刑と燎④
「あら、やっぱり」
口元に笑みを浮かべ、女の閉じていた瞳がうっすらと開いた。
とても色素の薄い瞳で黒眼と白眼の境がほとんどない。
「なんとなく気配はいつも感じていたのだけど、魔女のオドが強すぎてどこにいるかまではわからなかったのよね。吸血鬼になった気分はどうかしら? 元気だった?」
軽い雰囲気で話しかけてくる女は静かにハクの眼前まで歩み寄ってきた。
対してハクは身動き一つとれずに硬直している。
呼吸が本来必要のない吸血鬼が荒々しく空気を出し入れするほどに息が乱れ、ハクの額には汗が噴き出していた。
「気分がよくないのかしら」
そんな様子を見て女は心底心配しているように眉根を寄せた。
ハクは自分を落ち着けるように、つばを飲み込んで乾ききった喉を潤す。
「メアリーさん、でしたよね」
「そうよ! 覚えていてくれて嬉しいわ!」
ふふふっと好意的な笑みを向けるメアリーは名前を憶えられていたことを純粋に喜んでいるようだった。
自分自身に対する敵意や悪意が感じられないことにハクの緊張感がほんの少し緩む。
しかし相手は吸血鬼に違いない。
いつ急に感情が変化するかわかったものではないため、ハクは今にも落ちそうな吊り橋の上に立っているような気分になりながら女の様子を窺う。
「今日はどうしてここに……」
「ああ、それなら――」
「「フィズ様!!!」」
どたどたっと奥から転がるように飛び出してきたのは例の二人だ。
やはりほかの客にもこれをやるのか、と一瞬恐怖を忘れて呆気に取られているとメアリーが視線を二人に移してくすくすと笑いかけた。
「残念愛しの魔女様ではないわ。また期待させてしまったのね」
「なんじゃいあんたか」
「メアリー様……ですか。はぁ……」
発言まで一緒なのかと驚かずにはいられない。
もしかしてそういう行動しかとれないゲームのNPCだったりするのではないだろうか。
あの恐ろしい吸血鬼と一緒にいたこの女がただの吸血鬼であるはずがないのだが、そんな彼女に対しても不服そうな態度をとる二人にハクは心底驚愕していた。
感動していたといってもいいかもしれない。
「それで何の用でしょうか?」
「またドレスを仕立ててほしいのよ。それとそろそろ宴も近いからマスクもお願い」
「ああ、マスカレードナイト用のじゃな」
「ええ、デザインは考えてきたわ」
メアリーが取り出した紙には三面図と呼ばれる服の設計図が描かれている。
かなりみっちりと描かれておりとても素人がデザインしたとは思えない。
「相変わらずよう細かく書いとるのう。これならそのまんま作れるから楽じゃわい」
「納期はいつ頃をご希望で?」
「マスカレードナイトが二十日後だから、それまでには間に合うかしら?」
「それなら十分じゃ。寸法もわかっとるし十日もありゃできるじゃろ」
「そうですね。マスクや小物を含めてもそれくらいにはできるかと思います」
「ありがとう。じゃあ十日後に取りに来るわね」
話がひと段落ついて二人がさっきと同じく奥に引っ込むかと思えば、耳のほうが途中で足を止めて不思議そうにメアリーへと問いかけた。
「そういえばブラッド様のスーツは仕立てなくてもよろしいのでしょうか?」
その名前に落ち着いていた心臓がまた跳ねる。
実際はハクの心臓はもう止まっているのだが、急に電気ショックでも受けて動き出したかのように胸が苦しい。
耳に幻聴の鼓動音が響く中、メアリーははぁと息を吐き出して眉を下げた。
「ブラッドは今回参加しないの。もともと興味がないものには見向きもしない人だし、今回は別のことに興味があるからそんな暇はないんですって。だから私もほんの少し顔を出すだけにするつもりなの」
「なるほど。そういうことであれば承知しました」
「ほんのちょっと参加するのにドレスを新しく作るとは豪勢なもんじゃのう」
「着飾るのは女の特権だもの。そうでしょう?」
「え!? あ、そ、そうっすね。そういう服を着たくなる気持ちはわかるっす」
不意に話を振られてあたふたと回答してるうちに気が付いたら耳と髭がいなくいなっていた。
せめて最後まで話を聞けよと思ったものの、たいして中身のある回答をしたわけでもないので仕方ない。
しかし二人と違ってメアリーはハクの回答を気に入ったようで、やっぱりそうよねと笑みを浮かべて頷いていた。
「ハクはマスカレードナイトに参加しないの? もとは人間でも今は私の家族だもの。一緒に参加する?」
名前を憶えられていたことにも驚いたし、マスカレードナイトが何だったかにも混乱したが、何よりメアリーに家族と言われたことがハクには衝撃だった。
たいして話もしていなければ彼女たち――正確には隣に立っていた男のせいで――によって吸血鬼になってしまったハクとしてはなぜ家族扱いになっているのか訳が分からない。
「か、家族っすか?」
「ええ、ブラッドに吸血されて眷属になったのは私とあなただけよ。彼って滅多に眷属を作らないの。だから家族。実は私も妹ができてうれしいの!」
ひとまず一番疑問に思ったことを投げかけると、メアリーはさらに混乱させるような言葉を返してくる。
会話のキャッチボールをするにしても素人レベルのハクと違ってメアリーの投げるボールは大リーグの一流投手と言ったところか。
ハクでは当然受け止めきれずにボールを投げられるたびに大騒ぎだ。
「妹……あの、えっと、でも一応自分狩人っすけど……」
「そうだったわね。でもいいんじゃないかしら。吸血鬼でも政治家や医者にアイドルなんてのもいるもの」
アイドルの吸血鬼がいるのかと驚いたが、ハクが予想していたよりもはるかに吸血鬼というのは人間社会に紛れ込んでいるもののようだ。
実際自分もそうなので不思議なことではないのだろうが、こうして聞くと人間というのは知らず知らずにグリムと共存しているのだなと妙に感慨深い気持ちにもなる。
「妹って言っても別に私と一緒に来なさいとかそういう無理強いをするつもりはないのよ? 望んでいないことを私もブラッドもさせるつもりはないし、ハクはそのまま自由にしてもらえればいいわ。ただ同じ父を持つ身として、仲良くしてもらえればそれでいいだけ」
吸血鬼は自分の血を吸った相手のことを父もしくは母と呼ぶと学生時代に習ったものの、メアリーに言われるまで自分にとってあの吸血鬼が父になるのだとハクは今まで考えたこともなかった。
今更ながらに吸血鬼の一員になったのだと身に染みて理解し背筋が寒くなる。
しかしメアリーはというと妹ができたことが嬉しいのか足取り軽く店の奥へ進み、先ほどまでハクが見ていたドレスに眼を止めた。
「話は戻るけれど、マスカレードナイトには参加するの?」
「え? あ、その……」
マスカレードナイトがなんだったか、と煙が出るほど頭を回転させてようやく出てきたのは学生時代の講義だ。
すでに引退した狩人が教師となり、吸血鬼との戦闘について教えてくれている最中にマスカレードナイトの話をしてくれたのがうっすらと記憶にある。
確か吸血鬼たちが数年おきに集まる巨大な宴であり、吸血鬼以外は立ち入ることができないせいで中で何が起きているかは完全なブラックボックスらしい。
ただそのタイミングに合わせて行方不明者も増えるため、中でろくでもないことが起きているのは間違いないと教師だった狩人が言っていた。
「自分は狩人っすから……そういう場所に参加するつもりはないっす」
ハクは先ほどまでの動揺を押し隠し、毅然とした態度でそう答えて見せた。
メアリーの言葉に視界が眩むほどの混乱と恐怖を覚えたが、ギブソンにお前は狩人だと言ってもらえた時のことを思い出したからだ。
吸血鬼である前に狩人である自分にとって、そんな場所には行けないというのが回答であり、もし仮にその場に行くことがあるのだとしたら吸血鬼を狩るのが自分のやるべきことだと、口に出さずともハクの瞳がそうメアリーに告げている。
「ふぅん」
メアリーはそんなハクに対して特にマイナスの感情は見せなかった。
興味深そうに微笑んでいるのはあの時出会ったブラッドという吸血鬼と少し似ている。
「それならそれでいいと思うわ。でもあなたならマスカレードナイトに参加もできるし吸血鬼たちも狩れる。よく考えたら狩人の吸血鬼って私たちにとっては厄介な存在よね。ふふ、とってもいいわ」
「え? いいって――」
「狩りたいなら狩ってもいいのよ。もしそうしたいなら私は姉としてあなたを応援するもの」
「応援……」
「だってたいして知らない吸血鬼よりも家族のほうが大事だもの。応援するのは当然のことでしょう?」
ハクとしてはここでこの吸血鬼と戦闘になる覚悟もしていたのだが、わけがわからない回答に完全に思考が止まってしまった。
そんな風にハクが固まっている間にメアリーは一度店の奥へ消え、そして再びハクの前に現れると親愛を感じられる笑みを向けてくる。
「それじゃ私はそろそろ帰るわね。また会えるのを楽しみにしているわ」
そう言い残して店から去って行ってしまった。
果たして今起きたことは現実だったのだろうか。
しばらくメアリーが去っていた扉を呆けたように見つめていると、背後からハクを呼びかける声があった。
「ハク様。依頼の武具のメンテナンスが終わりましたよ」
「なんじゃいぼーっとして」
「あ、いや、ありがとうございます」
「それとこちらがドレスとヴェール、それにネックレスとイヤリングになります」
「え?」
手渡されたのはいつものバックパック以外に最初に見ていた蒼色のドレスが入った袋だ。
マネキンが身に着けていたヴェールだけでなくアクセサリーまで入っている。
「あの、これ頼んでないっすけど」
「ん? 聞いとらんのか? さっきお前に渡してくれと頼まれたんじゃが」
そう言われればメアリーが一瞬店の奥に消えていたことがあったが、まさかそのタイミングで頼んでいたのだろうか。
しかしそうだとしても受け取る理由がない。
「こんな高価なもの受け取れないっすよ!」
「そう言われましても代金はもうメアリー様からいただいています。もし不要ということであればご本人にお返しください」
「そうじゃな。受け取れんと言われたって貰った代金をあんたに返すわけにもいかん。いらんなら自分で話してくれ」
「う……」
結局とても高価であろうドレスを手にハクは店を出ることとなった。
このドレスをどうみんなに説明するか。
そもそもメアリーのことをどうしたらいいのか。
とにかく隠すのは絶対に握手なので、帰って累たちに洗いざらい全部話そうと決め、ハクは再び新宿の大迷路へと足を踏み入れるのだった。
そうして帰宅するなり全てを累たちに伝えること約十分。
代表して口を開いたフィズの第一声はこれだった。
「捨てましょう」
「え? 捨てるって、このドレスをっすか?」
「そうですよ。そんな縁起の悪いもの、ここにあるだけで不快です」
見ればフィズはあからさまに苛立っている。
メアリーと出会ったことで自分のことにいっぱいいっぱいだったが、そういえばと思い出したのはブラッドという吸血鬼が累とフィズにしたことだ。
意識がなかったのでギブソンから聞いた話ではあるが、あの時は累が負傷して泣くほどに悔しがり、負傷した累を見てフィズは恐ろしいほどに激怒していたらしい。
フィズはともかく累が泣くなど想像もできないが、確かにそんな原因を作った吸血鬼の仲間と思われる女からの贈り物など見たくもないのだろう。
「でもよ、いいドレスなのにもったいなくねぇか?」
「捨てましょう」
ルシアンが反対意見を出すが聞く耳を持たない。
視線を向ければ累もむすっとした顔をしているので――最近無表情に見えて意外と累は表情豊かなのだと気づき始めた――ハクは処分も仕方ないかという気分である。
「話した感じあんまり悪い人にも思えなかったんで、捨てるのはちょっと後ろめたいというか……」
「吸血鬼にされたってのにそんなこと言うとかキングオブお人よしですねハクは。そんなんだから無駄に高い壺とか絵を買うことになるんですよ」
「か、買ってないっす!」
「まぁ仮に捨てたとしても、恨まれるとしたらハクだよな。アタシらは関係ないか」
「ちょっと見捨てないでよ!」
「いいからさっさと捨ててきなさい! うちには置きませんからね!」
「そんな捨て犬拾ってきたみたいな扱いしなくても……じゃあルシアンが捨ててくれないかな」
「じゃあってなんだよじゃあって。なんでアタシが捨てなきゃいけねぇんだよ」
「もしまたメアリーさんに会って責められても勝手に捨てられたって言い訳できるし……」
「お前こそアタシを見捨てんなよ!」
一人むすっとした累を除いてドレスを中心にぎゃーぎゃーと騒いでいると店の扉が開いた。
営業時間外に勝手に入ってくるのは一人しかいないなと全員が視線を向ければ、そこには案の定カザリが立っている。
沖縄土産のおかげが以前会った時よりも顔色がよかった。
「何を騒いでんのさ」
また面倒ごとかと言いたげなカザリにハクは改めて状況を伝えることにした。
きっと嫌な顔をされるに違いないと思っていたのが、話を聞き終えたカザリの表情は予想と打って変わって変化がなかった。
というよりもどちらかというと少し明るめな顔ではないだろうか。
「ハクと累に頼みたいことがあったんだが、そういう話ならちょうどいい」
「ちょうどいいって?」
気になったのか黙り込んでいた累がようやく口を開いた。
対してカザリはわずかに口角を上げ、そんな表情を見て名前を呼ばれたハクは嫌な予感にごくりと喉を鳴らす。
今日は一日きっとありとあらゆることに巻き込まれる日なのだと覚悟しながら。
読んでいただきありがとうございます。
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