刑と燎⑪
「ダンスは初めてかな? じゃあゆっくり僕に合わせて見て。うん、そんな感じ。うまいね」
「あ、ありがとうございます」
ふわふわと足元がおぼつかないのは決してダンスが初めてだからというだけでなく、憧れの人物が目の前にいるからというのが大きいに違いない。
ましてやただ立つだけでなくともにダンスをとなれば夢か幻かと思わずにはいられない。
こうして近くで見れば写真で見るよりも髪は艶やかで肌が綺麗だ。
惜しむらくは仮面で目元が見えないことだが、それでもハクは長年心の支えになってくれていたアイドルと会えたことに心の底から興奮していた。
(ああ、こんな場所で会えるなんて!)
ハクの内心から吸血鬼やマスカレードナイトの会場というマイナスな面の情報は一切消えてしまっている。
憧れたアイドルに会えたことですべての情報が上書きされ、今は目の前のタクマの表情や言葉などの情報を脳に刻むので精いっぱいでそれ以外の情報を保管する余裕などどこにもないのだ。
これをギブソンが見れば何をしているんだと叱られるのは間違いないのだが、ハクにとってそれだけタクマというアイドルの存在が大きいということに他ならない。
(施設で友達ができなくて独りぼっちだった時、いつも励ましてくれたのはタクマだった。タクマの歌や言葉のおかげで寂しい毎日を乗り越えられた。この感謝を伝えたいのに言葉にできない! 今とても幸せだけど、幸せすぎて胸が痛いよ!)
誰にだって特別な人はいる。
ハクにとっては両親を失い施設で友人もできず寂しい時期を支えてくれたタクマというアイドルが特別な存在だったのだろう。
彼のおかげで次第に施設でも明るくなり、共通の話題で友人もできた。
彼のおかげでハクという人間は生きてこられたといってもいいくらいなのだ。
だからこそ、彼が吸血鬼だということから無意識に目を逸らしている。
「マスカレードナイトに参加するのは初めて?」
不意に彼が夢から現実に引き戻すようなことを言うのでハクは一瞬表情が歪みそうになった。
ヴェールがあってよかったと内心安堵しつつ、ハクはただ単に彼の質問に答えることだけに意識を裂いた。
マスカレードナイトや吸血鬼などのことは頭の片隅に追いやって。
「はい。初めてです」
「そうなんだ。僕は五十年になるかな。ここじゃまだ新米だけど、新人ちゃんにマスカレードナイトのルールを教えてあげようか。まず相手の素性を探るのはNGだ。みんなが仮面をつけているのも表の素性を忘れてただ吸血鬼として楽しむためだからね。まぁ僕みたいな有名人だと仮面をつけていても意味はないんだけど、それでも名前や素性を聞かないってのが暗黙のルールなんだよ」
「そ、そうなんですね」
嫌な単語が耳に響く。
どうしてそんな聞きたくもないことを語ってくるのだろう。
楽しく幸福な時間のはずなのに、彼とともに踊る時間がハクには徐々に苦しいものに変わっていった。
「あと自分よりも上位の吸血鬼には敬意を表すこと。吸血鬼社会は上下関係が芸能界よりも厳しいからね。調子に乗ると冗談じゃなくて本当に消されるから注意したほうがいいよ。何年前だったかなぁ。中位吸血鬼の男性が上位吸血鬼の女性に手を出そうとしたことがあってね。その場で手ひどく痛めつけられた挙句に日光の下に晒されて灰になるまで放置されたよ。まぁみんなも楽しんでいたし僕も始めて見たから面白かったよ。当事者にならなければ楽しいイベントさ」
「へぇ。気を付けないとですね」
そんなことを聞きたいわけじゃない。
もっとあなたの歌やファンに向けた言葉について話したいだけなのに。
歌の歌詞に感動したこと、ダンスに魅了されたこと、辛い時に優しい言葉に救われたこと、そしてその感謝の気持ちを伝えたいこと。
ハクのそんな気持ちは彼に届かない。
当たり前だ。
彼はアイドルとしてここにいるのではなく、吸血鬼としてマスカレードナイトに参加しているのだから。
理解していないのはハクだけだ。
そうして彼の話は続く。
「ちなみに中位吸血鬼のなかにもランクがあって、日に当たってすぐ灰になるようなのは中位吸血鬼の中でも下の下さ。僕みたいに長時間はともかく多少は日光を我慢できたり、表で有名だったり権力があったり、あとは特殊能力があったりすると中位吸血鬼の中でも上位の立場になれる。君はどうかな?」
「私は……上位吸血鬼、です」
ハクの言葉にタクマの雰囲気が変わった。
とても見慣れた顔のはずなのに目の前にいる男はまるで別人のようで、欲情し餓えた獣の瞳をしている。
狩人としては見慣れた人を喰らうグリムの瞳だ。
「お、驚いたな。これは失礼なことをしてしまったね。まさか上位吸血鬼だったなんて、あんなに知った風に語って恥ずかしいよ。でもこうして会えたのも何かの縁だ。ぜひ僕と仲良くしてくれると嬉しいな」
仲良くしてほしいと言われてこれほど心が重くなるとは思わなかった。
出会ってすぐにその言葉を聞けば飛び跳ねて喜んだに違いないが、今のハクにとってその言葉は胸に響くどころか彼への想いに傷をつけるばかりだ。
大切な記憶や想いのはずだったのに、今ではそれがとても重たく冷たい。
だが一縷の望みに縋るように、ハクはホールに響く音色にかき消されそうなほど小さい声で憧れのアイドルへと問いかける。
「どうして、ですか? 私なんかと仲良くしたいなんて……」
「上位吸血鬼は僕らと違って血を定期的に摂取する必要がない分、グルメだと聞いているからね。僕は他にも上位吸血鬼の友人がいるんだけど、ぜひ君のおすすめを味わってみたいんだ!」
ああ、とハクは自分の中で何かが崩れていくのを感じた。
それは彼への憧れか、過去の幸福だった記憶か、傷ついた己の心だったのか。
ハクはかろうじて続けていたダンスを止めホールの中央で立ち尽くす。
そのタイミングで偶然演奏が終わったため目の前の吸血鬼は何も不審に思わなかったようで、周囲の吸血鬼たちが新たなパートナーを探しに別れていく中でもハクへと熱心に話しかけていた。
「曲が終わっちゃったな。まだ時間はあるかな? もっと君とは話していたいんだけど……そうだ! もし喉が渇いているなら僕が用意するよ。ほら僕はアイドルだから若い女性ファンが多くてね。おかげで血には困らないんだ。僕のおすすめは十二歳の処女の血かな。まだ穢れも知らず、けれど大人に憧れ始めて、そして何より騙しやすい。ここへ来る前に何人かに声を掛けたら何も疑わずに眼をキラキラさせてついてきてくれ――」
「その子たちはどこ?」
「え? ああ興味を持ってくれたのかい。なら早速行こうか。このホールを出てすぐの個室に閉じ込めてあるからさ」
ホールに人が再び集まったのを見て、楽師たちが再び曲を奏で始めた。
だがその中心でハクは動かず、そんな彼女の様子を窺うように眼前の吸血鬼も足を止めたままだった。
「私はあなたのファンです。辛い時にあなたの歌や言葉で励まされて、本当に心の底から感謝してる」
「本当かい? それは嬉し――」
「でもその憧れたアイドルが吸血鬼で、子供の血を吸うクソ野郎なら……」
ハクは被っていたヴェールを投げ捨て眼前の吸血鬼を睨みつけた。
青髪の下で光る黒の瞳が怒りに燃え滾っている。
「絶対に許せない!!」
その瞬間、このホールに集まる吸血鬼たちはもとより上位吸血鬼の怒りを一身に受けた男は、自分に何が起きたのかわからなかったに違いない。
だが次第に自分の体に力が入らず、崩れ落ちそうになったところでようやく異変に気付いたようだった。
目の前の青髪の吸血鬼の腕が、自分の胸を貫いていることを。
そして美しく瑞々しかった自身の肌が干からびているのはその腕から血を抜かれているせいだということを。
「あ、あぁ……!」
ハクが腕を引き抜くと吸血鬼はよろよろとあとずさり、そして膝から崩れ落ちた。
前身は干からび頬も瘦せこけ、そのせいで外れた仮面は静まり返ったホールにカツンと大きな音を響かせて床に落ちた。
もはやアイドルの面影などどこにもない。
「お前の血なんかいらない。吐き気がする」
対するハクが引き抜いた腕に血は一滴もない。
だが手のひらの上に一本の深紅の矢が置かれており、どこからか取り出した愛用のボウガンにその矢をつがえると、窪んだ瞳に困惑の色を見せる吸血鬼にそれを向けた。
「ま、待ってくれ! 君も吸血鬼だろう!? なぜ怒るんだ!?」
「違う」
「……え?」
「私は狩人だ!!」
引き金が引かれ、額に矢が刺さった男は残った血も全てその矢に吸い尽くされたように灰になって消え去った。
そして耳に痛いほどの静寂がその場を包んだのち、その静寂を破ったのは吸血鬼たちの声である。
「か、狩人だ!」
そんな当たり前のような吸血鬼たちの叫び。
ただ不自然だったのは、最初にその声が上がったのは城外からだった。
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