刑と燎⑩
「血の匂いがすごいっすね……」
思わずハクが素に戻って顔を顰めるほどに降り立った島は血の匂いに満ち溢れていた。
城へと繋がる道はレッドカーペットを意識したような鮮血の血で彩られており、吸血鬼たちはその上をハリウッドの俳優たちの様に悠々と歩いていく。
累とハクからすれば血の匂いで酔ってしまいそうなほどだが、城内はさらにひどかった。
城の巨大な門を抜ければ広大な中庭が広がっているが、まず右に視線を向ければ吸血鬼たちが文字通り鮮血を浴びるようにして飲んでいる。
色とりどりのレーザー光に照らされ、胸に響く重低音の音楽とそれに合わせるようにして上下に飛び跳ねる吸血鬼たち。
そしてその吸血鬼たちに上空からシャワーのようにしてばらまかれるのが鮮血だ。
歓声と奇声。
全身を血まみれにし、仮面の下で狂ったような、あるいは実際に狂った笑みを浮かべて声を張り上げる姿はサバトのようだ。
そしてシャワーのもとになった人間たちは、ごみの様に片隅へと投げ捨てられていた。
視線を逸らすようにして左を向けば、こちらは打って変わって静けさ漂う気品ある会場だった。
だが視線を釘付けにするのは巨大なステージとその上で鎖につながれた一人の男。
男の体には点滴の様に管が繋がれており、その管の先には血の溜まった袋があった。
ステージを見守る吸血鬼たちはその袋から血を自分のグラスに注ぎ、じっくりと味わってから手に持った札を上げる。
それがオークションなのだと理解した時にはステージの男は札を上げた吸血鬼に連れられて城内へと消えていった。
悲鳴を上げても抵抗しても意に介されず男の姿は城内へ消え、ステージにはまた別の人間が引きずられるようにして現れる。
視線を真正面へと向けると巨大な城が佇んでいる。
そして左右の散々たる惨状に負けず劣らず、こちらの直線の道のりの両脇には串刺しとなった人々がまだ新鮮な血を滴らせていた。
どこかで吸血鬼がさも博識そうに『あれはルーマニアの串刺し公をモチーフにした装飾だな。実に素晴らしい。この苦悶の表情に噎せ返るような血の匂い。兵士たちが串刺し公と恐れ、後世で吸血鬼と呼ばれるようになったのも理解できるというものだ。最も彼は我らのような吸血鬼ではなかったがね』と語っている。
ハクと二人で世界の異物になったような感覚が累にはあった。
周囲の吸血鬼たちは皆笑顔で声を上げ喝采し、左も右もどこを見ても吸血鬼たちにとって素晴らしい光景なのだろう。
だがたとえ肉体は吸血鬼であっても累にこの宴は理解できない。
そしてハクには特に許しがたい光景だろう。
「こんなの……ひどすぎる」
偽装のための言葉遣いも忘れ、魂が抜けきったような様子でそう呟いたのがハクの心境をよく表している。
そして累もそれに同意するように頷いた。
「そうだね。想像以上にひどい」
「あの人たちを——」
その言葉を抑えるように累は人差し指をヴェール越しにハクの唇に当てた。
意味するところは『言うな』ということだ。
「聞かれたら面倒だよ。それにどうにもできない」
累の感覚としてはハクと二人ならここにいる吸血鬼たちを相手にしてもかなりいい勝負ができるという見込みだが、そこに人間を守るというタスクが積まれるとかなり面倒だ。
どれだけの人間がここにいるかわからないが、狩人と違って自衛能力もない民間人を守るのはかなり難しいことに加え、そもそも目的は狩人のフォローだというのに、さらなる面倒ごとまで背負い込めば本来の依頼さえ達成することができない可能性がある。
そういったリスクを鑑みればここで不用意なことはできず、それはハクも内心では理解しているのだろう。
ただそれでも理性で感情を押さえつけるのはそう簡単ではない。
「本来の目的をきちんとこなせば救える人もいるよ」
周りに吸血鬼がいるので具体的な言葉を言えないが、暗に狩人を救えば狩人たちが人間も救ってくれるはず、と伝えればハクは幾分か明るさを取り戻したようだ。
ヴェール越しではあるが、笑みを見せてはいと元気よく答えてくれた。
「それじゃあ、えっと、これからどうしたらいいのかしら?」
再び妙なお嬢様言葉で狩人が現れるまでどうしたらいいっすか、と聞いてきたハクに対して累は少しばかり頭を悩ませる。
狩人がいつどこから現れるのかさっぱりわからないからだ。
もしかしたらここにすでに潜んでいる可能性もあるが、知っている顔がアルベルトしかいないためこの吸血鬼で溢れかえる会場から探し出すのは至難の業である。
「どうしよう。いつになく行き当たりばったりよね」
「そ、そうですわね。カザリさんも急な話で調整できなかったみたいですわ」
「それで困るのはこっちなのだけれど……ひとまず城内に入ってみるのはどう?」
「合点承知の助ですわ」
それは少し言葉遣いがおかしくないか、と思ったが指摘するとまた混乱しそうなので累は黙っていた。
とにもかくにも串刺し公をオマージュしたらしい人林を足早に抜け、大きく開かれた城の門をくぐれば中庭と打って変わって華やかな光景が広がっている。
簡潔に言えば外の悍ましい乱痴気騒ぎとは異なり、城内はいわゆる普通の仮面パーティーのようだった。
「立食パーティーみたいですわね」
「そうね。何が使われているかは考えないほうがいいけど」
豪勢な食事が山盛りに提供されており、吸血鬼たちはそこから好きなものを皿に盛って緩やかに談笑している。
手に持ったグラスがただの赤ワインであるわけがないので血なのだろうが、そう思わなければ吸血鬼たちが集まっているとは思えない景色だ。
外よりもずっと精神的に優しいとも言える。
「奥はダンスホールかしら? 外と違って穏やかですけれど」
「吸血鬼だと思わなければ本当に普通のパーティーね。逆に驚き」
外の景色を見た時はもちろん驚いたがある意味で吸血鬼の宴らしいという納得もあった。
しかしここは普通過ぎて悪く言えば拍子抜けである。
仮面をつけた楽師たちがそれこそただの人間のように音楽を奏で、その音色に合わせるように仮面の吸血鬼たちがペアになって踊る姿は異質さがない。
しいて言えば吸血鬼も普通にダンスをするのだなとか、意外とみんなダンスがうまいんだなとか、そんなのんびりとした感想が出るくらいだ。
「ヴァイオレットはあんな風に踊れるんですの?」
「一応踊れる。フィズが教えてくれた」
「あー確かに先輩は踊れそうですわね。そういえばギブソン先輩から二人が戦う姿は踊ってるみたいだったと聞きましたわ。気を失って見れなかったのでハチャメチャ気になりますわね」
だからその言葉遣いはおかしくないだろうか。
確かに普段の言動からは離れているがほかの人が聞いたら普通に怪しい人である。
とはいえそれを言うとまた悩みそうなので累はやはり黙っていた。
「お姉さまは踊れるの?」
「友達もいなくて独りぼっちだった時、アイドルに夢中になってダンスを真似たことはあるんですの。でもああいう社交ダンスって言うのかしら? ああいうのは踊ったことがないんですのよ」
「へぇ。ちなみにどんなアイドルが好きだったの?」
「えーっと、男性グループだったのだけれど、私が応援していたのはその中の一人ですわ。ほかのメンバーに比べて大人びていて、長身で、男性なのだけど女性のようなとても綺麗な顔立ちで、踊っているときに長髪がなびくのがとても素敵だったんですの。友達にも布教してライブも見に行ったのが懐かしい……」
昔を思い出したのか中空を見つめてほうっと息を吐いている。
意外とミーハーなんだなと累が内心驚いていると、不意にハクの動きが止まった。
また何か吸血鬼たちがしたのだろうかと視線を追ってみると、そこには何も変わらず吸血鬼たちが華麗にダンスを続けている。
異変は特にないがハクは先ほどと変わらず固まったままだ。
しかしよく見てみれば、ヴェール越しにハクが食い入るようにじっと一組の吸血鬼を追っており、その吸血鬼はというと片方は華美なドレスを身にまとった女性吸血鬼で、もう片方は長身長髪の男性吸血鬼だ。
「ん?」
そういえばさっき話に聞いたアイドルと外見が似ていないだろうか。
そう思って見てみれば仮面で目元は隠されているが鼻筋や口元が綺麗に整って見える。
さらに彼とダンスをした女性たちは嬉々として喜び、集まった女性たちは次は私よとパートナーの奪い合いすら始まっているようだ。
「まさかさ」
「タクマ……」
「え?」
「タクマっす! あれ絶対タクマっす!!」
「ちょ、口調が戻ってるって」
押さえつけられない興奮が圧になって累に襲い掛かる。
ハクがこんなに興奮しているのは初めて見るが、そうなるとあそこにいる吸血鬼はどうやらハクが応援していたアイドルで間違いはないらしい。
累が止める間もなくハクは「もうちょっと前で見たいっす」と吸血鬼たちをかき分けてダンスホールの最前線まで進んでいってしまった。
「お姉さま。ちょっと、ここは人が多いから少し落ち着いて。本当にお願い」
「でもタクマが!」
「タクマはわかったから。お願い。これ以上は怒るから。本当に」
「は、はい」
ヴェール越しに睨みつけてようやく少し冷静さを取り戻してくれたらしい。
幸運なことに周囲はハクと似たようなファンの集まりができているようで、周囲はタクマと呼ばれる吸血鬼に夢中でハクの奇行を気にしてはいないようだ。
累がはぁっとため息をついている間にもタクマが先ほどとは別のパートナーの女性と踊りながらファンの前を通れば、キャーッという黄色い歓声が上がり——当然ハクも叫んでいるわけだが——それはもはやマスカレードナイトということを忘れさせるようなただのファンミーティングだ。
「心の底から吸血鬼になってよかったと思いましたわ~!」
「えぇ」
それでいいのかとか、さっき外で見た光景はどうしたとか、そのタクマも人の血を吸ったりあの気色悪い料理を食べるぞとかいろいろ言いたい気持ちはあるものの、完全に目がハートになっているハクに今言ったところでどうにもならなそうで累は諦めた。
それにしてもアイドルまでもが吸血鬼というのは累からしても驚きの事実だった。
もしかしてほかに知った顔はいないかとダンスホールを見渡せば、ドラマで引っ張りだこの女優、有名な賞を受賞した科学者、若者に人気のインフルエンサー、大ヒット映画の監督、最近力をつけてきた政治家、四団体統一王者のボクサー、世界記録保持者のスプリンターなどなど有名人ばかりが踊っている。
つまりここは人間という表の顔で力を持つ吸血鬼同士が交流する場所であり、その他の吸血鬼たちはタクマと踊った女性吸血鬼たちのようにおこぼれを預かろうと集まっているというわけだ。
「……これは、思ったより大事じゃないかな」
吸血鬼が人間の世界に紛れ込んでいるのは周知の事実だが、まさかこれほどの著名人たちが吸血鬼だとは協会も把握していないに違いない。
もし仮に把握していたとしても、彼らを狩ることは非常に難しいだろう。
何せ目の前のタクマを累がここで狩ったとしたら、ハクのような熱狂的ファンが騒ぎ立てて大騒ぎになるに違いない。
それはグリムや狩人という存在をひた隠しにしている協会としては非常に危険なことだ。
そして彼らの存在を知ってか知らずか、マスカレードナイトを襲撃しようとしている狩人たちがいる。
ここで狩人たちが目の前の吸血鬼たちを狩った場合、果たして協会はどうやって始末をつけるのだろうか。
「——れい。おーい。聞こえてるかな」
「え?」
ある意味目の前の景色が外の景色よりも衝撃的だったため、累はしばらく自分の考えに没頭して声をかけられたことにも気づかなかったようだ。
改めて薄紫色のヴェール越しに外の情報を脳に取り入れると、どうやら周囲の女性の視線が自分に向いていることがわかった。
それもなぜか敵意の視線で、中にはハクの恨めしそうな視線も混じっている。
なぜと累は戸惑ったがその答えはすぐ目の前にあった。
「よかった反応してくれて。気分が悪かったのかな?」
顔を上げれば例のアイドルが好意的な笑みを向けて立っていたのだ。
どうやら一曲終わって次のパートナーを探しに来たようだが、累は予想外に彼の目に留まってしまったらしい。
「いえ、そういうわけではないので気にしないで」
「そうかい? じゃあもしよければ一曲ご一緒してくれないかな」
すっと白手袋をつけた手が差し出される。
何故よりにもよってタクマとやらを全く知らず興味もない自分に声をかけてくるのだと累は少し文句を言いたい気分だった。
何せ狩人たちと合流するまでは目立ちたくなくて言葉遣いに注意したりフィズも連れてこなかったというのにこれではまるで意味がない。
おまけに周囲の視線は痛いしハクに至っては心底羨ましそうに手を震わせている。
「せっかくですがダンスは不得手なので遠慮します。……よければお姉さまと踊って頂けますか?」
「え? え? いいんですの!?」
「お姉さまってことは二人は姉妹なの? まぁいいや。それなら一緒に踊るかい?」
「はい! ぜひ! ありがとうヴァイオレット!!」
ハクは突然の幸運に飛び上がりそうなほどだ。
累に向かってありがとうと叫んで抱きしめるとハクはタクマにエスコートされながらダンスホールの中央へと歩いて行く。
思いっきり浮かれているし目立っているが、もう今更なのでいいかと累は少し諦めていた。
「早くアルベルト達来ないかな……」
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