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刑と燎⑤

東京の海は沖縄の海とは違うなと累はしみじみ感じていた。

沖縄の開放的な海は見ているだけで不思議な高揚感があったのだが、同じ海でも東京の海は胸に響くものがない。

ただこれは今いる場所が悪いのであって、また別の場所であれば、そして今回のような依頼ではなくプライベートであれば、東京の海でも感じるものがあるのかもしれない。

それに沖縄の時は旅行だったというプラスアルファがあったのだから比べるのはずるいだろう。


「でかいっすねぇ……」


月夜の下、東京の港に浮かぶ巨大な客船を見上げながらハクが呆けたように呟いた。

以前暇なときにフィズとともに豪華客船というものを調べたことがあった累からすると、この船はその時に調べた最大級の客船に引けを取らない。

外見からではどれだけ乗船できるか想像もつかないが、それほどの大きさの客船が誰にも気づかれず港に停泊していることにこそ驚くべきだろう。

それに付け加えればこの客船に乗るのが全員吸血鬼という所もだ。


「口調気をつけなよ」

「あ、そうだったっす。すいま――じゃなくてごめんなさい? ごめんあそばせ? かたじけない……?」

「……アウラくらいの口調でいいと思う」

「そ、そっすね」


紛らわすようにわざとらしくごほんと咳をすると、ハクが片手を差し出しながらぎこちない笑みを累へと向ける。


「それでは行きましょう。て……ヴァイオレット」

「ええ、お姉さま」


差し出された手を握って顔を窺えばすでにいっぱいいっぱいに見えるがこれからが本番だ。

こんな調子で本当に大丈夫なのだろうかと不安になるが、ここまで来たのならばもう先に進むしかない。

ハクにエスコートされながら累が思い起こすのはバーでカザリに依頼された内容のことだ。

彼女の言葉を忠実に思い出すと次のようになる。


累とハクにマスカレードナイトに参加してほしいんだ。

マスカレードナイトってのは吸血鬼しか入れないパーティーでね。

中で何が起きてるか私たち狩人は知りもしないんだが、ハクなら吸血鬼だし入れるだろう?

それに累も能力を使えば吸血鬼になれる。

二人が今回の依頼にぴったりなんだよ。

え? 何するのかって? それがまた面倒な話でね。

え? 面倒な話しか持ってこないだろって?

それはそうだけど、まぁ頼みたいのはヨーロッパの狩人たちの援護さ。

え? 何で他国の狩人が話に出てくるかって?

そりゃ彼らがマスカレードナイトに参加するからさ。

え? マスカレードナイトに参加できるのは吸血鬼だけだろうって?

そうだね。その通りなんだが、実は彼らは独自にそれを突破する方法を見つけたらしいんだ。

マスカレードナイトを襲撃するってのは、まぁ狩人としては正しい行動でもあるんだが、あまりにもリスクが高すぎる。

で、このことはヨーロッパの協会が密かに連携して進めてたせいで私らは最近まで知らなかったんだが、君らも知ってるアルベルトから連絡があってね。

彼からの情報をうちの幹部が話し合った結果、あまりにも危険だから彼らを手助けできる人員を出そうって話になったのさ。

とはいえ普通の狩人じゃマスカレードナイトには参加できないし、となると君らが適任だったというわけ。

ちなみに二人を呼べって言ってきたのはアルベルトだからね。恨むなら彼に文句を言ってくれよ。


とまぁこんな感じの内容であった。


「まずはヨーロッパの狩人と合流っすね。あ、いや合流です、わ、ね?」

「お姉さま……」

「だ、大丈夫よ。ほほほ」


大丈夫に見えない。

思わずこの偽名や変装作戦は本当に必要だったのだろうかと首をひねってしまうほどだ。

というのもカザリ曰く——


『君らは狩人だけじゃなくグリムの間でも有名になってるんだから身元は隠すように。バレたら狩人を救うどころじゃないんだからさ』


とのことだったので、ハクはメアリーから貰ったドレスに身を包み、髪型も普段と変えて仮面代わりにヴェールで顔は隠している。

累も同じく妖精の夜会(フェアリィ・ソワレ)に参加した時のドレスにヴェールで顔を隠し、念には念をと偽名に口調まで変えているのだが、果たして効果はあるのだろうか。


「あそこから入れるようですわ。行きましょう」


少しぎこちなくハクがエスコートしてくれるのは巨大な豪華客船への入り口だ。

すでに列ができており、受付が一人ずつ中へと通している。


「人間は気づかないみたい」

「あ、そういえばそうですわね」


ハクの中で自分のキャラの方向性が決まったようだが、口調が妙なお嬢様キャラになってしまっている。

とはいえひとまずそれは置いておき、累が気になったのは遠くを歩く人間たちだ。


この埠頭にこれほど巨大な客船が止まっているのもそうだが、ドレスやスーツで着飾った上にハロウィンでもないのに顔を隠すように仮面を着けた人々が大勢集まっているというのに、道行く人々がそれに気づいた様子はない。

普段ならばこんなおかしな集団がいたらSNSに写真でもあげられそうなものだが、ここ一帯だけが隔離されたように誰も見向きしないのだ。


「気づけないなら参加できないのも当然ですわね」

「ええ、そうね」

「あら。ヴァイオレット。列がすいてきましたわよ」

「では私たちも並びましょう。お姉さま」


人間が参加できないということは周囲にいるのは全員が吸血鬼ということだ。

それもこの客船に入るだけ、となればどれほどいるのか。

頭が痛くなるのはこれがあくまで一部であって、これから向かうマスカレードナイトには全世界の吸血鬼が集まっているという点だ。

そんな場所に乗り込もうとしている狩人たちをとても正気だとは思えない。


「この人数相手に勝ち目はあるのかしら。不安ですわ」


ちょうど同じことを考えていたらしいハクが囁いてきた。

確かにそう思うのも当然だろう。


「難しいでしょうね」

「……わたくしたちも無事に帰れるのかしら」

「帰れるわ」

「そ、そうね。そうよね」


累の迷いない言葉に安心したのか、ハクはヴェールの下でほっと息を吐いて笑みを浮かべた。

安心しているようだが、そもそもハクは上位吸血鬼であり世界中の吸血鬼が集まるとはいえその大半が自分よりも弱い中位吸血鬼なのだから、いちいち不安に思うほうがどうかしている。

自分の力を過信しないのはいいところだが、少し良くなってきたとはいえ性格は相変わらずの後ろ向きなようだ。


そうしているうちにどうやら受付の順番が来たらしい。

受付にいるのもおそらく吸血鬼なのだろうが、ハクと同じでこうして見る分には仮面をしている以外はただの人間と何も変わりがない。


「マスカレードナイトへようこそ。お名前をお聞かせいただけますか?」

「ホワイトですわ」

「ヴァイオレット」

「ホワイト様にヴァイオレット様。では父君もしくは母君のお名前をお願いいたします」


男の質問にはてと累とハクは顔を見合わせた。

父と母? それが一体なんなのだと。

だがハクが思い当たることがあったのか、「あ」と声を上げて男に顔を向けた。


「父はブラッドですわ。ブラッド……ノールヘイム? そう。ブラッド・ノールヘイムですわ」


ハクが思い出せてよかったと安心したように言い切ると、周囲がしんと静まり返った。

まさか間違った回答だったのかと不安に駆られるが言ってしまったものはどうしようもない。

無理やり乗り込むか撤退するかどうしようかと累が迷い始めたころ、男が震える唇を動かして言葉を発した。


「あ、あのお方の眷属が……失礼。こちらに血を一滴お願いできますでしょうか」

「えっと、よくってよ」


ハクが男から渡されたナイフで指先に傷をつけ、一滴の血を目の前の羊皮紙に垂らした。

するとその一滴の血が羊皮紙全体へと瞬く間に広がり、最後にはその血がたった一列の簡潔な文章へと姿を変えた。


『この血の主をブラッド・ノールヘイムの眷属と認める』


羊皮紙に現れた文章におおっと周囲で声が上がり、次第にそれは興奮や歓喜、羨望や嫉妬を混ぜ込んだざわめきへと変化していく。

受付の男も興奮が抑えられないといった表情で、震える手を抑えながら丁寧に羊皮紙をしまうとハクと累へと敬意溢れる礼をして見せた。


「あのお方の眷属に会えるとは! 止まった心臓が動き出したのではと思うほどに感激しております!」

「あ、えっと、それはありがとう」

「さぁどうぞ中へ。この船で最も良い部屋へご案内いたします」


男が視線を向けると客船の中からこれまた緊張した雰囲気の吸血鬼が一人現れた。


「お部屋までご案内いたします」

「マスカレードナイトをお楽しみください!」


船に乗り込めたのはいいことなのだが、ハクは周りの変化に自分の血を吸ったあの吸血鬼が一体何だったのかと不安になったようだった。

ヴェール越しでもわかるほどに混乱している。


「考えるのは後」

「え、ええ、そうですわね」


想像していた通り船内もかなり広い。

道中案内を申し出た吸血鬼によるとパーティー会場にレストランはもちろん、演劇を催す劇場やデッキには屋外プールがある、などと説明された。

こんな状況でなければ歩き回っていろいろと楽しみたいところだが、今回の目的を考えると不用意に出回るわけにもいかない。

特にさっきのように注目されてしまってはなおさらのことだ。


最後に案内されたのは受付の男が言っていた通り豪勢な部屋だ。

窓からは夜景や海が一望でき、広い部屋にはキングサイズのベッドにソファや天井にはシャンデリアだ。


「妖精の夜会(フェアリィ・ソワレ)を思い出すね」

「そうですわね。あ、ここは普通でいいっすよね」


疲れたっす、とソファへ崩れ落ちるハクに妖精の夜会の時と同じように飲み物を差し出しながら、累も思った以上に難しい依頼だなと少し後悔していた。


「ここまで吸血鬼が多いとは思わなかった」

「自分もっす。この船に乗ってるのって一部の吸血鬼で、しかもこれからマスカレードナイトの会場に向かうんすよね? これヨーロッパの人たちは何を考えてるんすかね。かなり無茶だと思うんすけど……」

「わからない。でも襲撃するってことはある程度勝算があるってことだと思うけど」


仮に勝算も何もないのにこの量の吸血鬼を相手にするとしたら狂人の思考だ。

できるだけ狩人を救ってほしいと依頼されたが、そんな狂人の集団だったとしたら見捨てることも視野に入れたほうがいいかもしれない。

たとえ依頼であっても相手が自殺志願者ならば見捨てたところで責められるいわれもないのだから。


「まぁアルベルトがいるなら、まだ何とかなる見込みがあると思う」

「アルベルトさんはベテランの狩人っすもんね。それに前にギブソン先輩から聞いたんすけど、ヨーロッパって吸血鬼発祥の地だから狩人も対吸血鬼の狩りは得意らしいっすよ。そう考えると無理なことじゃないのかもしれないっすね」

「んー、中位吸血鬼程度ならそうだろうけど」


ハクのような上位吸血鬼がいたら難しいのではないだろうか。

もちろんアルベルトのような手練れがいれば狩ることも可能だろうが、結局のところ吸血鬼と狩人で数の差がありすぎれば物理的に不可能に思える。

狩人もそれなりの人員を派遣するのだろうが、この客船を見る限り吸血鬼よりも狩人が多いとは到底思えなかった。


「せめてフィズとルシアンがいてくれればもっと楽だったんだけど」

「そっすよねぇ。でもカザリさんにフィズ先輩は目立つから行かないでほしいって言われちゃいましたし、ルシアンは吸血鬼になれないっすからね。というか店長はよく先輩を説得できたっすね。先輩、あんなに無理やりついてくる気満々だったのに」


メドゥーサのルシアンはともかく、フィズは魔女なのでその気になれば吸血鬼の結界などたやすく突破できる。

なので無理やりにでもついていくと頑として譲らなかったのだが、そうなると吸血鬼たちに魔女が侵入したとバレて大騒ぎになるし、仮にバレなかったとしても白髪で吸血鬼すらも魅了する存在が現れたとなれば魔女ではないかと疑われるのは眼に見えている。


吸血鬼のことを棚上げするにしても、そもそもヨーロッパの狩人たちは魔女に追い詰められた結果この無謀な作戦を強行したわけで、そんな彼らに魔女を援軍として出すというのは感情を逆なでする危険性が非常に高く、下手をすれば吸血鬼と狩人と累たちで三つ巴の乱戦になりかねなかった。

とにかくどうあっても目立つフィズはこの依頼には不向きなので家で待っているようにとフィズ以外の全員から説得されたのだが、それでもフィズは譲らず累についていくと大いに揉めたのだ。


「まぁ時間かけて説得したからね」

「説得ってバー休みにしたときっすよね? 自分たち外に出てるように言われたんでバーにいなかったすけど、どんな説得したんすか?」


ハクの言う通り最近は毎日営業していたバーを一日臨時休業にし、その日一日をフィズと部屋で過ごし時間をかけて説得することにしたのだ。

部屋で何があったかといえばフィズの機嫌がよくなるあれやこれやであり、かなり濃密な一日を過ごしたおかげでフィズがなんとか納得してくれたという経緯がある。

ちなみに音とか漏れて気まずくなるのも嫌だなと思った累は事前にハクとルシアンに夜まで戻ってこないよう伝えておいたので、二人は何が起きたのかは知らない――ルシアンは察したような雰囲気があった――というわけだ。


「まぁ、いろいろ」


目の前で曇り一つない瞳を不思議そうに輝かせているハクに話すのはなんとなく躊躇われたので、累は結局そう濁した。

と、そんな話をしている間に船が動き出したようだ。

窓から外を覗けばこの客船はその鈍重そうな外見と相反して滑るような軽やかさで沖へと進んでいく。


「いよいよっすね」

「うん」

「ここまでは問題なく来れたっすけど、この先は……」


月明りの下、吸血鬼を乗せた巨大客船が漆黒の海を割って進む。

目的地がどこにあるのか、目的地までどれほどかかるのか、そこにいる吸血鬼の数はどれほどなのか。

わからないことだらけだが、もう先に進むしか道はない。


「不安っすね……」

「まぁ確かに」

「あ、店長でも不安に思うんすね。以外っす」


累が窓に向けていた視線をハクへと向ければ、言葉通りその菫色の瞳には僅かな不安が滲んでいた。

付き合いが長くなったおかげかハクも累の無表情に現れる微妙な感情の変化がわかるようになってきたものの、今回のように不安そうな累は初めて見る。

この依頼に対する不安を共有できていることに少し安堵しかけたハクだったが、対して累が投げかけた言葉は異なるものに対する不安だった。


「いや私が不安なのはさ、フィズが暴走しないかなってことだけ」

「あぁー……」


それは確かに不安である。

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