刑と燎⑦
江戸城は江戸幕府の初代将軍である徳川家康から十五代将軍の徳川慶喜の時代まで、約二百六十年間、日本の政治の中心となった城だ。
現在では皇居として利用され、限られた範囲で見学が可能になっている。
そんな場所に向かっているのはいつものようにバイクにまたがり白髪を風になびかせるフィズと、累と違ってサイドカーで少し窮屈そうにしているルシアンだ。
「なんでいきなり城なんだよ」
「魔女はオドが豊富なので自分専用の住処を作ってるんですよね。例えばスロージアだとミュージアムだったり、魔女の個性によって違ってて、狩人はそういう魔女の住処をダンジョンって呼びます」
「へぇー。先輩もダンジョン持ってるのか?」
「まぁ一応ありますけど累さんと出会ってからは使ってませんね。長らく放置してるのでどうなってるかわかりません」
フィズのダンジョンはどんなものだったのだろうか。
ふと累の写真が壁を埋め尽くしていた二階部屋が脳裏に浮かんだが、累と出会うまでということなのでそれはないだろう。
だがそうなると逆に累以外に執着のなさそうなフィズがどう生きてきたのかがルシアンには気になった。
「それでそのダンジョンへの入り口も魔女によって様々なんです。スロージアは博物館とか美術館のそばに期間を限定して入口を設置してるみたいですし、ほかには一か所しか入口のない魔女もいます。今回会いに行くロイヤルはダンジョンの入口を世界中の城に設置してるので、まぁ一番会いに行きやすい魔女かもしれませんね」
「はぁ~なるほどな。城に何か思い入れがあんのかね」
「かもしれませんね。実際ダンジョンの中も西洋風の城でしたから」
フィズは皇居外苑でバイクを止める。
時代劇では江戸城は豪華絢爛な天守閣を要した巨大な城というイメージだったのだが、実際にこうして見ると確かに広大な敷地だが現代では天守閣などは存在せずルシアンからすると少し肩透かしだった。
「さてここで一番城っぽいところに入口があるはずなんですが」
「城っぽいって、あーなんか櫓みたいの見えるけどあそことかか」
ルシアンが指さしたのは富士見櫓と言われる江戸城の三重櫓だ。
天守閣は江戸時代に起きた大火災で焼失してしまったが、この富士見櫓は焼失後に再建されたものと言われており、そのため現在残っている江戸上の名残の中では『城っぽい』と言える。
「じゃあ行ってみますか」
「ちょい待ち。これ普通に入るのはまずくねぇか? 警備員とかに止められるだろ」
「そうですね。こんな時間ですし見学に来ましたって言っても無理でしょうし」
「どうすんだよ」
「何とかしてください」
「は?」
ヘルメットを外したフィズがルシアンへと視線を向ける。
そこに冗談らしさなどは垣間見えない。
「マジで言ってんのか?」
「マジですよ。私がどうにかするのは簡単ですけど、そうすると後が面倒なんですよね」
「だからってアタシにどうにかしろって言われてもな……」
「自慢の魔眼でなんとかなりますって。ほら行きますよ」
「あ、おい! ……マジかよ」
すたすたと歩いて行ってしまうフィズを追いかけるが、どうにかしろと言われてもどうにかする方法などルシアンには微塵も思い浮かばない。
普段フィズと二人きりになったことがなかったが、こうも無理難題を言ってくるとは想像もしていなかった。
(そういえばハクが言ってたっけなぁ……あのバーに住むようになった直後はいろいろ厳しくされたって……)
そうこうしているうちに巨大な門が見えてくるが、そのそばには当然のように警備員だ。
ルシアンがどうにかすると信じているのか何なのか、フィズの歩みが全く鈍ることはない。
今はまだ距離があるとはいえこのままのスピードで進めば当然のように警備員に見つかることだろう。
(おいおいどうすんだマジで。アタシが使える魔眼は石化に治癒に炎焦の三つ。とはいえ石化も燃やすのも大事になるしまずいよなぁ)
ルシアンがカザリから聞いた話では変異種のメドゥーサというのは複数の魔眼を保有しているものらしい。
そしてその保有数は自身の両眼だけでなく、蛇の瞳も含めた数ではないかという仮説があるという話だった。
であればまだまだ自分には魔眼が発現してもおかしくはない。
そうルシアンは額に汗をじんわり滲ませながら強く瞼を閉じた。
無茶苦茶な要望を叩きつけてきたフィズに対する文句はいったん抑え込む。
ルシアンはかけていたサングラスをゆっくりと外し、自分の可能性を信じて瞳を開いた。
そして——
「お疲れ様です!」
緊張した面持ちの警備員に敬礼を向けられ、フィズが少しばかり怪訝な顔をして見せた。
その表情をどう思ったのか、警備員は額に汗を流してさらに背を正す。
何か一つでも声をかければ卒倒しそうな表情だ。
「通してもらえるか?」
「はっ! すぐに!」
フィズに変わってルシアンがそう声をかければ眼前の警備員が主導し瞬く間に門が開いた。
ほかの警備員も揃って緊張した面持ちであり、綺麗な敬礼をしたままピクリともしない。
「さっさと行こうぜ」
興味深そうに警備員を見渡しているフィズを押すようにして門の向こうへ移動し、ルシアンが安堵の息を吐いたのは周囲に人影が見えなくなってからだ。
「っはぁ! クソ疲れた! 眼がいってぇ!」
「やればできるじゃないですか」
「自分でも驚いてるよ! でもこれめちゃくちゃ疲れるんだからな!? それにマジで眼がいてぇ……」
しゃがみこんでこめかみを抑えるルシアンを面白そうにフィズは見つめている。
対してルシアンはというと眼がよほど痛いのかうぅっと唸って眉間にしわを寄せていた。
「で、何したんですか?」
「……さぁ、よくわかんねぇけど幻を見せてたみたいだな。多分あいつらにとって逆らえないような相手にアタシらが見えてたんだろう」
「言うなれば幻惑の魔眼ですかね。狩人相手にあれだけ効果があるなら使い勝手は良さそうです」
「え? 狩人?」
ようやく痛みが引いてきたので瞳を開いて見れば、フィズがしゃがみこんで視線を合わせてきた。
面白そうというか嬉しそうというか、普段あまり見せない裏表のない表情だ。
「さっきの警備員たちのことですよ。ここは日本にとって重要な場所ですからね」
「え、じゃあ協会の狩人がここを守ってんのか?」
「いえあれは別口ですね。狩人は全員が協会に所属しているわけじゃないですから。多分警察内にそういった狩人だけが所属する秘密部隊みたいなのがあるんでしょう。前に累さんがそんなことを言ってました。警察にも狩人がいて、協会と協力してグリムの事件を公にならないようにしてるとかって」
「へぇ」
皇居の警備を行うのは皇居護衛官と呼ばれる専門の警察官だというのをルシアンは昔暇つぶしに呼んだネットの情報で知っている。
そういう専門の部署があるなら警察官の中にグリム討伐専門の狩人が所属する部署があったとしても確かにおかしくはない。
「ってかよ。それだったらさっきのは余計に危なくねぇか? 一歩間違ったらグリムだってことで狩られてたってことだよな?」
「本当に無理そうだったら私がどうにかしましたよ。でもルシアンが成長してくれたのでとても満足です」
「あーそう……」
ハクの言っていた通りとてつもないスパルタだ。
とはいえ狩人が警護する場所にいつまでも長居するのも危険なため、内心の文句は抑えてさっさと目的の場所へと移動を始める。
道中狩人と思われる警備員が警邏していたものの、幸い見つかってまた魔眼に頼るようなこともなく、二人は無事目的の富士見櫓へと到着した。
「昔はここで将軍様が富士山を見たり花火を見てたらしいぜ。だから富士見櫓なんだと」
「相変わらず無駄なこと知ってますね」
「森じゃすることなくて暇だったんだよ。ってか無駄じゃねぇから」
櫓は当然のように立ち入り禁止のため封鎖されているわけだが、フィズが何かしらの魔術を使ったのか鍵は開き警報なども鳴らずにすんなりと中へと入れてしまった。
警備員相手に四苦八苦したルシアンとしては多少納得がいかなかったものの、問題なく先へ進めるのならば何も言えない。
「えーっと、あ、ありましたね」
フィズが歩み寄ったのは櫓の一階にあたる部分であり、ルシアンからはそこが妙に歪んで見えた。
近づいてみれば如実にその違和感がわかる。
「これここにいる狩人は気づかないのか?」
「オドがない人間は気づけないんですよ。まぁ、とにかく入りますよ。私が近くまで来てることは向こうも気づいてると思うので、たぶん出たらすぐロイヤルがいると思います。気を付けてくださいね」
「気を付けるって何にだよ」
「あー……眼が潰れないようにって言おうと思ったんですけどサングラスしてれば大丈夫ですね。さ、行きましょう」
フィズが歪みへ飛び込むようにして姿を消した。
言っていたことがいまいちわからないものの、多少の警戒心を抱いてルシアンも続いてその歪みへと飛び込む。
そして次に視界に広がったのは黄金に彩られた光り輝く謁見室だ。
天井は見上げるほどに高い上に抜かりなく黄金で彩られており、壁も床も同じく黄金が使用されているが床にはその上からさらに赤と金で彩られた絨毯が引かれており、その上に立つルシアンはあまりの柔らかさに一瞬バランスを崩しかけたほどだ。
左右の壁も黄金に輝いているが紋章旗が等間隔に設置されており、その紋章は剣をイメージしたもののようだ。
ただ気になるのは剣に纏わりつく血のようなものであり、周囲の輝く黄金に対しておどろおどろしさを感じさせる。
視線を正面へと向けるとそこにはこの部屋で唯一輝いていない木製の椅子が置かれていた。
ルシアン達のいる場所より数段高い場所に設置されていることもあり、この部屋の主のための椅子と思われるが周囲の豪華絢爛さに比べればあまりにも質素だ。
凝った細工がされているのでそれなりに高価なのだろうが相対して見れば貧相という評価になってしまう。
それに致命的なのが背もたれの上部がバッサリと切断されたようになくなっていた。
そしてその椅子の隣にはある意味その椅子にぴったりな外見の女性が立っている。
ぴったりというのは椅子と同じくらい質素だということだ。
裾の長い白のオーバーチュニックを身にまとい、腰元に細いベルトがあるだけでほかに装飾品らしいものはない。
茶の長い髪はあまり手入れされていないのかツヤがなく、髪と同じ茶色の瞳がフィズとルシアンの二人をじっと見つめている。
顔も綺麗ではあるがこれといった特徴もなく、素朴な村娘のような外見でこの豪勢な謁見室にはあまりに不釣り合いだった。
「お久しぶりですね。フィズ様」
「あーっと……」
「クリスです」
「そんな名前でしたね」
「誰だよ」
「ロイヤルのパートナーですよ。私にとっての累さんみたいな立ち位置です」
クリスと名乗った女性は幸薄そうに微笑んで見せた。
ひとまずロイヤルという魔女ではないようだが、なぜこんなに素朴な女性が魔女のパートナなのか不思議だ。
せめて服装だけでもこの部屋に合うような華美なものにすれば多少つり合いは取れるだろうに、とルシアンは思うのだがそれは邪推というものだろう。
ひとまず納得したルシアンは会話の流れをフィズとクリスに任せた。
「手紙を送られたから忙しい合間を縫ってきたわけですけど、肝心のロイヤルはどこです?」
「フィズ様が来られたことに気が付き身支度を整えています。もう少々お待ちください」
「身支度?」
フィズが不思議そうに首を傾げた。
ルシアンからすればこの部屋の主なのだからそれ相応の時間をかけて豪勢な服を着てくることも特に不思議ではない。
だがフィズが首をかしげるということはもしかしたらクリスと似たような質素な服を好むのだろうか。
「ところでロイヤル様が来られる前に、そちらの方はどなたかお聞きしたいのですが、もしや噂の菫野累様でしょうか?」
「違いますよ。累さんは今日来てません。彼女はルシアン。私の同僚です」
「同僚?」
「詳しいことは省略しますが、とにかく無事に帰したいので変にちょっかい出さないでくださいね」
「かしこまりました」
クリスが手に持っていた羊皮紙に何やら書き込むと、不意に謁見室が暗闇に包まれた。
だがルシアンが動揺するよりも早く、謁見室に再び光が満ちる。
それは先ほどまでのただ周囲を照らすだけの光ではなく、そこにいるすべての者に己の存在を叩きつけるかのような強い意思を持った輝きだ。
瞳を刺し貫いて脳に強制的に存在を焼き付けるかのような光の源泉は、よくよく見れば人影のようにも見える。
「待っていたぞ! フィズ! 久しぶりではないか!」
光に包まれた人影がそう叫んだ。
サングラスをしていることもあるが、徐々に光に目が慣れてきたのか先ほどよりも光量が落ちたのか、ようやく姿を正確に捉えてみればそこに立っていたのは深紅のマントに錫杖を身に着けている以外は一糸まとわぬ女の姿だった。
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