刑と燎⑥
「やっぱり私もマスカレードナイトに行ってきます!」
バーのテーブル席に突っ伏していたフィズが覚悟を決めたように立ち上がって宣言したことに対し、それを見張るようにカウンターそばで立っていたルシアンが慌てて飛び出した。
「ちょ待てよ! 駄目だって言われたろ!? 店長と約束したんじゃないのかよ!」
「確かに約束しましたけど……」
「ならここで待ってようぜ」
「でもあれは累さんにうまく手玉に取られたような気が……あんな風にベッドでお願いされたら断ることなんかできないわけで……」
「約束は約束だろ」
うぐぐと歯ぎしりしながら悶えるフィズを落ち着かせて席に座らせると、ルシアンは疲れたように肩を回しながら再びバーカウンターへと戻る。
というのもこのやり取りは実は八回目だ。
しばらくの間はああして静かにしているのだが、次第に堪えられなくなってくるのか爆発したように立ち上がってバーを出ていこうとするため、ルシアンはこうして監視し何度も引き留めている。
(多分頭じゃ行っちゃいけないってわかってんだよなぁ。でも感情的に抑えが利かないって感じか)
本気で累を追いかけようと思えば黙って出ていくだろうしルシアンに止めることもできないはずだ。
それをルシアンが声をかけただけで大人しくなるのは、抑えきれない感情をこうして発散しないと暴走してしまうということなのだろう。
「店長なら無事帰ってくるって。頼りねぇけどハクも一緒だしな」
「累さんが無事に帰ってくるのは信じてますよ。でも累さんと一分一秒でも離れてることが嫌なんです。それもあんな風にドレスを着た累さんのそばにいられないなんて……あぁ! やっぱり行きます!」
「だから止めとけって! おいおい待て待て!」
今度は立ち上がってドアまで歩き始めたのでそれを追いかけて羽交い絞めにする。
フィズ自身の身体的な力はさほどでもないのでたやすくルシアンに押さえつけられた。
「ルシアンだって気にならないんですか! ハクがあんなお洒落して吸血鬼たちのパーティーに参加するんですよ! 吸血鬼たちと過ごすほうが楽しいってここに戻ってこなかったらとか考えましたか!」
「お……いや、そういう考えはなかったなぁ……」
「でも今ちょっと不安になったでしょう」
押さえつけられながら、フィズが首を回してルシアンを見上げてきた。
底の見えない深海を思わせる藍色の瞳が余計に不安を沸き立たせてくる。
「一応言っときますけど、あんまり私に触れすぎるとやられますよ」
「あっと……そうだったな」
ぱっと手を離すと脳内に僅かにかかった霞のようなものが晴れていく。
メドゥーサはもともと美しさ故に神の嫉妬を買って怪物にされたという伝承があるせいか、フィズの魅了にもある程度耐性があったのだが、さすがにこうして触れて近づきすぎると影響が感じられる。
とはいえルシアン個人の意思の強さもあるのかこの程度であれば問題となるレベルではない。
「で、ハクが帰ってこなかったらどうします? 寂しいでしょう? 一緒に迎えに行ったほうがいいんじゃないですか?」
「まぁ帰ってこなかったとしたら、寂しいな」
素直な気持ちだ。
それは累やフィズのことも同じで、ルシアンにとってこの店の人々は夜帽以外にようやくできた深い繋がりのある大切な人だ。
どれか一つでも欠けるようなことは絶対に許せない。
ただその中でも特に強い繋がりを感じているのがハクだというのは間違いではない。
もしハクがいなくなったとしたら、とてつもなく強い喪失感に苛まれるだろう。
「でもアタシはグリムらしく生きるって決めたからな。もしハクが戻ってこないんなら力づくで攫いに行くだけだぜ」
「もしハクが嫌がったら?」
「その時はそうだな。アタシにはお前が必要だってまっすぐ伝えるしかねぇな。それでも断られたら仕方ないけどさ。そんときゃハクはハクで幸せになったと諦めるよ。ま、ハクなら戻ってくるって信じてるけどな」
得意げにルシアンが宣言してみれば、フィズは驚いたように目を丸くした。
だが何に驚いているのかよくわからない。
「なに驚いてんだよ」
「いや割と好感が持てる回答だったので。あとルシアンとハクの仲がそんなに進んでるとは知りませんでしたね」
「あー別にアタシが勝手に言ってるだけだぜ。ハクがどう思ってるかは知らねぇしな。さすがに嫌われてることはないと思うけどよ」
「ふーん」
フィズは落ち着いたのか今の会話に意識が向いたのか、席に座って大人しく話を聞き始めたのでルシアンは内心安堵しつつ自分もフィズの対面の席に座った。
黙ってフィズを監視しているよりはこうして会話しているほうが精神的によい。
「ハクのどこが気に入ってるんですか? 出会ってそんな経ってないですよね」
「どこがって言われてもなぁ。まぁいろいろ鈍いところは可愛いよ。いじりたくなるし、反応も面白いし、話してて楽しいな。あと顔」
「顔」
「顔は大事だぜ~。朝起きたら好みの顔がおはようって言ってくれるんだからなぁ、QOL爆上がりだぜ」
「確かに。それは大事ですね」
「逆に聞くけどさ、先輩は店長のどのあたりが好きなんだよ?」
「全部」
「ぜ、全部……」
「全部」
ほんの僅かな間もなくそう断言するフィズの瞳は有無を言わせぬ物理的な圧力さえ感じる。
こちらを見る眼が怖いのでそれ以上具体的にどこかなどと聞ける雰囲気ではない。
そうまで執着するフィズの心の内を聞いてみたかったものの、これ以上踏み込むと引き返せなそうなのでルシアンはそっと目線を逸らして話を変えた。
「ま、まぁ、よくわかった。アタシももうちょいハクにアタックしてみるかなぁ。感触は悪くない気がするんだが、鈍いからアタシを恋愛対象としてみてるかわかんねぇけどさ。最初に親友って関係に持ってったのが失敗だったかなぁ~。そこから恋愛に持ち込むのって結構な力技になるし」
「私が言うのもなんですが、ルシアンは男とか女とか気にしないんですね」
「恋愛対象がってことか? 別に気にしねぇなぁ~。だってアタシらグリムだぜ? 人間でもないのにわざわざ好きな相手を性別で決める必要あるか?」
「ないですね。ふむ。なかなかルシアンとは気が合いますね」
「それはそれでちょっと怖い気もするが……」
「まぁ話を戻すと私が見てる感じはハクもまんざらでもなさそうですよ。押せばいけるんじゃないですか」
そう言うならもう少し押してみるか、いや今の時点でも結構ハクはいっぱいいっぱいなので手加減したほうがいいのか、まぁそういう所がおちょくりがいがあってかわいいんだけど、などとルシアンが椅子の背にもたれかかって考えているとバーの扉が開いた。
背にもたれかかったまま見上げるようにして首を後ろに倒してみれば、反転した視界に映ったのは常連の双子だ。
「累さんがいないから今日はやってませんよ」
「知ってる。累から連絡きたし。フィズに用があってきたんだけど、なんか珍しい組み合わせね。何話してたのよ」
「恋バナですよ恋バナ」
「それ話広がる? あんたがするの累の話だけでしょ」
確かにフィズの話は全く広がらなかった。
そんな風にフィズとスロージアが会話していると、当たり前のように同じテーブルにスロージアとプラムは座った。
ルシアンは二人を知ってはいるが営業中は厨房にいるので会話したことはほとんどない。
スロージアが魔女だということは聞いているものの、店によく訪れるし累やフィズと仲良さそうに話しているので悪い奴らではないのだろうな、というのがルシアンの感じた印象である。
「で、私に用事――」
ぐぎゅるるるっと隣で盛大に腹の音が響いた。
見ればスロージアと全く同じ顔でありながら幼さを見せる少女が眉の端を下げてこちらを見上げている。
「プラムだったよな。晩飯用にカレーならあるけど食べるか?」
「え! いいの!?」
「構わねーよ。スロージアも食べるだろ?」
「あらいいの? じゃあお願い」
累とハクがいないことを忘れていつものように四人分用意してしまったので、二人が食べてくれるならちょうどいい。
時間も十九時を過ぎているのでいっそここで夕食にしようとルシアンはカレーを温め、その後四人分のカレーとサラダ、そしてラッシーをすぐさま用意して見せた。
「プラムはここのカレー大好きなんだ! ちょっと辛いけどおいしい!」
「ありがとよ。辛いカレーをうまいって思えるなら大人になった証拠だぜ」
「ほんと? じゃあスロちゃんはまだ子供だねぇ」
「カレーで決めないでよ。単に甘口のほうが好みってだけなんだから」
「私も甘口のほうが好きですけどね。これはこれでおいしいですけど」
魔女二人は甘口のほうが好みらしい。
ちなみに累も甘口派でハクとルシアンそしてプラムは辛口が好みなようだ。
「なんか普通に食事になっちゃいましたけど、結局スロージアは何しに来たんですか?」
「あ、そうそう。これ届けに来たのよ」
カレーをほおばりながらそういえばとスロージアが取り出したのは金色に光り輝いた封筒だ。
取り出した瞬間に店内が昼になったかと思えるほどの輝きで、光源である封筒はあまりにも輝きすぎてすぐにはそれが封筒だと判断するのも難しいほどだ。
ルシアンがサングラス越しに瞳を開いて見たことでそれが封筒だとようやく判断できたレベルで、直視すれば『眼がぁ~!』と悲鳴を上げる隣のプラムのようになるに違いない。
「この無駄な輝きはロイヤルですか」
「そうよ。フィズがどこにいるかわからないから渡してくれって頼まれたの」
フィズは封筒から手紙を一通取り出すと、光り輝く封筒を手のひらの上ですぐさま燃やしてしまった。
すると途端に世界に暗闇が戻ってくる。
「眼がちかちかするよぉ」
「まっすぐ光を見るからじゃない。ミュージアムで同じことしたのに学習能力ないんだから」
うぅっと眼を抑えるプラムを横目で見つつ、ルシアンはフィズの様子を窺った。
あれだけ派手で迷惑な封筒に収められていた手紙にはいったい何が書かれているのだろうか、と思ったのだが想像以上に早く読み終わったフィズはルシアンへと手紙を投げ渡してきた。
「気になるなら読んでいいですよ。意味ないので」
「まぁ確かに見ても意味ないわね」
「どういうことだよ」
魔女二人に意味がないと言われつつも気にはなるので手紙に目を通してみれば、とても簡潔な一文、いや単語が書かれていた。
『待つ』
これだけである。
「なにこれ?」
「知りませんよ。だから意味ないって言ったじゃないですか」
「ロイヤルらしいけどね」
そのロイヤルというのがこの手紙の差出人らしいがいったい誰なのか。
フィズとスロージアが知っているということはそのロイヤルも魔女なのではないか、と考えたルシアンを肯定するように隣で眼をこすっていたプラムが口を開いた。
「ロイヤルはね、すっごいまぶしい魔女なの。輝いてるの。だから会うといつも目が痛いの」
「自称『輝きの魔女』ですからね」
「自称? どういう魔女なんだ?」
ルシアンの問いかけにフィズとスロージアがうーんと唸る。
ルシアンの知っている魔女というのはこの二人だけだが、その魔女二人が悩むほど面倒な相手なのだろうか。
「話が通じるようで通じないというか」
「そうですね。隠し事とか卑怯卑劣とかそういうのとは無縁な魔女ですけど、厄介なことには違いないんですよね」
「私は嫌いじゃないけど、ふいに笑顔で殴ってきそうで油断はできないかな……」
「そもそも魔女の中でまともなのは私くらいですから」
「よく言うわよ。イカレ具合じゃバキシェといい勝負してるくせに」
また知らない名前が出てきた。
バキシェとは誰なんだとルシアンがプラムを見れば、言い合いをしている目の前の魔女二人よりも簡潔にプラムが教えてくれた。
「えっとね。バキシェは優しいの。でも大切な人が死んで、ずっと悲しんでる。可愛そうなの」
憂うようなプラムの表情にルシアンの脳内にはか弱い魔女の姿が思い描かれた。
とはいえ今はバキシェという魔女よりもロイヤルという魔女のほうだ。
とてつもなく簡潔な一文だが、待つというからにはフィズを待っているはずなのだから。
「それでどうするつもりなんだ? 待つってことはどっかで待ってんだろ。このロイヤルって魔女」
「居場所はわかりますけど、行かなきゃダメですかね」
「行ってきなさいよ。あんたが行かないと私のところに頻繁に来るから迷惑するし」
「我慢してくれてもいいんですよ?」
「行かないならこの場所をロイヤルに言うわよ。……まぁ、そうなると落ち着いてお酒飲めなくなるから私もそれはしたくないんだけど」
魔女二人がお互いに嫌な顔をし、そしてやがてフィズが根負けしたようにはぁっと深いため息をついて見せた。
「まぁしょうがないですね。累さんもいないし暇だし、ちょっと顔を見せに行きますか」
「行くならアタシもついてくぜ。店長に見張ってろって言われたしな」
「んー。まぁ、いいですけど、一応相手も魔女ですから油断しないでくださいね」
全員が食事を終え、スロージアとプラムも食器をきちんとキッチンまで運んでくれた。
よくよく考えれば客が、それもグリムであり魔女がというのはなんだかシュールだなと思いつつ、ルシアンがさっと食器を洗って戻ってくればスロージアとプラムはすでに帰宅したようだった。
「で、どこに行けばいいんだ?」
「そうですね。まずは城に行きます」
「城?」
こくりとフィズは頷き、スマートフォンで周囲の地図を眺めている。
「やっぱり一番近いのは江戸城。つまり皇居ですかね。さ、行きましょう」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




