刑と燎⑰
マスカレードナイトに参加する吸血鬼にとって階級の差は絶対だ。
中位吸血鬼は上位吸血鬼に決して逆らってはいけない。
では同じ階級同士であれば上下関係はないのか、と言えば決してそんなことはなかった。
「はぁ。うまく馴染んだ奴らはいいよなぁ」
そうぽつりと愚痴を吐いたのは吸血鬼らしい白い肌に窪んだ眼をしたさえ無い男である。
身に着けたスーツは自前ではなくレンタルであり、仮面はハロウィン用の安いコスプレ衣装。
吸血鬼になって初めてのマスカレードナイトではあるものの、駄目な奴は吸血鬼になってもとことん駄目なのだと男は痛いほど理解していた。
「はぁ」
ため息が繰り返される。
マスカレードナイトは吸血鬼たちの宴ではあるが、普通の人間に当てはめてみれば城内は上流階級の社交パーティー、庭は陽キャの乱痴気騒ぎ。
彼の様に陰気で人づきあいが苦手なものからすれば居場所などなかった。
ああして庭で大騒ぎできるのは人間の時からそういった性格だった者だけで、自分のようなものが参加して騒げば白い目で見られないかと気が引けてしまう。
かといって人間のオークション会場はこれまた自分のような人間が参加する雰囲気ではないと気が引けてしまうし、仮に落札したところでそれに払う金も彼にはない。
そして城内に足を踏み入れるなどもってのほかだった。
「吸血鬼になった時は興奮したけど、いざ吸血鬼として生きていくとなると面倒なことが多いんだよなぁ……はぁ……」
吸血鬼になった直後は自分だけが特別に選ばれたような優越感と体に漲る人を超えた力に興奮を覚えたものだが、そんな感情に包まれたのもほんのつかの間だ。
まず日の光に当たることができず、太陽に怯えて昼夜逆転の生活を余儀なくされる。
そしてなにより食事が大問題であり、飢えをしのぐために血を吸わなければならないがそこらにいる人間を襲えばあっという間に狩人が現れて狩られてしまう。
そのため彼の様に吸血鬼であっても狩人と戦うほどの力もない者は、より上位の吸血鬼から血を恵んでもらう必要があった。
つまるところは表の人間社会で金を稼ぎ、その金を裏の吸血鬼社会で血を購入するために使うというわけだ。
これがかなり高額であり、給料のほとんどが血の購入に持っていかれてしまう。
おかげで彼は安いボロアパートで寝起きし、夜という短い活動時間のほとんどを日雇いの仕事に当てている。
人間でいたころよりもはるかに辛い生活だ。
「おいどうしたヒューゴ。こんなところで突っ立ってたらもったいないぞ!」
「ああ、ルーカス。それはそうなんだけど居場所がないんだよ」
声をかけてきたのは無精ひげを生やした小太りの男であり、自分以上にスーツ姿が似合っていないとヒューゴと呼ばれた彼は内心で男を見下した。
とはいえこのマスカレードナイトを紹介してくれたのはこのルーカスと呼ばれる男なので、来たことを少し後悔してはいるのだが、一応感謝はしている。
「あっちで騒いできたらどうだ? 浴びるように血が飲めることなんてないだろ?」
「いや……ああいう雰囲気はちょっと苦手で」
「なんだそれ。ここまで来たのにもったいないこと言うんだなお前は」
「なんかいざ来てみたら場違いな感じが凄くて。というか変に騒いで上位吸血鬼を怒らせたりしたら怖いじゃないか」
少し前に血を購入しようといつもの場所に向かってみると、同じように血を購入しようとしていた男が胸を上位吸血鬼に貫かれて目の前で灰になったのだ。
後から理由を知ったのだが、購入した血を別の吸血鬼に高額で転売していたことが原因だったらしい。
ほかにも自分より上位の吸血鬼に逆らって悲惨な目にあった吸血鬼の話は腐るほど聞いていたため、ヒューゴは絶対に逆らわないと怯える心に誓ったのだ。
「あーそれなら気にしなくていいぞ。この庭にいるのは俺らと似たり寄ったりの中位吸血鬼ばっかりだからな。お偉いさんはみんな城の中だし上位吸血鬼ともなれば俺らの前に姿なんか見せないさ」
「城の中? 俺みたいなのが入っちゃいけない場所だな……」
「別にそういうわけじゃないけどな。中位吸血鬼も普通に城の中に入るし。まぁお偉いさんが多いから態度には気を付けないといけないけどな。んじゃ俺はあっちで楽しんでくるぜ。血を飲みだめしとかないとな! ははははは!」
あぁと生返事をしながら心の中で絶対に城の中には入らないぞと誓ったヒューゴを残し、ルーカスはだらしのない腹を揺らし笑い声を上げながら耳に痛い音楽を響かせるダンスパーティーへと紛れ込んでいった。
とにもかくにも居場所はないが、ヒューゴも少しくらい血を味わっておくかと近くのサーバーからグラスに血を注いで喉を潤す。
普段飲んでいるものよりもおいしい気はするが、きっと首筋に牙を立てて直に飲むほうがずっとうまいに違いない。
最もそんなことをする勇気はないし過去にしたこともないのであくまで想像なのだが。
「はぁ。どいつもこいつも浮かれてるなぁ。俺みたいなやつはいないのかよ。全く」
吸血鬼なのに場に馴染めないのは不運としか言えないなと嫌気がさしてきたころ、ふと目に留まる吸血鬼がいた。
ヒューゴの視線の先には仕立てのいいドレスを身にまとい、仮面代わりにヴェールで顔を隠した吸血鬼が二人。
一人は小柄で子供のようにも思える。
何故その二人が目に留まったのかと言えば、彼女たちが自分同様にこの場に馴染んでいないように見えたからだ。
彼女たちは血のシャワーで踊り狂う吸血鬼たちを見て、オークション会場で人間が商品となっているのを見て、眼前の串刺しとなった人間を見て、お互いに何かを話しているようだった。
彼女たちと同タイミングでこの場に現れた吸血鬼たちは喜びの声を上げてその一員となっていくのだが、彼女たち二人だけがその場にとどまっている。
ヒューゴは二人に妙な親近感が湧くのを感じた。
(もしかしたら俺と同じでこの場に馴染めてないのか? それなら少し声をかけてみるのもいいかもな)
ヴェールで顔は見えないが、あらわになっている首筋や胸元はキメの細かい若い女の肌だ。
吸血鬼としてではなく、一人の男として若い女の肌にむしゃぶりつきたいという欲情がこみ上げ、それを抑えるようにグラスに残った鮮血をグイっとヒューゴは飲み干す。
これが酒であれば酔った勢いで声をかけたかもしれないが、そうではなく冷静になれたのは頭の片隅に女たちのドレスの見事さに警戒を覚えたからだろう。
(そうだ落ち着け。あれだけのドレスを着てるなら上位吸血鬼の可能性だってある。金さえ出せば股を開くバカ女どもと同じに考えるな。下手すりゃ俺が殺されるんだからな)
ふぅと息を吐いて諦めようとするが、それでも視線がどうしても二人を追ってしまう。
二人は庭で催されている宴には目もくれず、足早に城内へと消えて行ってしまった。
「くそ。城の中ってことは上位吸血鬼か?」
中に躊躇なく入っていくような上位吸血鬼であれば自分にはどうにもできない。
だがふと考えてみれば逆にそれは好都合ではないだろうかということに思い至った。
なぜならヒューゴがこのマスカレードナイトに参加した理由は血が好きなだけ飲めるということ以外に、自分よりも上位の吸血鬼と繋がりを持てるという点があったからだ。
今の生活では未来永劫ただひたすら血を飲むために働き続けるしかない。
だがここでもし力のある吸血鬼と出会うことができ、さらにその吸血鬼に気に入られれば今の奴隷のような生活を抜け出せることだってできるかもしれない。
「入って、みるか?」
城内に入るのはリスクの高い賭けだ。
だがルーカスが言っていたように別に中位吸血鬼が入ってはいけない理由はない。
それにあの二人の女吸血鬼はほかの吸血鬼とは何かが違う。
賭けに出るなら今しかないとヒューゴは心に決めて足を動かした。
幸い誰かに呼び止められるようなこともなくすんなりと城内に入ることができ、見渡せば外とは違った落ち着いた雰囲気にヒューゴは多少気圧される。
外は外で場違いな雰囲気があったがここはさらに顕著だ。
周囲の吸血鬼たちは誰も彼もが身なりよく、その立ち振る舞いから自信の表れが見て取れる。
上位吸血鬼もしくは中位吸血鬼であってもそれなりに権力のある吸血鬼に違いないと思われた。
「くそ……」
妬みからか思わず悪態をついてしまう。
逃げるように会場の隅へと移動するがそこはそこで喧騒から逃れたいカップルの吸血鬼たちがたむろしており、居心地の悪いヒューゴは居場所を求めてさらに移動する。
ふらふらと居場所を求めて移動する自分が窓から迷い込んだ羽虫のようだと思いつつ、ようやくヒューゴが落ち着いたのはダンスホールを見下ろすことのできる中二階の一角だ。
手すりへ寄りかかるようにしてやっと一息付けたと安堵し視線を会場へとめぐらす。
「さて、あの二人はどこだ」
まず目につくのは中央のダンスホールだ。
クラシックな音楽もダンスもまるで興味はないが、そこで踊る女吸血鬼たちには興味がそそられる。
そしてそんな女吸血鬼たちが仮面をつけてはいるがヒューゴでも知っている有名人たちと踊る姿は、嫉妬と惨めさを感じさせるのに十分な光景だった。
吸血鬼の宴と言っても自分のような底辺の存在は楽しむことすらできないのだと痛烈に思い知らされる光景にヒューゴは顔を顰めて歯を嚙み締める。
「結局は選ばれた奴だけが幸せになる。俺みたいなのが不老不死なってもただの地獄じゃないか。……いや、俺はここから抜け出してやる。もっと上位の吸血鬼とパイプを作り、俺みたいなやつでも幸せに生きていけるって証明してやるんだ!」
そのためにもまずはあの二人を探さなければならない。
そう決意したヒューゴは改めて強い意志をもって階下にいる吸血鬼たちの中からあの二人を探すべく目を凝らした。
するとよく目立つ青いドレスと紫のドレスの二人組がダンスホールの前列にいることに気が付いた。
「いた! ……けど、どうする? いきなり声をかけるのも、いやとにかく声をかけなきゃ始まらないか?」
悩むヒューゴの視線の先で一人の男吸血鬼が二人の前で手を差し出している。
あれがダンスの誘いだとわかった時には青いドレスの吸血鬼がダンスホールへと進んでいってしまった。
「くそ! 俺が先に目をつけてたのに!」
あの吸血鬼は確か日本の有名なアイドルだ。
中位吸血鬼のくせに表の知名度を武器にして上位吸血鬼とも親交を深めている卑怯な奴だと、ヒューゴは自分が考えていたことを棚上げして内心で存分に男を罵った。
「……でも紫の子は断ってたみたいだな」
最初は紫のドレスの吸血鬼が誘われていたようだったが、それを断っていた様子からするとやはりこの宴に馴染めていないのではないだろうか。
あるいはあの青いドレスの吸血鬼に無理やり連れてこられて嫌がっているとも考えられる。
というかそれが真実ではないだろうか。
「なら今がチャンスだ。一人だし落ち着ける場所でも案内しよう」
そのあとのことは後で考えればいい。
とにかくこれ以上出遅れるわけにはいかないとヒューゴは階段を足早で降り、ダンスホールに集まる吸血鬼たちを押しのけ先へと進む。
目指すは紫のドレスの小柄な吸血鬼だ。
とはいえここでほかの吸血鬼を怒らせるわけにもいかないのでなるべく無礼にならないよう慎重に距離を詰め、そしてようやく目当ての吸血鬼の背後へと立つことに成功した。
(本当に小柄だな)
周囲の吸血鬼や青いドレスの吸血鬼と違って肌がほとんどドレスで隠れているが、シルエットからすると全体的にほっそりとした体つきなのは間違いない。
小柄なことも含めて抱きしめたらぽきりと折れてしまいそうだ。
「ぁの」
想像以上に緊張していたのか、喉から出た声は悲しいほどにかすれていた。
もちろん眼前の吸血鬼の耳に届くはずもなく、ヒューゴは何度か咳ばらいをして改めて声をかける。
「あの、失礼します。少しお話しできますか?」
反応がない。
無視されているのだろうかとも思ったが、単に聞こえていないのかもしれない。
少し無礼かもしれないが、今度は肩を叩いてみようとヒューゴは改めて声をかけた。
「あの。少しお話しできますか?」
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