳をまとわせてそう言葉を発した。
魔女という言葉、そしてロイヤルから感じる絶対的な力の差にヒューゴは体を震わせる。
もはや切り落とされた手の痛みなどは感じない。
「だが、見逃すのは一度だけだ。そう一度だけ見逃してやろう。次はない。聞いたな?」
ロイヤルが浮かべる笑みは優しく慈愛に満ちたものだ。
その輝きも合わせれば地母神かと思わせるほどの温かいものである。
だがヒューゴの体は相反して寒気に襲われ震えが止まらなかった。
そしてロイヤルゆっくりと息を吸い——
「頭が高い!!」
そう叫んだ。
中庭に集まった狩人と吸血鬼、そして哀れな吸血鬼の餌代わりの人間たちの耳から鼓膜を突き破るような大音声が各々の脳内で反響する。
誰も彼もがあまりの大声に言葉の意味を理解するのに時間がかかる中、ヒューゴが誰よりも早く跪いて頭を地面へこすりつけるようにして下げることができたのは、ほんの少し前に上位吸血鬼に逆らって左手を切り落とされた経験があったからだ。
何があってもとにかく自分より上位の存在に逆らってはいけない。
決して逆らってはいけない。
そう魂に沁みついていたからこその反応だった。
「クリス。二度目だ」
「はい。ロイヤル様のロイヤルな法律第百条。王に敬意を示せないものは生きていてはいけない罪により、死刑です」
「磔刑に処す!」
ヒューゴは頭を下げて地面だけを見ていたので何が起きたかはわからない。
だがあらゆるところから混乱と苦痛の声が響き、そして隣に立っていたルーカスの気配が消えたことだけはわかった。
自分自身に何も起きていないことを確認したヒューゴは体全体を震わせながら、ゆっくりと、非常にゆっくりと頭をわずかに上げる。
「あ、ぁぁ……」
中庭に生きているものは誰一人いなかった。
代わりにあるのは無数の十字架であり、両手両足を杭打ちにされ心臓には槍が深々と突き刺さっている。
吸血鬼は僅かな血を残して灰になって消えており、狩人などの人間は恐怖と混乱の表情をしたまま息絶えていた。
静まり返った中庭一面に花のように咲いた無数の十字架をヒューゴは理解することができない。
だが隣にいたルーカスだったものの灰が風に乗って顔にかかると、ヒューゴは悲鳴を上げて転がり近くにあった十字架に頭をぶつけ、また怯えて転がり最後は頭を抱えて蹲って震えた。
「ふむ。吸血鬼と狩人というのは礼儀がなっておらんな」
「そのようですね。ですがご覧ください。一人だけロイヤル様の偉大さを理解しているものがいたようです」
「ほう。フハハハハハ、実に殊勝な奴だ。余が直々に褒めてやろう」
蹲って震えるヒューゴの耳に足音が近づいてくるのが聞こえた。
何を言われたのか理解できる状況ではなかったものの、自分へと近づいてきているという恐ろしい事実だけは理解できていた。
「面を上げよ」
「ふ、は、はひ……」
言われた通りにしなければ死ぬ。
その一心で震えて嫌がる体を無理やりに動かし頭を持ち上げる。
見上げれば周囲の光景を作り出したとは思えない光り輝く女が立っていた。
頭の隅でなぜ体が透けているのだろうという疑問がよぎったが、そんなことに意識を割く余裕はないためとにかく目の前の女の一挙手一投足に対して最善の対応をしなければとヒューゴは神経を研ぎ澄ませる。
「王に対して相応しい態度だ。褒めて遣わす」
「は、ひは、は……」
「ところで聞きたいのだが、ここにバキシェという魔女が来ていないか?」
「ひ、ひぅ……」
「ん? よく聞こえんぞ」
きちんと答えなければ死ぬ。
だが呂律がうまく回らない。
それでも生きるために懸命にヒューゴは舌を動かした。
「ひり、し、しり」
「尻?」
「し、しり、まぁ、せん!」
「知らんか。ふむ。では仕方ないか。まぁ適当に歩けば見つかるだろう」
「バキシェ様が来ているのであれば騒ぎが起こりますので、音のするほうに向かえばよいかと」
「賢いなクリス。余もそう言おうと思っていたのだ。では行くぞ」
恐ろしい魔女が去っていく。
とてつもない安堵と自分がまだ生きているという不確かな実感に体が震えてほとんど地面に倒れこむようにしてヒューゴは涙を流した。
「皆殺しかよ……えげつないな」
「一度見逃してあげたんだし、優しいほうなんじゃないですかね」
「後ろで見てたアタシはマジで怖かったぞ。あれで輝きの魔女とか詐欺じゃねぇのか」
「あれ言ってませんでしたっけ? 輝きはロイヤルの自称ですよ。私たち魔女や狩人はほかの呼び名で呼んでます」
「え? なんて呼ぶんだよ」
「刑の魔女ですよ。これ見たまんまです」
「あぁ……納得」
「まぁ本人の前で言わないほうがいいですよ。華がないとかで不機嫌になるので」
疲れ切った脳みそがまだ終わっていないとヒューゴの体を必死に動かそうとするが、死の危険を乗り越え疲弊しきった体はまるで反応しない。
そうして地面に転がったままのヒューゴの所へ今度は別の二人組が現れた。
白髪と緑髪の二人組である。
「ぁ……」
そうだこの人がいたと、ヒューゴは遅ればせながらに自分が崖っぷちに立っていることを思い出した。
緑髪の女は居心地悪そうに視線を背けているが、白髪の絶世の美女はこちらへ向けてわずかに微笑んでくれている。
たったそれだけのことだが、ヒューゴの疲れ切った脳と体に抗えるわけがない。
——要は助かったと安堵した愚かな害虫を魔女が嘲笑し、害虫はそれを優しさだと勘違いし魅了されただけのこと。
「質問ですが、紫のドレスを着た美少女と青のドレスを着た普通の女性を見ませんでした?」
「差をつけすぎじゃねぇか? ハクも可愛いぞ」
「む、ら……あお」
ヒューゴは愛すべき女性に対してきちんと答えを返したいのだがいかんせん脳も体も機能が著しく低下している。
それでも必死に思い起こせば女性の質問に対する答えはすぐに見つかった。
何せ左手がなくなったのはその二人と関わったせいなのだから。
「は、話しかけました。紫のドレスの女に声をかけて、手を引っ張って、それで、手を切られたので逃げました。ひどい、ひどい女です! あなたと違ってぇ! あなたは俺に微笑みかけてくれるのに! あの女は俺をゴミみたいに見て! 手まで切りやがったぁ!」
ただ起きたことだけを伝えるつもりが、途中からめまぐるしい状況の変化の中で抑えていたあの女への鬱憤がはじけて止まらなかった。
それもこれもあの女がすべて悪いのであり、そして目の前の女神であればすべてを受け止めてくれる。
そう感じたからに他ならず、ヒューゴの口はとどまるところを知らなかった。
「み、みみ見てください! この手をぉ! 俺が助けてやろうとしたのに! あの女がッ! 助けてやろうとしたのにィ!! お高く留まりやがって恩知らずのクソ女がッ!!」
全てを吐き出してわずかに冷静さが戻ってくると、ヒューゴの脳内に女神の前であの女のこととはいえ暴言を吐くのは相応しくなかったのではという考えが浮かんでくる。
しかし怒りで黒く染まった視界が徐々に柔らんでいけば、そこには先ほどと変わらずに美しい微笑を称えた女神がいた。
ただ背後の緑髪の女がとてつもなく怯えた表情をしていることが僅かに気になったが、そんなことに気を向ける暇があるなら目の前の女神のまつ毛一本でも脳内に刻み込みたいとヒューゴはすぐにそれを忘れてしまった。
「そうですか。それでその人は今どこに?」
女の言葉にヒューゴの体がぶるりと震えた。
気のせいだろうか。
とても耳障りの良い声なのだが、心臓を氷の手で鷲掴みにされたような感覚があったからである。
「し、城の中です。青い服の女もそこに……」
その言葉を聞いてすぐに歩いて去って行ってしまう。
まるでもう用はないとでもいう様に、屑籠へ捨てたごみに一瞥しないことが当たり前のように、一度も振り返らずに離れて行ってしまう。
そして緑髪の女もヒューゴのことを気の毒そうに一度振り返ってから女神と共に去っていった。
「ま、待って」
置いていかないでほしい。
そう伝えようとして、体が一切動かないことにヒューゴは気が付いた。
初めは疲れて動かないのかと思ったが、そうではないことをすぐに理解した。
「な、なんだ」
手足を何かに抑えられている。
視線を向ければ磔にされて死んだはずの狩人の死体がヒューゴの体を抑え込んでいた。
それも一人や二人ではなく、見れば十字架から杭を打たれた手足を引きちぎるようにして死体がヒューゴへとゆっくりと迫ってくる。
あまりの恐怖に悲鳴を上げかけたが、それよりも早く体に激痛が走った。
「ぎゃあッ!! な、い、痛い!?」
想像を絶する激しい痛みにヒューゴは叫び声をあげた。
口から涎をたらしながら痛みのもとを探せば死体たちが自分の体を貪っている。
それも少しずつ、少しずつ、ゆっくりと味わう様に。
「やめ、あぁ!! 痛いぃ!!」
永遠に続くかと思うような激痛に早く死にたいとすら思うが、ヒューゴはふと恐ろしい事実に気が付いた。
もしかして自分は死ねないのではないかと。
中位吸血鬼とはいえ再生能力があるヒューゴの体は時間とともに回復していく。
そしてこの死体共はその再生速度よりも少し遅いくらいのスピードで体を貪っているのだ。
まるで蟻が巨大な肉に群がるように時間をかけてゆっくりと。
「ぅそだ……たすけて、やめ、ぁあああああああ!!」
中庭に助けを求めるヒューゴの悲鳴が響き続けるが、それに反応するものは誰もいない。
静かに十字架が佇むのみだった。
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